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私は趣味で詩作を些か嗜んでいるのですが、ほとんど独学でやっているせいか、詩というものが分かりません。(別に詩的な表現ではないです。)
今まで学校で教わったりしたのでは、詩は定型が基本であるとか、韻を踏むとか、小学校では句読点が無い読み物?だとか教わりました。
しかし、一見すると普通の小説のような詩もあるし、もちろん句読点がついているのも沢山あります。
いったい詩の定義って何なのでしょうか?できたら詩と詞、そして詩と小説との違いについても説明してもらえたら幸いです。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

最初にお断りしておきます。


自分の愉しみのためだけに読んだり書いたりしてきている者です。
私も質問者さんと同じ、系統だった勉強はしたことがありません。
そして、まさにご質問にあるような疑問を、折につけ抱いてきました。
自分に対する現時点での回答のつもりで、この難問に挑戦してみます。
何事か述べることができればいいのですが。


詩とは何か。
それは詩人の数だけの定義がある、とみていいのではないでしょうか。
西脇順三郎はそこのところを、主要詩論『PROFANUS』劈頭において、こう表現しました。

>詩を論ずるは神様を論ずるに等しく危険である。詩論はみんなドグマである。

この場合の「ドグマ」は「独断的主張」というくらいの意味でしょう。
こう宣言したからには、いかなる持論もドグマであることをみずから保証したようなものです。
だからこの詩論の最後は、こう締めくくられます。

>詩を論ずるは危険である。もう断崖から落ちてしまった。

詩は定義づけられた途端、そこからはみ出しているもののようです。
あるいは、手の中に包みこんだ途端、こぼれだしてしまう水。
確かに実在するが、直視からそれるもの。
それとはっきりわかっているが、名指しできないもの。
どうもそのようなものなのです。これについてすでに夥しい数の、
「詩」を名指そうとする、あるいは名指さないことによって名指そうとする詩論や「詩」じたいが書かれてきました。
つまり、詩とは何かという詩、詩についての詩、自己言及の詩です。

何だか堂々巡りをしているだけのようですが、なに、これは詩に限ったことではありません。
絵画も彫刻も、音楽だって同じことです。常に定義しなおされながら、いつも決定打を欠いています。
鵺(ぬえ)のような形式である小説にいたっては、その典型と言うべきではないでしょうか。

以上。

しかしこれでは、詩について直接、何も言っていません。
言い出したからには私も断崖から転げ落ちるべきでしょう。転げ落ちましょう。

詩とは言葉によって構成された何事かである。
しばしば韻律もしくは音数律を伴うリズムと抑揚を持ち、
それやこれやで、聞く者あるいは読む者に、何らかの感興をもたらすものである。

あれ? 転げ落ちないぞ。……
そうか!
詩人でない者がいくら詩を論じても、初めから断崖を転げ落ちる気づかいも資格もないのでしょう。

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詩と詞の相違については次のように言えるかと思います。
詩は言葉のみによって自立するもの。
詞は音楽とあい補いあうもの。音楽と相乗するもの。

音楽から切りはなして詞だけを読むと、詩と比較して、しばしば言葉の結びつきが緊密でありません。
イメージも陳腐だったり単純だったり伸びてゆかなかったりします。
けれどもこれを音楽にして歌うと、それで十分だったり、語調や情感の上でもぴったりだったりします。
歌曲の王シューベルトの名曲が、必ずしも一流と言われる詩人の一級品と目される詩に曲をつけたものでないのは、このあたりの事情をよく示しているのではないでしょうか。
音楽と共存する詩もあれば、できない詩もある。
音楽家も作詞家も、すぐれた人は詩と詞の役割の違いを肌で感じ取っているのかもしれません。

長くなりました。最後に小説と詩の違い。
この双方に造詣の深かった文芸評論家の篠田一士が、どこかで次のような趣旨のことを書いてました。

詩も小説も地上から出発して空へ高く飛翔する。
そして詩がそのまま雲を越え、空を貫き、行き行きて還らぬのにひきかえ、
小説はいつかふたたび地上へ舞い降りてくる必要がある。
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この回答へのお礼

丁寧な御回答ありがとうございました。
よく詩は自由だとかいいますが、それには色々と深い意味合いがあるのですね。やはり、文学に科学や数学のような絶対的な定義を求めるのは邪道かもしれませんね。
詩と詞・小説との違いについてもとても分かりやすかったです。

お礼日時:2007/05/12 12:35

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