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あまりの文字数制限に唖然とした。脳の覚醒時と睡眠時では、覚醒時の方が高い能力を有する筈。睡眠とは脳が寝ている状態だからだ。レム睡眠時には夢を見る。これは特殊な事だ。何故なら、夢は映像体験である。眼を閉じているのに“見る”という感覚体験をするからだ。覚醒時に眼を閉じても“見る”事は不可能である。覚醒時の思考は睡眠時の夢に遠く及ばない鈍い“気がする”程度の事である。それは感覚体験でなく、神経のパターンの再現である事による、脳の能力の限界ではないのか。それなのに、能力の劣る筈の睡眠時に、覚醒時を遥かに凌駕する力(映像体験能力)を発揮するのはおかしいではないか。もし、脳が夢を見る能力を有するなら、覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である。

A 回答 (24件中1~10件)

質問者さんは長文にて色々説明されていますが、どこが「夢からアプローチする唯物主義の否定」になっているのか理解に苦しみます。



覚醒時に夢を見る能力を持っている人がいますが、通常、その人達は有能者とみなされるのではなく、逆に「精神病」「夢遊病」などのネガティブなレッテルを貼られて廃人扱いとなります。(能力が劣っている?)多数が正常者となり、(能力が高いかもしれない?)少数が異常者として扱われる現状をあなたも無意識のうちに前提としているのではありませんか。あなた自身を含めて「正常者」の範疇で「覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である」などと議論しているだけです。

この点では、あなたの言う「矛盾」など何もありませんよ。
ただし、「正常者」と「異常者」との間でコミュニケーションがほとんど不可能なため、「正常者」には「覚醒時に夢を見る」ことが理解できないのです。

さらに、脳が生物的に死んでも意識が残るのではないか、と言われても、確かめようがないのです。脳が生きている「正常者」にとっては、受け止めて(認識して)理解出来るのは、具体的な物質的刺激しかないのですから。つまり、この場合も、死んだ脳に存在していたであろう意識と生きている別の脳との間には、コミュニケーションの手段が無いわけで、通常の手段では、検証も反証もしようがないのです。

反証可能性を持たない言説はポパー流にいえば疑似科学です。従って通常は専門家の誰からも相手にされません。(別に、だから悪いという意味ではありません。専門家よりも素人が真に科学を進めることがありますから)

あなたの説(脳とは別に意識が存在し生き続ける?←あまり正確な要約ではないかも知れませんが)を検証するのであれば、あなた自身が「意識」となって、直接生きている他人の脳とコミュニケーションをして意識の存在を説明することでしょう。いわゆる「テレパシー」とか呼ばれている方法でです。そして、物質界と直接コミュニケーション可能な生きている(他人の)脳を通じて、「正常者」に理解し納得してもらえるような説明をすることです。

