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 日本語を勉強中の中国人です。編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方に疑問を感じております。ネイティブの皆様に確認させてください。

 本が曰く、「ている」の使い方には、「歴史的なことがら・経歴・経験などを記録として述べる言い方」というようなものもあるようです。そのような使い方は本当に存在しているのでしょうか。もし本当にありましたら、それはどういう使い方なのか、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。例文ももう少しいただければありがたく思います。

 本に載っている例文は次の三文です。
1.アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。
2.モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲している。
3.ひろし【は】3年前にも同じ病気をしている。

 私なら上の三文はたぶん次のように書きます。
1.「~着陸した」
2.「~作曲した」
3.「~病気をしていた」か「~病気をした」

 私の書き方はおかしいと思われますか。それから、三つの例文の主語の後ろはなぜ【が】でなく、全部【は】になっているのでしょうか。

 また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (28件中21~28件)

#4です。

ご返事ありがとうございました。

1、>どんな時に「動かし難いものとして認識できる事実」の「している」を使うのか、どんな時に、「した」だけを使うのか
:【静的な事実(または経験)の確認】と【動的な動作完了時の再現】という違いと考えてみてはどうでしょうか。

a.「劉翔は、2006/07/11に、 110mハードルで 12秒88 の世界記録を樹立している。(A)」
という例について考えてみましょう。
「劉翔は、2006/07/11に、 110mハードルで 12秒88 の世界記録を樹立した。(B)」
という表現にしても不自然ではありません。
ただ、意図するニュアンスが違ってきます。

(B)は、「記録を樹立した」という、過去のある時点での動的内容を表現(再現)しようとしています。
(A)よりはゴールテープを切る瞬間を想像しやすいように思います。
(A)は、「記録を樹立したという事実」あるいは「記録を樹立したという経験があること」を確認しようとしていて、静的印象を受けます。

b.「モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲している。」は、
『オペラを作曲したという経験をしている』
『オペラを作曲したという歴史的事実がある』
ということを確認する意図があるでしょう。
「モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲した。」という表現からは、
彼がピアノの前に座って最後の音符を記入し終わった当時の動的瞬間を素直に想像することも可能でしょう。
【作曲したという事実があったこと】に言及しているのではなく、作曲という動作が再現されているように思われます。
 
2、四字熟語で「面目躍如(めんもくやくじょ)」です。
「オフロードを全く苦にしない仕上げは、BMWの面目躍如たる技術の現われである」
「アシモフの面目躍如たる傑作短篇集! 」
「烈々たる気迫のこもった糾弾演説をされ満場の大喝采を浴びて演説を終えられ、かつての労働運動の闘士としての面目躍如たる姿を目の当たりにした」
など、「面目躍如たる」という言い回しが一般的と言えるでしょう。

3、>その前に、必ず、「月が出た」という「が」を使った文があるはずだと思えました。
a.前回、「読者も○○の存在を既知のものとして受け止めているシチュエーションが必要」と述べたのは、そういう意味です。
ただ、必ずしも「が~」という文が明示されている必要はないでしょう。
「その月は大きい」の場合は、「その」という指示代名詞があるので、「月が出た」などの文が先に明示されていないと確かに不自然ですが。

b.「アポロ4号からアポロ6号までは無人でのテスト飛行であった。
アポロ9号とアポロ10号では月着陸船の試験が行なわれた。
そのような段階を踏んだ後、」→
「アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。」
などという表現は可能です。
つまり、「【唐突に】主題として提示する」のでなければ良い、ということになるでしょう。

例文としては前後の文を全て載せるわけではないでしょうから。不自然ということにはならないと思います。
「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している。」
という例文であっても、単独文として唐突であるという点では同じことになるでしょう。

4、>「編集者が日本人」だけで「本」を修飾するのは、やはり無理でしょうか。
:『「編集者が日本人」の本に書いた』よりも、
『編集者が「日本人の本」に書いた』と解釈(誤解)される確率が高いでしょうね。
「~が日本人」という使い方は間違いではないのですが、
「(日本)人の~」という結びつきの方が一般的だからでしょう。

「彼がアメリカ人の女性と会う。」という文の場合も、
『「彼がアメリカ人」の女性と会う。』と解釈されることは少ないでしょう。
『彼が、「アメリカ人の女性」と会う。』と取られるのが普通だと思われます。

