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初めまして^^)小学校における「国語教育」と「国語科教育」の違いって何でしょうか? 自分なりに考えてみたんですが、国語教育は文法や言葉の決まりを学習すること、国語科教育はそれを生活の中で自由に表現できるようになること、かな???専門ではないので、よくわかりません。

もし国語専門の方がいたら教えて下さい。
あえて、こちらのカテゴリでお聞きします。

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A 回答 (3件)

○○科といった場合は授業内容を指します。

科が抜けた場合は授業にとらわれません。児童生徒の生活上の言語環境すべてにおいて行われるのが国語教育です。

だから、たとえば教科担任制の学校の場合、国語科教育は国語の免許所有者が授業内で行います。国語教育は免許のあるなし、授業時間であろうとなかろうと、こだわり無しに行われます、

ということでいかが?
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この回答へのお礼

なるほど。わかりました。
ありがとうございます^^

お礼日時:2007/02/03 12:47

定義が逆じゃないですか?

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この回答へのお礼

あ~なるほど~。
皆さんも私と逆でした。。

お礼日時:2007/02/03 12:46

 よく分かりませんが、次のように考えることはできないでしょうか。



 国語科教育: 国語の授業内での教育
 国語教育:  学校生活全体の中での国語に関わる教育
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この回答へのお礼

わかりました^^
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/03 12:48

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Q国語科の最も大きな教育課題は・・・

唐突ですが、現在の国語科が抱える最も大きな教育課題は何だとお考えですか?できれば、現場の先生のお話を伺いたいと思って質問しました。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

丁寧な返信、お礼ありがとうございます。
私のツボにはまった質問だったので、くだくだと書いてしまいました。

とても、散文的に書きなぐってしまって恥ずかしいかぎりですが、私が書いたことの背景には、

「大人は、子供を子供扱いするのはやめよう」
の一言につきます。

たとえ、子供の理解力がないからと言って、社会の現実を教えないのはよくない。
そういう小ざかしい嘘が大人をもだめにしている。
そういうことです。
大人の社会が理想とは遠いものなのに、理想しか教えない。
そういうことが、社会主義という理想が挫折した今日、とても旧態然として思えるのです。

大人のいいところも悪いところも、みんなこどもに見せる。
そのことがこどもに対する誠実だとわたしは思うのです。
たしかに、性の問題など、小学生が知らなくてもよいことはあります。でも、大概のことは、大人が真剣に子供に教えればよいのです。

すべての大人が子供と対等に接する。そのことはほとんどの子供が願っていることのはずです。

>興味深いご指摘、どうもありがとうございます!原稿を書くことを生業となさって>いる方の目には、国語教育(今回は主に表現教育でしょうか)はこのように映って>いるのか、と新鮮な気持ちで読まさせていただきました。その中で、いくつか気に>なったことと感想を書きます。
 
著述業などではなく、企画書やナレーション原稿などを書いているものですので、たいしたことはしておりません。
(^^;)

「1.大人の現実と乖離した表記法を行っている」について

>。」←なんていうのは、大人は絶対に使わない。
これはどういうことですか?会話文の最後に句点を付けないということですか?

句点と話カッコをおなじマスに書くことはありません。
出版界では、二重に記号をつけるのはおかしいといっています。
私は、文芸春秋にかかれている日本語を標準的な日本語だと思っています。

>>読点やスペースの使い方も独特です。
>何年生の教科書でしょうか?
>基本的に、低学年の教科書は、発達段階を考慮して、文節ごとにスペースを入れて>いる教科書会社が多いようです。読点も同じ感覚で使われていると考えられるの
>で、小学校低学年の教科書は、大人社会の使い方と比べないほうがいいと思いま
>す。ただし、そのような配慮はいらないという考え方をお持ちでしたら、教育界に>はない新しい発想なので、ぜひ詳しく教えて下さい!

主語と述語の関係は例文で教えるべきではないでしょうか。

私は同じ職場で、日本語なのにスペースを使う女性を見たことがあります。
これなどは弊害のひとつといえないのでしょうか。
実社会とは違う掟をこどもに強要することがいいのかどうか。
わたしは、実学をもって尊し。
と考えます。

「2.作文の紋切り型」について

>>そもそも、思ったことを書いているのが文章なのですから、
>>その文章の中で「思いました」と書くのは、重複。
>>まだろっこしい文章にしかなりません。
> 「思いました」ということばは、とても便利なことばですよね。自信がないとき>などは最適です。しかし、小学校でこの「思いました」を教えるのは、事実と感
>想・考えを区別するということが一つの学習課題となっているということが考えら>れます。 
]
そうですね。
事実と考えを区別するということが学習課題となっているのだとしたら、よいことなのかもしれませんね。

しかし、自分が思うということは至極あたりまえのことです。
知合いのいとこのドイツ人の中学生が日本に来たとき、知合いはその女の子に折角日本に来たのだから、東京の感想文をかきたらといって、指導したそうです。
すると、その女の子は、東京タワーからの風景などを文章にしたそうですが、そこで彼女が何を思ったかは書かなかったそうです。というのは、ドイツの授業ではそういうことを作文で書くことをならわないからだそうです。
その話を聞いたとき、私は「ドイツの実学は筋金入りだ」と感嘆したわけですが、それは極端な例だとしても、「思う」という人間存在の根幹なことを、使い放題に使ってよいのでかと疑問に思えてなりません。

