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元loser_blueです。

先日「生きがいが欲しい」という質問を最後に(予見通り)皆さんから見放され、逃げるように退会しましたが、退会直前に「カウンセリング、信用が先?」という質問を投稿しており、退会後は、お礼も、締め切ることもできないと知り、
回答を寄せてくださった皆さんにお詫びとお礼を言うために戻ってきました。
もっとも他の件で緊急の回答が必要だったこともあるのですが・・・

・・・前置きが長くなりました。

今日、大学の心理相談室に行きました。
前回に引き続いて2度目です。

Okwave退会のこともあり、何もかもどうでもいいと思うようになって、
今週は予約していたメンタルクリニックも無断でキャンセルしてしまいました。

そして先日から書き始めた「ブログ」(?)に、今日のカウンセンリングへの疑問やカウンセラーの力量に対する不信感を書き述べました。

わたしは今日のカウンセリングを受けるにあたり、
もっと俯瞰的にわたしを知ってもらいたく、最近の体調、虚無感、クリニックを休んだことに加えて、ブログのアドレスを附記しました。
当然そこにはそれを読むはずの人(=カウンセラー)への不信感が綴られている訳です・・・

本日、直前まで迷いに迷った挙句、土砂降りの中、カウンセリングに赴きました。

開口一番、カウンセラーは、
「ブログを読んで非常に不愉快だった、心外で、傷ついた・・・」
そして、これを見て、「正直カウンセリングを続けていく自信が無くなった」と言われました。

仮にこれ以上継続しても、結局また諍いが起きるだろう、
その時に傷つくくらいなら最初からやらない方がいいとも思う。
自分(=カウンセラー)の気持ちとしては7:3で続ける自信は無いと。

結局今回のカウンセリングでも、やはりわたし自分がいつも感じているように、
人と良好な関係を築いていくことは所詮不可能ということが改めて証明されたということなのでしょうか?

ご意見伺えれば幸いです。

A 回答 (11件中1~10件)

 再び失礼いたします。

No.4の回答者です。

 回答へのお礼、ありがとうございます。

 参考にならないことを言ってしまい、失礼いたしました。

「過去14年間で医療機関として10数箇所、医師の数にして15名以上の
精神科医と付き合いました。その全てと上手くいかず現在に至っています」

 という文を読んで、少々驚いています。

 質問者様は、「私自身としての生を生きたい」と願われていらっしゃるようですが、
それを実現できずに苦しんでおられるのだと思いました。

 カウンセリング以外に精神的な状態を改善する方法が(私の鈍い頭では)思い浮かびません。

 なのにその唯一の方法がうまくいかないなんて・・・。

 そこで提案があるのですが、質問者様のこれまでの経緯などを綴った上で
「自分自身の生を生きるためにはどうしたらよいか」という質問を、このサイトでしてみてはいかがでしょうか・・・?

 何か、得られるものがあるかもしれません。

 失礼な部分がございましたら、失礼いたしました。



 
 
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この回答へのお礼

>失礼な部分がございましたら、失礼いたしました。

とんでもありません。
わざわざ再回答いただきましてありがとうございます。

今日のこと、「毎度のことだ・・・」思いつつもやはり心がささくれ立って
皆様の回答に多少反抗的になっているかもしれません。
ご理解いただき嬉しいです。

5月から先ごろまで、このサイトで「主に心理学」のカテで、
同じような質問を繰り返ししてきました。

でも結局辞めちゃいました。
現実の人間関係が上手く築けないものは
このようなサイトでも、結局同様の道筋を辿っていくのです。

カウンセラーが「自信が無い」といったことの一端には、
「ブログ」にも書きましたが、「絶望が希望を上回っている・・・」ということもあったようでした。

良くなりたいという気持ちがそんなに弱くては・・・
ということらしいです。

お礼日時:2007/09/06 00:33

>でもある日を境にピタッと誰も来なくなった、まるで言い合わせたように



その理由が本当に分らないんですか?
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この回答へのお礼

>その理由が本当に分らないんですか?

