呪術とか宗教儀式とか、「厄」をはらうという性格が大きいのだと思います。また、そういう思想がなかったら、これまで発展してこなかったであろうと想像しています。つまり、無病息災を願う人間心理がすべての土台だったのだろうと。現在も初詣の季節になると、ますますそれに気がつきます。

そこで、考えたのですけど、もしそのような儀式や慣習をしなくても、結果として変わらないんだ、と言う事が証明されれば、呪術宗教的慣習は消滅するのでしょうか。つまり、SF的になってしまいますけど、もし多元宇宙みたいなものを選択する事が可能で、今年お参りしてお守りを買うことと、まったくいかない事両方に自己の存在する世界を分割して、両方の人生を生きてみる。そういう操作が可能であれば、そして、その結果なんら呪術侵攻には効果がないのだということが経験則で証明されれば、おのずと消滅する類のものでしょうか。逆にその操作が未来永劫不可能ならば、いつまでも存在し続けるのでしょうか。

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A 回答 (5件)

詣でることによって、心が晴れる、心が晴れるから、よく生きれる。


ただそれだけですが、それだけでいいとも言えます。
願いをかけるために神が存在(たとえ人間の空想だとしても)するのは、字を書くために紙があるようなもので、人が願う限り、神は居続けるだろうと思います。
 しかし、紙に書いた字(言葉)が現実になるというのは、紙に水と書けば紙が濡れたり、火と書いても紙が燃えたりしないように、神に願いをかけたら、かけた願いがそのまま現実になるとは言い難い。
 ですが、例えば日記などを想像してください。今日は一日こんなことがあった、今日はとても辛い日だった、こんなことでうれしい日だった、そういうことを綴っていくうちに、心が整理されていくでしょう。
 それと同じように、神に願いをかける(祈祷する)ならば、自分が鏡に映されるように、自己を省みることができるのではないでしょうか。
 無病息災を願う、大変いいことだと思います。それを願っているのだと言う事実を自己に知ることが、いいことなのではないでしょうか。

 もう一つ、神はどこに生きているのかと言うことについて取り上げたいと思います。神は、人の心に生きているといっていいと思います。
例えば、現実に存在しない漫画のヒーローが、子供心には、実際に息づいているようなものです。
 山深い渓流の滝を見て心打たれたとき、雲のかかった山の頂に後光が差しているのを見て心打たれたとき、なんともいえない絶妙なブルーを見て心打たれたとき、そんな風に成りたい、大人でもそう思うときがあるのではないでしょうか。風のように自由に生きたい。太陽のように輝いていたい、海のように底知れず深くありたい、その時、人の心には、それぞれの神(人格化された理想の神)が生きているのだと思います。
 神を心に生かすことで、人は如何に在るべきかを模索してゆき、ついには理想の神ではなく、現実としての人のありえべき本当の姿を知って行きえるのだと思います。
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この回答へのお礼

自分の中の「神」と対話するために、まじないめいたものをかけるのだという説、大変意味深く納得できます。宗教的行為は人間性の宿命なのかもしれないですね。

お礼日時:2007/01/14 12:11

宗教が無くなるかという事であれば、なくならないと思います。


無病息災を願う人間真理が、宗教の土台の一つであるとするなら(事実でしょう)なおさらだと思います。
また、宗教とは「この世について、分からないもの」に対して説明を与える役割もあります。
「病」や「死」のメカニズムが「科学」によっていくら証明されても、それが何故存在するかについてはまだまだ証明されないと思います。
「分からないモノ・得体の知れないモノ」に人は畏怖の念を抱きます。
そして、畏れ戦きながらも同時に「守護」を求めるのです。
「守護」を求めることによって、「不安」を軽減させ心の安定を図っているとも言えます。

呪術や宗教儀式は、「守護を求めること」を表面化させた「文化」だと言えます。
「文化」は時代と共に変化します。(発展とするか、後退とするかは思想的な立場で変ってくるでしょう)
もし、「初詣」という文化が無くなったとしても、世界の真理が解明されない限り、宗教は無くならないでしょう。
そしてどんなに科学が発展して、「病気」とか「死」とかが無くなっても「分からないモノ・得体の知れないモノに対する畏れ」はなくならないと思います。
なので、別の形で宗教儀式は表面化すると思います。

最後に、以下は蛇足です。
宗教というと一定の宗教団体とかを思い浮かべる人が多いと思いますが、それは一面でしかありません。
宗教とはもっと、人間心理の中に深く根ざしているモノだと思います。
そして、通常人はそれが「宗教である」とは意識していないと言えます。
例えば、正座は元々、神や仏の前で「かしこまる」座り方であり、宗教的です。
でも、普段我々は「宗教的行為」とは意識せずに正座をしてますよね?