また、実社会に出たとき、「…と思いました」という文章を書くことがためらわれるということであれば、そこに学校での教育との乖離があるのは事実だと思います。
子供は子供らしく、無垢でいい。という主義であればそれでいいのかもしれませんが、私はそういう嘘(実社会で使えないという意味)を教える先生を尊敬はできません。…事実、私は小学生低学年のテコの授業で、テコを使うと力が大きくなると教えられました。勿論、エネルギー保存の法則がありますから、力は大きくなんかならないことを中学生になってようやく教えられるわけです。中学生になって本当のことを教えられた私は、だまされたと、とても悔しい思いをしたのを今でも痛恨事として覚えています。

>「きれい」という形容詞についての具体例についてですが、これは大人と子どもの>認識の違いをよく表わしているように思います。子どもは大人のように、すらすら>文章を書くことはできません。経験が圧倒的に不足しているからです。そのため、>まず思ったこと、感じたことをそのまま文字として残す、という表現形式をとって>きているのです(これは日本の作文教育の特徴で、現在世界各国の教育で認めら
>れ、研究されているものです)。そのような過程を経て、「チューリップの黄色い>花が咲いている」という文に自分の気持ちを込めるという表現ができるようにな
>る、そして、読み手としても、筆者の含意に気がつくことができるようになる、と>考えます。

反論のための反論になってしまうのかもしれないので、話半分で読まれてけっこうです。
言葉とは所詮、集団における共同幻想です。
つまり、私が「きれい」と思う内容と、他人が「きれい」と思う内容は違うかもしれない。あっているかもしれない。それは誰にも確認することができない。
このあたりは、一昔はやった記号論的な話になります。
だとするならば、なぜ、そのチューリップの感動を紋切り型の「きれい」という形容詞で限定してしまうのか。そこにこそ紋切り型の表現の根っ子があると思うのです。
すべての言葉には発する人、書いた人の気持ちがこめられている。
わたしは、安直に「きれい」と記してしまう、その安直さが耐えられないのです。

>作文が文芸だとするなら、
>目の前の花をみたときに、
>きれいという手垢のついた紋切り型の文章表現ですましてよいのだろうか…。
>そのことが、作文というものから楽しみをなくしてしまっている。
文芸ということばをどのように使っているのかがはっきりしないので的外れなことをいうかもしれませんが、もし、芸術や文学という意味でしたら、小学校で行う作文は、決して文芸ではないと思います。表現教育は、文筆家を育成することが目的ではないからです。

どういう意味で文筆家とおっしゃっているのかわかりませんが、文章とは、人に向けて書くものです。日記にしても、将来の自分にむけて書くものです。
だとするならば、深みのある文章、美しい文章を書くことは当然です。
もし、誰かに自分の書いた文章を読ませて相手を喜ばせたいと思うのならば…。
紋切り型の表現は、テストの採点者の作業を軽快にすることはあっても…。
と、思うのですが。

>でも、娘は文の最後に「思います」と付けるように学校で教育されているので、私には従いません。
 これは、国語を教えている先生に問題がありそうですね・・・事実と意見等を
わけて書くということを目的に、「思います」を教えているわけではないのか、子どもたちに教えたいことがうまく伝わっていないのか・・?
先生じゃなくてお父さんがいうことだから聞かない、となると、お父さんとしてはちょっと寂しいですよね・・・
 私自身、ことばに対するこだわりというものがあまりなかったのですが、これからは自分の表現に、もっと責任と緊張をもたなければと気がひきしまりました。

学校というのは、こどもにとって社会そのものです。
父親というのは、家庭という単なるローカル。
そのことを学校関係者は知るべきです。
たとえそれが子供の錯覚だとしても、素直な子供は学校が社会だと信じてしまう。
話はとびますが、私は、池田小の刺殺犯は、小学校で競争はよくないと教えられ安穏とすごし、中学3年で突然、世の中は競争だと宣告されたが勉強しても追いつかない、そして、高校受験に失敗。否応もなく、人生の落伍者と自分を感じ、いつしか、学校を社会を恨んだのだと考えます。
犯人は、自分の両親ではなく、何故無差別殺人に走ったのか、それは、彼の恨みが社会や学校に向けられていたからです。

…脱線、失礼しました。
でも、言いたかったのは、
刺殺犯に恨みをかったのは教員。なのに殺されたのは子供達だけ。
そのことが辛いし、そのことに反省せず、保身のために防犯訓練をする教員たちのニュースに呆れるばかり…。
(*_*)

3.日本語としての美しさ。

>>大人が社会に出て文章をかくと、文末に「…ます」ばっかりつづくとおかしい。とか思いますが、教科書ではそうではない。

>表現が不自然だと思われたら、教科書会社に苦情を出せば、次回の改定から表現が>変わるかもしれません。親のそうした意見は、親の側からもっとオープンにしてい>ったらどうでしょうか?