いいえ、そもそも人間てそんなもんでしょう?

お礼日時:2007/09/06 14:59

私はおかしいのはカウンセラーだと思います。

少なくともプロじゃないと思う。
患者が人への不信、批判精神が強いならそれをひっくるめた患者のパーソナリティーを考慮して、カウンセリングするのがプロだと思います。っていうのは以前私がカウンセラーから聞いたことです。
>「ブログを読んで非常に不愉快だった、心外で、傷ついた・・・」
だからこういう関係をこれから、築いていきましょうね。ということなら分かるけど。。
良くなりたい気持ちが弱くても、こうして助けを求めてるのに、 自信が無くなったってそんな。
本気でカウンセリングするなら 別のカウンセラーを探した方がいいと思いました。経験豊富なカウンセラーならそれくらいでは ギブしないと思います。
蛇足:ちなみに↓の17歳のカルテのスザンナは映画の中ではウーピーに力付けられていますがこれは作り話で、小説の方の実話はウーピーのような人はいないです。
本当は誰かに心を開いてどうこうというドラマな話ではないんです。この人は作家なのであくまで自分自身で「自分は狂ってない」と言い聞かせていましたそれが小説の方では醍醐味なとこです。でも当時のアメリカの医療(60年代?)は今の医療と比較にならないと思うので、彼女も今の時代だったら精神病院に入ることも、自分自身に頼る自己模索もしないで済んだかもしれません。実際借りれる手は借りた方がいいと思いますし
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この回答へのお礼

>患者が人(カウンセラー)への不信、批判精神が強いならそれをひっくるめた患者のパーソナリティーを考慮して、カウンセリングするのがプロだと思います。

仰る通り、カウンセラー自身もそう言っていました。
一番の問題は「ブログを通じて、間接的に伝えてくるという方法」
が一番の決め手になったようですね。

無論当人にはそんな意図はまるで無かったのですが・・・

まあこれまで20年近い精神科医と同様のことで決別してますからね。
それがカウンセラーだったというだけのことだと思っています。

これ以上自分を責めていても身が持ちません。

蛇足ですが、

先週まで、このカテに質問すると、いつも決まった顔ぶれが集まってくれてましたよね。
でもある日を境にピタッと誰も来なくなった、まるで言い合わせたように。
「そして誰もいなくなった」って、これも毎度のパターンです(苦笑)

面白うて やがて悲しき 鵜舟かな ー芭蕉ー

お礼もさることながら、「何故?」という気持ちが強いですね・・・

お答えありがとうございました。

お礼日時:2007/09/06 14:01

 再三失礼いたします。

#7の回答者です。 

 質問者様は、自分らしい人生が始まることを望んでいらっしゃるのですよね・・・?
それとも半ば諦めてしまっていらっしゃるのでしょうか?
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この回答へのお礼

>質問者様は、自分らしい人生が始まることを望んでいらっしゃるのですよね・・・?
それとも半ば諦めてしまっていらっしゃるのでしょうか?

それを見抜くのが本当の心理士の仕事ではないでしょうか・・・

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/06 13:48

No.6です。



>今回のカウンセラーに関しては私の希望もありますし、向こうも自分のスタンスとして、「五分五分で意見を交わす形」でやるということでした。

今の主流のカウンセリング業界では無理です。
何故なら、その行為はご法度だから。


17歳のカルテって映画みたことがあります?
http://www.sonypictures.jp/archive/movie/karte17 …
実話を元に脚色されています。

主人公のスザンナ。
自殺しようとしたと勘違いされ、療養所に入れられてしまいました。


http://www.sonypictures.jp/archive/movie/karte17 …

周りの人とうまくいかない。
自分にとって大切な人を傷つけてしまう。



主人公スザンナの場合、人を信用できないというのが、つまずきやすさになっているわけですが、、、、

人を信頼できないので、ウーピー・ゴールドバーグ扮する看護士?に暴言三昧なのですが、それでも看護士は忍耐を持って耐えぬき、「あなたは狂っていない」と宣言するんですね。

