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数学的に確立0%あるいは100%というのはありえるのでしょうか。
私の目の前にパソコンがあるのはわかっています。私にとっては確立100%なんですが数学的にはどうなんでしょうか。
もしあるのであれば具体例を示していただけないでしょうか。また、ないのであればなぜないのかわかりやすく説明していただけないでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

>数学的に確率0%


6面ダイス振って7が出る確率
>確率100%
0点以上、100点満点のテストで0点以上100点以下の点数を取る確率

この回答への補足

バカな質問ばかりですみません。
無限の面を持つダイスだったら1が出る確率は0でしょうか。

補足日時:2007/02/16 02:12
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>6面ダイス振って7が出る確率


もとい、1,2,3,4,5,6の6つの数字の書かれた6面ダイス

絶対出ませんから確率0%です。

この回答への補足

バカな質問してすみません。
何面ダイスか分からない場合、1が出る確率は0になるのでしょうか。

補足日時:2007/02/16 02:09
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・・・すいません、確率ですか確立ですか?



数学的だと、これ2つの用語でずいぶん解釈が違ってくるようにおもうのですけど?

この回答への補足

すいません、確率のほうです。

補足日時:2007/02/16 02:00
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私はあると思いますよ。


確立というのは、ある限られた条件下での可能性の率のことになるわけですから、条件によって0%も100%ありうるのではないでしょうか。
極端ですが、たとえば6面体のサイコロを1回振って7の出る確率=0%
同様に、6面体のサイコロを1回振って1から6が出る確率=100%

つまり、条件によって確立が変わってしまうので、物事の率を調査する時にどれくらいの資料が必要か検討するのではないでしょうか。
世論調査といって『3人に聞きました』って言われても、仕方ないのですが、3人とも同意見ならその調査では100%になってしまうということです。

この回答への補足

バカな質問をしてすみません、
条件のない条件(言葉が正しくない。。)あるいは、恐ろしく条件がゆるい場合は0または100になりにくいということでしょうか。

補足日時:2007/02/16 02:01
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(ある条件で)


全部でことがら(1)を何回かしたときその回数をAとして、
その回数の内ことがら(2)が起こった回数をBとして、
B/Aを(2)の起こる確率とするならば、
目の前を見るを(1)として、
パソコンがあるを(2)と考えれば
目の前を見たとき必ずパソコンは存在することになり、
B/AはA=Bとなってしまい
B/A=A/A=1、すなわち100%です。
なにを全体の試行と考えるかによります。

たとえば目の前にパソコンがないのなら、
B=0となり、確率0です。

これは「目の前を見る」を分母にするから成り立つ話です。
ほかのこと例えば後を見るなら、
確率は0%になりますよね。
(後にもパソコンあったら別ですが)

この回答への補足

毎度ばかな質問ですみません。
今、目の前にあるものがパソコンである確率についてはどう考えたらいいのでしょうか。たとえば幻覚かもしれないし、実はパソコンじゃなく電子レンジかもしれないなど。
お手数をおかけします。

補足日時:2007/02/16 02:35
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確かにおもしろいっすね!!


確率は今どの世界(条件)にいるかということで変わってくるものではないかなぁと思いました.例えば,「2007年02月16日01:23にあなたの目の前にパソコンがある確率」はあなたの世界では100%ですし,私の世界でもその事実を知ったことによって100%ですが,「2007年2月16日2:30にあなたの目の前にパソコンがある確率」はあなたの世界では0%か100%かもうすでにわかっていることですが,私の世界では「ある」かもしれないし「ない」かもしれないから50%と考えます.つまり,同じ事柄でも世界(条件)によって変わってきます.
それと同じことが数学でも言えるのではないでしょうか.
「整数÷整数が実数である確率」という事柄に対して,「0以外の整数」という世界で考えた場合は100%いえますが,「整数」という世界に変えたとたん100%ではなくなります.
ただ,その「条件をゆるく」というのをどうとらえていいかわかりませんが数学的にありえるかありえないかと言われればありえると思いますよ.
なんか,日頃考えないことを考えるきっかけを提供してくださいましてありがとうございました.私ももう少し考えて見ます.

