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962年にオットー1世が戴冠され、神聖ローマ帝国ができましたが、これは東フランク国王だったオットーは”皇帝”になったかと思うのですが
皇帝というコトバは中国における皇帝とヨーロッパにおける皇帝とは
どう違うのでしょうか?ヨーロッパの方は地上におけるイエスの代理と
認識しているのですが間違いないでしょうか?あと皇帝というのは国王よりも偉いのでしょうか?そして、神聖ローマ帝国というのは実在するものなのでしょうか?それとも、概念として存在しているものなのでしょうか?後にドイツ領内は分権化し後にハプスブルク家が帝位を世襲しはじめ、後にオーストリアの国王も兼ね、ウェストファリア条約を経て、オーストリアの国王であるハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝を兼ねると思うのですがハプスブルク家、オーストリアというものも
よくわかりません。稚拙な文章ですがどうぞ御回答宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

質問が多いので箇条書きで答えます。



(1) 中国とヨーロッパの皇帝という言葉
中国における皇帝とヨーロッパにおける皇帝という言葉は
似て非なるもの。まず言葉の起源が異なり、定義も違う。
中国の皇帝は始皇帝に始まり、一般化した王号の上に立つ
絶対的支配者として秦王政が創設したもので、
「皇」は美しく大なること、「帝」は徳が天に合し、
三皇五帝の徳を兼備するという意味。
ヨーロッパにおける皇帝は共和制ローマにおける独裁官を意味する
インペラトールが起源であり、軍政上の最高指導者がもともとの意味。
カエサルが終身独裁官となり、オクタビアヌスの元首制から
ディオクレティアヌスのドミナートス制にいたる過程で、
帝権が拡大定着化したことで、皇帝という専制君主が形作られていった。
ヨーロッパにおける皇帝という地位は、何らかの形でローマ帝国と関連があり、
皇帝を最高統治者とする欧州国家は、その後継者か模倣者である。
すなわち神聖ローマ帝国は西ローマ帝国およびシャルルマーニュのカロリング帝国の後継で、
ロシア帝国はビザンツ帝国の後継となったモスクワ大公国の後釜。
近代のナポレオン帝国は、ローマ帝国の(後継でないが)模倣であり、
プロシアを中心とするドイツ帝国はドイツ化された神聖ローマ帝国。

(2) 地上におけるイエスの代理人
地上におけるイエスの代理人は”教皇”です。
ただし東ローマ帝国などは教皇皇帝主義をとっていましたから
皇帝が教皇でもあったために、ビザンツやロシア帝国では
皇帝がイエスの代理人と見なされます。
しかし一般的に、教会がイエスの代理人を自認することが多く
皇帝がそれであるとは考えません。
プロテスタントにおいては、地上のおけるイエスの代理人は
いないと考えていると思います。神と人間の間には聖書があるだけというのが
簡単な彼らの理念ですから、介在者は不要というはずです。
しかし、ま、宗教論理は私の専門とするところではありませんのであしからず。
基本的にイエスの代理人だとかいう与太話はあまり気にしないでいいでしょう。

(3) 皇帝と国王
中国における皇帝の定義は、国王の上にある者というものなので、
明確に皇帝は国王よりも偉いということになります。
これはアジア全般、日本も含む中華圏で共有される概念であり、
日本でも天皇の下にその親族である各王があります。
ヨーロッパにおける皇帝の場合、(1)で答えたように独裁官を起源とするので
国王とは体系的に”無関係”です。ヨーロッパでは国王と皇帝の間には
上下関係はありませんし、ハプスブルク家などは長らく
神聖ローマ帝国皇帝であったと同時にボヘミア国王などでもありました。
ナポレオンもフランス皇帝であると同時にイタリア王でした。
ヨーロッパでは複数のタイトル(称号)を保有することは常識であり、
皇帝にしろ国王にしろ、特定の領域で特定の権限を持つ称号の一つに過ぎません。
これは伯爵や侯爵、公爵など、他の称号でもいえる事ですが、
ヨーロッパの封建社会の特徴として、
それぞれの君侯は基本的に神あるいは教会の前では対等であり
個人的忠誠関係によって上下関係が発生するだけで、称号は階級ではありません。

(4) 神聖ローマ帝国は・・・
神聖ローマ帝国は実在しました。当然。
しかし国家とはそもそも”概念”であり、国家という建物があるわけじゃないし、
国家という固形物が存在するわけではありません。
それはすべての国家にいえることです。
あなたは国家という概念を理解してないような気がしますね。