そういう作業は私はあまり好きではありません。
私は、「自分の娘に人の欠点を指摘するような仕事や人を助けるような職業につくな。人がお前の生き方や作品を見て明日も生きていこうと勇気付けられるよう職業につけ」と、繰り返し唱えています。
悲惨な現状を変えるには、現状を繕ったり、否定するのではなく、明確な指標や希望を提示する。そのようにして世の中が変わっていくと素晴らしいのだと思います。


>また、日本語の特徴は、主語の省略なのですが、そのことを日本語の欠点ととらえているのか、
>主語を省略していない文章をよく見かけます。
小学校低学年の教科書であるのなら、発達段階を考慮してのことかもしれません。

そうかもしれませんね。
ただ、目標は高く。
小学生の能力におもねるだけでは、教育にはならないと思う。
教える側の軸足が揺らいでいるから、だめなのだと思う。

たとえば、児童合唱団の指揮者がいるとします。
下手な指揮者は、子供達のテンポに自分の棒をあわせてしまいます。
上手い指揮者は、自分のテンポにこどもたちをあわせようとします。
あなたがおっしゃる理由は、下手な指揮者の例と思えてなりません。

>日本語が英語文法をついづいする。
>実は、英語のほうも、日本語をついづいしているのに…。
>日本人も、もっと中華思想をもっていいのだと思うのだが…。

この部分がよくわからなかったのですが・・・
英語圏の人に日本語を教えるのなら、日本語が英語文法を追随するのは当たり前のような気もするのですが・・・

私が社会に出たときに書いていた文章は、まるで英文解釈のときの訳文のようなものでした。英文解釈などではreferをよく使ったので、「言及する」とか、恥ずかしげもなく使っていたものです。
国語を教える人や、論理的にものごとを考えようとする人の中に、英語の構造が論理的ですばらしいと勘違いしている人が多いように思えるのです。
翻訳小説のようなオリジナルな日本語に出会うこと。そういうことがよくありませんか?
わたしはそういうことの芽を国語の教科書の文章に感じたのです。(邪推かもしれませんが…)

>本当に美しい日本語に触れること。
>そして、美しい日本語を書くこと。
>そのことが一番重要だと思います。

私は、どうしても上の類の表現が気になります。
個人的にこれは美しい日本語なので好きです、のように使うのはかまわないのですが、
美しい日本語が万人共通であるように使われると、拒否反応を起こしてしまいます。「正しい日本語」もそうですが、「美しい日本語」とは何ですか?本当にそんなものが存在するのですか?「美しい日本語」と「美しくない日本語」の基準はなんでしょう?

文章における美にも多様性がある。
と、言及していたはずですが…。

つまり、
ルネサンス絵画における美と、
マニエリスム絵画における美、
印象派における美、
フォービズムにおける美はそれぞれ違うということを
限定したあとの議論のはず。

つまり、「美しい」とは主観的な言葉なので、「正しい」というような主体を自己の外に置くような卑怯なところがない。
そういうことで使ったわけです。
その一方で絶対美という概念も存在する。
芸術が美学に含まれるように、美しいという以外いいようがない…。

私はすべての芸術家は、美を追求して作品を作り上げる。
だが、それぞれのアプローチは違う。
そういうこともある。
形容詞としての美しいは抽象的だが、美にはそれを越えたものがある。
なかなか難しい表現で失礼しました。(^^;)

>また、日常においても、紋切り型でなく、みずみずしい言葉を使うこと。それが重要だと思います。

確かに、日ごろ、ことばに対して無関心であることは反省しなくてはいけませんね・・・ことばにこだわる、ということを、国語教育の中にもっと取り入れていくことのできるような〈例えば詩のボクシングとか)工夫をしなくてはならないですね。

やってましたねぇ。たしかねじめ正一さんかなんかが音頭をとっていましたか。
ただ、文芸春秋のやっている文章の甲子園は最悪です。

>美しい文章とは何か。そのことをそれぞれが考えるべきだと思います。

そうですね。もっといろいろな種類の文に触れて、自分はどのような文章が好きなのか、ということを考えるような、それぞれの文章を自分の中で価値付けられるような場が必要ですね。

そうなんです。
大人の側が自分が好きな文章があれば、それはその大人の名において、子供に押しつければいい。
いまの大人は子供に自分の価値観を押しつける自信もない。
大丈夫、大人の押しつける価値観なんて、おかしなものだったりしたら子供はちゃんと反発するのですから。

spontaさんのおっしゃることは、現在表現教育の問題点として改善していこうとさまざまな試みがなされていると思います。先に述べた、生活文的文章の書きかたから、論文的な文章の書きかた、実用的な文章、書類の書きかたなどの表現教育が行われるべきだったのが、中学校、高校と文章を書くということの教育がおろそかであったため、時と場合によって文章を書き分けるという能力を伸ばすことができないという現状は、ほとんど今も変わっていませんが・・・

文章を書くことの前に、いかに自分を表現すべきかということを習得すべきです。
でも、その前に自分とはいかなるものかという命題を解決することが求められます。
しかし、そのことは一生かかっても分からないものですよね。

私は、「ゆとり」や「新学習指導要領」などについていろいろと回答しておりますが、発言の根っ子にあるものは、「独立した個」を育てる。尊重する。
ということです。
「独立した個」があれば、民主主義は健全にすすみ、サラリーマンがリストラされることはなく、ベンチャー企業がわんさかでき、お役所が活性化する。
日本の教育が「やさしい組織人」を育てるのではなく「独立した個」を育てる。
そのためには、まず、教育する側(大人)が「独立した個」にならないといけないわけです。

国語教育における課題もまさにそこにあると思います。
「らぬき」とか枝葉末節を気にかける前に、もっと根っ子の部分を考え直そう。
要はそういうことなんです。
教科書だって、もっとイビツでゴツゴツしたもんだっていい。
そうすればもっと魅力的になるはずです。

