あえて「哲学」カテゴリで質問します。
すべての生物が持っていると思われている生命維持や種保存の本能のことです。
霊魂という言葉を否定する科学者も、本能という言葉は、わりと平気で使います。
生物談義では、「それは本能だから」の一言で片付けられてしまうことも多い
ように思います。
本能だってワケのわからなさにおいては、霊魂などと大差ないのではないでしょうか?
本能って何なのでしょうか? 実在なのでしょうか? 概念なのでしょうか?
皆さんはどう思われますか?

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A 回答 (20件中1~10件)

なるほど・・・本能という言葉はまるであるがごとく使用されますね。


岸田(ものぐさ精神分析等著者)によれば「人は本能の壊れた動物である」ということを出発点としています。
生物学者L.ボルグも似たようなことを述べています。
ご自分でお調べになってはいかがか?
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本能ってなんだろうと?ちがうカテゴリ-で、お題あげていまいろんな人の意見きかしてもらってます。

一つ見えてきたのは、「概念」ではなくどちらかと言えば「実在」とまではいかなくても「いる」みたいです。それと、人間の本能と動物(人間以外)の本能とでは、本能であっても別ものってあたりまで少しみえてきました。mori0309さんがよくおっしゃってる人間の本能は、どうも「ドロドロしたもの」という説はあたりみたいです。引き続き、わけのわかんない本能やら理性やらもうちょっと探ってきます。ふくろうさんのお話のところで、人間は曖昧で不完全なものと言うあたりのことも聞かせてもらいましたから、探しても答えが見つからないかもしれませんが、反対に無限の可能性も秘めていそうなので探していくとみつかる(たどり着ける?)かもしれないという希望も持てました。謎を追え!いってきま――す~♪
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この回答へのお礼

littlekissさん、ありがとうございます。
この部屋に来ていただくの、ちょうど1カ月ぶりですね。
さみしかったです。ミイラになりそうだったです。
でも待っていると絶対にいいことがあるものなのですね。
またまたセンチなmori0309です。後日またお礼します。

お礼日時:2001/03/10 01:37

本能とつながっているのかちょこっと聞いてみたいことがあります。

生命が誕生した時点ですでに本能はそなわっているのか?生れたばかりの子が母親のオッパイにしゃぶりつくこの動作だけをみて本能と呼ぶのでしょうか?生命が誕生してその生命自体に生きようとする力が働くのでしょうか?何か栄養となるものを与えることだけでその生命は生きているor生かされているのでしょうか?『生きる』を考えたとき人はなぜ生きるのか?反対に『死』を考えたときひとはなぜ死ぬのか?防衛本能とかいう言葉もときとして耳にすることあります。身を守ろうとする力がどこからか湧いてくるんですよね。と、考えると本能というものには意思があるのかなとおもいたくなります。意思があるのなら生きていることor生かされていることに対しても選択できるのではないでしょうか?本能に意思があると考えれば、生きることも死ぬことも同じく選択できる。mori0309さんは、本能に意思があるとおもわれますか?]

この回答への補足

逆質問されてしまいましたね。(^o^) 私の考察はかなり主観的ですので、ご了承を。
> 身を守ろうとする力がどこからか湧いてくるんですよね。と、考えると本能というもの
> には意思があるのかなとおもいたくなります。
> mori0309さんは、本能に意思があるとおもわれますか?
goo便利ツール「国語辞典」大辞林第二版からの検索結果によると
【意思】
(1)心の中に思い浮かべる、何かをしようという考え。思い。「撤回する―はない」
【意志】
(1)考え。意向。「―を固める」
(2)物事をなすにあたっての積極的なこころざし。「―の強い人」「―の力でやりとげる」
(3)〔哲・倫〕〔will〕ある目的を実現するために自発的で意識的な行動を生起させる
   内的意欲。道徳的価値評価の原因ともなる。
(4)〔心〕 生活体が示す目的的行動を生起させ、それを統制する心的過程。
   反射的・本能的な行動とは区別される。
(両語とも説明を一部省略)
言葉の意味からすると意思も意志も、本能とは別のもののようですね。
「本能」は「思う」ことでもなく「決意する」ことでもない、もっと原始的で頭脳の機能
より根深い、生命維持のためのしくみかな? と思います。でも、やっぱり「本能」って
しくみのことではなく、もっとドロドロした生臭い、「生」の「核」のような気がするん
です。(なんにでもすぐ「 」をつけてしまうのが、すっかりクセになってしまいました。
これって、本当はよくないんでしょうね)

