プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

お世話になります、或いは、お騒がせします。
最近、矛盾という言葉を、彼方此方でよく耳にするのですが、
矛盾について考えてみました。嘘がつけるかどうかと同様
矛盾がそもそも可能であるとはどのような状態なのでしょうか。

そこで、悪しきギリシヤ的二元法、「自然」と「人為」に分けて
自然の中に矛盾はあるだろうか、どうもなさそうな気がする。
そうすると、矛盾はわれわれが勝手に作って勝手に困っている、厄介なもの。

さてさて、自然の中に矛盾を探しにいき、見つからなかったのですが
本当に見つからないのでしょうか。

宜しくお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

こんばんは、fishbow66さん。





●矛盾がそもそも可能であるというのはどういう状態でしょうか?



はい、|← 「盾を突く」こういう状態ではないでしょうか。



矛盾とポンと目の前に提示されると「矛盾」のカードがそこに1枚現れます。が、より注意深く見ていきますと1枚のカードと見えていたものは「矛」と「盾」のそれぞれ別の効用を持つ言葉の2枚のカードでもあります。この2枚のカードが1枚で言い表すことができる場合があるのではないでしょうか。「矛」と「盾」のどちらもが動的な働きをとる場合が「矛盾」が可能な状態ではないでしょうか。
盾を突く=相手に異議をとなえる。


特別抗告
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この回答へのお礼

littlekissさん、おはようございます。
てっか、やっとかめやなも。どしとりゃした。
めっちゃ明るい太陽政策、
思わず上着を一枚脱いだりして。
特別抗告
>矛盾とポンと目の前に提示されると
そのいわゆる「ポン」が曲者なんですけど。
有難うございました。

お礼日時:2007/01/28 04:47

「矛盾が可能である状態」というよりは、物事の本質は矛盾ではないかと思っています。


厳密に言うと、「矛盾の拮抗」自体が存在そのものではないかということです。
矛盾の無いものは偽物ではないかという気がします。
地球は、太陽と離れようとする力(遠心力)と近づこうとする力(相互求心力)の矛盾を自転と公転という手段をとることによって拮抗させていますし、人は男性と女性という矛盾した性によって成立しています。
また、人には運動神経と自律神経とがあり、自律神経は交感神経と副交感神経から成っています。
ホルモンなども含めあらゆる面での矛盾の拮抗によって人体も出来上がっていると言えるように思われます。
なんといっても、無(死)から生じて再び無に変えるために生きているのですから、これほどの矛盾はないとも言えるでしょう。
保存(生存、建設)と安定(死、破壊)の調和、拮抗こそが生きるという現象なのかもしれません。

>そうすると、矛盾はわれわれが勝手に作って勝手に困っている、厄介なもの。
:とおっしゃっておられますが、むしろ矛盾を困ったこと、厄介なものとすること自体が困ったことではないか、という気が私はします。
無論、論理的矛盾の存在を否定はしませんが、
大局的には、そのような矛盾発生要因が必ずあるはずで、(矛盾指摘と共に)そこを探ることが本質に近づく道のような気もするわけです。

いずれにしても、
「>自然の中に矛盾を探しにいき、見つからなかった」のは、矛盾が無いのではなく、自然が全て拮抗という解決手段を身につけているからではないかと思われます。

例によって外しているとは思いますが(^^;)、素人の私見としてご笑納下さい。
 
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この回答へのお礼

れれれれ、おもわず、タバコを落としそうに。
探し方が悪かったのでしょうか、
>厳密に言うと、「矛盾の拮抗」自体が存在そのものではないかということです。
>自然が全て拮抗という解決手段を身につけているからではないかと思われます。
う~む、慌てて辞典で調べてみる。泥縄ですなぁ(笑。
矛盾(広辞苑)
(4)[哲](イ)一方が真なら他方は偽り、一方が偽りなら他方は真という二つの判断の関係、および相互に否定しあい第三者を中間にいれる余地のない二つの概念(白と非白)の論理的関係。
(ロ)現実にのうちにある両立しがたい、相互に排斥しあううような事物・傾向・力などの関係。
危ない、危ない、おもわず騙されそうな、説得力のあるご回答。
拮抗できること自体、矛盾ではないようです。
それでも結構微妙な所がありそうで、面白いご回答、有難うございました。