ということで、ながながとなってしまい失礼いたしました。
また、途中から、引用を示す不等号がぐちゃぐちゃになってしまいました。
ごめんなさい。

反論めいて書いてしまって、ご立腹されるかもしれません。
あわせてお詫び申し上げます。

追記:
ところで、こんなこと、何でしりたいんですか…。
質問の最初の「唐突ですが」の一言に笑ってしまいましたので…。

丁寧な返信、お礼ありがとうございます。
私のツボにはまった質問だったので、くだくだと書いてしまいました。

とても、散文的に書きなぐってしまって恥ずかしいかぎりですが、私が書いたことの背景には、

「大人は、子供を子供扱いするのはやめよう」
の一言につきます。

たとえ、子供の理解力がないからと言って、社会の現実を教えないのはよくない。
そういう小ざかしい嘘が大人をもだめにしている。
そういうことです。
大人の社会が理想とは遠いものなのに、理想しか教えない。
そういうこと...続きを読む

Q教育実習中の上履きについて

教育実習で上履き持参とあります。

実習生はどのような上履きを使うのでしょうか?

生徒は指定のスリッパ。
先生もスリッパが多い。

でも実習生だしスリッパってだめなのかな~と思いまして。

ご存じの方いらっしゃいましたら押して下さい。

ブランド?のようなスニーカーでいいのか(例えば下)
http://www.rakuten.co.jp/kurokawa-sports/438441/439980/439981/455269/


無難なスニーカー(例えば下)?
http://www.hiraki.co.jp/shop/goods/goods.asp?goods=0000000008187

Aベストアンサー

こんばんは(^^)
教育実習経験者です。

私は質問者さんの例のような
アディダスのスニーカーを履いて参加しましたよ~!

何と言ってもスニーカーは動きやすいし、
一緒に参加した子もスニーカー履いてました♪
多少ムレましたけど、そんな気にならなかったです(^^;

実習、がんばってくださいね(^^)

Q評価基準と評価規準のちがいを教えてください。

 最近、評価基準と評価規準という言葉を目にします。
本を読んでも分かったような分からないような・・・
 素人でも分かるように例をあげて、具体的に説明していただけるとありがたいのですが。
 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

何かを評価する場合には「ものさし」が必要です。
評価規準(俗に「ノリジュン」と呼ばれます)というのは、ものさしの種類だと思ってください。
一方、評価基準(俗に「モトジュン」と呼ばれます)は、ものさしの目盛りです。

たとえば、「パソコンの授業」というのがあったとして、その授業の目標がいくつか決められます。
「キーボードの操作を覚える」「ワープロが使えるようになる」「メールが使えるようになる」等々で、さらにワープロの操作は「文字を打ち込む」「カット&ペーストが使える」「文字飾りができる」「マクロが使える」のように細分化し、いくつもの評価観点を作る、これが「規準(ノリジュン)」です。

これに対し、それぞれの「規準」をどれだけ達成したかを測るのが「基準(モトジュン)」です。「文字を打ち込む」というものさし(規準)に対し、それが1分間に50字か、100字か、という「目盛り」を与えるのが「基準」です。

したがってこの場合、成績というのは、一つの教科であっても、○○の観点からは5,△△の観点からは3、といった調子でつけられます。つまり、観点を与えるものが規準、数字をはじき出すものが基準ということです。

何かを評価する場合には「ものさし」が必要です。
評価規準(俗に「ノリジュン」と呼ばれます)というのは、ものさしの種類だと思ってください。
一方、評価基準(俗に「モトジュン」と呼ばれます)は、ものさしの目盛りです。

たとえば、「パソコンの授業」というのがあったとして、その授業の目標がいくつか決められます。
「キーボードの操作を覚える」「ワープロが使えるようになる」「メールが使えるようになる」等々で、さらにワープロの操作は「文字を打ち込む」「カット&ペーストが使える」「文字...続きを読む

Q教育実習時期について、怒られました

少し長くなりますが、聞いてください。

私はいま大学4年生です。

今回地震の影響で、就職活動が大幅にずれ込んでしまい、6月に選考開始となりました。

6月には教育実習が控えていたので、心配になりましたが、私の大学には教育実習に対応した相談窓口がありません。

そこで大学のキャリアセンターに問い合わせたところ、
企業か、実習高校に連絡して事情を話してみるしかないと言われました。

その時はまだ、3月中でしたので、就職活動は6月開始ということはまだ未定で、とりあえず採用活動は中止・延期ということだけが発表されており、いつから開始されるかは未定とのことでした。

実習高校の教育実習期間は、一年前の時に内諾書をもらいに行く段階で、6月と9月のどちらかを選べるといわれていたのですが、私は卒業論文に支障が出ると困ると思ったことに加えて、当初の予定では就職活動は4月ごろに内定が出て終了しているはずだったので、教育実習に影響はないと思い、6月を選びました。

3月中に、私の担当の先生の方に電話をかけ、
企業の採用開始時期が地震の影響で6月にずれ込んでしまい、教育実習とかぶってしまったのですがどうしたらいいかと相談しました。

その時に、できたら後日直接お伺いして、直接お話をしたいと考えていました。

すると、教科主任の先生の電話を代わられました。

その際、私はもし可能であれば、大変申し訳ないのですが教育実習の期間を9月に変えてもらえないかとお伺いしました。

失礼にあたるのはわかっていましたが、教職免許も今まで頑張ってきた分しっかり取りたいと考えていたので、お願いしました。

わたしとしては、企業と高校に、早い段階からアプローチしておいたほうが迷惑が掛からないのではないかと考えた結果でした。

その電話先でかなり怒られましたが、職員会議にかけるので、連絡を待っていてほしいと言われました。

しかし、いつまで待っても一向に連絡が来ないのでこちらから問い合わせてみたところ、
再び電話口でかなり怒られ、実習期間は9月に変更してもらえたのですが、
後日高校に来る日時を指定され、一方的に電話を切られました。