そしてあることがきっかけで、本気で回復しようという欲望が急激に高まり、積極的にカウンセリング つまり、自分が今どう思っているかをカウンセラーに吐露することをやるようになり、認識療法を積極的に受け入れ、人生を前向きで歩こうとするようになった。


どこまでが実話なのかわかりませんが、原作者はのちに出所し、結婚をし、ずっと後になって、この過去のできごとを本にして出版し、それが映画化したんです。


魅力的な個性溢れる少女たちが登場しますが、中でもアンジェリーナ・ジェリー扮するリサがすごく魅力的。

彼女の「私は死んでいない」という絶叫が耳にこびりついています。

レンタルビデオで借りれますので、実話を元にした少女たちの奮闘をみてみてはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「17歳のカルテ」は過去2度観た事があります。
スザンナ・ケイサンの原作は読んでいませんが、
なかなか面白い作品でした。

感心したのは、1960年代前半に、既に「ボーダーライン・パーソナリティー・ディスオーダー」という診断名が存在していたことです。

(日本は欧米に比べ精神医療に関しては30年遅れていると聞きます)

診断を不審に思った彼女が、文献を読み、「これって自分だ・・・」と、
自覚したところから彼女の治癒への道のりが始まりました。

しかし精神分析による治療はは「週4回、3年以上」というのが原則です。
今でも、当時でも、そのような治療が受けられる人は本当に一握りの富裕層に限られるでしょう。

確かラストでも、「今後も週3回のセッションを続けること」と言われて退院していったと思います。

そういう非常に恵まれた環境下にあった一人の女性ということで、
「極めてレアなケース」であるということを忘れてはならないと思います。

60年代で既に「境界性人格障害」の診断が確立している国でのこと。
精神分析(週4回のセッション)が受けられる経済的背景。

これを現代の日本に当てはめることは殆ど不可能ですね。

逆にいえばそれだけの条件が整って初めて治癒の可能性が生まれるということかなとも思います。

お礼日時:2007/09/06 13:28

大学の真理相談室に「何を期待して」行きましたか?



最近のカウンセリングの主流は傾聴です。
ひたすらクライアントに話をさせ、カウンセラーは、うなづいたり「そうですか」ぐらいしか言わないようにする。

これはカウンセリングの基本中に基本。

話を聞いたカウンセラーが「で、どうしたのですか」とか「それをどう思いましたか」など、クライアントに聞くべきじゃあない。


あくまで主導はクライアント。

すると、クライアントは思うのです。

「高い金払っているのに、『はあ そうですか』『ほうほう』しか言わない。こいつ駄目だ。」と。

そしてブチ切れて役立たずとカウンセラーを罵り、金返せ 泥棒など暴言を吐くクライアントはとても多いそうです。

「治療を受けに来たのに、何もしてくれない」と失望したことにより、ブチ切れ、カウンセラーに攻撃をするわけです。


カウンセラーは医療従事者じゃありません。
医療行為をやってはならないのです。

では何故精神科に医療行為ができないカウンセラーや臨床心理士がいるのか。

何故でしょう?

薬や手術だけでは解決しない問題を多くの患者が抱えているから。

その人たちに有効な方法の一つが認知療法。

例えば、

自分:「自分は大学の心理相談室に行きました。」

カウンセラー:『そうですか』

自分:「でも そこのカウンセラーは力量不足で、これといって何も解決してくれなかったんですよ」

カ:『なるほど』

自:「で、そこは駄目だと思って、ここに来たわけです」

カ:『そうなんですか』

自:「あそこは自分がどういった人間か把握できていないと思って、ブログに書いて、教えてやったんですよ。それと同時に、こんなことも読み取れないカウンセラーに対して皮肉じみたことも書きました。何故そんなことをしたかというと、自分を知って欲しかったから。注目して欲しかったからじゃないかと、今考えればそう思えるんですね。 解決より人の注目が欲しかった。 気をひきたかった。 でも結果はカウンセラーを非常に傷つけてしまった。 私のこの行動は間違えていたのでしょうか」