5、少し調べてみたのですが、「曰く」「が曰く」「の曰く」
どれでも使えそうですね。
・彼曰く○○ →最も詠嘆調の宣言、
・彼の曰く○○→○○の内容に重点が置かれた表現、
・彼が曰く○○→○○の内容もさることながら、彼という主格に重点を置いた表現、
という印象を与えると思います。

本を主語にするのはユニークな擬人法で全く問題はありませんが、
「本が曰く」とすると擬人化の度合を強調しすぎた印象を与えるように思うので、
「本の曰く」として、述部の内容に重点を置いたほうが良いのではないかと思ったわけです。
 

この回答への補足

1.
>【静的な事実(または経験)の確認】と【動的な動作完了時の再現】という違いと考えてみてはどうでしょうか。

この説明のほかのところは理解できましたが、「確認」というところがまだよくわかりません。なぜ確認する必要があるのでしょうか。「動かし難いものとして認識できる事実」なら、確認する必要がないのではないでしょうか。

No.6さんへの補足にも書いたように、私は「~である」と「~だ」との雰囲気の違いを思い出しました。論文を書く時に、「~である」はより理性的な書き方でしょう。たとえば、富士山に関する論文。「富士山は日本の一番高い山である」と「富士山は日本の一番高い山だ」。おそらく、「富士山は日本の一番高い山である」のような書き方は望ましいほうでしょう。「ている」のこの使い方は「富士山は日本の一番高い山である」という文の語尾の「~である」の雰囲気に近いでしょうか。富士山という現場から遠く離れているところに身を置いて、心を静かにしてその富士山という存在、その現場を客観的で冷静的に眺めながら淡々と述べるという感じでしょうか。それに対して、「~だ」は話者の判断なども混入されている感じで、極端的な感覚にしたら、「~だ」は「富士山は日本の一番高い山なんだよ!!!知らないのか!!!」のような熱血系の叫びになってしまうでしょう。ですから、「ている」のこのような使い方は「~である」の雰囲気に近く、「~だ」の雰囲気に似ていない感じがします。なんとなく、いまのところ、こんな感じでした。

勝手な推測ですが、例文1と2のような書き方は文献資料、人物伝記、科学発見の紹介、歴史事件の紹介などの分野でよく見られる表現でしょうか。

>(A)は、「記録を樹立したという事実」あるいは「記録を樹立したという経験があること」を確認しようとしていて、静的印象を受けます。

「確認しよう」というところはやはり難しいです。「静的印象を受ける」はいまなんとなく感じております。ちなみに、劉翔はよ~く知っていますよ。いとこのあだ名です^^。大学で同級生に「劉翔」と呼ばれているそうです。


『オペラを作曲したという経験をしている』
『オペラを作曲したという歴史的事実がある』
ということを確認する意図があるでしょう。

なかなか「確認する」という意図が理解できませんでした。でも、「静的」、「動的」はなんとなくわかったような気がします。

2.
>「烈々たる気迫のこもった糾弾演説をされ満場の大喝采を浴びて演説を終えられ、かつての労働運動の闘士としての面目躍如たる姿を目の当たりにした」

ああ、この例は大変難しいです(><)。人物関係がよくわかりません。誰が誰にどんなことをした、それからどんなことをされたのでしょうか。「糾弾演説をされた」のは誰でしょうか。「大喝采を浴びて」のは誰でしょうか。「演説を終えられ」のは誰でしょうか。「目の当たりにした」の意味もよくわかりません。「大喝采」の読み方も教えてください。

>「1.アポロ11号【が】1969年に月に着陸して、アメリカの面目躍如となった。」

No.4で書かれた例の「アメリカの面目躍如となった」という部分はまだよくわかりません。「アメリカの面目躍如となった」の区切り方を教えてください。できれば、「面目躍如たる+名詞」という構造の例文ではなく、上の文の「面目躍如」と同じ構造の「面目躍如」の例文を挙げてください。

3.
>つまり、「【唐突に】主題として提示する」のでなければ良い、ということになるでしょう。

はい、助かりました。よくわかりました。

>「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している。」という例文であっても、単独文として唐突であるという点では同じことになるでしょう。