怒られた内容は、一回目も二回目もだいたい同じようなものでした。

教育実習は本来、高校のボランティアで行っているもので、実習生の都合にいちいち対応していられない

このような場合キャンセルするのが当然なのに、普通は変更は認められていない

先生になる気もないのに中途半端な姿勢で臨まれては迷惑

だいたい電話一本で済ませようとするのがおかしい

企業にもお願いしたところずらしてもらえても実習期間内でした。

私は初めの電話は、相談のつもりで電話をしました。
地震で、どうしたらいいのか全く分かりませんでしたが、相談できるところもなかったので電話をしました。

そこで主任の先生に突然電話相手が代わり、時期の変更などを聞いてみたところ話が進みました。

直接行くつもりでしたが電話だけで話がすんでしました。

連絡を待つように言われたのでかけなおしてみたところ怒られましたが、
私はキャンセルしたほうが迷惑になるのではないかと考えていたので、時期の変更意外に思いつきませんでした。地震という非常時だったので、何か措置を引いてくれるのではと、少し期待していました。

教員になるつもりはありませんが、
途中まで本気で先生になりたいと思ってきました。しかし在学中にやりたいことが見つかったので、民間企業を志望する結果となりました。
しかし今まで大変な教職課程を受講してきた身として、しっかりと免許を取りたい、という気持ちがありました。

電話一本で済ませるつもりもなかったのでとても不本意でした。

加えて高校の時の先生に怒られるというのは、とても精神的ダメージが大きく、来週に実習校に呼び出されたわけですが、とても気が重いです。

私が悪いのはわかります。
周りの友人は、この非常時なんだから高校が地震に合わせた対応をしてくれてもいいんじゃないかと言ってくれますが、本来ならば、実習期間の変更はとても失礼です。

しかし怒られている内容がなんだか腑に落ちなくてもやもやしています。
なんだか気持ちがまったく伝わっていなくて残念な気持ちになりました。

それに職員会議にかけられた以上、先生方の周知の事実なので、実習中の風当りはとてもきついのではないかと思います。

私の取った行動は間違えだったのでしょうか。
大学には相談機関がないので、いまとてもつらいです。

またこれからどうしたらいいのか、とても気持ちが落ち込んでいます。
実習に行きたくないですが、これ以上迷惑もかけられません。

来週高校に行くと思うと気が重いです。
なにかアドバイスがあればおねがいします。

少し長くなりますが、聞いてください。

私はいま大学4年生です。

今回地震の影響で、就職活動が大幅にずれ込んでしまい、6月に選考開始となりました。

6月には教育実習が控えていたので、心配になりましたが、私の大学には教育実習に対応した相談窓口がありません。

そこで大学のキャリアセンターに問い合わせたところ、
企業か、実習高校に連絡して事情を話してみるしかないと言われました。

その時はまだ、3月中でしたので、就職活動は6月開始ということはまだ未定で、とりあえず採用活動は中止・延期とい...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

…高校側の応対は客観的に見て非常に納得の行くものですね。
むしろ受け入れてもらえてよかったと思います。

あなたとしては地震や就活のことがあり
また「別に初めから電話で済ませようとしてたわけではない」という気持ちも
分かります。
ただ、相手にはそれはわかりませんよね。

社会人になるってそういうことなんですよ。

あなたの中ではやはり、色々な面で
「仕方ないじゃん」という甘えがあったと思います。
それを相手が汲んでくれてもいいだろう…という甘えです。
それは学生時代の特権です。
教育実習を迎え入れる高校も、あなたを学生としてではなく
「ちゃんとした社会人になれるか」という観点で見ています。
こういう場合に「そうだね、じゃあしょうがないよね~」という対応だったら
むしろあなたを社会人として見ていないということですから
「そういうナアナアの対応には憤慨してもいい」というくらいの気持ちで
これからはやっていかなければなりませんね。

高校側はあなたに本当に良い勉強をさせてくれたと思います。
これが社会人の一発目の洗礼だと真摯に受け止めて
言い訳はせず、非は認め、一生懸命実習には取り組む
それしかないと思います。
あなたの実習期間を見て、高校の先生方もまた色々考えられることがあるでしょう。
大丈夫ですよ。

どうか頑張ってください。

こんにちは。

…高校側の応対は客観的に見て非常に納得の行くものですね。
むしろ受け入れてもらえてよかったと思います。

あなたとしては地震や就活のことがあり
また「別に初めから電話で済ませようとしてたわけではない」という気持ちも
分かります。
ただ、相手にはそれはわかりませんよね。

社会人になるってそういうことなんですよ。

あなたの中ではやはり、色々な面で
「仕方ないじゃん」という甘えがあったと思います。
それを相手が汲んでくれてもいいだろう…という甘えです。
それは学生時代の特権で...続きを読む

Q恣意性について教えてください★

学校でレポートが出たのですが
いまいちよくわかりません

どなたか、わかりやすく
ソシュールやメルロ・ポンティの言う
恣意性について教えてください!!

