プロが教えるわが家の防犯対策術!

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_1 …

1.先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆(みん)な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。

「座敷で同座する」とはどんなことを指すのでしょうか。

2.「そりゃまたなぜです」

「そりゃ」はどの文を指すのでしょうか。

3.この問答は私にとってすこぶる不得要領(ふとくようりょう)のものであったが、私はその時底(そこ)まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経(た)たないうちにまた先生を訪問した。

(1)「底まで押さず」とはどんな感情でしょうか。

(2)「しかも」を「そして」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。

4.先生は座敷へ出るや否(いな)や笑い出した。

「座敷へ出る」はどういう意味でしょうか。

5.「私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでしょう……」

先生のこの話はどういう意味でしょうか。

 また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

1.「座敷で同座する」とはどんなことを指すのでしょうか。


:直訳すると「同じ場所(座敷)に座る」という意味になります。
『ひとつの座敷(部屋)で一緒になる』ということです。
先生と同郷の学生も先生をたまに訪問していたが、訪問する時間帯が私と偶然重なり、お互いひとつの座敷で顔を合わせる結果となって歓談する場合もあった、ということです。
それで、彼らの先生に対する姿勢を知ることができたわけです。

2.「そりゃまたなぜです」
「そりゃ」は、直前の、
「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
を全て受けている言葉です。

来てくれるのを喜んでいるのであれば、「なぜそうたびたび来るのか」などと聞く必要はないはずです。
つまり、
「そりゃまたなぜです」は、
『私が来るのを喜んでいるのであれば、なぜ先生は、「なぜそうたびたび来るのか」と私に聞くのか』という意味になります。
【先生の言っていることは辻褄が合いませんが、なぜそういう質問をするのですか。】
という意味にもなるでしょう。

3.
(1)「底まで押さず」とはどんな感情でしょうか。
:『深いところまで追求しないで』『心底から納得できる理由を確かめないで』という意味です。
(2)「しかも」を「そして」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。
a.「しかも」は、「その上に」という意味で使われる場合が殆んどですが、
原文では「それでも/然るに/だが」という意味で使われています。
この場面の「しかも」には、
『先生との問答に釈然としないまま帰った私ではあったが、それを気にして再訪しづらい気持ちがあったわけではない』というニュアンスがあると思います。

b.単独の構文的には「そして」でも不自然ではありませんが、おっしゃるように意味は微妙に違ってきます。
『前回は不得要領の問答を放置したまま帰ったが、今日こそはっきりした理由を先生に聞いて納得したい』というニュアンスになると思います。
「私」にはそのような意図が無かったことは後半の文から明らかですから、小説上でのは置き換えは無理でしょう。

4.「座敷へ出る」はどういう意味でしょうか。
:座敷は畳敷きの客間のことです。
お客さんが来ると座敷まで案内してそこで待ってもらい、(普通は、ここで奥さんや使用人がお茶などを出します)後から主人が座敷に現われます。
『座敷に姿を現す』という意味です。

ただ、単独で「座敷に出る」と言えば、
芸者さんや舞妓さんが(歌や踊りや三味線、あるいはおしゃべりで)お客さんをもてなすために、お客さんのいる客室(基本的には畳の部屋)に入ることを指します。

5.「私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでしょう……」
:「若い人は元気だし、エネルギーが溢れているから、何か淋しさを感じると、返ってくる反応を期待して他者に働きかけようとする。
積極的に友達を作ったり、自分の意見を遠慮なく言ったりして、自分の淋しさからの突破口を探そうとするのでしょう。」
といったような意味でしょう。
【動く】は、『対外的に働きかける』という意味に捉えてよいと思います。
 

この回答への補足

1.
>お客さんが来ると座敷まで案内してそこで待ってもらい、(普通は、ここで奥さんや使用人がお茶などを出します)後から主人が座敷に現われます。

座敷でお茶を飲むでしょうか。そうしたら、No.1さんがおっしゃった「居間(当時は「茶の間」と呼ぶこと多し)」は何でしょうか。そこでもお茶を飲むような気がします。

2.
>「私」にはそのような意図が無かったことは後半の文から明らかですから、小説上でのは置き換えは無理でしょう。

申し訳ありませんが、この文の意味がよくわかりません。

3.
>「若い人は元気だし、エネルギーが溢れているから、何か淋しさを感じると、返ってくる反応を期待して他者に働きかけようとする。
積極的に友達を作ったり、自分の意見を遠慮なく言ったりして、自分の淋しさからの突破口を探そうとするのでしょう。」
といったような意味でしょう。

何か淋しさを感じると、なぜ「返ってくる反応を期待して」のようなことをするのでしょうか。「他者に働きかけようとする」もよくわかりません。「自分の淋しさからの突破口を探そうとする」の「突破口」もよく理解できていないと思います。もう一度説明していただけませんか。

補足日時:2007/02/19 13:31
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この回答へのお礼

 いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。「座敷」について詳しく紹介していただき助かりました。和室、芸者さんや舞妓さんに興味を持っています。漢字に影響されたせいか、中国人は「舞妓」の二番目の漢字で誤解しやすいおそれがあります。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/19 13:56

#1.です。


補足に対する追加です。

>「座敷」と「居間(当時は「茶の間」と呼ぶこと多し)」の違いを簡単に説明していただけないでしょうか。

この小説の、ここで言う「座敷」は、「客間」とか「応接間」(畳敷き)の意味。
「居間」は、リビングルームのこと。家族だけが使用するもので、当時の習慣は、リビングルームにお客を
入れることはなかった。
なお、一般的に「座敷」とだけ言えば、畳敷きの部屋という意味だが、ここでのように使えば、
「客間」とか「応接間」(畳敷き)を単に「座敷」という習慣がある。
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この回答へのお礼

 再びご親切に教えていただき誠にありがとうございました。

お礼日時:2007/02/20 00:40

#3です。


> 「居間」と「応接間」の違いを知りたいです。
> 日本の方はリビングルームでお客さんを招待しないのでしょうか。
【答】部屋の数が十分にある家では、家族用の「居間」と、来客と面会するための「応接間(客間)」は、はっきり分かれています。そのような家では、よほど親しい間でなければ、客を居間に招き入れることはありません。明治の中~上流家庭では、特にそうでした。
しかし、最近の日本の建築では、かなり大きな家でも、造りが開放的で、来客のための部屋を特に設けない場合が増えてきたようです。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。よくわかりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/02/20 00:37

#2です。

ご返事ありがとうございました。
1、>座敷でお茶を飲むでしょうか。
:まず、「座敷」というのは、客間・台所・寝室などのように機能的区別をしている名称ではありません。
http://gogen-allguide.com/sa/zashiki.html
本来(室町時代頃から)は畳を敷いた部屋という意味ですが、先生の家では、応接間兼客間を座敷と呼んでいたのだと思います。
居間は基本的には家族の部屋で、先生と私が座敷にいる間、奥さんなどが座っていたと考えれば良いでしょう。
(但し、詳しい間取りがわからないので、はっきりとしたことは言えません。)
よほど広い屋敷であれば下記URLのようにたくさんの部屋があるでしょうが、先生の家は特に広いというわけではなかった(普通だった)のでしょう。
http://www.asami-mitsuhiko.co.jp/modules/asamike …

2、「私」にはそのような意図が無かったことは後半の文から明らかですから、小説上での置き換えは無理でしょう。
:「私」には、『前回は不得要領の問答を放置したまま帰ったが、今日こそはっきりした理由を先生に聞いて納得したい』という意図がありませんでした。
ところが、「しかも」を「そして」に変えて、
「そしてそれから四日と経(た)たないうちにまた先生を訪問した。」
という文にすると、
そういう意図があった事になってしまいます。
ですから、小説の上では「しかも」を「そして」に変えることはできませんが(意味が違ってくるので)、
単独の文としては不自然な表現というわけではありません。
・・・、という意味です。

3、「若い人は元気だし、エネルギーが溢れているから、何か淋しさを感じると、返ってくる反応を期待して他者に働きかけようとする。
積極的に友達を作ったり、自分の意見を遠慮なく言ったりして、自分の淋しさからの突破口を探そうとするのでしょう。」
:ここでの「淋しさ」は、人生における悩みや、自分というものの存在に対する懐疑、といったような意味です。
若いときは、「生きることの意味」などといったようなことを考えがちですが、答えがすぐに見つかるわけでもなく、漠然とした不安を感じることもしばしばあるでしょう。
その漠然とした不安が、淋しさを感じさせ、反動として人恋しい思いに捉われることはよくあることです。
「返ってくる反応を期待して」は「人の温もりを期待して」と解釈していただいても結構です。
先生は、「私」が先生に会いに来るのもそういう気持ちからではないか、と考えていたわけです。
そのようにして何らかの反応が返ってくることによって、一人だけで悩んでいた事柄に関して何かヒントを得て、解決策を探ろうとする気持ちも同時に存在しているはずです。
「突破口を探そうとする」はそういう意味です。

4、>中国人は「舞妓」の二番目の漢字で誤解しやすいおそれがあります
:「舞妓」は「芸妓」さんになる前の修行期間だけの呼び名です。
最終的にはお客さんをもてなすのが仕事である場合が殆んどです。
現実的には、「誤解」とばかりは言えない「もてなし」が含まれる確率も他の職業よりは高いでしょう。

◆春節とは旧正月のことで毎年日が変わるんですね。
来年は2月7日らしいです。
おいしいものをたくさん食べますか。
うらやましいです。(^^;)
爆竹も盛んなようですが、近くに行き過ぎて火傷をしないように気をつけてください。
 