No.8さんへの補足もご覧ください。へりくつですが、hakobuluさんのご意見も伺いたいと思います。

私はただ一種の現象だと考えました。現象だから、「が」です。おいしいと思われますか。「アポロ11号が」は本当は「アポロ9号」、「アポロ10号」などではなく、「アポロ11号なんだ」のように考えていないと思います。「海が青い」文も本当は「空ではなく、海なんだ」と考えていないと思います。自然に恵まれている性質のように「が」を使ったわけです。しかし、それらの現象のことと違って、「私が海が好きです」なら、Aではなく、Bではなく、「この私【が】海が好きなんだ」という意味が強調されていると思います。

「○○が△△」と「○○は△△」の理論はよく理解できていると思います。でも、私の中で、『(自然)現象に対して「が」をまず考えましょう』という大学時代から持っているルールもあります。この考え方で「が」を決めるのが心配です。やはり捨てるべきでしょうか。

補足日時:2007/01/13 17:13
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この回答へのお礼

4.
>「彼がアメリカ人の女性と会う。」という文の場合も、『「彼がアメリカ人」の女性と会う。』と解釈されることは少ないでしょう。『彼が、「アメリカ人の女性」と会う。』と取られるのが普通だと思われます。『「彼がアメリカ人」の女性と会う。』と解釈されることは少ないでしょう。

もし「私は彼氏がアメリカ人である女性と会う」なら、どのように書くのでしょうか。「私は彼氏がアメリカ人の女性と会う」はだめでしょうか。
     
     *
 
 また字数オーバーになってしまってごめんなさい。ご回答ありがとうございました。「確認」という意図はまだよく理解できていないと思います。「面目躍如」は四字熟語なのですね。でも、接続はまだよく理解できていないかもしれません。5は見事に解決できました。大変参考になりました。最近、中国の研究をしておられますか^^。それでは、またhakobuluさんのご回答を楽しみにしております♪

お礼日時:2007/01/13 17:38

●「は」について


>私はその三つの例文の前にそれぞれ、「アポロ11号が~」、「モーツァルトが~」、「ひろしが~」という文が必ずあると思うのですが

他の方へのご質問ですが、回答を書きたいと思います。
疑問を解決したいというawayukiさんのお気持ちは理解できるのですが、前にも書いたように、文脈が全くない例文を取り上げて、「は」と「が」を論じるのは無意味です。
 
そう申し上げた上で、あえて説明しますが、「ひろしは」の場合は、「ひろしが」の形かどうかは分かりませんが、既に「ひろし」の名前が出ているとは思います。この点はawayukiさんのご想像は正しいでしょう。
 
しかし、「アポロ11号」と「モーツアルト」の場合は、いきなり「~は」と表現されても、文脈によってはおかしくありません。これは「太陽」や「犬」などといった一般名詞と同じで、多くの人が知っている名前だからです。(あるいは、書いた人が、「当然、この文を読む人は『アポロ11号』を知っている」という前提で書いていると言ってもいいかと思います。)
 
「犬は哺乳類(ほにゅうるい)です。」という文があったとします。この文の前に「犬が~」という文が必要でしょうか?
ここで言う「犬」は「そこに1匹の犬がいます。その犬は...」の「犬」と違うということはお分かりだと思います。(「犬」と聞いたら誰もが思い描く「あの動物」=つまり「犬」という概念ですね。)

これと同じで、たとえ世界中にたくさんのモーツアルトさんがいても、音楽の話をしていて、「モーツアルト」と言えば誰のことかは分かるでしょう。だから、いきなり「モーツアルトは」と書いても不自然ではないのです。

この説明では不十分でしょうか。

この回答への補足

 ただ、私の先生(中国人)は以前『(自然)現象に対して「が」をまず考えましょう』というルールをまとめてくださったことがあります。ご存知かもしれませんが、「が」と「は」は外国人勉強者にとってとても難しいです。先生もあの時本当に大変でした。外国人勉強者のために、先生が勝手に作られたルールかもしれませんが、私は先生のルールは実例とあっていると思います。でも、理由がよくわかりません。先生に聞いても理由がないそうです。結局、「そのルールを覚えればいい」になりました。

 たとえば、ただの一つの現象として、ぜんぶ「が」ですよね。(「は」に変わると、どういうニュアンスになるのかはわかります。)

・海が青い。
・山が高い。
・水が流れている。
・雪が降っている。
・風が吹いた。
・花が咲いている。
・月が出た。
・車が走っている。
・ベルが鳴っている。
などなど。

 ですから、私は1と2をただ一種の現象だと考えました。やはりおかしいですね。『(自然)現象に対して「が」をまず考えましょう』という大学時代から持っているルールはやはり捨てるべきでしょうか。