Aベストアンサー

 言語は通常<意味>をもって流通しているとみなされています。私が<赤>と発語することによって、聞いている相手は「あざやかであれ、にぶくあれ、赤い色を想定」します。ですから、言語にはもともと<意味>が付与されているから、私たちは混乱なく言語を使用している、と思っています。言語とは、おおまかな意味をしか伝えていませんね。
 しかし、「このつらい気持ちをわかって欲しい」という<意味>を伝えようとすると、私たちは10人の人に、その意味を語ってもらえば、何がなんだかわからなくなってしまうのではないでしょうか。どんな風につらいのか、喘息のような息苦しさなのか、ボーッとした不安が続いてつらいのか、次に、気持ちとは何なのか、こころなのか、意識なのか、心臓のあたりなのか、大脳新新皮質のあたりなのか。
 つまり、私たちは、言語は意味されることがしっかり定着しているから言語を使っている、と考えていますが、<意味>することを語るために使用している風に見えながら、その<意味>自体もあいまいで、<意味>されることまでは当然考えて使用していない、ということなのです。

 これらを象徴する例として、私は「鳥の鳴き声」をあげたい、と思います。鳥は何故鳴くのでしょうか?

 それは、恣意なのです。つまり、意味もなくただ鳴きたいから鳴いているのです。自由勝手気ままに、意味もなく、聞かれることも予想せず、ただ鳴いているのです。これが言語は恣意である、という意味なのではないでしょうか。

 私たちは、言語といえば<意味>の上に成り立っている、と考えがちですが、アとカが重なって<アカ>と言い、これで<赤>という意味が成り立っているわけではないのです。たまたま、アオと発語されていないからアカ、と差別化出来るだけのことで、言語は、こうした音の差違に基づいた分別作用でしかないのです。この分別作用が<意味の根拠>になっていくわけですが、これすらも、鳥の鳴き声と同じで、その根幹では、<意味>なく、自分にとって発語することが楽しいから、遊んで鳴いているだけなのかも知れません。ただ、それが、チュンチュンとキーキーで<意味>が違っているな、と想像するだけのことです。

 こうしたことを、言語の恣意性、と言うのではないか、と記憶します。

 言語は通常<意味>をもって流通しているとみなされています。私が<赤>と発語することによって、聞いている相手は「あざやかであれ、にぶくあれ、赤い色を想定」します。ですから、言語にはもともと<意味>が付与されているから、私たちは混乱なく言語を使用している、と思っています。言語とは、おおまかな意味をしか伝えていませんね。
 しかし、「このつらい気持ちをわかって欲しい」という<意味>を伝えようとすると、私たちは10人の人に、その意味を語ってもらえば、何がなんだかわからなくなって...続きを読む

Q社会福祉と聞いてイメージすること

現在、介護職の勉強をしていて、授業で「社会福祉について」というテーマの課題が出ました。
講師は、高齢者介護問題にとらわれず、虐待や生活保護、他いろいろ・・・を含んだ福祉全般の中から様々なレポートを提出して欲しいようです。

そこで、この場を借りてみなさんに質問なのですが、社会福祉と聞いてイメージすること、不思議に思うことがあれば教えていただけませんか?

どんなことでも構いません。レポート作成のヒントにしたいので、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「福」も「祉」もどちらも「幸い」という意味の漢字です(中国語では同じ意味の字を二つ続けて語を構成することが多いそうです)。
よって、福祉ということばは「人間の幸せ」という意味です。

社会福祉、ということばをいうときに、2つの側面があります。

1.事業としての福祉

これには、介護保険による「老人福祉」、福祉事務所などによる措置制度に基づく「障害者福祉」「児童保育」などがあります(老人福祉にも一部措置はのこっているようです)。
また、「生活保護」も措置のひとつですね。

一般のひとが「社会福祉」といった場合、そのほとんどが「事業としての福祉」をイメージしていると思います。

2.人間の幸せとしての福祉

たとえば、バリアフリー、ユニバーサルデザインによる都市計画、建築、新聞などの文字をおおきくすること、使いやすい製品、なども、人間の幸せとしての福祉ということができるでしょう。
しかしながら、現在はユニバーサルデザインや駅のエスカレータ設置などは、一般の人たちからは福祉と認識されていないでしょう。

しかしながら、事業としての福祉が成立する背後には「どのような制度を設ければ、最大幸福を実現できるだろうか」という思想があります。
ユニバーサルデザインなどが、制度、事業としての福祉となることも、非現実的なことではないと思います。


以下、私のイメージというか主張です。
どうも、大多数の人が「福祉」ということを自分とは無縁の、「弱者のためのもの」と思っているようでなりません。

たとえば「障碍」ですが、これはだれにでも、明日、訪れる可能性があります。
道をあるいていると、交通事故にあう確率はかなりあります(すごーくおおざっぱにいって1%)。
重症を負えば、半身不随になるかもしれません。
ある日、眼が見えにくいと思ったら、あっという間に網膜はく離になってしまうことだってあります。
また、年をとることによるさまざまな不便なこと(脚があがらなくなって、ちょっとした段差で躓くなど)も障碍のひとつと考えることが出来ます。

障碍だけではありません。
一家で交通事故にあって、ひとりだけ助かったが、働くことが出来ずに生活保護のお世話になる、ということだってありえます。

つまり、だれもが必ず「福祉」のお世話になるし、低くない確率で障碍をおって明日、お世話になるかもしれません。

どうしたら人間が幸せに暮らせるか、それを考えることが「福祉」とくに「事業としての福祉」の基本となって欲しいものです。
「弱者救済」などという認識は、今すぐかかわる人全員の心の中から排除して欲しいと。