補足日時:2001/02/10 22:49
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 下のHP見つけました。

関連リンクともども、面白いです。

参考URL:http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/

この回答への補足

改名したんですかぁ、、、戒名じゃないですよね(すみません縁起でもない)
またこのOK宮殿にもどってきてくださぁ~い。バタイユの話も聞きたいです。
■創造論者たちも聖書に書いてあることを言葉どおりに鵜呑みにして信じてしまうから
オカシナことになってしまうんですよね。物語や詩の背後にある「真理」を考えないから
思考停止してしまうのだと思います。(私って「背後の真理」ばっかりですね)
聖書は教祖たちが宗教的に無知な民を啓蒙するためにデッチあげた作り話にすぎないとは
私は思いません。そういう部分も少なからずあるかもしれませんけど、コキオロされても
ヘコたれない聖なる真理が、聖書の背後にはあると思います。歴史的にも内容的にも
優れた文学であると思います。(私はクリスチャンではないです。クリスチャンの方は
「聖書は文学だ」などとは言わないですよね)
■科学が次々に究明する事実に対しても、やはり「はい、お疲れ様でした」と言って寝床
に入って安眠しちゃいけないと思うんです。人間はその事実に向き合ってその背後の「真理」
を問い「自分とは何か」「これからどう生きるか」をつねに考え続けなければならない。
思考停止の永久安眠は人間には得られない。それが「自由」に「生きている」ことの証だと
思いますから。詩の背後の「真理」と事実の背後の「真理」その関係は? それは既に在る
ものなのか? 歴史が創造するものなのか? 「史書の最終ページ」「物理学の最終ページ」
それを人類は(あるいはさらなる進化的存在が)読むことはできるのでしょうか?
■本能って何でしょう。「うまい言葉」でピタリと言い表したいですね。

補足日時:2001/02/18 17:16
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この回答へのお礼

ozapanさん、ありがとうございます。
仕事の合間に一生懸命読んでいます。本当に面白いですね。

お礼日時:2001/02/09 01:57

oni_ocさん誤解しないで下さい。

↓下の同列に存在しているのではないのでしょうか?という私の発言は、mori0309さんの霊魂と大差ないのではないでしょうか?という問いにたいして、直感てきに書いたものです。
ちょっと、時間がなかったのであれを書いたときはみなさんの個々の発言には目をとおしていなくて書き終えてからじっくり皆さんが発言されているのを何度も繰返し読んでいます。
本能・霊魂そのとらえかたによって存在があるようにかんじたり、存在がないもののに思えたり、まじかに近づきすぎると物がよくみえているようで、近づきすぎていることでそのもの自体の全体像が実は見えていない。自分の位置をどこに置けばその全体像がみえてくるのかな?タケコプタ―でも頭につけて高いお空の上からものをみれたらいろんなものが、あるのに気づくんだろうね。
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あの~litlekissさん。

以下の文章は僕の文章を受けて
書かれているのでしょうか?

>というか、同列に存在しているのではないでしょうか?

でしたら、僕は存在とかなんとかなんて話は一言もしてないことを
お断りしておきます。
僕はあくまでも、

>本能だってワケのわからなさにおいては、霊魂などと大差ないのではないでしょうか?
という、mori0309さんの文章に対して言っているのです。
つまり、「本能は霊魂ほど不確かなものではありませんよ」
と言っているだけです。
つまり、「証拠の量が違いますよ」って話をしているだけで、
「霊魂は証拠がないから存在してない」とかなんとかってことを
言ってるのではありませんよ。
証拠のないものの実在が後に証明されることはいくらでもあることですから。
誤解なきように。
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 アリストテレスに『霊魂論 de anima』という著作があります。

生命論です。そこで彼が整理した「霊魂」は全部で三段階。
 (1)栄養摂取的霊魂 …もっとも基本的な生命の機能。栄養を摂取し、成長し、子孫を産むはたらき。
 (2)感覚・運動的霊魂 …(1)に加えて、感覚能力をもち、快・不快を感じて、そっちに行ったり逃げたりする。で、運動能力を持つことに。
 (3)思惟的霊魂 …もっとも高次な生命の機能。考えられる、つまり、人間だけ。