お礼日時:2007/01/28 13:03

fishbowl66さん、こんにちは。





●そのいわゆる「ポン」が曲者なんですけど。



ポン、
http:oshiete1.goo.ne.jp/qa380499.html

「忠臣蔵...ネットワークがあったなら、、、」


ここ数年前から、探しています。「矛盾」。


曲者なんですが、
無くて七癖あって四十八癖
と クセ って
だれもかれも
ひとつはある
だろうなと…。
で、ですね、
忠臣蔵しかり、
あわないんです
何が?
数が。
四十七士を考えると…
四十八は四十七からは一大きい
けれど、
四十七は四十六からは一小さい
…うーん、わからん。
で、七を倍にすると
七Х七で四十九
あぁぁー、もっとわからん。

無くて七癖あって四十八癖


矛矛盾…
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この回答へのお礼

再度のご回答、有難うございます。
あらあら、ウッカリ、タイムスリップしてしまいました。
5年の月日は、なごう御座いますね。

トランプも裏と表で数字が違ったら、どうなることやら。
表と裏に違う数字が共存することは、矛盾でしょうか。

謎が謎呼ぶ、忠臣蔵。

お礼日時:2007/01/28 13:19

人工物を生み出す人間が自然から誕生したという矛盾。

いつから、人間を「不自然」と捉える意識が芽生えたのだろうか。人間が自然から超越した存在なら、それはすでに神とでも呼ぶべきものではないだろうか。
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この回答へのお礼

微妙な質問にも、お付き合い頂き、有難う御座います。

この手の、突っ込みは、想定内ですね(笑。
質問文も予め防波堤が立ててあります。
矛盾が発生する原因が、人為に有るのではと仮定し
それでは、方法として二元論を使用して
自然の中に矛盾はあるのかと、たずねてみたのですが。

如何でしょうか、ご回答の意図を読み損ねましたでしょうか。

お礼日時:2007/01/28 17:18

#2です。

いつも真摯にご返答いただけるので素人としては大変ありがたく思っております。
それに甘えるわけではありませんが、
「>拮抗できること自体、矛盾ではないようです。」とおっしゃる点について感想を少し述べさせてください。

あくまで両者(矛と盾)は対立することが本義です。
自然の場合は拮抗(調和)を意図しているいるわけではなく、単なる結果にすぎないように思います。
矛盾が仕組みとして働いていると考えることも可能でしょう。
お互いに否定しあい排斥しあうことでそのような結果(拮抗)に至るのだろうと思います。
一見拮抗しているように見える事象であっても矛盾を内包しているということは必然ではないかと思うわけです。

ただ、人間の場合は結果として拮抗に至ることが難しいようです。
それは、おそらく従来の自然界だけでは拮抗が取れなくなったために人間が生じたという、人類発生の経緯に原因があるのではないかと思います。
つまり、人間は盾かあるいは矛かのどちらかとして地球上に生じたのではないか、ということです。
そして、未だ拮抗すべき矛ないしは盾を見つけられずにいるのでしょう。
人間関係などでもそうでしょうが、拮抗した関係が最も自然でしょう。
良し悪しに関係なく、一方的な関係は本質的に瓦解の要素を含んでいると思われます。
端的に言うと、善人だけの社会というものはあり得ないでしょう。
調和でも愛でもなく、拮抗をこそ目指すことが人間にとっての(取りも直さず取り巻く世界の)自然な形態を維持できるような気がします。

