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江戸時代以前も植物性の油はあったと思いますが、天麩羅・お揚げの様な揚げ物ではなく野菜炒めのような油を使った炒め物料理は作られていなかったのでしょうか?

A 回答 (4件)

歴史好きの板前の私に答えろと言っているようなご質問(*^^)v


 
 まず日本には炒め物にするような野菜が有りませんでした。
白菜ですら明治初期
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%8F%9C
キャベツは観賞用としては有ったものの食用は やはり明治以降
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3% …
もやしは一部では食べられていたかもしれませんがやはり明治時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%84% …
たまねぎも明治時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%9E% …

筑前炊きや金平牛蒡の様な料理には炒める手法も使われていたかもしれませんが 油は庶民にとっては余りなじみの無いもの精進料理は財の有るお寺の贅沢料理それ故にお寺参りとか何年かに1度の大娯楽の際に食べられる大御馳走で山門の料理屋は大人気だったのではないでしょうか?
行灯油でさえ貴重なのに揚げ物などもってのほかでしょう?(T_T)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E7%81%AF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%9C%E7%A8%AE% …

てんぷらも文化・文政期(1804年~1829年)化政文化の頃には庶民も食べた様なので この頃は油も少しは安くなったのかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E9%BA%BB% …
http://www.okamura-seiyu.co.jp/contents/cotton_o …
握り寿司等の屋台が一般的に成るのもこの頃です(ただし江戸大坂などの大都市や大きな神社仏閣の有る寺町に限った話で農村部の貧困は明治維新そして終戦後の財閥解体まで続きます)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8% …

ただし1782年に刊行された豆腐百珍には油揚げは紹介するまでも無いものとして省かれているので それ以前に厚揚げや薄揚げは市民権を得ていたようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90% …
http://www.kamo-tofu.com/touhu-age-arekore/age-h …

以上のような理由から伝統的な日本料理には炒め物は無くフライパンのような調理器具も有りません すき焼きやくわ焼きはその名の通り農機具の鋤や鍬を使った非常時用の調理方法です。

会席料理の板前の世界では賄いを作るときなどフライパンを振るのが美味いと高級料亭などで修行した方々は「あいつは良い所で修行してないな!」と馬鹿にしたりさえします(-_-;)

駄文にての長文失礼いたしました。
最後にもう一つだけ・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%8F%9C% …
あれ??これだけで十分だった???
まっ!いいかぁ~~~~!(^_-)-☆
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この回答へのお礼

とても丁寧なご回答ありがとうございます。

白菜すら明治というのは驚きでした。
キャベツは甘藍とも呼びますし古くからあったのかと思ってました。
日本人が日本的と思っているものは実は明治以後の新しいものの事が多いのですね。

精進料理は大御馳走だったのですね。
豆腐料理だけで百品はすごいですね。昔も研究熱心な料理人がたくさんいたのでしょうね。

会席料理の板前さんの世界ではフライパンを振るのが上手すぎるのも良くないんですね。面白いエピソードありがとうございます。

お礼日時:2007/03/09 03:30

あれ?豆腐百珍貼るの忘れてた!!


http://www.tofu-ya.com/t-hyakuchin/h-subete.htm
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この回答へのお礼

補足ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/09 03:31

天ぷらや油揚げや薩摩揚げなどはありましたが、天ぷら鍋などの器具は一般家庭にはないので、おそらく外で買う(或いは外で食べる)料理だったのだと思います。


日本の家屋は木造構造で障子・襖など紙製品も多く、油料理には適していません。明治時代になっても中国(当時は清)の留学生が自炊で中華鍋を使って油炒めをするので、大家さんが部屋が汚れるので非常に困るといった描写をみたことがあります。
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この回答へのお礼

さつま揚げ美味しいですね。薩摩ではつけ揚げっていうらしいですね。
確かに木と紙の文化では油料理は適さないでしょうね。
中国留学生のそんあ逸話があるのですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/08 10:39

 下のURLの精進料理のところを読んでいましたら、


 「江戸時代に入る黄檗宗(オウバクシュウ)が伝来し、普茶料理というものが伝わり、それには雲片と呼ばれる野菜の炒め煮もあった。炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めた。」。
・・・とありますので、ごく一部では炒め物料理は作られていたと思います。
 しかし、私どもが今食している、強力な火力で大量の野菜をジャーッと炒める野菜炒めとは程遠いものであったろうと想像します。
 一般の家庭ではどうであったかと想像しますと、私の個人的な経験では、明治時代に料理を習い、明治時代に嫁した家庭婦人は野菜炒めはやらなかったような記憶があります。
 嫁入り道具に、フライパンや中華鍋はなかったんじゃないでしょうか。あるいは都会のハイカラな家庭ではあったのかも知れませんが。
 鉄の和鍋で野菜炒めはできるとは思いますが、以上のことから想像しますと、江戸時代には一般家庭では野菜炒めのような炒め物は作られなかったと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2% …
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この回答へのお礼

明治時代に料理を習った人でもあまり野菜炒めは作っていないのですね。考えてみたらフライパンが一般に普及してのはそう昔のことではないのかもしれませんね。

筑前煮とかも煮る前に油で炒めたと思いますが、ああいう料理もなかったのでしょうか。
現代人が日本的・和風と考えるものは実は江戸以前には無かったり・一般的ではなかった事がかなり多いのかもしれません。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/07 15:07

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