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ゲーテの詩はすばらしいということになってますが
外国の詩というのは多分にリズム感とか韻律であり
その詩が発するメッセージの内容は訳者によってニュアンスが
それこそ180度変えられることが主ですから、
ゲーテの味わいはやはりネイティブでないとわからないはずであり、
どんな訳になっても内容が影響力を持ち続けて内容の秀逸さが残りつづける、というのは
詩に限ってありえない。
ゲーテの美しさは、あれは翻訳した側の尽力があればこそであり、
ゲーテ自身の影響は訳した時点で一割程度に過ぎないのではと



これはランボーですが、時が流れるお城が見える、なんて原文にはそんな愉快なニュアンスはないはず。訳者のセンスなりけり。


もしかしたら原文で読んだらがっかりするかもよ?
それなのに無条件でゲーテを賛美するのですか?
早合点ではないですか?


それくらい原文と訳されたものは別個のものでありはしまいか。
原典がすばらしければどんな訳者でも満足なはずですが
残念ながら駄訳というのはあるわけで、いくらゲーテでも
ひどい三流なものになる。つまり詩の内容をたのしむならどんな訳でも
いいはずですがそうではないということは
やはり詩というものは
リズムなどの装飾部分がメインになるわけですね。
あくまで訳者の一人舞台なわけで原作者の意図は空しく裏切られる。


もしかしたら原典は大したことないのに名訳により
名著に仕上げてくれたのかもしれないじゃないか、高橋さんは。
ともかく原典読まないうちにゲーテさんを持ち上げるのは早いんじゃねえのかね?





文章が長い小説を答えの例示として出すのは遠慮くださいませ

A 回答 (2件)

翻訳でもとの詩の良さは決して分からないと思います。

ドイツ語の分からない人は、ゲーテやハイネを褒めるべきではありません。

翻訳詩の最高峰は「山のあなたの空とおく」と「秋の日のヴィオロンの」でしょう。この感動は、原作から来るものではなく、訳文のすばらしさから来ています。

インドの詩人がノーベル賞をもらったそうですが、私は信用しません。審査員の皆さんが原語を必死に勉強した後の話なら信用しますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2007/03/11 15:45

わたしは、ドイツ語もできなければ、ゲーテの詩を翻訳で読んだことすらないのですが、一般論としては、質問者さんのいうことに賛成できます。


だれかが翻訳で読んだだけで、ゲーテの詩はすばらしい、といったのでしょうか。身近な特定の方にむけて質問を投げかけていらっしゃるように感じました。

「もしかしたら原典は大したことないのに」 ということでいえば、上田敏の 「山のあなた」 がその一例になるでしょうか。原作者 Karl Busse は、ドイツ語版 Wikipedia の記事もなく、日本以外ではそれほどの詩人とはみなされていないようです。

日本の作品にも似たような例はあります。「万葉集」 で柿本人麻呂の作とつたえられるつぎの歌は有名です。

東 (ひむがし) の野に炎 (かぎろひ) の立つ見えてかへり見すれば月傾 (かたぶ) きぬ

この作品はもともと 「東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡」 と書かれているだけで、訓 (よ) みかたを 「発明」 したのは賀茂真淵です。もしかするとべつの訓みかたが正しいともかぎらないのです。

こうした 「翻訳」 は、原作との距離を意識しなくてはならないにしても、それはそれですばらしい作品といえるのではないかとおもいます。それがドイツ語なり上代語なりを勉強するきっかけになるとすれば、いうことなしです。翻訳ですばらしいとおもったものを (わたしの場合には英語の) 原作で読んでみてがっかりさせられたことは、いまのところ一度もありません。そういう体験をした最初は T.S.エリオットの 「荒地」 ですが、いまおもえば失礼なことに、翻訳者の名前をろくに見もしませんでした。

翻訳で読んだだけなのにさかんに 「ゲーテ」 という名前をもちだしたりするのが鼻につくというのもわかりますが、それが若い人なのであればご愛嬌というものですよ (年をとるとわかります)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2007/03/11 15:46

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