今まで、そういうことを試した人がいるのかもしれませんが、私は寡聞にして説得力のあるそのような「共同作業」「共同著作」があることを知りません。

従って、やはり今のところ、個人の意識は個人の脳に帰属しているもので、脳が機能しなくなれば存在しなくなるもの、という理解を変更する必要性を感じていません。

この回答への補足

ご投稿有難うございます。あなたの文章は、とても読み易いです。助かります。
>覚醒時に夢を見る人について
覚醒夢の事ですか。私は覚醒夢という言葉を、この質問で初めて知りました。だから、「正常者」の存在しか考察の対象になっていません。
覚醒夢というのがあり、起きている時、眼を閉じると夢を見る。それが本当なら興味深い事ですね。だとすると、「覚醒時夢の能力を使用出来ないのは矛盾である。」という言葉は成立しませんね。
「正常者」の記憶の再現は、夢と比較にならない鈍いものです。それが脳の仕組みではないかと思い、覚醒、睡眠を問わず夢は脳ではないと思われますが、覚醒夢についての知識があまりにも無いので、何とも言えません。これから情報を得て、考察の対象にしたいと思います。
>死後の意識継続を確かめようが無い・・・
分かっていますよ。論証(問題が出て来ましたがね。)はしましたが、確証などあると言ってません。
>疑似科学・・・
専門家を相手にしようと、何故私が言いましたか?疑似科学結構。何とレッテルされようが、どうぞ。論理のつもりですが、現在の科学のルールなどどうでもよいです。
>テレパシーについて
私は常人です。意識をコントロールして他人の意識まで行けません。
 脳を離れた時は、通常無意識と呼ばれている部分が意識の領界内に広がると思われます。
 そして、無意識というのは実はあらゆる魂が共有する無限の広大さを誇るものと考えます。脳を離れたとき、意識は広大な共有世界の、どこを自分の意識の領界とするか、自由に泳げ、相手の意識まで辿りつくのです(この部分は論証出来ない推測です)。
 常人は覚醒時脳という牢獄の中で物質世界の修行をしており、逃げる事が出来ません。だからテレパシー出来ません。
 飛躍した話ばかりして、申し訳ありません。お話しするには、それしかないかな、と思い・・・
>あなたの理解を変更する必要はありません。

補足日時:2007/09/24 08:11
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この回答へのお礼

なるほど、覚醒夢ですか。今となっては、あの、仏国土の方も、そういう様な事を言いたかったのかな、という気もしますね。
とても良い意見でした。有難うございます。

お礼日時:2007/09/24 10:13

非常に言葉づかいが多様で、純粋に論理的な話だけで済ますことが難しいです。

もうちょっと少ない語彙でまとめてみてはいかがでしょうか。後から情報を、とくに「私は、実は」のような論理的でなく経験的な事実を付け加えられるのでは、反駁が難しくなりそうです。

> 私は、実は10代中ばから明晰夢しか見ません。それ程自我意識を鍛えたので。そのうえで申し上げると、「実在しない世界にいる」というのは決め付けです。

決めつけではありません。実在しない世界であることを説明する必要はありません。そういう認識さえあればよいので。また、登場人物が実在の人物かどうかも問題にしてはいません。

すべて実在の人物、実在の物体からなる夢だとしても、それが夢だとわかっているということは、そのときの意識をとりまく環境が実在する世界とは別の世界(実際に生きている世界とは別の世界)だという認識が、それとなくあることを示しています。

A) 反対に、明晰夢の世界(認識をとりまく環境)も、実在の世界も、おたがい別の世界だという認識はあるものの、対等の世界だと認識していると仮定します。
このとき、覚醒時の認識と睡眠時の認識を論証のなかで定義することはできません。まして、それが明晰夢だと認識することはできません。このとき、論証のなかにある覚醒と睡眠の区別は、あらかじめ唯物主義的な世界を前提せずにはいられないので、論証としてふさわしくないということになります。(これに対して私はこう感じているという反論はふさわしくありません。あくまで論理的な穴として挙げているだけです。)

もちろん、質問者さんが「明晰夢」という言葉を使っている時点で、夢の世界と実在の世界が対等ではなく、A)の場合はありえないのですが。

まとめると、私が8-9)のように定義できたのは、
B) 明晰夢の定義が与えられている。
C) 否定証明において覚醒と睡眠とが区別されている。
D) 覚醒と睡眠との区別には世界の実在の認識がかかわっている。いいかえると、世界の実在の認識を交えずに、覚醒と睡眠とを区別することはできない。

上のような意図でした。

> 10)覚醒と睡眠の区別は可能です。肉体を利用している時に取り巻いている世界と、肉体を利用していない時に取り巻いている世界を認識する。肉体を利用しているかどうかの判断が出来るのです。

認識における肉体の位置がよくわからないので、すみません、理解できませんでした。これは、当人が自分の肉体を利用している、していないを判断できるということでしょうか。

これは証明の流れにおいては、区別がそのように可能かどうかは経験的には重要でしょうが、論理的には10)には無関係です。可能であっても、私の論証に問題はありません。

10)には無関係ですが、8)、9)には論理的にかかわってきそうです。そこまで考える余裕は私にはありませんが……。

この回答への補足

>覚醒時の認識と睡眠時の認識を論証の中で定義する事は出来ません。ましてそれが明晰夢だと認識する事は出来ません。このとき論証の中にある覚醒と睡眠の区別は、あらかじめ唯物主義的な世界を前提せずにはいられないので、論証としてふさわしくないということになります。

読解力が足りなくて済みません。あらかじめ唯物主義的な世界を前提にしなければ、覚醒と睡眠の区別は出来ない、とは、どういう事でしょう?