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99
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この回答へのお礼

そうですね。やはり未知のものに対して畏敬の念を持ってしまいます。それをなくすというのは人間の力では無理そうです。

お礼日時:2007/01/14 12:14

質問者様個人の問題に限れば、健康的で人間的な精神の発達によって「呪術」は「信仰」に昇華して消滅します。



昇華して頭をもたげた信仰心は文化や精神的な発達段階によって様々です。
現代の日本では無宗教も蔓延していますが、日本的な無宗教とは仏教文化を下地にした「よりよき人間性」イコール「仏性」とした明白な人間信仰です。
判り易く言えば調和を愛する「和の精神」のことです。
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この回答へのお礼

日本に仏教が根付いているというのは、なかなか実感できないですね。それほど、日常的ではなくなってしまいました。ただ、宗教的な押し付けからは免れている感じです。

お礼日時:2007/01/14 12:13

No.1です。



丑の刻参り事件のリンクが間違えていました。

http://www.ntv.co.jp/FERC/research/19980201/f031 …
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この回答へのお礼

この話知っています。
不思議なものですよね。潜在意識の力はすごい。

お礼日時:2007/01/14 12:10

漢字は宗教、特に呪術を行う時に用いた道具の形などから発明されています。


従って漢字を書くたびに、知らず知らずに呪術をしているのが日本人であります。

呪いのわら人形事件をご存知でしょうか。
実際に起こった事件で、丑の刻参りをやった人が警察に訴えられました。
実際に呪われた人が、原因不明で床に伏してしまったからです。
http://www.ntv.co.jp/FERC/research/index.html

この原因はフラシーボ効果。
呪いを行っていた人を捕らえたことで、もう呪いができなくなったとなった途端、呪われていた人は回復しました。
現実に起こったことですので、パラレルワールドに行かなくても立証されました。


実際そういうことは人間の身体に作用します。(気にしない人には全く無効ですが)
逆にオリンピック選手などはそれを利用し、身体能力を開放し本来の能力を思う存分引き出して試合に挑む人もいます。
(普段は体が制御し、本当の力を発揮いないようにできているのですが、それを開放する手段をメントレでやって自分に暗示をかけ、制御を外し、本来持つ力を表に引き出すわけです。 これもフラシーボ効果により可能になります。)


呪術は太古の昔から世界にあり、本来女神の専売特許となっていました。
文化なのか集団を束ねる手段としてかわかりませんが、女性が編み出したもののようです。
だからキリスト教では、女性を忌まわしい生き物、永遠に神から呪われた生き物であると教えていましたし、呪術をやっていた者を焼き殺して、神が呪われないようにしていたわけです。
(全能の神も女神には太刀打ちできないと強迫観念になり、その狂気により、最初から殺す予定の人に、魔女であるといわせるために拷問し痛めつけたあげくに焼き殺していたようです。
とはいっても魔女((男も含む))とした人を殺せば財産を没収でき教会が潤うというおいしい目的のためもあって、宗教のためといいながら
実は略奪のためにわざと、女性や外国人を魔女呼ばわりして殺してたようですが)


メデユーサ。 
髪が蛇となっている化け物とされていますが、蛇の本来の概念は叡智です。
髪は叡智の象徴と古代では考えられていたので、仏像にしろ、キリスト教の絵画にしろ、後光があり、サムソンは髪を切られたことで力を失ったが、髪は伸びるので、再び力が回復し、自分を貶めた者を破壊した、という物語になったわけです。

だからキリスト教は魔女として捕らえたものの妖術を恐れて、陰毛すらそぎ落とし、教会がその力のよって呪われないようにしていたわけです。(真剣にそう思っていたのでやっていたのでしょう)


頭も体毛も陰毛すら削ぎ落とさないと呪い殺されると恐れる心理状態は異常ですが、宗教者は、そういう超常現象を真剣に信じているからできるので、そういう超常現象を信じたので、そこまで狂気をはらむことになったわけです。