 こうして見ますと、アリストテレスは、現代人が「本能」と考えているものに近いものを「霊魂」と呼んでいるのがわかります(特に(1)と(2))。そういう意味では、「本能」=「霊魂」っての、アリストテレス的にはおっけー。
 でも…でも…おわかりですよね? この場合、むしろアリストテレスの言う「霊魂」の意味のほうが、現代人のイメージでの「霊魂」とちがっている。彼の言う「霊魂」は、実に全然おばけっぽくないです。
 とはいえ、やっぱり「本能」に「わけのわからなさ」があるのは確かなことだと思います。それをアリストテレスは「霊魂」と呼んだ(鬼太郎の髪を立たせるような存在ではないにしても)。…mori0309さんの直観、いいところ突くなあ。

 こういうネタがあります。ブルーバックス(こればっかやね>わし)『へんな虫はすごい虫』より、「カギハナバチの一生」。
(1)ヤナギやネムの葉裏側から、葉肉内に二千四百個もの卵を産む。
(2)卵はシャクトリムシに葉ごと食われる。(噛まれたり消化液を浴びたりすることで、初めて孵化が可能になる)
(3)そのシャクトリムシがスズメバチにつかまり、肉団子にされる。
(4)肉団子がスズメバチの巣に持ち帰られ、幼虫のエサになる。
(5)幼虫の体内で、カギハナバチの幼虫は孵化し、スズメバチ幼虫を食いながら成長する。
(6)二回脱皮した三齢幼虫は、なぜか巨大なアゴを持っており、それで兄弟同士(カギハナバチの幼虫同士)で「バトルロワイヤル」する。
(7)壮絶な兄弟喧嘩に勝ち残った一匹だけがサナギになる。で、羽化するが…
(8)成虫がどうやってスズメバチの巣を脱出するのか、今もって謎…
…という、うぎょうぎょでげしょげしょな生活史を持つ虫なのです。上記の(2)から(6)までのステップはどれも「必要」で、その段階を踏まないと成虫にはなれない。なんだかもう、成虫になるだけで波乱万丈の一大冒険スペクタクルだったりします。
 強い子孫を残すために、交尾に際して高いハードルがある種はよくありますが、ここまでくるとねぇ…単に「運のいい子孫」でしかないような気がします。いやもう、わけわからんです。
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この回答へのお礼

ozapanさん、回答ありがとうございます。
oni_ocさんへのお礼にも書いたのですが、「霊魂」ではなく「魂」という言葉を使えば
よかったです。
> やっぱり「本能」に「わけのわからなさ」があるのは確かなことだと思います。
「本能」っていうものは、モノでもしくみでもない、何かブキミなもの、という語感を
昔からもっているんです。注意していないとのりうつられるような、、、、
イケナイ、イケナイ、こういう人を惑わすような発言はダメですよね。(惑わされてるのは
私だけかぁ)
> 単に「運のいい子孫」でしかないような気がします。いやもう、わけわからんです。
「本能」同士が大混戦・大混線・大根戦をしているのですね。わけわからんワケです。
(ozapanさんの文章のノリがうつってきました。のりうつられたぁ~)
(再回答のお願いではないです。自分自身への問い(独り言)です)
(あんまりいくつもの部屋を開けっぱなしにすると、怒られそうなので)

お礼日時:2001/01/27 17:34

トンチンカンモ-ドのlittlekissです。


またトンチンカン言い出しましたら、ご助言よろしく―☆

『本能って何?その正体は?』
本能は『意思』だとおもいます。その正体は?『良心』ここからが、ややこしくなるの・・・・良心ってなに?『意思』その正体は?『本能』で、本能ってなに?『良心』その正体は?『意思』・・・・・・果てしなく・・・・堂堂巡りになるよ~?

霊魂とは、自分の中のもう一人他者とすれば、意思をもつと考えているので、本能と霊魂は大差ないようなきがします。というか、同列に存在しているのではないでしょうか?

なぜなぜ???モ-ドにはいると出口が見えないのは私だけでしょうか?
『なぜ?』を推し進めていくと、なんでもない日常の暮らしの中でもいっぱい『なぜ?』がみつかりますね。その『なぜ?』に出くわすのが楽しみの一つです。
考えることをはじめられるから・・・
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この回答へのお礼

littlekissさん、回答ありがとうございます。お礼が遅れて失礼しました。
oni_ocさんへもお礼にも書いたのですが、「霊魂」ではなく「魂」と表現すればよかった
のでした。「本能」も「魂」も、しくみを説明することはできても、どうしてそれが生ま
れたの? なぜひとりでに発達するの? という問いには、そう簡単には答えられない
だろうと思うのです。だから、littlekissさんの「本能も意思も良心も、根は同じかもしれ
ない・同列かもしれない」という考察は、うなずきたくなるものがあります。
(再回答のお願いではないです。自分自身への問い(独り言)です)