明晰夢という言葉を使っている時点で、夢の世界と実在の世界が対等ではなくなる、のは何故でしょう?

補足日時:2007/09/24 15:02
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この回答へのお礼

ご意見有難うございます
>自分の肉体を利用している、していないを判断できるという事でしょうか?

出来ます。肉体の神経と繋がっている時と、無感覚の時です。

お礼日時:2007/09/24 15:45

あなた自身、神秘体験を持たない常人であり、論証不可能であることを認めつつ、なお死後の世界を信じるのは何故ですか?



それは死の恐怖からの逃避ではないと断言できますか?

この回答への補足

私の信じるバックボーンは、それを提唱する者達の信用に由来する信です。私は、人間の言語の稚拙さにより、それほど証明にこだわってはいません。しかし、世に倫理性を流し込む為には、無理にでも論証を試みなければならない、と思いました。
 死の恐怖からの逃避だと、どういう問題があるのでしょう?そういえば、唯物論の方はよくそう言いますね。
 まぁ、仮に死の恐怖という動機から、私の世界に入ったとしましょう。だったら、何だというのでしょう。
 うきうきして、おおっ、画期的だ、と思って入るのと、その後どういう違いがあるのでしょう?

補足日時:2007/09/24 13:27
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この回答へのお礼

 ご投稿有難うございます。
 死の恐怖からではないと断言します。学生時代、私はこの世を説明するものとして「苦痛回避論」というものを発案し、25歳の時、現世の精神について全ての事象をそれで説明できるように完成させました。それは唯物論の類いであり、仏教とかではありません。
 私に死の恐怖の動機があったら、徹底した唯物的思想を追求する筈がありません。

お礼日時:2007/09/24 16:25

no.17ですno.17の質問の回答を読まさせていただきました。


用は単純にいうと記憶の伝達は脳が夢の時に働いている部分のみつまり伝承は難しいという見解ということですね?(違ったらしてきしてください。)僕の考え方と同じなので驚いています、何かしら欠陥があるかと思っていたのですが発揮し言ってないです、同意しか言えません。

この回答への補足

霊は脳の記憶を全て継承しますが、脳は霊の経験の一部しか記憶出来ません。
興味がおありなら、
『シルバーバーチの霊訓』1~12(潮文社)
『スピリチュアルメッセージ』1~3(飛鳥新社)
など。

補足日時:2007/09/24 09:21
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この回答へのお礼

 実は私の世界では議論する事は無駄だと言われております。人間の言語は稚拙過ぎて、死後を説明し切る事は不可能だからです。それ程、死後は現世を超越したものらしいです。
 それでも私は、何とか一つ一つ論証して行って、このすさみ切った現世を、スムーズな修行の世界に変えたい。今回は最初の論証の、精度を確かめる実験です。
 また、打たれ弱い私の心を、鍛える意味もあります。
 否定的見解を募集したので当然ですが、意見に次ぐ意見に私は疲れ果てました。私はまだまだ甘いという再認識もさせられます。
 そんな中、あなたが、唯一肯定的意見を述べられた時には、どれほどホッとさせられたことか。しかし、修行しに来ているのですから、心を鬼にして、ノーコメントとしました。
 マラソンの給水所のようなコメント、有難うございました。
 私を打って下さった皆様も、有難うございました。

お礼日時:2007/09/24 10:03

夢からアプローチする唯物主義の否定(以下、否定証明):