(5) ハプスブルク家、オーストリア・・・
ハプスブルク家は一族です。当時の”オーストリア”は地域名。
オーストリア国王なる称号はありません。正確にはオーストリア大公。
ハプスブルク家の当主は、このオーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王の称号を世襲しました。
神聖ローマ皇帝位は、事実上の世襲ですが、制度上は皇帝選挙によって
選ばれた地位です。
ちなみになぜオーストリア国王という称号がないかというと、
神聖ローマ帝国領内には”王国”がないからです。
ボヘミア(ベーメン)、ハンガリー、プロシアはどれも
厳密には帝国領外の王国です。
ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝を兼ねるというのではなく、
近代ではハプスブルク家から皇帝が選ばれるようになったと言った方が正しい。
神聖ローマ帝国は、独特の制度から、名門名家の持ち回りとなりました。
次第に固定化したのは婚姻政策によってほぼすべての貴族が
何らかの血縁関係を持ったからに過ぎません。
ウェストファリア条約以後の皇帝位は、半独立状態のドイツ諸侯の
議長役にようなものですが、ハプスブルク家は一族の家領として
広大な領地を治めており、帝国内の事実上の最大国家でリーダーとなりえたわけです。
ま、その圧倒的ではない優位はしばしば揺らいだわけですが、
それはまた別の話。
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>皇帝というコトバは中国における皇帝とヨーロッパにおける皇帝とは


どう違うのでしょうか?ヨーロッパの方は地上におけるイエスの代理と
認識しているのですが間違いないでしょうか?

基本的には、天に代わって地上を統治するのが中国の皇帝。
神に代わって(キリストではありません)地上を統治するのが西洋の皇帝です。
実質は同じようなものですが、中国の場合は、天が見放した場合に別の王朝が建つ(易姓革命)のですが、西洋の場合は、原則的に王朝ではなく個人に皇帝位が与えられますので、革命の理念はありません。
皇帝が原則的に神の代理ですから、本来はローマ総主教にすぎない教皇は、皇帝に従う必要があります。
しかし、ローマ教皇の場合、守護者たる西ローマ帝国が滅んでしまい、保護者がいなくなってしまいました。
そのため、教会の保護者として、カール大帝を勝手に任命しました。
(カール自身は迷惑だったようです)
フランク王国が滅亡した後、やはり保護者を求めて、ドイツのオットーを皇帝に任じます。
その後、皇帝と教皇のどちらが偉いのかで皇帝と教皇とで対立が起こります。
それが聖職叙任権闘争です。
叙任権闘争は、結局教皇側の勝利となり、教皇の権威が確立します。

>皇帝というのは国王よりも偉いのでしょうか?

皇帝には、国王を任命する権利があります。(中国でも西洋でも)
(プロシアのフリードリッヒ1世は、スペイン継承戦争の功績からプロシア国王と皇帝から認められるなど)

>神聖ローマ帝国というのは実在するものなのでしょうか?

当初は、単に帝国とかローマ帝国と言ったようです。
神性ローマ帝国と言われだしたのは、大空位時代以降の事だそうです。
つまり、神聖ローマ帝国という呼び方は、実質的に国家を形成できなくなってから、ムリに統合しようとしたための呼び名でした。

>後にハプスブルク家が帝位を世襲しはじめ

これはシステムとしてそうなったのではありません。
ハプスブルク家のカール5世とフランスのフランソワ1世とは、皇帝位を巡って大買収合戦を行いましたし、ブルゴーニュ公国のシャルルは、自分の領土をハプスブルク家に差し出す事(一人娘をハプスブルク家に嫁がせる)により皇帝位を求めました。
オーストリア継承戦争では、バイエルンやフランスは、ハプスブルク家の皇位継承を認めず、戦争となっています。
ハプスブルク家が帝位を継承できたのは、皇帝が生前自分の子などを次期皇帝に擁立していたからです。

>後にオーストリアの国王も兼ね

オーストリアは王国ではなにく大公国です。それも自称の。
国王よりも格下ですから、フランスなどとの対抗上皇帝の地位を欲しました。(ボヘミア国王の称号も有りましたが、これはチェコ人の国で、ドイツ人であるハプスブルク家を統合する名称としてふさわしくありませんでしたし、神聖ローマ帝国内の王国として、フランスよりも格落ちしました。
またハンガリー国王の称号もありましたが、ハンガリーもオーストリアにとっては別民族の国ですから、名乗るには抵抗があったと思います。

>オーストリアの国王であるハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝を兼ねると思うのですが

意味が分かりません。
それ以前からハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝位を独占していますが。
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