よくわからないながら思いつくことを述べてみましたが、絨毯に焼け焦げができないよう願っております。
 
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この回答へのお礼

やはり、再回答していただけましたね(笑。
しかも、素早い。
これは確かに、微妙な問題で、「拮抗」が問題になるのですが、
私は常々、言語が世界を余すことなく切り分けているとは信じていないので、言葉の意味にかんするあれこれには関わらないようにしています。
「拮抗」と「矛盾」の関係をあれこれ小突き回しても何も出てこないような気がします。
つまり、同時に存在できれば、矛盾していない
この命題を、肯定できるかどうかが分岐点でしょうか。
生命に関しては、一つ判っている事があります。
RNAからDNAへ変化する時点で、細胞膜、つまり内と外の分離が始まります、生命は内でのコピーの始まりです。
これは正しいと思いますが、記憶違いもありますから、調べてみます。
分岐点はどう思われますかね、来週でもいいですよ、ノンビリいきましょう。有難う御座いました。

お礼日時:2007/01/28 17:40

こんにちは。



(1)「この文章は7文字である」

(2)「裁判官を目指す法学部の学生がスピード違反をした」

さてさて、これらは矛盾でしょうか?
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この回答へのお礼

こんにちは、
私は質問者ですが、
恐らく、この質問自体が、
削除対象になりそうなので
おからかいに見えられたのですか。

ご愛嬌で、両方とも矛盾ではありませんね。

有難う御座いました。

お礼日時:2007/01/28 17:45

こんにちは、fishbowl66さん。





ご挨拶もほどほどに、まずは



m(_ _)m あやまり ペコリ。


(*^^*)>


たんと、すっ飛ばしてるは ぬけ てるは…
「ウッカリ」と言葉入れていただいたので
再度、読み返しますと…


|(><)| わちゃぁー☆



「//」←がない。
「//」←加筆します。


http://oshiete1.goo.ne.jp/qa380499.html


誤りコードを明記(アサーション)m(_ _)m


四十七士のところも数トンチンカン
スマン!m(_ _)m ペコリ。


よく見ていかないと数のごまかしがあるかもしれません。サバを読む。


四プラス七はプラス.マイナス.イクラ?と、このような問いがあるかも?



●表と裏に違う数字が共存することは、矛盾でしょうか。



表と裏?一枚?
ノン、ノノンノン~?
二枚。上下。重ね。



熱ー奪うー還元



参照:たたら法

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sugicom/kazuo …
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この回答へのお礼

瞬間たたら法
勉強になりました。
中学時代の理科室にタイムスリップ 
同じ事を繰り返すのは年のせい。
littlekissさん、性格変わってない。
URLはコピペが基本ですね、間違えないですよ。

それにしても意味不明。
謎が謎呼ぶ、古代製鉄職人集団。
今歴史の本に手お出していて、
そのうち歴史の質問するかもしれません
その時も宜しくお願いします、有難うございました。

お礼日時:2007/01/28 18:01

取り急ぎお伝えしておきたいことがあります。




URLの打ち間違いの件
誤解なきように


コピーぺ(コピーあんどペースト)が当たり前の昨今において何故打ち間違いが起こるかな?と、ご不審なご様子なので



当方の諸事情により、携帯からこちらへ書き込みしております。手入力。ノートにメモしておいたURLをみつつ入力するもので打ち間違いがあります。携帯にデーター保存しておけばという声もありましょうが、ちょいちょい携帯をぽちゃんと水没させてしまうこと二度三度。それ以来、ノートに書き残しています。


アップするまえによくたしかめればよいのですが気がはやいで…



と、いうことでURLのぬけはこのような次第です。おわかりおきいただければさいわいです。


謎ではないです。
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この回答へのお礼

成る程、了解いたしました。
しかし、携帯からですと、休む暇もありませんね。

ところで、携帯もパソコンの打ち込みも
両方、ブラインド・タッチが出来たら、バイリンガルと言うのでしょうか。
打ち込みに気を取られて事故に会いません様に
有難うございました。

お礼日時:2007/01/29 18:14

#5です。


わかりやすく解説していただき感謝いたします。
自分なりに整理してみた(例によって引き出しを間違えているかもしれませんが)のですが、
「>「拮抗」と「矛盾」の関係をあれこれ小突き」回すのは、たとえば
「>同時に存在できれば、矛盾していない」という命題にはやや不満が残るからだろうと思います。