1) 前提:あらゆる認識は脳のなかで実現されている(唯物主義)。
2) 脳には、覚醒している時間と睡眠している時間とがある。脳の覚醒時の認識は、脳の睡眠時の認識よりも明晰である。
3) 脳の睡眠時に感覚入力のない認識があり、夢とよぶ。
4) 脳の覚醒時に感覚入力のない認識があり、想像とよぶ。
5) 夢は想像よりも明晰である。
6) 2)と5)とは矛盾する。
7) 前提1)は誤りである。

一部用語を変えて上のようにまとめましたが、合っていますでしょうか。ご質問は、これの論理的な欠陥を探せということだと理解しています。これ以降、この証明の反駁をおこなっていきたいと思います。大筋としては、2)の「明晰」と5)の「明晰」が逆に対応することを示していきます。つまり、2)での「明晰」が5)での「非明晰」を意味するということです。可能なかぎり、経験的や科学的な問題ではなく、論理的な話として捉えたいと思います。

8) 覚醒時の認識は、実在するこの世界のなかに私がいるという認識を含む(覚醒の定義)。ここで、「この世界」は、その認識が生じたときに認識を取り巻いている世界を指しているだけである。注意:「実在する世界のなかに私がいる」と認識しているかどうかが問題であって、実際に世界が実在するかどうかとは関係ありません。実際の話をすると唯物主義を前提することになってしまいますので。

8)は、簡単にいえば、こうなります。ふだんは「ああ、この世界は実在しているのだ」と意識もしていません。しかし、世界の実在が自明なことだと、つねにわざわざ意識しなおすことはできます。これは、非常にシンプルな「目の前にパソコンのディスプレイがある」という認識にもいえることです。

9) 睡眠時の認識は、実在するこの世界のなかに私がいるという認識を含まない(睡眠の定義)。

9)は、夢のなかでは、その世界が夢か夢ではないか考えることすらできないことに対応しています。それが夢だと意識している明晰夢もありますが、これは、「実在しないこの世界のなかに私がいる」という認識なので、9)とは矛盾しません。

2') 覚醒時のほうが睡眠時より明晰であるというのは、8-9)の定義のちがいに起因すると考えなければならない。

10) 8-9)の定義を認めるか認めないかのいずれかである。認めない場合、否定証明が依存している覚醒と睡眠との区別が不可能になるため、証明は論駁される。それゆえ、認める場合しか残されていない。ゆえに、8-9)の定義は、否定証明をとるかぎり妥当するとしてよい。

11) 脳の覚醒時に、想像が、通常の感覚入力のある認識に比べて判明でないのは、8)の定義により、実在するこの世界のなかに私がいるという認識を含むため、それが想像にすぎないと認識しているためである。

12) 脳の睡眠時に、夢が、覚醒時の通常の感覚入力のある認識と変わらないほど判明であるのは、9)の定義により、実在するこの世界のなかに私がいるという認識を含まないため、それが夢にすぎないと認識できないためである。

13) 11-12)により、5)は次のように言い換えられる。想像が夢より判明でないのは、それが想像にすぎないと認識しているからである。また、夢が想像より判明であるのは、それが夢にすぎないと認識していないからである。

14) したがって、想像か夢かのいずれのほうが判明かについては、14a-b)のように整理される。
14a) 映像の強さなどを比べれば、夢は想像より判明である。
14b) それが想像/夢にすぎないと認識しているかどうかを基準にすれば、想像は夢より判明である。

15) 6)を主張するには、2)と5)の明晰の意味が一致していなければならない。ところで、2')を考えると、14a)ではなく14b)を採用しなければならない。6)は否定された。ゆえに、7)は否定された。

