アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ウィキペディアによると、
「日本軍は池田末男中佐(戦死)率いる第11戦車連隊(通称『士魂部隊』)を投入して戦線を膠着させたうえ、ソ連軍をさんざんに蹂躙。ソ連軍は内陸に進むことができなかった」
つまり、この戦闘により日本は北海道を守ることができた。もし、この戦闘がなければ日本はソ連に北海道を占領され、北海道は今でも北日本人民共和国として日本から分離していたかもしれないのだ。
どうしてマスコミそして世論は池田末男中佐が率いた士魂部隊の英雄的活躍を取り上げないのだろうか? どうしてこれだけたくさんある戦争映画にこの史実がテーマになっていないのだろうか?

A 回答 (6件)

歴史に、たら・ればはありませんが、


私が予想するに、
スターリンが北海道北部の割譲を要求していたことを考えると、
終戦が遅れれば
北海道にアイヌ人でも擁立してソ連の傀儡国家を樹立していたかもしれませんな。
北朝鮮やモンゴルのように。

東京がベルリンのように米英ソで分割されたかもしれません。

広島・長崎の皆さんの犠牲のおかげで
終戦が早まって
本土決戦にならずソ連の侵攻が北海道や本土に及ばなかったのは
幸いでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

わたしと同じ考えの人に出会えて嬉しいです。
しかしまあ、広島・長崎の犠牲者のかたがたには本当に申し訳ないですが、それらの人の尊い犠牲の上に現在の幸せな日本があります。
犠牲者のかたがた、本当にありがとうございます。
そしてマッカーサーさん、あなたは偉大だ。日本のともだちだ!

お礼日時:2007/05/12 16:53

幕末、官軍と戦った幕臣の評価が再確認されたのは最近です。


剣術集団の新撰組副長土方歳三は函館では近代軍隊を形成してかなりの武勇を残している。
長岡藩も近代装備して新政府軍に対して一時交代させている。
新政府軍も鼻を巻くほどの抵抗を幕府側にされています。

第二次大戦て善戦した将官が評価されるには戦後から100年は必要でしょう。
これからだと思います。
あと、硫黄島ですが、これは三国志に対する魏の蜀に対する評価と、魏と呉に対する評価と同じでしょう。
蜀の猛攻を耐えた魏ですが、同じく魏の猛攻を呉は何度も防いでいます。
今は対アメリカ戦くらいが関の山でしょう。
しばらくすれば対ソも話が出てくると思います。

北日本人民共和国ですが、大義名分が無いので難しいでしょう。
分割統治はあくまで天皇を排除が前提です。
天皇健在である以上は統治は無理でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

今日は慎太郎さんの映画を見に行く予定ですが、慎太郎さんは占守島の防衛戦の映画を作ってくれないかなあと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 03:33

ウィキペディアって、あくまでも個人で入力しているものですから、正確な内容とは言いかねる部分があります。



ですから、あなたが質問している内容のようになったのかは、疑問が残るのです。
実際に、太平洋戦争開戦直後に、連合国側のアメリカとソ連とイギリス、中国(中華民国)が
日本を分割統治するという計画について話し合いがあったという事を、アメリカの公文書から発見されたということがありました。

しかし、太平洋戦争後の米ソの直接対立をさけ、ソ連の南進を警戒して
日本全土をアメリカ(GHQ)が一括して統治するように変わったのです。

ですから、仮にその戦闘が発生しなくても、ソ連はそれ以上に南進することを止めたと考えるのが普通でしょう。

それ以上に、アメリカが原爆を所有したことについての驚異を、ソ連政府は持っていたのかもしれないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 03:30

敗戦国の将と部隊だからです。


日本のマスコミや世論の多くは例え何があろうとも、過去の戦争を全て日本が悪かったしたかったと考えたいので、英雄などの存在を認めてはならないのです。
海外諸国の目を気にしてならまだわかるものの、自国民がこれでは悲しい限りですよね。
池田中佐もそうですし、日本の全ての将兵すべてが日本の存続のために戦っていたのです。

1900年以降の戦争映画で、部分的には別として日本をよく描いた映画はほとんどないですよ・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。
しかしこれから日本も変っていくでしょう。
今日は石原慎太郎の作った特攻の映画を見に行きます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 03:28

 靖国神社参拝に反対する人がどれだけいるか考えてみてください。

非常に恩知らずで情けない話ですが、日本では軍人を英雄視することはある種のタブーなのです。
 硫黄島の話が有名になったのもアメリカ人であるイーストウッドが映画化したからです。日本人ではタブーに触れるのを恐れてなかなか映画化できなかったでしょう。
 また、タブーとして今まで隠してきてしまったので、日本人の多くが先の戦争の真実を知らないというのも理由の一つでしょう。
 私は沖縄返還の年に生まれましたが、青年時代に戦争について入ってくる情報は「南京大虐殺」だの「従軍慰安婦」だの(真偽のほどは別として)悪い話ばかりでした。
 そんな中で日本を守るために命をかけて戦った軍人たちの話など知る由もありません。
 ただ最近ではそうしたタブーも薄れてきましたので、先人への感謝の気持ちを思い出すためにも、どんどん映画や小説にしていろんな人に戦争の真実を知らせるべきだとは思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。
わたしはブラジルに17年暮らしたのですが、ブラジルの歴史教科書には隣国パラグアイとの戦争に勝利したときの出来事、リアシュエーロの戦いとかトゥイウチーの戦いとか数ページにわたって詳しく書かれているのです。そして第二次大戦にブラジルはイタリア戦線にほんの少しの兵隊を送ったのですが、その生き残りが独立記念日のパレードに胸を張って行進するのです。そういう国から帰国するとやっぱり日本はなにか変な国です。ねじれていると思います。
あなたに100%同意します。

お礼日時:2007/05/11 12:40

ウィキペディアに書かれていることが史実かどうかは何とも言えませんが、当時の状況から考えれば、日本が分断される可能性があったことは否定できないと思います。



当時の帝国主義での世界状況を無視して戦争は悲惨だということのみに焦点を当てた、戦後の自虐史観が判断を誤らせる元になっているような気がしあます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。ご回答ありがとうございました。

それからちょっとわかりにくい質問でしたが、戦闘が行われた場所は千島列島の最北端の占守島です。

お礼日時:2007/05/11 12:46

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!