お礼日時:2001/01/27 17:40

うう~ん、霊魂と本能を同列に語るのはど~かな~。


oni_ocです。

最近「エンドルフィン<脳が作るアヘン>」
(C.F.レヴィンソール著 地人書館)って本を読んでるとこなので、
それで仕入れた情報をもとに考えてみましょう。
エンドルフィンってのは脳内麻薬って言われるやつで、
生物(爬虫類以上に進化した脳を持つものに限る)が快楽を感じたり、
痛みを感じたりすると脳から分泌されるもので、
単純に言うと気持ちよくなっちゃったり、痛みが麻痺したりするんですね。

んで、その本によると、これは一種の逃避行動であるわけなんですが、
でも、外敵に襲われた時に傷を追って逃げるときになんかにも
分泌されるわけなんです。で、痛みを一時忘れられるということによって、
その外敵から逃げられたりとかするわけなんですが。
まー言ってみれば、「外敵が来た→逃げよう」って行為はごくごく
当たり前な本能的活動なわけですが、科学者はきっちりと検証をしている
わけです。脳内麻薬の分泌量とかまで。

なので、
>霊魂という言葉を否定する科学者も、本能という言葉は、わりと平気で使います。
>生物談義では、「それは本能だから」の一言で片付けられてしまうことも多い
といいますが、それはその人の問題であって、
科学者とごっちゃにしちゃまずいです(笑)

んで、それらを踏まえて僕の私見。
本能はまだ未知数の分野(だって脳のしくみとかまだまだ解明されてないし)
でも、体の各部署と脳がそれを覚えていて行う連係プレー。
少しは存在の証明と仕組みの解明がされてます。
なので、概念でもありますが、実在もしてます。
で、これは生物学、医学、心理学の分野。
そんで、霊魂ってのはあることが今のところ物証0のもの。
これこそ概念。実在は不明。
今のところ瞑想で確証を得るとかが精一杯。
なので、
>本能だってワケのわからなさにおいては、霊魂などと大差ないのではないでしょうか?
それはないです。本能のが実在の証拠は多いです。
少ないですけどね。
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この回答へのお礼

oni_ocさん、回答ありがとうございます。お礼が遅れてすみませんでした。
> 本能はまだ未知数の分野、、、でも、体の各部署と脳がそれを覚えていて行う連係プレー。
> 少しは存在の証明と仕組みの解明がされてます。霊魂ってのはあることが今のところ物証0の
> もの。これこそ概念。実在は不明。今のところ瞑想で確証を得るとかが精一杯。
質問文で「霊魂」という言葉を使ってしまって、失敗でした。単に「魂」と言えばよかった
です。私は肉体がなくても存在する「霊魂」を無条件に信じている者では、ありません。
「魂」なら日常的にも使われる言葉です。うちの会社には「お前の仕事には魂が入っとらんぞ」
というのが口癖の人がいます。「本能」は還元的にほぼ説明し尽くされようとしているわけです
ね。「魂」というものもいずれ還元的に説明される日が来るのでしょうか。その日が来たとして
も、「不思議」はなくならないと思います。どうしてそういう精巧なものが、ひとりでにできる
んだろう? 何か見えない力がどこかにあるのでは? と、どうしても考えてしまいます。
(再回答のお願いではないです。自分自身への問い(独り言)です)