カ:『どうなんでしょう』

自:「私は間違えているとは思いません。これが私なんです。そう これが私。 恐らく一生この性格は変わらないと思う。悲しいことにね。でも これがまさに唯一無二のこの世に二つと無い自分なんですよね。だから、こんな自分だけど、認めるしかないと思うんです。この性格のために、また 人を傷つけ、また トラブルを起こしてしまうでしょう。多分一生。 でも これが自分なんです。 こういう自分を自分で受け止め背負って生きるしかないと、今回僕は気づいたんです。 自分が自分を愛せなくて、どうして他人を愛せるかって。 他人を愛するためには、まず こんな自分を愛せるようにならなければ。それでもいとおしい自分だと抱きしめてやらなければ。 他に誰がやってくれるか 自分しかできない。 だから僕はこんな僕を愛して生きていこうと思います。   じゃあ どうも聞いてくれてありがとう。助けてくれて一緒に探し物をしてくれてありがとう。やっと探していたものが見つかりました。あなたのお陰です。」

カ:「そうですか それはよかった」

握手をして別れる。


これがカウンセリング業界の理想なんじゃないかと思うんですけどね。

クライアントは、改造を望んで訪れるようですが、それは誰にもする権利などない。
医者だろうと人と別人に改造する権利などない。

これアメリカでやってしまった人がいまして、司法が介入して、やめさせました。


カウンセラーは、クライアントがその人らしさに自分で気づくための旅の伴奏をする。
これがカウンセラーのお仕事。

別人をもってきて「これがあなたです。このようになりなさい」ってなったら、別人じゃないですか?

役者が配役をもらって、一時的にその人格になったように演技できますが、だからといって スーパーマンを演じたら、スーパーマンに
生まれ変わるわけ ないでしょ?

それと一緒。

他人じゃ駄目なんです。
自分じゃなきゃ。 洗脳により別人になったらそりゃあ もう存在しないのと同じ。
洗脳された時、自分が消滅するってことです。

あくまで自分は自分でしかありえない。
でもそんな自分は他人とよくトラブルを起こす。
「また やってしまった」とか反省し、気をつけるようにしていても、またやってしまう。

そして喧嘩になり、あっちも困るが自分も困る。

その人生を、誰が背負えるか。自分しか背負えないでしょ?

不本意だけど、なんとか他人に譲歩しながら、自分を保ち続け、生きるしかない。

ってことに気づくと、結構楽だと思うんですけど。。。。


というクライアントの自分発見の旅を一緒に伴走してくれるのが、カウンセラー。


普通の人間じゃ無理っしょ。
桁外れの忍耐力を必要とするので、一日5人と伴奏するのが限界だとか。

でも中にはなんとかクライアントの問題を我がことのように捉え、解決しようとして、どうにも八方ふさがりで、逃げ場を失うのめりこみ型カウンセラーもいるようです。

この心理業界が一番自殺が多い職種。
知ってました?

クライアントと適切な距離を取ることができなかったカンウセラーは、燃え尽きる。
クライアントのものすごいエネルギーに巻き込まれ、逃げ場を失い燃え尽き自殺する。


だから、二人でやるんです。
一人がクライアントの巧みな誘導により、ラインを踏み越えて中に入ろうとすると、もう一人が気づいて制止する。
「これ以上 クライアントの闇の領域に入るな」と。

とってーーも危険な仕事のようです。
下手すれば、クライアントの闇に命奪われますから。
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この回答へのお礼

今回のカウンセラーに関しては私の希望もありますし、向こうも自分のスタンスとして、「五分五分で意見を交わす形」でやるということでした。
傾聴のスタイルは自分の方法ではないしわたしには意味が無いだろうとも・・・

>「何を期待して」行きましたか?

自分自身として生きることです。
明るく朗らかで素直なあなたでも、
明日からモテモテの別人に!でも
自分をいとおしむことの出来る自分でもなく、
他ならないこの私自身としての生を生きるためです。

何故か?
それは過去に私が本当の意味でわたしであったという実感が無いからです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/05 23:34

>人と良好な関係を築いていくことは所詮不可能ということが改めて証明されたということなのでしょうか?