「福」も「祉」もどちらも「幸い」という意味の漢字です(中国語では同じ意味の字を二つ続けて語を構成することが多いそうです)。
よって、福祉ということばは「人間の幸せ」という意味です。

社会福祉、ということばをいうときに、2つの側面があります。

1.事業としての福祉

これには、介護保険による「老人福祉」、福祉事務所などによる措置制度に基づく「障害者福祉」「児童保育」などがあります(老人福祉にも一部措置はのこっているようです)。
また、「生活保護」も措置のひとつですね。

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Q教員免許複数科目資格保持者は採用されやすいか

 表題のとおりです。大学卒業時に一科目しか教員免許を持っていなくても、他科目の免許は放送大学等のおかげで、取りやすいですね。

 いろいろ集めると教員採用に有利でしょうか。
学校図書館司書・普通の司書・博物館学芸員補南下も、とったほうが評価されやすいでしょうか。

 採用現場のかた・採用現場に近い方など、私立公立問わず、よろしくお願い申し上げます。
このやり取りをみて、「よし、できるだけとるぞ」
と奮い立つ学生さんもいるでしょうし・・・。

Aベストアンサー

中・高の理科と学校図書館司書教諭を持って,公立高校に採用されています(理科と図書の兼務です)。
中高一貫の私立の場合,中・高の両方持ってないと試験すら受けさせてもらえません。
公立の採用では,司書教諭は,ここ数年はもってると有利だと思います。大学でも積極的に受講させていると聞きます。が,図書館に関心のない教諭が資格があるというだけで司書教諭兼務を命じられてぶつくさ言っているのをよく聞きます。仕事量が増えるだけですから。図書館に関心がないなら余計な資格をとらない方がいいと思います。
英語なら,英語以外の外国語も流暢に使えるというのは多少はプラスになるかもしれません。

Q咳のし過ぎ(?)で肺が痛みます。

以前、こちらで咳が続くということを質問させてもらいました。(咳以外に目立った症状なし)
それでまた受診したんですが、レントゲンを撮るほどでもなく、聴診器を当てただけで胸の音はきれいなので大丈夫です、と言われました。

でも、それ以後も咳は止まらず、3、4日前から今度は右胸(右の乳房のすぐ下から右わきの下の辺り)が痛み始めました。咳をするとズキッと痛むし、腕を上げ下げしたり、大きく深呼吸したりするだけでも痛みます。ただの筋肉痛でしょうか??

咳をしすぎたりすると、肺が傷ついて痛むことなどあるのでしょうか?胸の音はきれいでもレントゲンを撮るとなにか判ることもありますか?ちなみにタバコは吸いません。

何か分れば教えてください。

Aベストアンサー

肺の中には痛みの神経がないので肺がんのようなおおきなかたまりができても痛みません、ただ、肺の外側の膜、胸膜には多数の痛みを感じる神経があります。
胸に水が溜まったとき、肺がさけて空気がもれたときなどは、激しい痛みがおきますが、咳をしたときに痛むのであればちょっと違うようですね。
あまり激しい咳が続くと、肋骨、肋軟骨が不全骨折をおこすことがあります。気管支喘息、咳喘息などでよくみられます。これは、レントゲンで写るほどはでに折れることはめったにありません。
マイコプラズマ感染による気管支炎、気管支喘息とその親戚の咳喘息などでは長期間咳が続きますから、それに関して検査を(レントゲン検査、肺機能検査、採血による抗原検索)などを受けられると良いと思います。呼吸器専門の内科でしたら、すぐ、レントゲンはとると思います。

Q教育実習:児童に渡すプレゼント

こんにちは☆
明日から小学校(母校)で教育実習を行います。何度か事前に訪問させていただいたのですが、雰囲気もとても良く、落ち着いた学校だという印象を持っています。
そこで、実習が終わる最後の日に担当の5年生のみんなに手紙つきのプレゼントを渡したいと思っているのですが・・・アイデアが浮かびません。子どもが喜びそうなものや、経験談など、ヒントになりそうな話を聞かせてください(>_<)
また、とても楽しみですが不安だらけでもあります。実習に対してのアドバイスなどもしていただければ嬉しいです。お願いします(*^▽^*)

Aベストアンサー

小学生の子供がおります。
子供が実習生の先生からいただいたものを
参考にしていただけるかな、と思いまして投稿します。

・手作りのカードにひと言のメッセージ。
  これが一番多かったプレゼントです。 
  似顔を書いたものとか、
  子供のいいところを誉めたひと言は
  とても嬉しかったようです。
・手作りのしおり
  色画用紙と折り紙で作った簡単なしおりに
  『ありがとう』のひと言が添えてありました。
・手作りのストラップ風アクセサリー
  一昔前に流行ったミサンガ風に糸を
  編んで作ったモノでしたが、子供達は
  筆箱のファスナーの取っ手に結んだり
  名札の安全ピンの輪の結んだり
  クラスみんなでお揃いを楽しんだようです。

子供達は実習生の先生が大好きです。
どんどんと積極的に子供と関わってあげて欲しいです。
一緒に遊んだりおしゃべりしたり・・・
ウチの子を見ていても感じますが
子供って先生に話しかけてもらうと
本当に嬉しいものなのです。
授業以外の時間にも実は学ぶ事は多いのかなと
思ったりします。
なかなか余裕はないのかもしれませんが、
一生懸命さは子供達に伝わるものだなぁとも感じます。