お礼日時:2001/01/27 17:33

 いわずもがなですけどstomachman、本能の実在は全然疑ってません。

ヒトにもある。んで、霊魂はなさそうだと思ってますから、両者には大差あります。
 生きるための装置としての本能があって、またそれをコントロールできる。凄い事だと思います。で、stomachmanにとって分析は賛美の手段です。分析しちゃいましょう。
 動物を見ていると、本能と反射(条件反射じゃないですよ)との境目って結構微妙ではないかと思います。膝頭を叩いて足がぴょんとなるのって、反射ですけど、本能とは思わない。でも虫さんなんかの本能って、このレベルのものも結構ある。ショウジョウバエ(だったと思うが)の目の神経と羽の神経がほとんど直結していることが知られています。回路を完璧に解析しちゃったらしいんです。それによると、目は物を見ていない。物の動き、つまり動線の方向のパターンだけ認識してるらしい。自分が動き回ることによって動線が発生します。そのパターンに応じて羽を動かしているんだそうです。で、目の前に集中線が現れると、これまた自動的に脚を前に出して着地してしまう。そういう仕掛けで、丸めた新聞を持った高等動物を翻弄出来るんですね。
 でも、高等動物になるほど、本能って結構抽象的になっていく。動機だけ与え、方針だけ決めている。だからこそ多様な状況に柔軟に対応できる訳で、これは意識の発達と並行する必然的進化なのかもしれません。
 本能って、認識が著しくいい加減だと発動しませんし、発動しても実際行動出来ないとジレンマしてしまう。また中枢を壊すと機能しなくなる。高次機能(意識なり、自我なり)は、行動計画ないし行動の段階に介入できる。また(なにも心頭滅却しなくても)認識にも大きく介入してます。本能は入り口と出口でコントロールできる。どうもそういうシカケのようです。だからその機構は、環境(自分の身体の状態も含む)を感覚器からインプット->認識・抽象化->パターンマッチングで本能発動!->感情の発生、および認識した環境における行動プログラミング->行動。ってな感じに思います。

 コンラート・ローレンツの本でしたか:眼も鼻も利かない老犬がうっかり主人に吠えついちゃう。間違いに気が付いた犬は垣根に駆けていき、居もしない不審人物に向かって吠えて見せた。ってエピソードがあります。犬にも恥も嘘もあるんですね。で、恥も本能なの?って、こっちのレベルも何処までが環境、何処までが遺伝形質だかよく分かんないですが....
 
 蛇足ながら、条件反射ってのは行動主義的色眼鏡によるスカタンではないか(パブロフの犬はベルの音で胃液を出したのではなく、ごはん!と思ったから胃液を出した?)と思いますし、実在しても獲得形質で、遺伝はしない。どのみちこれは別ものですね。(ジレンマ、ジレンマ)

ozapan先生<
> バタイユ
哲学だったのか...エロ本じゃなくて。
(「電波」プロデュース。抑えきれない本能的ボケでした。)
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この回答へのお礼

stomachmanさん、いつもありがとうございます。
「本能」を入口と出口で制御するのも、やはり「本能」を土台としてできた「本能」なの
でしょうか? stomachmanさんは、「人間=機械」論者なのでしょうか?
「霊魂」を「魂」という言葉に置き換えて、肉体なしでは存在できないものとすれば、
「本能」と同じように「魂」も還元的説明が可能でしょうか? それとも、それでも「魂」
などないと、思われますか? 私はsokuratesuさんの、「人間(生物)とロボットの
違いは、「霊魂(魂)があるか無いかの違い」と将来定義されるのではないか」という
考えに妙に同感です。
(再回答のお願いではないです。自分自身への問い(独り言)です)
(あんまりいくつもの部屋を開けっぱなしにすると、怒られそうなので)

お礼日時:2001/01/27 17:38

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簡単でいいので意味を教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「宗教的実在の段階において初めて単独者として真の自己を回復するとした」
と言う事を説明したいと思います。

「真の自己」の反対語は「仮の自分、或いはみせかけの自己、或いはかりそめの自己、或いは自分じゃない自己」と言うことになるかも知れません。或いは自分と思っているのは「自分と勘違いしているかも知れない」と言う意味合いかもしれません。

是は脳の機能の関係からです。子供時代には『疑いはありません』自分が何者かは分っていたからです。そうして親とかおじいさんとかの関係もおぼろげながら分かっていました。心の奥底からの疑いはなかったという意味です。

心底、分ったつもりでした。処が思春期頃から『人生とは何だろうか?或いは自分は何処から来て、何処へ行くのだろうか』といった疑問が湧いてきます。

自分で謎をかけて、自分の罠にはまってしまう場合の事です。この事を『失楽園』と言うものと思います。この事が二元論の始まりとなって『謎の悪循環』に落ちてゆく事になります。出口がなさそうな『問い』に悩まされると言う意味になります。

意識が抱え込む疑問や、悩みとは、本当は『分っている自分自身が』問いかける問いかけと言えます。何故ならば、他人では答えられないからです。他人の答えを聞いたところで、何にもならないからです。

自分自身で問いかけて、自分自身で答えを出します。その事を『宗教的実在の段階において初めて単独者として真の自己を回復する』と言います。

その訳を言います。人間の自我意識は左脳に存在する意識の事です。言葉を持っている意識の事です。処が右脳にも意識が在ります。右脳の意識は『無意識の意識として、或いは命を働かせている意識として、或いは目の前の事実を事実として見ている者として、或いは仏性として、或いは神として、すなわち現実を全て肯定している者』と言えます。

