No.6ベストアンサー
- 回答日時:
>具体的にはどのようなプレッシャーがあったのでしょうか?
(1)将軍家の衰退
(2)世界の重商主義台頭の波に乗り遅れた
(3)19世紀欧米列強の帝国主義に抗し切れず、開国せざるを得なかった
(4)諸藩の人材育成に大きく遅れてしまった
(1) 将軍家の衰退
家康によって樹立した徳川幕府も三代将軍家光までで、それ以降優秀な将軍は現れず、衰退します。 家康は将軍家を補佐するため水戸藩、尾張藩、紀州藩を御三家として、この中から優れた人材の発掘を命じています。
八代将軍の吉宗は紀州藩の殿様から将軍になり、享保の改革を行い、徳川幕府を建て直しました。 しかし、19世紀に入ると将軍は凡庸で、これを補佐する老中にも人を得られず、弱体化して行きます。
(2) 世界の重商主義の波に乗り遅れた
世界は18世紀後半にイギリスで始まった産業革命でそれまでの農業中心から工業中心に変わっていきます。 しかし、日本はこの世界の進歩発展をわずかに長崎の出島でオランダ人を通してしか知ることが出来ませんでした。
士農工商の厳格な身分制度で経済の実験を握っていた商人を一番低い身分に置いたまま。 これでは世界の波に乗り遅れるのも当然です。 19世紀に入ると、日本にも佐久間象山(さくましょうざん)のように洋学といって欧米の先進技術に精通した研究者はいました。 しかし、徳川幕府は彼を登用しませんでした。
(3)欧米列強の帝国主義の波に抵抗できなかった
前の世紀に産業革命を経験したイギリスに触発され、ドイツ、フランス、オランダ、ロシア、アメリカはアジア、アフリカに進出し、植民地を巡って競争を繰り返します。 19世紀の後半になると、関心は極東に向けられます。 彼らは強大な武力を背景に徳川幕府に開国を迫ります。
彼らの武力にたいし、長州藩が1863年馬関海峡を封鎖し、馬関戦争が勃発しますが、鉄砲と大砲の火力の差を骨の髄まで知らされることになります。 この戦争によって、徳川幕府は欧米列強との武力の差を知ることになります。
(4)人材育成の遅れ
徳川幕府の他の諸般に対する一番大きな差は人材育成の立ち遅れにあります。 徳川幕府は昌平坂学問所を作り、旗本の子弟育成に当たります。 しかし、ここの教授陣には洋学の」素養もなく、旧態依然とした朱子学に根ざしたもの。
19世紀の日本には各地に優れた私塾がたくさんありました。
広瀬淡窓(たんそう)の咸宜園(かいぎえん)、緒方洪庵の適塾、吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)などです。
幕末の偉人に大きな影響を与えた吉田松陰は10才の時、時の長州藩の藩主に新春の進講講義をして論語を説いたほどの俊英でした。 そこで藩主の毛利公は参勤交代の列に14才の松蔭を加え、江戸に連れて行き、佐久間象山に洋学を学ばせ、さらに広瀬淡窓に博愛の心を学ばせています。
このように各藩は子弟の教育に励んでいます。 長岡藩小林虎三郎による米百俵(こめひゃっぴょう)の逸話も子弟教育に対する熱意を示すものです。
しかし、権力の座にあった徳川幕府は子弟教育に大きく遅れを取り、薩摩長州を中心とした勢力との権力闘争に敗れてしまったのです。
これは長年政権与党の座に居続けている自民党の若手議員が、」ひ弱で無能なのと似ていませんか。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
まとめて頂きありがとうございます。
とても分かりやすかったです。
>(4) 人材育成の遅れ
とても私には思いつきませんでした。確かに何百年も徳川氏が牛耳ってたわけで、中にはあまり出来の良くない徳川さんもいたと思います。
ご回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
再びANo.4です。
余談ですが・・・
わたしはテレビでよくやっている「徳川埋蔵金」なんてあるわけがないと思っています。
そんな「お金」は幕末の軍資金でとっくに消えていると思います。経営者が自分の会社がつぶれそうなとき隠した「お金のありか」を忘れると思いますか?
「溺れる者は藁をもつかむ」というじゃありませんか。
チョット本筋からそれちゃいましたね。すみません。
SU-COさんありがとうございます。
徳川埋蔵金一昔前もの凄く流行っていたのを思い出しました、懐かしいです。
たしかにそうですね。。実際弱った権力を取り戻すために、戊辰戦争で戦ったりしているわけですし、お金残ってるのかは疑い深いですね。
とても興味深いです…ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
miritaさん、こんにちは。
教科書どおりの回答じゃないかもしれませんが、
当然「外圧」がきっかけになったと思いますが、結果的には「徳川株式会社」に運営資金がなくなってしまったからだと思います。
もともと5代将軍「綱吉公」あたりからずっと財政は下降線をたどってましたから、吉宗期に倹約令を発したものの、幕末期まできていよいよもたず、その弱体化した幕府の足をすくおうと薩長が立ち上がったという背景もあるのだと思います。
昔からものをいうのは、「お金」です。「お金」が無ければ人もモノも動きません。
ちょっと古い話ですが、米国×日本(太平洋戦争)・米国×アフガニスタン・米国×イラク(第1次・第2次湾岸戦争)をみても圧倒的な経済力(=軍事力)格差が必然的な結果をもたらしました。潤沢な運営資金がなかったから薩長にも勝てなかった、につきると言えるのではないかと思います。
徳川幕府も家康公がご存命の初期はその圧倒的な権力を利用して諸国からの「資金集め」は可能でした。
その後の世襲で求心力を失い、弱体化し疲弊していったと考えるのが自然だと思います。最初の弱体のきっかけは「島原の乱」です。
決して「黒船」が来たから江戸幕府が「滅亡」したのではなく、それが倒幕運動のきっかけとなり、薩長が勇気をもって決起したけれども、けっこう弱かったということだったのでなかろうかと想像いたします。
織田信長もお金がなければ、「鉄砲」も買うことができない、ただの怖いオジサンだったかもしれません。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。。
なるほどです…経済的な理由も大きく関わっているのですね。
>決して「黒船」が来たから江戸幕府が「滅亡」したのではなく、それが倒幕運動のきっかけとなり、薩長が勇気をもって決起したけれども、けっこう弱かったということだったのでなかろうかと想像いたします。
とても分かりやすく説明していただきありがとうございます!