それから、実習中の健康管理には十分お気をつけて!
実りある実習になりますように・・・。
頑張ってくださいね。  

小学生の子供がおります。
子供が実習生の先生からいただいたものを
参考にしていただけるかな、と思いまして投稿します。

・手作りのカードにひと言のメッセージ。
  これが一番多かったプレゼントです。 
  似顔を書いたものとか、
  子供のいいところを誉めたひと言は
  とても嬉しかったようです。
・手作りのしおり
  色画用紙と折り紙で作った簡単なしおりに
  『ありがとう』のひと言が添えてありました。
・手作りのストラップ風アクセサリー
  一昔前に流行ったミサンガ風...続きを読む

Q教員の方教えてください。なぜ小学校(中学・高校)を志願されましたか

教員を目指している30歳女性です。

免許は中学・高校の英語1種をもっています。

現在、海外で日系の小学生と高校生を教えていて、授業はもちろんお遊戯会などの準備に携わるうちに小学生がとてもかわいいと感じるようになり、小学校の先生もいいなと思うようになりました。新たに免許をとらなくてはならないので、それを行動に移すかどうか迷っています。

しかし、上司からは、あなたは子供に手取り足取り教えるよりも、教材研究が好きなようなので、高校の先生のほうが向いているのではないかしら、と言われました。 今は担当の授業コマ数は小・高同じなのですが、小学生にほとんどの神経を集中させていて、親とのやりとりや学級運営、お遊戯など様々なことに追われるうちに、疲れた顔が見えていたのもそうアドバイスされた原因かもしれません。

一方、高校生を教えていると、彼らの知的好奇心にうれしくなり、次の授業内容を考えるのが楽しく、のめりこんでいる自分がいます。ただ、いろいろな難しさも感じます。 

小・中・高どちらを対象に教えるのが自分に向いているのか、悩んでいます。
私は教員を始めて経験したのが海外でしたので、日本での状況はまた違うとも思います。

こんな状態でまだまだ教員としての深さを知っておりませんが、教員の方に教えていただきです。 なぜ小学生(中学・高校)を教える対象として選んだか、そしてめいめい必要な適性とはどんなことでしょうか。

教員を目指している30歳女性です。

免許は中学・高校の英語1種をもっています。

現在、海外で日系の小学生と高校生を教えていて、授業はもちろんお遊戯会などの準備に携わるうちに小学生がとてもかわいいと感じるようになり、小学校の先生もいいなと思うようになりました。新たに免許をとらなくてはならないので、それを行動に移すかどうか迷っています。

しかし、上司からは、あなたは子供に手取り足取り教えるよりも、教材研究が好きなようなので、高校の先生のほうが向いているのではないかしら、と言...続きを読む

Aベストアンサー

いま大学の教員をしている者です(教育系)。最初は小学校教員志望、のち中学志望、卒業時は高校志望、結局大学院をへて今日に至りました。

小学校は、「こども」という生き物を相手にする感じですね。この生き物はピュアで、素直で、わがままで、意地悪で、要するに千変万化。いちばん「教育」の効果が出やすいと思います。仕事は、質問者さんも書かれているように何でも屋さん的な面も大きいので大変。でも自分の仕事の意味や価値を実感する瞬間も多く、幸せな経験をすることも多い。

中学校は、授業と部活と生活指導。心と心の触れあいが教師としての幸福をもたらしてくれることも多々ありますが、心身ともに変化の大きい生徒たちを前にして、自分の意に染まぬ厳しい指導が求められることも多いと思います。塾などで勉強するからといって学校でだらける生徒もいるし、何もしないで何もわからない、という生徒もいる。私の実感では、中学教員を志望する学生の最大の動機は部活を指導したいということです (^o^)

高校は、一般化できません。制服が違えば住んでいる世界が違う、と言いますが、勉強ができて生活上の問題など何もない高校と、勉強とはまるで縁がなくて、、という高校と、全然違います。公立高校に勤務する場合、当然ですがあちこちへ異動します。ある学校で人気者だった先生が、他校へ行くと役立たずの嫌われ者になり自信を喪失、なんてことはよくあります。高校志望者は、部活志向とその科目が好きだっていうのと、半々くらいでしょうか。私立校出身者には、母校に勤めたいっていうのもよくあります(現実には難しいですが)。

あとは蛇足です。現在の質問者さんの目の前にいる生徒さんたちは、たぶん上流ないしアッパーミドル・クラスの人たちでしょう。親についても子についても、一般に日本の公立の学校でその環境は望めないと思います。一番近いのは、都市部の私立の中高がくっついたタイプの、わりと出来のいい学校のように思われます。日本で教職を志望されるのであれば、そんな点も考慮されてはいかがでしょう? あまり参考になっていませんね... ごめんなさい m(__)m

いま大学の教員をしている者です(教育系)。最初は小学校教員志望、のち中学志望、卒業時は高校志望、結局大学院をへて今日に至りました。

小学校は、「こども」という生き物を相手にする感じですね。この生き物はピュアで、素直で、わがままで、意地悪で、要するに千変万化。いちばん「教育」の効果が出やすいと思います。仕事は、質問者さんも書かれているように何でも屋さん的な面も大きいので大変。でも自分の仕事の意味や価値を実感する瞬間も多く、幸せな経験をすることも多い。

中学校は、授業と部...続きを読む


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