補足日時:2007/01/13 00:11
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この回答へのお礼

 ご説明を拝見して自分の心配は不要だと気づきました。とても納得できました。ありがとうございました。よろしければ、私のへりくつもご覧ください。

お礼日時:2007/01/13 00:24

●編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方


>「編集者が日本人」だけで「本」を修飾するのは、やはり無理でしょうか。
まず、「編集者が日本人」という表現自体は間違っていません。
問題は、助詞が「(編集者)が」「(日本人)の」「(本)に」などとたくさん出てくるので、どの語がどの語を修飾しているのかが分かりづらいのです。特に「の」という助詞は、所有を表したり、「~に関する」という意味を表したり様々な意味があり、誤解を生む原因になります。
私が勘違いした原因は、「編集者が『日本人の本』に書いた」と読んでしまったからです。「日本人の本」では、「日本人について書かれた本」なのか「日本人の持っている本」なのか、あるいは「日本人によって書かれた本」なのか、よく分かりません。
#4さんが書かれたように、『日本人の編集による本』(※)や、あるいは、『日本人によって編集された本』などと書けば、誤解を防げます。
『の』を使うときには、誤解を生む要素がないかどうか確認し、もし、曖昧なら、他の表現、例えば、「について」や「による」などと書き換える工夫をしてみてください。

※但し、『日本人の編集による本に書いていた』ではなくて『日本人の編集による本に書いてあった』です。
×この本には「ている」の様々な用法が書いている。
○この本には「ている」の様々な用法が書いてある。
○この本には「ている」の様々な用法が書かれている。
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。この件は解決できました。「※」の部分にも気をつけます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/01/12 23:17

>wikiは直接には入ることができませんので


キーワードは「夏目漱石」です。
人の経歴や歴史を簡潔に述べるときには「現在形」がよく使われるという例です。

他の質問には別途お答えしますね。

この回答への補足

感想としては、すごくびっくりしました。私もけっこうwikiを使っているのですが、なぜか語尾に気づいたことがありません! こういうような現在形の書き方は確かにいっぱいありますね。文法本の三例1、2と3はちょっと違うような気がします。

>『過去に起こった出来事が、記録や記憶として現在も残っている』場合や『その事実が、その後に続いて起こった事実に関係していたり、現在にもなんらかの影響を持っている』

No.3でのご説明をもう一度読んでみました。文法本の例文1、2は『過去に起こった出来事が、記録や記憶として現在も残っている』に属し、3は『その事実が、その後に続いて起こった事実に関係していたり、現在にもなんらかの影響を持っている』に属するでしょうか。私はいま3はよく理解できたような気がしますが、1、2はどうもこのような書き方にする理由がまだよくわかりません。

もしかして、1、2はもっと理性的な書き方でしょうか。たとえば、「富士山は日本の一番高い山である」と「富士山は日本の一番高い山だ」と二つの書き方がありますね。1、2は「富士山は日本の一番高い山である」という文の雰囲気に近く、客観的な感じを与える文でしょうか。よくはわかりませんが、なんとなく、1、2は強い判断の「だ」ではなく、より理性的な表現「である」に近いような気がします。

勝手な推測ですが、1と2のような書き方はよく人物伝記、科学発見の紹介、歴史事件の紹介などの分野で見られる表現でしょうか。

補足日時:2007/01/12 22:53
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。今回は読めました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/12 23:03

>編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方に疑問を感じております。


#3です。すみません。この文を読み違えていました。#4さんの説明でいいのですが、原文をなるべく生かすなら、「編集者が日本人である本に書いてある」でもいいかと思います。(#4さんの表現の方が分かりやすいことにかわりはありません。)

「ある使い方」はおかしくないと思います。私は、その本の中に「ている」の用法がいくつか書いてあり、awayuki_chさんが、そのうちの「ある使い方」だけが分からないという意味だと思いました。

>本が曰く
これも見落としていました。
通常は「古人(いにしえびと=昔の人)曰く」などのように助詞を入れません。日本語の場合、あまり「本」のような「非生物」と「曰く」は一緒に使わないので、翻訳調(外国の文のよう)に聞こえるのですが、問題はありません。

この回答への補足

>#4さんの説明でいいのですが、原文をなるべく生かすなら、「編集者が日本人である本に書いてある」でもいいかと思います。(#4さんの表現の方が分かりやすいことにかわりはありません。)