No.3
- 回答日時:
当時の徳川幕府は危機に対応する能力を失っていました。
1.それまで政務については幕府専任であったのに、諸大名に発言を許し参画させる程自信を失っていました。
2.経済的にも財政は逼迫し幕府の御金蔵は空で農本主義の年貢に頼る政治は破綻していたのは殆どの諸藩と同様でした。
一部の藩では幕府へ領地返上を考えていたくらいです。
これは後の版籍奉還がスムースに進行した由縁です。
3.全般的に改革願望が国民的な念願となっていました。 「ええじゃないか」運動や伊勢参りが爆発的に発生したのはその現れです。
社会全体が閉塞状態からの脱出を願っていました。
4.財政革新に成功していた一部の諸藩は強力な発言権をもち幕政を左右するようになり、これが倒幕派と佐幕派に分裂して争う事になりました。 国内が内戦状態になったのです。
幕府はこれに対しても強力且つ有効な対処ができませんでした。
5.孝明天皇の崩御で精神的な後ろ盾を失いました。 天皇は狂信的攘夷派でしたから幕府にとってはお荷物ではありましたが反面佐幕派でもあったので利用できたのですが、崩御の後の明治天皇の動向は不明でした。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。。
国内の体制がもろくなっているところに、外国からのプレッシャー等が重なり、国内が更に混乱し倒幕したのですね。
詳しく教えていただきありがとうございます。
とても参考になりました。
No.2
- 回答日時:
まず、徳川幕府ですけど、米を中心に運営された農業政権ですけど、時代は既に商業資本が中心になっており、矛盾が出ていた。
そのため、大名の中にも商業資本を上手に利用して藩政改革に成功した勝ち組と、倹約一本で時代に取り残された負け組みが出てきます。
そんなときに黒船の襲来があり、時の老中阿部正弘は全国の諸大名に意見を求めた。
これまで幕政は譜代大名によって行われ、将軍はめくら判を押すだけでよいとされ、外様・親藩は一切政治に関われなかったのですけど、これにより全国の武士が日本という国を意識するようになり、天下国家を論じるようになる。
その中で下級武士が台頭し、従前の固定した身分制度ではどうしようもなくなり、人間が流動化して藩という単位から、日本人として何をなすべきか、自分は日本のためになにが出来るかという、思想によって動く人間が出てきた。
藩単位でも、水戸藩は尊王主義の藩であるが、阿部正弘が存命中は徳川斉昭を何とか抑えきったが、彼が死ぬと一気に尊王に傾き、地球が寒冷期に入ったことで、西国諸藩の生産性が上がった反面、佐幕派の東北諸藩は生産力が落ちるなどのファクターが重なり、力を背景に薩摩藩は徳川家定に篤子(天璋院)を嫁がせ、幕政に関与しようとした。
こうしたことが重なり、幕府の威信は落ち、倒幕につながったと思う。
幕府の最大の支持者は孝明天皇だが、この天皇が亡くなったことでもはや流れを押しとどめるものはいなくなったと思う。
ご回答ありがとうございます。
徳川幕府が農業政権だったとは知りませんでした。。
江戸幕府の特徴に商人達の台頭があると思うのですが、それはそういった経緯なのですね…
>全国の武士が日本という国を意識するようになり、天下国家を論じるようになる。自分は日本のためになにが出来るかという、思想によって動く人間が出てきた。
この思想の代表的な人物・事件等ってあるのでしょうか?それとも文化的な流れの一部ということでしょうか?これが倒幕に結構関わっているような気がします…
孝明天皇は幕府の支持者だったんですね。
とても参考になります。
ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
国外からは、開国してくれという要求がありました。
これを下手に拒むと植民地化されかねない。しかし、国内はまだ当時の西洋列強とどれだけ武力の差があるかなんて知らないので、開国するなという要求が起こりました。これが攘夷です。
つまり、国外と国内の要求に板挟みになってしまい、思うように有効な手が打てず、国内の不満が一気に高まりました。これが、やがて倒幕へと繋がっていくのです。
この回答への補足
国外→開国要求があり
それに対しての、
国内→攘夷(開国反対…?)
この2つを上手くコントロールできなくなて江戸幕府は滅びた、ということでしょうか??
できましたらもう少し詳しくどのような経緯で江戸幕府の倒幕に至ったのか教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。
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