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。「座敷」のことはよくわかりました。浅見光彦のファンですか^^。2は明らかに私の読解力の低下でした。すみませんでした。3は助かりました。すっきりいたしました。イギリスのチャールズ皇太子と「芸妓」の写真を写真集で見たことがあります。写真からみれば、伝統的な日本人の女性の優しさとしとやかさが感じられました。「舞妓」は「芸妓」になる前にいろいろ難しいことを修行するようですが、現実的には、「誤解」とばかりは言えない「もてなし」もあるんでしょうか。大変残念に思います。
 春節とは中国の新年です。日本なら毎年の1月1日ですね。来年は2月7日ですか。すごい! 中国人の私でもまだわかりません;;。御馳走は山ほどありますよ。お裾分けできれば……。特においしいと思ったのは「えびのむきみの炒め」です。えびが大きくて弾力があります。そんなえびを「ぷるんぷるん」と言うのでしょうか。この二三日は寝ては食べる、食べては寝る生活ばかりで、休み明けたらもう今年のえとになりそうです;;。爆竹は「天崩地裂」(天が崩れ落ち、地が裂ける)ほどの効果で興奮しました。でも、やはり花火が好きです。火傷をしないように気をつけます♪。

お礼日時:2007/02/20 00:06

1.「座敷で同座する」とはどんなことを指すのでしょうか。


【答】現代語なら「同席する」です。
「同じ部屋に座る」です。非常に少人数のときは使いません。

2.「そりゃまたなぜです」
【答】「そりゃまた」は慣用句です。「意外なことを言うじゃないですか」という感じです。

(3-1)「底まで押さず」とはどんな感情でしょうか。
【答】あまり見かけない表現ですが「分からないところを納得するまで徹底的に問いただすことをしないで」という意味でしょう。

(3-2)「しかも」を「そして」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。
【答】微妙に違います。この場合の「しかも」は「しかし」に近いものです。「あまり知ろうとせずに帰宅した<が>、また知りたくなったので再訪問した」ということでしょう。

(4) 「座敷へ出る」はどういう意味でしょうか。
【答】ここでは、居間から応接間へ「出る」ことです。

(5) 先生のこの話はどういう意味でしょうか。
【答】「君はまだ若いから元気があるね(いろいろ行動してみることはいいことだよ。たまには人と衝突してもいいよ)」と、若さを賞賛しています(自分の老いと見比べています)。

この回答への補足

>ここでは、居間から応接間へ「出る」ことです。

「居間」と「応接間」の違いを簡単に説明していただけないでしょうか。

補足日時:2007/02/19 14:16
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この回答へのお礼

 いつもお世話になります。ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。「そりゃまた」は慣用句なのですね。「居間」と「応接間」の違いを知りたいです。日本の方はリビングルームでお客さんを招待しないのでしょうか。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/19 14:25

1.「主人公が、先生の家の客間で同席し、(先生の面前で)挨拶したり世間話なり歓談し


た」の意。「座敷」ですから、畳敷きの部屋、当然、お互い(座布団をあてるなどして)座って
話す光景。居間(当時は「茶の間」と呼ぶこと多し)でもない書斎でもない、主として来客が
あったときに使う畳敷きの部屋を単に「座敷」と呼ぶ習慣があった。
2.「(主人公が訪問するのを“喜んでいる”と言っているにかかわらず)“何故度々来るの
かと聞いた”のだ、との(先生の)説明」。前の「私は淋しい人間です」を指すのではない。
3.
(1)ここは、「何となく聞きそびれた」「ことさら押して尋ねようとはしなかった」程度の軽い感
情でしょう。「(先生は)不思議な物言い(先の説明)をなさるなぁ」といったところでしょうか。
(2)「四日と経たないうち」をやや強調する意味があるのではないでしょうか。単に「そして」
で話を続けるよりも、次の「又来ましたね」「ええ来ました」とのやりとりに続くのにもシックリ
するんじゃないでしょうか。
先日のやりとり(「何故度々来るのか」「そりゃ又何故です」)があったにもかかわらず、とい
うような強い反語のニュアンスはなさそうですね。なぜなら、主人公も、先生に迷惑がられ
ているという様子が見えなかったんですから。
4.「書斎なり居間なりに居てた先生が客間に来た」。
先述と重なりますが、昔の一軒家は、独居であったとしても、茶の間(居間。日常の食事も
ここでする)書斎とは別に来訪客を迎える客間が用意されていることが多い。全ての部屋
が畳敷きであったことがほとんどですが、その客間用の畳敷きの部屋を単に「座敷」と呼ぶ
習慣もあった。
5.「私は年配で境遇も落ち着いており、社会のいろいろなことに挑戦したり新たな経験をし
て境遇を切り開かなければならない立場ではない」(そのように動き回って以後の人生の
安定した境遇を得ようとする必要性がない)。
以上のようなことで、いかがでしょうか。的外れなことを書いたところがあるかもしれません。
手元の蔵書を参照しながら記憶半分で書きました。

この回答への補足

「座敷」と「居間(当時は「茶の間」と呼ぶこと多し)」の違いを簡単に説明していただけないでしょうか。

補足日時:2007/02/19 14:12
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。和室がよくわからないので、読む時に困っていました。いろいろ紹介していただき助かりました。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/19 12:54

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