この文は私はいつも上手に書けません。いぜんも何度も添削していただいたことを覚えております。もともとは「編集者が日本人である本」と書くつもりでした。バランスが悪いと思って「である」を「の」にしました。「編集者が日本人」だけで「本」を修飾するのは、やはり無理でしょうか。

>「ある使い方」はおかしくないと思います。私は、その本の中に「ている」の用法がいくつか書いてあり、awayuki_chさんが、そのうちの「ある使い方」だけが分からないという意味だと思いました。

そうです。合わせて六つあって、最後の使い方についての質問です。「ある使い方」でもいいのですね。

>通常は「古人(いにしえびと=昔の人)曰く」などのように助詞を入れません。日本語の場合、あまり「本」のような「非生物」と「曰く」は一緒に使わないので、翻訳調(外国の文のよう)に聞こえるのですが、問題はありません。

「いにしえ」は大変覚えにくいですね。「曰く」は口語で習得しました。確かに人に対して使った言葉だと思い出しました。また試してみます^^。

補足日時:2007/01/12 04:24
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。私の文にぜひ手柔らかになさらないでくださいね。何度もご親切に回答していただき本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/01/12 04:30

awayuki_chさん、こんにちは。



●「~ている」の件
ご存じのように「~している」は一般的に「(その状態が)現在も継続中である」場合に使われます。通常の作文や会話などでは、awayuki_chさんのおっしゃるように「~した」を使う方が多く、この例の場合も「~した」と言っても構いません。

ですが、確かに、例文のように『過去の出来事』について、「~している」を使うことがあります。
『過去に起こった出来事が、記録や記憶として現在も残っている』場合や『その事実が、その後に続いて起こった事実に関係していたり、現在にもなんらかの影響を持っている』場合に、よく「~ている」が使われます。つまり、『結果や経験』が継続しているというニュアンスがあります。
【例】A:中国に行ったことはありますか?
   B:ええ、既に5回行っています。
「ええ、既に5回行きました。」と答える場合もありますが、その場合は単に「5回行った」という事実を述べています。それに対し「5回行っています」は、「だから中国のことはよく知っていますよ。」などと、その経験が今も生きているという感じを与えます。
もう少し分かりやすい例を挙げてみます。
【例】A:今、麻疹(はしか)がはやっているけど、お宅の太郎ちゃんは大丈夫?
   B:太郎は4歳の時に麻疹にかかっているから大丈夫よ。
麻疹は子供がかかりやすい病気ですが1度かかれば免疫がつきます。「太郎は4歳の時に麻疹にかかった(=麻疹になる)」という事実だけを述べるのではなく、「その結果、免疫が付いている」ということを言いたいのです。

この他にも、明らかに過去の事を述べていると分かる場合、その出来事を淡々と述べる場合などに、「~している」に限らず、「~する」といった現在形を使うことはよくあることです。
【例】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE% …(日本の作家、夏目漱石の説明です。)
抜粋『大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。(中略)これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。』
例文の1と2は、この例と同じだと言ってもよいかと思います。
【例】アメリカの宇宙開発の歴史は長い。19xx年のアポロ1号の実験に始まり、1969年には月面着陸を成功させている。
【例】モーツアルトは幼い頃から神童と呼ばれた。既にxx歳の時には楽譜を読み、12歳のときにオペラを作曲している。
【例】容疑者は10時にスーパーに立ち寄って包丁を購入している。この後すぐに被害者の家に忍び込んだと思われる。

●「は」の件
ご質問の文は例文のため、前後の文がないので、これだけで「は」の用法を論じることはできません。
ただし、3の例では、この発言の前に、既に「ひろし」のことが話題になっているからだと思います。(「既出の『は』ですね。)
1と2の例では、これも「既出の『は』かもしれませんが、テーマとして「アポロ11号」や「モーツァルト」を挙げているのだと思います。「モーツアルトは1756年に生まれた。」と同じです。

●ご質問の文章について
>編集者が日本人の本に書いた「ている」...
お読みになった本は特定の著者がいないのかもしれません。ですから、「編集者」でも間違いではないと思いますが、もし、著者名が書いてあれば「著者」が適切です。小説の場合は「著者」でも「作者」でも構いませんが、参考書や論文などの場合、書いた人を「作者」とは言いません。また、新聞や雑誌の記事を書いた人は「記者」と呼びます。
あと、「日本人の本」は間違いです。「日本語の本」や「日本語に関する本」でなくてはなりません。