全てが見えている者として、自我意識には明確には、その存在を実感できなくとも確かに存在しています。自我意識には『言葉ではない情報で』伝えて来ています。

例えば高い所に上がった時に自我意識に伝えています。或いはスピードを出し過ぎた時にもです、或いは恋人に会う時などにもです。その恋人を本当に好きなのか?或いは体裁だけなのかも自我意識に教えています。この人と結婚をしても良いのか?と言う時にもです。

自我意識の機能は『分別』で出来ていますので、論理で割り切れない事は、計算でき難くなっています。従って明日の事が分からないのに論理では答えは出ないようになっています。それは機能的に『入れていないソフト』に関連する問いを出す事に相当します。

明日の事が分からないのに結婚をして幸せになれる、と思わせるものが『自我意識に』言葉によらないもので、教えているからです。

脳はコンピュータと同じ機能があります。計算する能力です。この計算式は論理的に割り切れる事が条件となっています。つまり自我意識の機能とは割り切れる問題のみのソフトが入っている事になります。そうして割り切れる問題には有限と言う名が付いています。従って自我意識には矛盾する問題や、永遠に関する問題は機能的には『ソフト』が入っていない、という事になります。

此処からが人間としての苦しみが付きまとうと言う事です。人生には矛盾が付きまとっているからです。自我意識には有限と言うソフトしかないと言いました。つまり『永遠』を理解するソフトが自我意識にはないという意味になります。

有限の命、永遠が欲しいと言う願望。この二つの意識の落差が人間の苦しみとなっています。この事を『心の矛盾』とも言います。右脳は『永遠や、宗教』で出来ているからです。有限の命も自分の事実ですが、永遠や、宗教も自分の右脳の中に『無意識の意識として、或いは仏性として』内在しているからです。

この二つの意識の落差を人間は、原罪として、或いは業として、或いは苦しみとして受け取ってきたわけです。この苦しみからの解放を『宗教文化の発展として』人間は後押しをしてきたわけです。

そうして苦しみからの解放を伝えて来ています。キリスト教においては『神に会って和解する』という事になります。禅宗であれば『禅問答を解いて』生死の問題を解決すると言う事になります。

この禅問答こそが右脳の意識に出会うためのテキストという事になります。左脳の自我意識の働きではこの問題は解けないように出来ているからです。脳の機能の問題です。言葉の無い思考方法、言葉の無い考え方の中に、解くカギが在ります。分別脳の働きが及ばない思考方法で無いと、思考できないからです。

言葉を持たない意識が出した問題が『禅問答』と言う事になります。右脳の働きが分る事を『自分自身が分かった』と言います。つまり悟りが開いたと言う事になります。

「宗教的実在の段階において初めて単独者として真の自己を回復するとした」
と言う事を説明したいと思います。

「真の自己」の反対語は「仮の自分、或いはみせかけの自己、或いはかりそめの自己、或いは自分じゃない自己」と言うことになるかも知れません。或いは自分と思っているのは「自分と勘違いしているかも知れない」と言う意味合いかもしれません。

是は脳の機能の関係からです。子供時代には『疑いはありません』自分が何者かは分っていたからです。そうして親とかおじいさんとかの関係もおぼろげながら...続きを読む

Q日本で最も権威のある椎名林檎の解釈??

「贅沢は敵だ」
「欲しがりません勝つまでは」

って、昔の戦中の標語ですが、東京事変「キラーチューン」で逆さの歌詞が出てきました。戦争、、、まあキラーですね。
 「反語」のテクニックというのかな。
 「本能」なども、約束が欲しくて、日本の夜明けを待っているのかもしれません。人は思ったことの反対の事で表現することがあります。

 この前「椎名林檎 本能」でヤフーで検索してみたら、僕の質疑の、


http://okwave.jp/qa/q6568172.html
(愚問?)椎名林檎「本能」が次のように聴こえる。 - OKWave


というのが何と1ページ目に入っていました。単に「椎名林檎 本能」で検索しただけですが。
 快挙ですよね。
 性的メタファーは無論あるとも思うのですが、「約束は要らないわ」「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか」「虚の真実」とかに言及したレビュアーもあまりいなかったと思います。

 僕はアマチュアで文学活動をしているのですが、自分でもびっくりしますが、椎名林檎を正当に評価できる、日本屈指の理解者として考えてもいいのかな。(??)
 文学、村上春樹作品論でもそこそこの検索トップくらいの評価?はいただいています。
 え、俺ってなんか「持ってた」かな、みたいな感じ?