いかがでしょうか。

この回答への補足

1)~7)
構造、骨格的には合っています。
しかし、脳の覚醒時の明晰は、夢の明晰と同じ明晰とは申しておりません。肉眼の感覚神経と、それ以外の能力、当然媒体が違えば明晰さも、何らかの差異はあるでしょう。いずれにしても、感覚パターンの再現(覚醒時の思い出し)よりかは、どちらも明晰でしょう。
8)
問題ありません。
9)
私は、実は10代中ばから明晰夢しか見ません。それ程自我意識を鍛えたので。そのうえで申し上げると、「実在しない世界にいる」というのは決め付けです。
私は職場で初めて出会った方と、出会う前、夢の中で何度も出会っていた事があります。大して仲良くないので、相手に確かめられもしませんが、少なくとも私は初めて出会った方を、夢の中で見たのです。
だから、明晰夢を見ながらも、「実在しない世界にいる」という認識ではありません。「実在しない世界」であることを説明しなければ次に進めないと思います。
8)9)定義の違い
はっきりしません。「覚醒時より睡眠時」覚醒時の何と、睡眠時の何ですか?
10)覚醒と睡眠の区別は可能です。肉体を利用している時に取り巻いている世界と、肉体を利用していない時に取り巻いている世界を認識する。肉体を利用しているかどうかの判断が出来るのです。
11)
違います。想像に対する認識ではありません。視覚情報を遮断してみた時の想像が、「見た気がする」だけだという、確認によって、判明なものでない、と判断するのです。
12)
変らないほどかどうかは、判断を保留しています。映像体験能力それ自体が、感覚パターンの再現を超えた事と思います。
私は常に夢をそれと認め知っております。

以下)
まぁ、ちょっとよく分かりません。

素晴らしい文章体系ですね。反駁の意味も正確に理解しておられます。
うーむ、骨が折れた。疲れた。素晴らしい。
有難うございました。

補足日時:2007/09/24 10:58
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この回答へのお礼

ご投稿有難うございます。皆様に申し上げます。質問者は、そろそろへとへとになり、連休も終わるということで、反駁の募集は、只今をもちまして終了させて頂きます。まだ、返事をしていない回答は、これから必ず返事をしますので、しばらくお待ちください。

回答の締め切りは、本日夕方までとさせて頂き、反駁という条件無しで、自由にコメントして下さい。ただし、これから受け付けるものに対して、必ずお答えするとは限りません。もう集中力がないので。

お礼日時:2007/09/24 08:06

No.18のものです。


う~ん。魂等や脳の構造などをそのように認識、あるいは信じておられるのなら、私の言ったことは全て納得、理解できないでしょう。
(私的には、脳の話をしているこの状況で魂という言葉が出てきた上に、それをくっつけて考えておられるのがびっくりしましたが……)

まあ、自分の言ったことはあくまで全て推測に推測を重ね、更に推測を重ねた考えなので、さほど真に受けるべきものでもありません。あくまで参考程度に。それを納得、あるいは理解できない以上、私の言えることはもはやこれで限界。後は他の方が良回答を出してくれることを祈っています。最後に、私が夢について論証しようするに至った思考をそのまま文にしてみます。

脳を機能ごとに、カテゴリ、エリア分けすることができるとする。
夢を見るときも脳はもちろん働いているが、覚醒時のときと比べ、全てが高く機能していない、だが、夢を見るときに使う脳の部分(あるいはカテゴリ)とそれをつなぐ神経が他のエリアやカテゴリよりも高く機能していれば、覚醒時のように脳などが高く機能していなくとも、映像体験は可能ではないか、と考える。(夢の世界で、自身の思考が覚醒時と比べ悠長なのは、夢を見せている部分以外が睡眠時に劣化しているから、と考える)

しかし、その夢はなぜか覚醒時に見れない。
睡眠時と覚醒時の違いを探したとき、明らかに違うのは脳や体の能力の圧倒的な差。
覚醒時のほうが思考などの能力が高いにも関わらず、なぜか夢を見るときの映像体験が極めて困難。
それなら逆に、覚醒時は能力が高いからこそ夢を見ることが不可能ではないのか、と考える。
ということは、体の中で夢を見せているエリア、カテゴリは、他の機能が高い状態だとうまく機能できないということになる。
なら、その夢を見せているエリア、カテゴリは、他の機能が劣化していればうまく機能することが可能だということになる。
結果、その夢を見せるエリア、カテゴリ以外が劣化している状態が睡眠時なわけだから、睡眠時しか映像体験ができないということになる。(睡眠時、なぜそのカテゴリ、エリアのみが、他の部分よりも高く機能、あるいは劣化していないかは情けないが説明できない。覚醒時は外界の情報伝達が強く働き、睡眠時は内界の情報伝達が強く働くのは分かるのだが、そうなる仕組みは分からない)