まだご不明な点がありましたら、何なりとご質問くださいね。

この回答への補足

「『結果や経験』が継続しているというニュアンスがある」というご説明と挙げられた二例を合わせて拝見して少しわかるようになりました。まだおかしいような気がしますが、どこがおかしいのか、いま自分でもよくわかりません。文法本の三つの例文の過去の時点の「5年前に」、「1990年に」、「3年前に」を「もう」あるいは「すでに」に置き換えたら私はよく理解できると思います。

しかし、私がその三つの文を書くなら、きれいに書けません。ぜんぶ「した」と書いてしまうと思います。過去のことに対しては、どんな時に『結果や経験』の「している」を使うのか、どんな時に、「した」だけを使うのか、判断が付き難くて慣れるしかないですね(><)。

wikiは直接には入ることができませんので、http://wpedia.search.goo.ne.jp/から入ることができます。恐れ入りますが、検索のキーワードを教えていただけないでしょうか。

「は」の件についてですが、私はその三つの例文の前にそれぞれ、「アポロ11号が~」、「モーツァルトが~」、「ひろしが~」という文が必ずあると思うのですが、こんな考え方はおかしいと思われますか。「月が出た。その月は大きい」のような感覚に似ていると思います。

補足日時:2007/01/12 02:24
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この回答へのお礼

 kiwifruitさん、こんばんは。いつもお世話になります。ご親切に回答していただき誠にありがとうございます。私は「淡々と」という言葉が好きです。その出来事を「淡々と」述べる場合などに、「~している」に限らず、「~する」といった現在形を使うこともよくあるのですね。身に付けたいです。また、質問文の添削に感謝いたします。大変参考になりました。
 本当にありがとうございました。がんばります。

お礼日時:2007/01/12 02:51

その本は明らかに間違ってます。

大嘘です。でもあなたもやはり間違ってます。つまり、どっちもアリなんです。とすると、どっちも正しいみたいだけど、そうではないと私は言う。さてさて、上手く本当のところを伝えられるかどうか。ちょいと面倒くさそうだが、簡単と言えばこれほど簡単なことはないかもしれない。

日本語には過去形というものがありません。これはもう、本当にないんです。過去形がなければ現在形もありません、これ、どれだけ口を酸っぱくして言っても伝わらないんですよねえ。ほんとに困る。無いと思うほうからすれば、無いものは無いんで、どうしてあると思うのか、こっちはそれが分からんのですよ。

現在のことでも過去のことでも、「ている」も「た」も、またさっぱりと活用語の終止型も使えるんでね。つまり現在と過去の区別をしないんですよ、日本語は。ものごとの前後関係をはっきりさせられればいい、ということだと思います。

「は」と「が」はこりゃたまたまです。「1969年にアポロ11号が月に着陸している」という文を成立させる前後関係は楽にあります。時間に関わる文法とは別問題で、ここに持ち込むべきことではありますまい。

要するに現在のことと過去のことと、日本語では同じ言い方で言ってのけてしまうのです。でも、それは中国語の文言でも似たような様相を呈しているのではないかしらん。

当該の書籍の言い分は英文法の悪しき影響下に生まれたものではないかと推量します。

この回答への補足

口を酸っぱくさせて申し訳ありません。お茶を入れましょうか^^。

過去形、現在形などの定義がないなら、外国人は日本語が勉強できないですね。外国人が日本語を勉強する過程と日本人が国語を勉強する過程は違うことを理解していただければ……。私はいま以前よりは日本語の文法が少しわかってきたような気がしますが、まだまだわからないところがいっぱいあります。本当に基礎のものをしっかりと身に付けたいので、いま初心者向けの文法の本を読んでおります。初心者向けなので、説明の部分に中国語、英語、韓国語もついております。その本を読んで、過去歩んできた勉強の道をもう一度振り返ってみたら、納得できたところが多いような気がします。昨夜、「ている」のこのような使い方を始めて知りました。大学の先生もこんな使い方を教えてくださったことがありませんし、私自身もこんな使い方の文を読んだことを覚えておりません。この使い方は「ている」の最後の項目に載っており、しかも「*」のマークも付いております。