>いつも
「所詮不可能」ということを証明したくて同じ事を繰り返しているようにもみえます。
それか相性が合わなかっただけかもしれません。


回答履歴の、回答欄を使ってのお礼文を読ませていただきました。

人間不信ということですが、人を信用できないということは人から信用されてもらってないからだと思います。

すぐに締め切らないでほしいです。すみません、お願いします。
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この回答へのお礼

>すぐに締め切らないでほしいです。すみません、お願いします。

履歴をご覧下さればわかると思いますが、
大体回答者と「友好的」なやり取りが出来ている場合には長く開けておきます。
そうでない場合は、正直次の回答が怖くて締め切ります。

>人間不信ということですが、人を信用できないということは人から信用されてもらってないからだと思います。

仰る通りです。
では、何故人から信頼されないのか?
信頼するに足らない人間だからです。

なんだかぶっきらぼうでスミマセン。

ご気分を害されましたらお詫び致します。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/05 23:27

>人と良好な関係を築いていくことは所詮不可能ということが改めて証明されたということなのでしょうか?



 そうとも言えるし、そうでないとも言えると思います。

 個人的な意見ですが、今のカウンセラーの方とのカウンセリングはやめたほうがいいと思います。

 その上で、新しいカウンセラーを探すといいかもしれません。

 ここで重要なのは、カウンセラーの人間性を信じようとしないことだと思います。

 カウンセラーの人柄や性格など、人間性を信じるのではなく、カウンセラーとしての腕を信じるとよいかもしれません。

 以前の質問等を拝見させていただきました。カウンセラーの腕は人によってまちまちで、簡単には信じることができないかもしれませんが・・・。

 しかし、少なくとも「臨床心理士」という資格を持っているわけですから、能力が一定水準以上であることはほぼ間違いないと言ってよいと思います。

 「本当に自分の精神状態は改善されているのだろうか?」といった疑念を持ち始めると、カウンセリングは長続きしないと思います。

 そういった考えはなるべくしないようにして、「少しでも改善されればもうけものだ」ぐらいの気持ちで、カウンセリングを受けて
(そして継続してみては)いかがでしょうか・・・。


 私の友人も、カウンセリングを受けています。

 彼とは親友、もしかしたらそれ以上の関係かもしれません。

 彼は、これまで二人の心理カウンセラーから、カウンセリングを受けました。

 なぜ二人かというと、一人目のカウンセラーを見限ったからです。

 理由は、「カウンセリングを続けても、自分の状態が改善される気がしない」ということと、「そのカウンセラーのことが信じられない」というものでした。

 そんな彼は、二人目のカウンセラーのことも、嫌になりかけていました。

 しかしある時、尊敬するある人から、こう言われたのです。
「カウンセラーを信じるのではない。カウンセラーの能力を信じるのだ」

 つまり、「カウンセラーは『臨床心理士』という資格を有する人間なのだから、能力は少なくとも一定水準以上である。カウンセラーの性格や人柄を
信じるのではなく、カウンセラーという資格・能力を信じるのだ」ということです。

 現在、カウンセリングは一時中断されていますが、およそ一ヶ月後に、彼は再び二人目のカウンセラーの方と会います。

 「良好な関係」というのは、難しい意味をもっていると思います。「心からその人のことを信じることができる」
ということがイコール「良好な関係」というわけではないかもしれません。

 「その人自身を信じることができなくても、表面上は問題なく会話ができる」といったややきわどい関係でも、
とらえようによっては「良好な関係」と言えなくもないかもしれません。