この回答への補足

神が存在する確率について考えたことはおありでしょうか。
もしあるのであればついでにご意見をいただけないでしょうか。
よろしくお願いします。

補足日時:2007/02/16 06:01
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確率を定義するときは、その定義した確率が100%正しいとして考えます。

ここに、地平超越的確率を持ってくると、確率という概念そのものが成立しなくなります。一種のパラドックスですが、「私のいっていることはすべて嘘だ」といったときに、その言葉自体も嘘なのかも知れないし、それならそもそも嘘だということ自体が嘘になる。このばあい、「」だけは正しいとして地平内を考えるとかしないと成立しないでしょう。

たとえば、天気予報で「明日50%で雨」という予報があったとすると、ここで、「この天気予報が成立する確率」は常に100%であるものとして考えます。なぜなら、「この予報が成立する確率は、、、」とやると、さらに「その確率がだたしい確率は、、、」となるでしょう。つまり、さいころの目が出る確率を考えるときは、さいころの「1の目がでる」という事象は誰かが観測するかしないかに問わず、1/6である、と断定します。

「パソコンが本当にパソコンなのか?」ということも同じことです。ここで、パソコンを自分が正しく認識する確率を99%、パソコンで無いものをパソコンと間違って認識する確率1%と定義すれば、計算することは可能です。(有名なところで、病気の検査の問題があった気がします。)ただ、これをさらに「その認識をする確率が正しい確率、、、」とやると確率が成立しません。確率を定義するときは、どこまでが、地平内在的な確率であり、どこからが地平超越的かを区別して考える必要があります。

この回答への補足

なるほど、なるほど、大変興味深いです。
もう少しお付き合いしていただけないでしょうか。この質問は的外れかもしれませんが、ご容赦ください。
存在の確率は定義可能なのでしょうか。たとえば神が存在する可能性は計算できますでしょうか。
お手数をおかけしますがよろしくお願いします。

補足日時:2007/02/16 05:44
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数学で確率の定義は、事象空間Ωから実数[0,1]への写像ですね。


このときの写像をP(X):Ω→[0,1]と書きます。
全事象の確率は1ですので
  P(Ω)=1
空集合の確率は0ですので
  P(φ)=0
ですね。

サイコロを1個振ったときの目は、Ω={1,2,3,4,5,6}として
  P(X=1) = P(X=2) = P(X=3) = P(X=4) = P(X=5) = P(X=6) = 1/6
で確率を定義します。
サイコロを振る場合を考えるんですが、定義にはサイコロのサの字も出てきません。
味気ないようですが数学の定義なんてこんなもんです。


さて、あるものが存在する確率ということですが、そもそも数学の世界には数と記号しか存在しないので、
現実世界であるものが存在するかどうかは、物理の問題になります。
また、見えているものが本当に存在(実在)しているのか?といったような問でしたら哲学になります。

物理学では道具として数学を使うだけで、例えば「太陽の温度は何度?」というのは数学だけで答えが出る問題ではないですよね。
存在確率も、数学を利用した物理学の問題かと思います。

どちらにしても、数学の範囲での定義は無理ではないかと思うので。
物理なのか哲学なのか、どこらへんの次元で解答をもとめるのかが重要かと思います。

偉そうなことを書きましたが、専門家でも何でもないので参考意見ということで。失礼いたします。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
もうひとつ質問させてください。ある法則が導き出されたとして、その法則があっている確率は何%と言う表現は正しくないのでしょうか。10回実験をして9回計算通りで1回は違うとすれば、その法則の正解率90%。というのはだめですか。

補足日時:2007/02/18 01:49
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どんなものにも、役割と限界があります。


数学で何でもできるわけではありませんし、数学でしかできないこともあると思います。

確率の役割は何でしょうか。

例えば、サイコロを振るとします。同じ位置から、同じ力で、同じ角度で、同じ材質の机の、同じ場所に落としたら、おそらく、出る目は同じでしょう。
しかし、実際には、それらの条件のうちのひとつでも、わずかに違うだけで、結果が同一でない複雑さを持っています。

だから、サイコロは「振る人が自由に目の数を決められない」という性質を利用して、平等な決め方のひとつとされているのでしょう。

しかし、そのような「偶然性」にも「心構え」を持ちたいと考える人がいます。
もっと下世話に言うならば、ギャンブルの必勝法を研究したい人がいます。

そういう人たちが、「ある」「なし」の2択ではなくて、「どれくらいの割合で」「ある」かを考えようとしたのが確率論の始まりです。

0%100%の事例はすでに紹介されていますが、面白みのないものですね。
確率は、「0%でも100%でもない」という事例で威力を発揮するということを知っておくと良いと思います。

「神の存在確率」は、神を定義しなければ計算できません。
きっと、それは、数学の仕事ではないのだと思うのです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
もうひとつ質問させてください。ある法則が導き出されたとして、その法則があっている確率は何%と言う表現は正しくないのでしょうか。10回実験をして9回計算通りで1回は違うとすれば、その法則の正解率90%。というのはだめですか。

補足日時:2007/02/18 01:40
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