「初級の項目であるがより高度な使い方や、初級から中級に進む段階の文法項目で一般の中級教科書ではあまり取り上げていない項目(*をつけた例文や項目)を意識的に取り上げて、中級の学習がよりスムーズに始められるようにしました」と本はこのように書きました。ですから、とても気になりました。

確認していただきたかったのは、次の三文は正しい日本語だと思われますか。まだはっきりとした答えをいただいていないような気がします。

1.アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。
2.モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲している。
3.ひろし【は】3年前にも同じ病気をしている。

>「1969年にアポロ11号が月に着陸している」

この文なら、「が」ですよね。「は」と「が」もいつも頭を痛めるので、今回は便乗して質問させていただき申し訳ありません。

補足日時:2007/01/12 01:10
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この回答へのお礼

 ご丁寧に教えて頂きまして誠にありがとうございました。

お礼日時:2007/01/12 01:25

「が」と「は」って難しいですよね。


次の例文で解りますでしょうか。

花子の家には犬「が」いる。その犬「は」・・・

最初から
花子の家には犬はいる。と言ってしまうと少し意味が違ってしまいます。
具体的な他のもので変わることの出来ないものに使う「は」ではないでしょうか。
とはいえ用法が変わるとまた違う「は」が出てくることもありますが・・・。

a dogとthe dog の違い、と言えば解りますか?
アポロ11号もモーツァルトも、そのひろしも唯一無二の物だからではないでしょうか。
ただ「が」を使っても少し印象は違いますが全く間違いでない場合もあります。
「12歳でオペラを作曲した人いるの?」
「モーツァルトが作曲しているよ」など。
これは数あるオペラを作曲した人の中でモーツアルトがやりましたよ
みたいな意味になるからだと思います。

過去のことや経歴について言う時に「ている」を使う場合は本当に存在しています。
多分時制的に「その時に置いて」つまり「その時点での時制」で述べているのでは。
でも「~した」でも間違いでは無いでしょうが。
年表などではやはり現在形ですね。
「1192年 源頼朝が鎌倉幕府を開く」
で「開いた」とは言いませんから。

例文をと言われると
○○さんは5年前に亡くなっている
彼女は1990年に日本大学を卒業している
彼は3年前に人を殺している

過去の行動は現在も経歴としては継続しているという意味もあるのかもしれませんね?
ネイティブというだけで言語の専門科じゃないので憶測も入っていますが
少しでも捉えやすいかな?と自分の感覚的なものを優先させて頂きました。
前半の「が」と「は」についてはマーク・ピーターセン著の「日本人の英語」を参考にしました。
外国の方から見た日本語の構造がよくわかります。
機会があったら読んでみて下さい。

この回答への補足

>花子の家には犬「が」いる。その犬「は」・・・

上の文の「が」と「は」ならよく理解できます。でも、「花子の家に」の後ろの「は」が理解できませんでした。その「は」がないとニュアンスはどう変わるのか、説明していただけないでしょうか。

>aa dogとthe dog の違い、と言えば解りますか?

わかっていると思います。

>アポロ11号もモーツァルトも、そのひろしも唯一無二の物だからではないでしょうか。

唯一無二の物なので、「は」(the)を使ったのでしょうか。

>「12歳でオペラを作曲した人いるの?」
「モーツァルトが作曲しているよ」など。

おっしゃるニュアンスはよくわかっております。
ただし、たとえば、「月が出た」という例を見ましょう。

月というものも唯一無二の物でしょう。一つの例文として書く時に、「月は出た」と「月が出た」のどちらを書かれるつもりでしょうか。おそらく「月が出た」でしょう。でも、「月が出た」には「日ではなく、月が出たのだ」という強調の意味は本当に含まれているのでしょうか。うまく自分の意味が説明できなくて申し訳ありません。


例文をと言われると
○○さんは5年前に亡くなっている
彼女は1990年に日本大学を卒業している
彼は3年前に人を殺している

やはり「ている」は過去の時点といっしょに使うことにどうしても慣れないような気がします。「5年前に」、「1990年に」、「3年前に」を「もう」あるいは「すでに」に置き換えたら理解できますが。

>過去の行動は現在も経歴としては継続しているという意味もあるのかもしれませんね?

ああ、それは大変難しいです。慣れるしかないですね……

補足日時:2007/01/12 00:12
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この回答へのお礼

 ご親切に教えて頂きまして誠にありがとうございました。

お礼日時:2007/01/12 00:24

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