 あまり、高いところを目指さないほうがいいかもしれません。達成できそうな近いものから、
実現を望んでいったほうがいいのではないでしょうか・・・。

 そしてぜひ、新しいカウンセラーの方とのカウンセリングを、続けてみてください。

 私の回答は、信じてくださらなくても結構です。
 長々と失礼いたしました。
 少しでも参考になれば幸いです。
 
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この回答へのお礼

>あまり、高いところを目指さないほうがいいかもしれません。達成できそうな近いものから、
実現を望んでいったほうがいいのではないでしょうか・・・。

>そしてぜひ、新しいカウンセラーの方とのカウンセリングを、続けてみてください。

そうですね。ここのところ、よくわかります。

ただ、非礼を承知で考えを言わせてください。

わたしはカウンセラー(=臨床心理士)ではありませんが、
過去14年間で医療機関として10数箇所、医師の数にして15名以上の
精神科医と付き合いました。その全てと上手くいかず現在に至っています。
その医師全てが「国家資格」である医師免許を有しているのです。

>つまり、「カウンセラーは『臨床心理士』という資格を有する人間なのだから、能力は少なくとも一定水準以上である。カウンセラーの性格や人柄を
信じるのではなく、カウンセラーという資格・能力を信じるのだ」ということです。

わたし個人は「その人」とその人の「手腕」を離して考えることが出来ません。

ご無礼お詫び致します。

ご親切なご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/05 23:22

私も前回の流れはわかりませんが、わかる範囲のことで。



カウンセリングにおいては、信頼関係は基本中の基本なんですね。
その信頼関係は、相談に来た人(クライエント)が
安心して何でも話してもらえる環境を作るためです。
カウンセラー側が努力して、そういう環境を作ります。

クライエントから信頼されていないと一度でもわかったら、
カウンセラーは自分の努力不足・能力不足を認め、
カウンセリングを終了させなければなりません。
クライエントが安心して話をできないのですから、
クライエントの本当の感情を促すことも、能力や可能性を
助けることも、一切できなくなります。
これはカウンセラーの倫理です。

というわけで、クライエントであるあなたの問題というより、
カウンセラー側の判断によるものでしょう。
他の方もお書きのとおり、人により相性があります。
得意分野や専門性もカウンセラーによりけりです。
より専門性の高い新しいカウンセラーを探すか
紹介してもらうといいでしょう。
また、カウンセリング中に起こった不信感はブログではなく
カウンセリング中に必ず言うことも大事です。
人と良好な関係を築けるかどうかは、
次に会うであろうカウンセラーに証明してもらいましょう。
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この回答へのお礼

>また、カウンセリング中に起こった不信感はブログではなく
カウンセリング中に必ず言うことも大事です。

他の方の回答にもありましたし、カウンセラー当人にも「何故直接言わないのか?」という事が一番の問題だった訳ですが、
わたしが強調したいのは、わたしという人間を知ってもらうためには
あれこれの事柄についてどんな風に感じ、考えているのかを書き記した日記のようなものが一番適切だと思っていました。

そこにたまたま読んだ人への不信感が書かれていた。
それだけです。
「そこを読んで欲しいために」アドレスを送った訳ではないし、
そんなところは読まなくても、斜め読みでわたしという人間を知って欲しかった。ただそれだけです。

わたしの罪は「悪意」や婉曲な攻撃性ではなく、限りなく鈍いことです。

簡潔でご親切な回答、ありがとうございました。

お礼文、ご不快に感じられましたらお詫び致します。

お礼日時:2007/09/05 23:14

少なくともご質問者様が取った行動では、相手がカウンセラーだとしても「人と良好な関係を築いていくことは所詮不可能ということが改めて証明された」という事だと思います



つまり、行動方法の見直しが必要なのではないでしょうか

また、カウンセラーにも色々いると思うので、色々あたってみた方がいいと思いますよ
たかだか一人のカウンセラーにダメだっただけで、判断するのは早急過ぎるのではないでしょうか
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この回答へのお礼

>つまり、行動方法の見直しが必要なのではないでしょうか

正直言って難しいですね。

わたしはいつもいつも無意識に人を正面から殴っておいて、
「背後から刺された!」と感じています。
それは自分が何をしているのかわかってないからに他なりません。
自分が相手を傷つけたことを自覚しているなら、
相手も正面からひっぱたいてくるはずです。
それを常に「ブルータスお前もか!」と感じるのは、
結局呆れるほどに鈍いのです・・・

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/05 23:07

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