人間の(少なくとも私の)持つ意思には未だ脆弱性が伴なうようで、
つまり、「矛盾がないからこそ存在している」という誤った思い込みに発展する場合がしばしばあるように思われます。
そして、そこから生み出されるであろう概念や無意識的な発想から、何が獲得できるのかという懸念を生じることになります。
同時に存在しているのではなく、同時に矛として、また盾として拮抗しているからこそ存在している、という視点のほうが普遍性(あるいは永続性)に近づけるような気がします。
自然はその視点を身に纏っているからこその自然なのではないかと思いますが、
人間の場合は、つい人為という余計な(しかも不確かな)思惑が介入してしまいがちなので、(意識的に)拮抗に留意しておく必要があるように思われます。

>言語が世界を余すことなく切り分けているとは信じていない
:現実としてはそうですが、言語以外に切り分ける手段はないということもまた言えるように思います。
このへんも分岐点のひとつになってしまうのでしょうか・・・。
いずれにせよ色々勉強させていただきありがたいと思っております。
 
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この回答へのお礼

今回は、うまく噛み合いませんでしたね。
矛盾しているものが、拮抗して存在しているのか
存在しているものは、矛盾していないのか。この違いのようですね。

ここは、一先ず、ヘーゲルさんの
「合理的なものは現実的であり、現実的なものは合理的である」
で、押し切ってしまいましょうか。

なにしろ、気の早いお客さんがお見えのようで、

「自然の中には、矛盾は無い」
もちろん、これは証明できませんが、蓋然的にせよ十分仮説として
矛盾の原因を、「人為」の中に探しに行けます。

全てが矛盾では、差異がありませんから、その矛盾も認識不可能では。

ここはひとつの具体的反証があれば、仮設は崩れて、この質問も終わります。
たいてい、噛み合わない場合は、質問が良くなかったのでしょうね。
有意義なご回答を頂き、助かりました。有難うございます。

お礼日時:2007/01/29 18:18

いいえ決してからかいに来たわけではなくて、矛盾(contradiction)を表現とその対象の意味論的な問題として捉えてると、1の文章は11文字なので「この文章は七文字である」は矛盾であって、2の学生が法を学んでいなければ矛盾となるかもしれないし学んでいれば矛盾とならないかもしれない、と言いたかっただけなのです。

失礼いたします。
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この回答へのお礼

あら、おからかいではない。
そうすると、引掛けられてしまったのでしょうか(笑。

しかし、頭の良過ぎる人にも困ったものです。
矛盾に関して、自己言及が重要な論点になることは承知していますが、

私も偶に、ほんとに頭の良い人と会議などするのですが
「そんなことも判らないの」「あっこれはあれですね」何しろ早い。
私のような凡人は、基本から少しずつ、塗り絵を塗りつぶすようにして全体を理解したいのですが、直ぐに結論がわかってしまうんですね。「人は納得しないとなかなか動きませんよ」と言っても聞く耳持ちません。

それに、このサイトをニヤニヤしながら眺めているだけの人も、どうしてそれが問題になるのか、哲学の弱点はなぜそれが問題かを理解するのが難しいんですね。

ここはひとつ、お手柔らかに「自然に矛盾がないのか」
このシンプルな所から、プロセスを楽しみながら、考えて行きたいのですが。

よく自分の頭で考えろと言いますが、このサイトは人の優秀な頭脳をお借りできる素晴らしい(管理人さん読んでるかな)所ですので、「自然の中に矛盾がある」とか「そのような質問自体が無効」と言ったような、質問者のレベルに合わせてご回答頂けると有り難いです。

とは言え、わざわざご回答頂き有難うございます。

PS.坂部さんの「理性の不安」以前から気になっているのですが
あれは、カントの解説ですか、それとも、批判まで行っているのでしょうか。
もし暇があれば、教えてください。

お礼日時:2007/01/29 18:22

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