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過去時制についてのはなしで、 could と be able to が交換可能な場合とそうでない場合があります。その件についてです。

引用:(4)see,hearのような知覚動詞などの場合は、能力を強調するableを使うと露骨であったり失礼になることもあるためなのか、couldを好む場合もある。

「能力を強調するableを使うと露骨であったり失礼になることもあるためなのか」というところが初めてのところです。
これはなにかの本に書かれている事柄でしょうか?そうでしたら出典をお願いします。

また、この議論に関して実際に「能力を...」の妥当性の吟味など、よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

引用元そのものではなく、下記のようなサイト上の情報はありましたが、逆の側面からも攻めています。


http://www.englishcafe.jp/auxiliary/1-1.html
http://sutekinaichinichi.blog48.fc2.com/blog-ent …

引用元そのものがなくても、その説明の情景というのは想像できます。
Could you hear the sound? あの音が聞こえますか?(これはおかしくないですよね)
He was able to see the bird 5 miles up in the air. 彼は5マイル先の鳥を見ることができた(これもおかしくない)

日本語による説明は、能力にフォーカスしすぎる傾向がある感じがします。動詞そのものよりも、英文の情景を考えれば、どの場合に露骨や失礼になるのか、couldを使ったほうがよいのかを判断すればいいと感じます。

話はかわりますが、私は「能力」と日本語に置き換えて述べるとき(文法を説明するとき)、いつもひっかかることがあります。
それがskillなのか、結果的にやれたことも能力と呼ぶのか、その違いに触れていないケースが多いからです(本人がその時やっただけなのに、能力と見なす説明もある)。また「過去に出来た能力(しかしその能力は現在はない)」と「過去も、そして現在も生きている能力」が、日本ではどちらも「能力」になってしまうことです。

私はcan, couldのほうが「ゆるぎない実力を備えた能力」を表現するのに自然な感じがします(そのとき出来たというニュアンスは薄い)。
しかしだからといって断定はしません。むしろ文章が描く情景により使い分けをします。
その文章の描く情景を感じたほうが、その文章が一度きりのことを述べたいのか、、ゆるぎない能力を述べたいのか、がわかるからです。つまり何をやったかだけにフォーカスせず、文章全体の情景がcouldやable toを選んでいます。
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 No 2 です。

ご質問の「能力云々」について説明が不足でしたので補足します。以下はアルクよりの引用です。

>could と was [were] able to
Q  I could run 50 meters in six seconds. と I was able to run 50 meters in six seconds. は意味が違うのですか。

A  質問の文は同じ意味です。could と was [were] able to はともに「いつでも、したいときに~をすることができた」という一般的な能力を表すのに使います。よって質問の文はいずれも「僕は50メートルを6秒で走ることができた(走ろうと思えば、いつでも)」という意味を表します。could と was [were] able to が同じように使えないのは、過去において「何かを1回だけ、することができた能力」を表す場合です。この意味は could では表せません。たとえば「(ほかの時はともかく)1980年の陸上競技会では、僕は50メートルを6秒で走ることができた」に近いニュアンスを表す場合は、次のように was [were] able to などを使います。

 I was able to run 50 meters in six seconds at the athletic meet in 1980.
 (1980年の陸上競技会では、僕は50メートルを6秒で走ることができた)
 I ran 50 meters in six seconds at the athletic meet in 1980.
 (1980年の陸上競技会では、僕は50メートルを6秒で走った)
 I managed to run 50 meters in six seconds at the athletic meet in 1980.
 (1980年の陸上競技会では、僕は50メートルを6秒でどうにかして走った)
 I succeeded in running 50 meters in six seconds at the athletic meet in 1980.
 (1980年の陸上競技会では、僕は50メートルを6秒で走ることに成功した)

ということです。補足でした。
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 ググッたら、以下の説明がありました。



>COULDなのかWAS ABLE TOなのかということになりますが、過去の話として取りあげる場合、「ある時、ある所で、実際に何々することができた」というのであれば、WAS ABLE TOを使い、そうでなければ、例えば、「昔はこういうことをすることができたんだよ」と漠然とした話をするなら、COULDを使います。この使い分けは、基本的なことなのに、結構、みなさん、失敗します。

例えば、「若い頃は何時間でも泳げたものだ」と言いたいなら、I could swim for hours when I was young.です。この場合、個別具体的な過去の例を取りあげているわけではなく、漠然とした思い出話ですから、I was able to swim...は使えません。

ところが、このように「何々することができたものだ」という一般的な話でなく、過去の具体的状況を念頭におきながら、「ある時、ある所で実際に何々することができた」と言いたい場合は、WAS ABLE TOを使わなければなりません。ですから、「お店が満席という感じだったけれど、幸い席があった」と言いたいなら、The place was packed but fortunately we were able to get a table.になります。ここではwe could get a tableは使えません。

この点、Nigel D. TurtonのABC of Common Grammatical Errors (Macmillan)は、次の二つを典型的な誤用例として挙げています。

(a) I set off at midnight and, by driving non-stop, I could reach Kuala Lumpur by 6 o'clock the following morning.(私は真夜中に出発してから、その後休みなく運転し続けることで、翌朝の6時までにクアラルンプールに着くことができました)

(b) The visit was worthwhile since we could gain first-hand knowledge of how a school operates.(今回の訪問は有意義なものでした。と言いますのも、学校がどう運営されているかを直接、見聞きすることができたからです)

いずれも昔はこういうことができたといった一般的な話ではなく、一定の具体的状況を前提に、「ある時、ある所で何々することができた」と言っているケースですから、(a)はI was able to reachとすべきであり、(b) もwe were able to gainに直す必要があります。

実際、was able to を使うべき場面でcouldを使ってしまうという間違いは、英語学習者が繰り返し陥る伝統的落とし穴と見えて、1936年が初版というT. J. FitikidesのCommon Mistakes in Englishにも次のような形で載っています。

Don't say: Because Laura worked hard she could finish the job in time.
Say: Because Laura worked hard she was able to finish the job in time.

解説には、こうあります。If the meaning is managed to or succeeded in doing, use was able to, and not could.(意味するところが、辛うじて何かをすることができたとか、うまく何々することができたというものである場合は、couldではなく、was able toを使うべし)

★ まとめ

現時点の問題として、「何かができる」と言いたいならCANを使うが、フォーマルにしたければBE ABLE TOを使います。現時点の話なのにCOULDを使うのは、「やろうと思えばできるのに、それが実際には行われていない」話を取りあげる場合であるだけに、やや特殊ケースと言えます。一方、過去の話として、特定の状況を念頭に置いてではなく、漠然と「何々することができたものだ」と言いたいならCOULDを使い、特定の状況において、「実際に何々することができた」と言いたいならWAS ABLE TOを使います。

ということです。明解な説明だと思いますがいかがでしょう?
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こんにちは。

7/1のご質問以来ですね。

ご質問:
<「能力を強調するableを使うと露骨であったり失礼になることもあるためなのか」というところが初めてのところです。
これはなにかの本に書かれている事柄でしょうか?>

出展の著書は知りませんが、
<see,hearのような知覚動詞などの場合は、能力を強調するableを使うと露骨であったり失礼になることもある>
は、ありうると思います。

視覚・聴覚障害があると疑うことになるからです。実際そうであったら、大変な失礼に当たります。

「~が見えました」「聞こえました」は
Could you see~?
「~は見えましたか?」
Could you hear~?
「~は聞こえましたか?」
を使うのが一般ですね。

この表現を丁寧な依頼の婉曲表現とか、仮定法にはとられることはありませんから。

ご参考までに。
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