 皆さま、僕の「本能」の解釈とか、納得なさいますか?
 

http://okwave.jp/qa/q7837171.html
いまだに「本能」の意味がわからないのですが、


 なども合わせてお読みいただければ恐縮です。

「贅沢は敵だ」
「欲しがりません勝つまでは」

って、昔の戦中の標語ですが、東京事変「キラーチューン」で逆さの歌詞が出てきました。戦争、、、まあキラーですね。
 「反語」のテクニックというのかな。
 「本能」なども、約束が欲しくて、日本の夜明けを待っているのかもしれません。人は思ったことの反対の事で表現することがあります。

 この前「椎名林檎 本能」でヤフーで検索してみたら、僕の質疑の、


http://okwave.jp/qa/q6568172.html
(愚問?)椎名林檎「本能」が次のように聴こえる。 - OKWa...続きを読む

Aベストアンサー

私は、質問者様の解釈がどうというより、どうやら検索に関して大きな勘違いをされているようでしたので、あのように回答しました。
検索はランキングではないので、誇るようなものではないとね。


あなたの本能の解釈は世界一といって差し支えないほど素晴らしいですよ。
今までにない斬新に観点で、きっと今後もあなたを超える人は出ないだろうと思われます。
私は本能の歌詞をすべて覚えているわけではないのですが、あなたの詞の解釈には驚かされました。

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ただ主権を実行しようと思えば必然と主軸が存在する主軸が人であればそれは主権と合一化し客観的にみて主体と合一しているように見える、主体も同じように思い込んでいれば主体と主権が合一していると言えなくは無い。

Q椎名林檎アンケート

わたくし、椎名林檎をこよなく愛するu_king5555と申します。

さて、皆さんにお聞きしたいのですが、椎名林檎の曲の中で一番好きな曲は何ですか?(東京事変でもいいです)
また、椎名林檎への熱い思いもお聞かせください。よろしくお願いします。


ちなみに僕が一番好きなのは「真夜中は純潔」です。
僕は椎名林檎の曲はほぼ全て好きなんですが、その中でも「絶頂集」に収録されているような、少し変わった(林檎ファン以外の方にはあまり評価されない)曲のほうが好きです。

Aベストアンサー

初期アルバム2枚しか聴いてませんが、シングルカットされていない初期アルバムの曲がすばらしいですよね。繰り返し聴いた記憶あります。ここでキスして?がやっぱ好きです。
近年の作品はよく知りませんが、カバーアルバムでジョンレノンのスターティングオーバー聴いていいなと思いました。

Q人間の社交本能も、 その根本は何も直接的な本能ではない。 つまり、社交を愛するからではなく、

人間の社交本能も、

その根本は何も直接的な本能ではない。

つまり、社交を愛するからではなく、

孤独が恐ろしいからである。

大学一年です。孤独はなぜ世間ではネガティブのイメージをもたれてしまうのでしょうか?必ず何かに属していないと寂しい人と印象をもたれてしまうのですか?
サークルもバイトも夢のためにやっているのなら全然すばらしいことですが孤独を恐れて友達と群れたりサークルにはいったりしてしまう。やはり、孤独と向き合うのはとても困難のことなのですか?
それとも社交的になることのほうが困難なのですか?
偉人たちは大抵孤独と向き合って成果をだしているとおもわれます。
夏目漱石や、ゴッホなどなど。
僕自身、辛いことから避けたくなるのは人間だとおもいます。今の時代は基本的に電動化した時代なので、孤独と十分向き合えるチャンスだと僕はおもっています。みなさんの感想をきかせてください
ちなみに高校まで野球をやっていました。連帯の世界で生きてきてとても楽です。しかしひとりはつらいです。
でも、連帯の世界にいると群れると大事なものをなくしてしまうきがします

Aベストアンサー

孤独の世界も通常の世界ですよ。社会人になっても一匹狼のひとってかなり多いです。
どこのサークルにも属してないけど楽しく生活してる人は山ほどいます。
それを孤独だと考えるから孤独なんだとおもいます。
物のとらえ方の問題だとおもいます。

