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 世界が心で出来ているなら、死んで心がなくなると、世界も消えてしまうのでしょうか?

A 回答 (15件中11~15件)

補足を。


No3さんの言うことと私No2の意見はどちらも確からしく、そして考え方次第となると思います。

ただ、私の言った世界のほうが、どちらかというと自分が感じ、そのとおりに改変した世界、という意味合いが強いと思います。主観世界、心象世界のようなものです。
対してNo3さんの言う世界とは客観的世界です。

たとえば、有名な映画マトリックスでいえば、エージェントが黒服で襲ってくる世界が、私達が「世界」というものです。

映画では人が首の端子でアクセスすることでその「世界」につながり、その中で私達は擬似的に行動したり、知覚したりするのですが。
人間がその「世界」につながる前に、「世界」がはじめからあったか、それとも自分たちが首の端子を開発した際にできた、仮想空間に過ぎないのか、それは考え方次第でどちらとも捉えることができます。

マトリックスでは一人の人間が死ぬとその人だけが消える、つまり死んでも世界は消えていないのですが。はたして人類全員が死んだとき世界はどうなるのでしょうか? となると難しいですね。みんな死にますし、大体自分も死んでいるんだから、世界が続いてようと、消えてようと分からない。そういった意味では私は「世界」に加えて「消える」、という言葉を使う際に三人称の誰かが死ぬのか、一人称の自分が死ぬのか、も明確にする必要がありました。私は、一人称の私の心が消えると、自分が感じ、訴えかける世界が終わる、というやや文学的な(?)言い方をしようとしたのです。

また別の例を挙げると、
大切な人を失くしたときに「私の人生は終わった」といいますが、
終わってなんてない、生ける屍なだけで明日も地球は回るよ、という考え方もありますし、
「もう人生も世界も全て終わってしまった」といっても説得力はあります。


捉え方次第で「世界」は変わります。No3さんの考え方では、(三人称の)心が消えても(客観的)世界は消えず、
No2の考えでは、(一人称の)心とともに(主観)世界は終わります。

そのような解釈の違いかと思われます。どうでしょうか・・・。

この回答への補足

>No3さんの考え方では、(三人称の)心が消えても(客観的)世界は消えず、
No2の考えでは、(一人称の)心とともに(主観)世界は終わります。

 やはり、客観的世界が消えないというのが正しいですね。また、心があるときは、その心によって世界は作られてしまうのも正しいですね。
 どうも、世界が心によってできているという考えしか持たなかったせいで、ちょっと混乱してしまったようです。
 分かりやすい回答ありがとうございました。

補足日時:2007/02/11 12:14
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[世界が心で出来ているなら、死んで心がなくなると、世界も消えてしまうのでしょうか?]


ですね。
「世界が心で出来ている」という考えは正しいんですよ。実際そのとおりです。したがって、至る過程は別において、心に「世界があれ」という思いがなくなれば、世界も忽然と消えてしまいます。
つまり、
[世界が心で出来ているなら、心が世界を否定すれば、世界は消えてしまう]というのが正しい過程での表現ですね。
「世界が心で出来ているなら、」と「死んで心がなくなると」が論理矛盾を起こしているだけですね。「世界が心で出来ているなら、」まず「死」というものは存在しないですね。心は物質ではないので死はないのですね。死の変わりに「ある、ない」なんですね。つまり心が「なし、つまり無」という状態であれば「何にもなくなる」ということですね。それでも心がなくなったわけではないですね。考えてないということでしょう。
インドの何とか仙人が、かくあれというと、あれ・サルがでてきた。
逆に、サルよ無しといえば忽然となくなるというような話ですね。サルの代わりに世界というだけのことですね。
前提も結論も正しいと思いますので、その間をつめていけばいいと思いますよ。

この回答への補足

 確かに考え次第で、世界がなくなったり、あったりなってしまうんですね。
 私としては、世界があってくれないと、死を超越できないもんで、世界があるという考えがあった方がいいですね。

補足日時:2007/02/11 12:12
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死んで心がなくなっても世界はなくなりません。


心とは意識のことですよね?
意識とは必ず、なんらかの対象に対する意識なんです。
なにかを考えるとき、必ず対象があるでしょ?
意識は意識のみで存在しません。対象があって初めて生じるんです。
だから、意識がある前に世界はあったんです。故に、意識の後にも世界は残ります。
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この回答へのお礼

納得しました。回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/11 12:03

あなたの心(感じる・考える→認識)で世界ができているとすれば、あなたの心(認識)の死によって、世界とあなたはつながりを失う。


あなたが認識できる世界はそこからなくなります。それは「世界の死」なのではないでしょうか?

まさに、コギトエルゴスムですね。

この回答への補足

>あなたが認識できる世界はそこからなくなります。それは「世界の死」なのではないでしょうか?

そもそも心が無からいきなり出てきた訳ではないので、心がなくなっても世界は存続し続けるように思いました。

補足日時:2007/02/11 11:57
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 仮定した条件に対して「どうなるのでしょうか」と訊かれても、その条件を仮定した本人がどうなるのか決めていないと、正しい答えは出ないでしょう。



 その仮定を誰かがどこかでしているならば、それが誰でどこで主張されているかというのを明らかにすれば、誰か詳しい人が解釈してくれるかもしれません。

 仮定をしたのが質問者様本人なら、その答えはご自身で見つけるしかないでしょう。

この回答への補足

問題は、世界がこころでできているのか、それとも、こころが世界によってできているかということにした方がいいようですね。

補足日時:2007/02/10 23:22
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この回答へのお礼

>仮定した条件に対して「どうなるのでしょうか」と訊かれても、その条件を仮定した本人がどうなるのか決めていないと、正しい答えは出ないでしょう。

確かにおっしゃるとおりですね。

世界がこころでできているならば、こころがなくなったら、世界もなくなってしまいますね。どうやら、世界がこころでできているというのが間違っているような気がしてきました。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/10 23:20

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