彼らに迷信ですと言ったところでやめたでしょうか?
全知全能のイエス様は神ですと100%信じているから信者なので、捕らえた女性の陰毛を剃らないと、イエス様が呪われてしまう という感情を抑えることはできなかったので実際やったわけですよね。


そういう概念の宗教がある限り、「魔女が現実にいてイエスを呪うなど迷信です」と言ったところで無理です。
この世を創造した神は人間に似た形をしていていると真剣に信じている人が、この世にどれほどいるか。

現実などどうでもよく 信じているから信仰なわけだし、真理など関係なく、その集団の支配者の都合で決めた真理が、信者にとってこの世で唯一の真理なわけです。

捕囚された人が開放を望むことなどありえない。
だって自ら望んで奴隷になったのだから。
何度開放されようと、また主人を求めて他の宗教に入り奴隷という地位を与えられて安心するだけです。
それは生まれ持った奴隷願望の個性であり、その個性を否定することは、その人が生きる目的を失うことで、奴隷として生きなければ生の価値は無いとするので、どうしようもないです。
他の娯楽を見つけなさいと言っても、遺伝子レベルでそうだからどうしようもない。
奴隷になるのが目的の遺伝子を持っているので、奴隷遺伝子を後世に運ぶのが宿命なわけです。


尚、卑弥呼も呪術をやっていたようですが、呪われ没したようです。
この呪われたという本来の意味は、勢力を削がれたという意味。
呪術によって呪われたという意味じゃあない。
おそらくクーデターが起こったのではないかと思います。


>逆にその操作が未来永劫不可能ならば、いつまでも存在し続けるのでしょうか。

そういう遺伝子を持つ人がいる限り、永遠に宗教は存在し続けます。
本来 全人類の遺伝子に宗教の遺伝子は組み込まれていると思います。
ただ、表に出る人と出ないで他の分野を発展させる人といる。

エジプトの神学も元は科学なわけですから、宗教の親や科学。
エジプトでは、昔は宗教者が医者であり、科学者であり、建築家であり、呪術を行うものでもあったようです。
後に一人で行っていたものが複数の人に分担されていき、専門科していったと思えます。
統合的ではなくなったので、宗教と科学は相反するとなってしまったようですが、一人の人がやりつづけていれば、宗教と科学は相反するということにはならなかったと思えます。



蛇足ならが<木>という漢字。
これは木の形に似ているからとされていますが、私はただの木ではないと思います。
なぜなら これは生命の木の象徴記号だと思うから。
木 を逆にすれば、ほら、生命の木。
上に伸びていく生命の木そのもの。

尚、漢字は古代ユダヤ人が考えだしたのではないかと思えます。
ユダヤ人の中のカッバーラ 神秘学関連の人が発明したと思えます。
だから漢字は呪術、というよりエジプトから流れを汲む神秘学が元にあると思えます。

宗教も元は科学であったと証明したところで、何か変化はあるでしょうか?
もはやかなり分離して長い年月がたっているので、別人格ともはやなっているので、統合は無理だと思います。


そうそう。 門松、あれも生命の木が簡略化されたもの。
日本にユダヤの過ぎ越しの祭りと似たような神話があります。
(蘇民将来。)
民謡にもいくつか古代ヘブライ語が入っている。
日本の呪術は実はユダヤ系なんですね。
まあ 流れる民=ヘブライ人 なので、日本に文化(宗教 呪術 神道)を作ったのが古代ヘブライ人だったりするのかもしれません。
風習に入ってかなりたつし、日本本来はどれだといわれても、、、私は日本独特 固有のものが果たしてあるのか言われると、思いつきません。

そもそも日本人は? 日本の独特の文化とは何か?など説明が難しい。
日本は単一民族のようで、実は複合民族、複合文化なわけです。


とわき道にそれましたが、呪術はオリンピック選手にも利用されており、いい使い方をすれば心身の留めを解放し、いい結果をもたらします。
(相手の動きがよく見える。飛んでくる玉がスローモーションで見える、止まって見える、通常の限界をはるかに超える重量を持ち上げられる など)
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この回答へのお礼

大変ご丁寧なご回答恐れ入ります。
伝統的に見てやはり宗教は人間の性みたいなものから発しているんでしょうかね。現代も暗示効果其の他さまざまに利用法を見いだせれている状況ですね。人間性に根差したものは、なかなか消えないです。

お礼日時:2007/01/14 12:07

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