Q猫も杓子も椎名林檎・・

私の周りの人はほとんどが椎名林檎を好きで
更にどうやら私の周りだけでなく、友人の周辺でも「椎名林檎いいよね」
という人がかなり多いようで、印象としては猫も杓子も椎名林檎という感じです・・・。
椎名林檎の人気の理由は何でしょうか?
これだけ大勢に人気があるということは、音楽なども含めた彼女の派手さが
比較的誰にでも理解しやすいということでしょうか?
好きな音楽の話をしていて、彼女の名前があがると、正直、「またか・・」という気持ちになります。
しかし、なぜ好きなのかを聞くとそういう気持ちもなくなると思うので、魅力を教えてもらいたいです。
椎名林檎があまり好きじゃないって言うと、なんか変人扱いされてしまうのも、かなりびっくりです・・。

Aベストアンサー

私も椎名林檎すきですが、別に特別な感じはないです。昭和の歌謡曲のアレンジというか雰囲気がすきです。自作自演しているという点もすごいと思います。椎名林檎は昭和のリバイバル的なものじゃないでしょうか。
好きなアーティストだから理解して欲しいと言う気持ちはあるかもしれないけど、椎名林檎が好きじゃない人がいても変人扱いはしないな。
好きじゃないものを好きにならなくてもいいと思いますよ。その程度のことで変人なんて言っちゃう方が無神経です。

Q言葉の意味と概念

たとえば「検索という言葉の意味」と「検索という概念」はどう違いますか?

Aベストアンサー

「概念」は言葉があれば(それが言葉と認められれば)必ず頭の中に生じる何か(思考、イメージ、記憶、などなど)、のことです。
「ラッスンゴレライ」が好例で、「ラッスンゴレライ」の「概念」は子どもも大人も持っています。「あー、あのお笑いコンビがネタで発しているわけわかんない言葉ね。」というのは、「ラッスンゴレライ」の「概念」です。
ところが「ラッスンゴレライ」という言葉そのものには「意味」はない。
なぜか。「ラッスンゴレライ」という言葉そのものの「用法」がないからです。
「意味」とは様々な「用法」から取り出される、様々な用法に共通する内容なので、「ラッスンゴレライ」の「用法」がなければ、「ラッスンゴレライ」には「意味」がないのです。
もし「おまえ、ラッスンゴレライだな。」という用法が広まれば、そこに「意味」が生じるでしょうが、そうならないかぎり「ラッスンゴレライ」という言葉そのものには「意味」はありません。

つまり、「検索の概念」は「検索という言葉の意味」よりも先に生じています。コンピューターが発明➡普及する以前に「検索の概念」があったから、コンピュータが普及したときにsearchに「検索」という訳語を当てることが可能だったわけですから。

結論として、
概念➡用法➡意味、の順序がある。
鍵を握っいるのは「用法」のみである。

「概念」は言葉があれば(それが言葉と認められれば)必ず頭の中に生じる何か(思考、イメージ、記憶、などなど)、のことです。
「ラッスンゴレライ」が好例で、「ラッスンゴレライ」の「概念」は子どもも大人も持っています。「あー、あのお笑いコンビがネタで発しているわけわかんない言葉ね。」というのは、「ラッスンゴレライ」の「概念」です。
ところが「ラッスンゴレライ」という言葉そのものには「意味」はない。
なぜか。「ラッスンゴレライ」という言葉そのものの「用法」がないからです。
「意味」と...続きを読む

Q椎名林檎さんの曲でおすすめな曲を教えてください!

椎名林檎さんの曲でおすすめな曲を教えてください!
某動画サイトで、「ギブス」や「本能」を聴いて、好きになりました。
他の曲で、おすすめはありますか?
回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「ギブス」や「本能」がお好きなら、

ここでキスして。
正しい街
幸福論
歌舞伎町の女王
茎(STEM)
シドと白日夢
ありあまる富

あとはカバーもので

翳りゆく部屋
小さな木の実
アンコンディショナル・ラブ

あたりをとりあえずお薦めしておきます。

Q死後の(霊魂)苦しみや幸せ感は現世と同じですか?

肉体は滅びるものであり、霊魂は不死で滅びないと云われますが、
滅びた肉体や脳で感じる地獄の苦しみや、
天国の幸せ感はどの様なものですか?
現世と同様の感覚ですか?(夢の中のような)
つまり、魂での感覚も同じだということですか?
ならば、実害はありませんね。

Aベストアンサー

このような考えの方が仏教で修行して悟るわけですから、まったく実害はありません。いわゆる常見というものです。
仏教では常見、魂はそのままのかたちで続いていくという考えも、断見、死んだら魂はなくなるという考えも否定しています。
これを断常の中道といいます。


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