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花魁道中をするのは、太夫などの上級女郎が置屋から揚屋に行くことを指すのだと本で読みました。
では、太夫は置屋ではお客は取らないのですか?
また、お客は初回は必ず揚屋で遊女を招いたとありますが、ということは下級女郎も呼ぶことが出来たのでしょうか?その場合、道中とは呼ばないのですか?
下級女郎は置屋だけでお客を取るものなのでしょうか?

色々と質問をしてしまってすみません。ご存知のかたがいらっしゃいましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。

A 回答 (4件)

ちなみに・・


このようなトピックも立っていました^^

少し重なるところもあると思いますので
ご参考に・・・・

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3976258.html
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吉原の花魁が揚屋(引手茶屋)※に道中して向かうのは


客が用意した宴席に向かうためです。

たしか初回だけでなく、花魁をあげるためには
宴席を設け、芸者や太鼓持ちに芸をさせ、
お酒や食事の用意もしなくてはいけなかったはず。
江戸初期には吉原にも存在した「太夫」には宴席での
芸の披露も重要だったと思いますが
後期の「花魁」は芸を披露することはなく
宴席でお客とともに過ごす、ということが重要だったんだと
思います。

その後に、客と床をともにするために
花魁は「遊女屋」(置屋)に戻ります。
揚屋・引手茶屋は宴席の場のみの場所。
床をともにするのは「置屋」の「花魁の部屋」です。
(だと思うのですが・・)

※吉原に太夫がいなくなってからは「揚屋」も
なくなったので「花魁道中」して入るのは
「引手茶屋」だと思います。

下級の遊女は道中などということはしません。
置屋でひたすらお客の相手をするのみ と思います。
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確か、花魁道中というのは、イベントなので、移動時に必ずしも行うものでは、なかったと記憶します。


お披露目というPR活動で、ファッションショーの意味合いもあるような。
太夫の位というのは、相当なもので、江戸時代を通しても、かなりの少人数でした。
嫌な客は、断ることも出来たくらいで、下級のお女郎さんとは、一線を画するものです。
花魁道中は、自己負担で、スポンサーがいないと出来るものではありません。
下級の人は、そんなものに、のんびりつきあっている、時間は、ありません。
タイトなスケジュールがつまっていて、自分の利がないのに、パレードにつきあうくらいなら、休息でもしていたほうが、ましだと思います。

参考URL:http://hagakurecafe.gozaru.jp/yosiwaratop.html
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%AD%81
ここに花魁について書かれてありました。

上級な太夫は、お客も上級でなければならい・座る場所も太夫が上座でお客は下座に、太夫は離れた位置に座る。
一緒に飲食しない等色々と細かな制限があるようです。
太夫が出て来る本を読んだことがありましたけど、太夫以外の、とくに下級女郎では道を歩いただけで、道中と呼ばないのではないのでしょうか(曖昧な答えですみません、個人的な考えです)、花魁道中とは凄く華々しい感じで、かむろ等の童女や振り袖新造を引き連れ揚屋まで歩く事を言うのだそうですから。
その世界ではとても誇らしく、位の高い太夫でなければできないのではないでしょうか。
個人的な意見で…すこしでも参考になれば良いのですが。
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