それの仕組みを説明するために、情報の逆伝達の持続や、感覚的情報の優先順位などをだしてみたのですが、いまいちピンときませんでした。今回の問題、全てをつなげて考え、さらにそう信じておられるのなら、もっとエリア、カテゴリを縮めてお考えのこと。

この回答への補足

あのですね、どうも唯物論的夢の説明をする事が目的になっておられるように感じます。私はそんな事を聞いているのではないです。私は、『夢からアプローチする死後の意識継続の論証=唯物主義の否定』
の反駁を目的としてほしいのです。唯物論的夢の説明をしたからと言って、どうして反駁された事になるのですか?
説得して、分からせてくれ、とは言っていません。最初と、A.NO3の時に申し上げた文章の、論理的あらを探しているのです。唯物主義の御託を押し付けてくれとは申しておりません。

あなたの文章はおかしいですね。「脳を機能ごとにエリア分け出来るとする。」・・・大脳機能局在論ですか。いきなり「出来るとする」と言う。何故出来るのか、丁寧な唯物論者らしい説明も無く、「とする」がいつのまにか「するのだ」と言う暗黙の了解的な「常識だろうがお前」的な波動を発する。荒いですね。だから読みにくい、分からない、のです。
だから、「唯物論だから無条件に嫌っているのだろう」という「だめだこりゃ」的な意識でおられるのなら、違いますよ。
まぁ、さよなら。

補足日時:2007/09/23 22:41
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この回答へのお礼

問題の文章は、最初とAナンバー6でした。相当精神力をすり減らしたので、集中力がなくなって来ました。申し訳ありません。
でも、一生懸命書いて下さった事には、感謝しております。どうか、根本的気分を害されませんように。

お礼日時:2007/09/24 07:46

NO.16のものです。


ぐおっ、やっぱりキツかったですか。
質問者様の質問を拝見したとき、まず夢を見る仕組みがよく分からないように感じたので、そこから論議を進めねば、覚醒時に夢を見れない仕組みにもたどり着けないと思ったからなのですが……。

夢は外界から情報を得ているのではなく、内、つまり自分が得てしまっている情報から再度反復するように情報を得ている、というのが一般的な考えなわけなのですが、これの理屈でいえば、覚醒時にもできるはず、というのが質問者様の疑問なわけですよね?

とある物理学者の定義で言えば、人間の感覚も、とどのつまりは情報なわけなのです。人間はその情報を神経や五感を通じて情報として送られ、認識して初めて感覚として生まれ変わるのです。
この情報の伝達、逆も可能ではないかと思ったわけなのですが、質問者様にはイマイチピンとこなかったようで……。

例えば、目に映りこんだ情報と、脳で作られた情報、これらが混同することが幻覚や幻聴を感じた人の中で起きた情報の仕組みと私は思っているわけです。
そして、夢も同じ、少なくとも似たような現象が起きているのでは、と私は考えたわけなのです。

まず、脳から情報を作り出し、それがいったん五感を通じていると考えた理由の一つを。
私、虫が大の苦手でして、虫のたくさんいるところにいると、なんだか体がかゆくなってくるのです。この「かゆい」という感覚、外界からあるていどは情報を得ているにしろ、直接的な原因にはなっていないですよね。ならこの「かゆい」という情報、少なくとも外界から来ていないことはわかります。
ならどこから来ているといったら、もう中、つまり脳の中でまず情報が作られていると考えられないでしょうか。
そしてその情報が五感で得た情報と混同し、外界で生じていない感覚を生じさせている。という考えにならないでしょうか?

そして、この外界との情報を混同させてしまっている脳の部分こそが、夢を見るときに使っている部分なのではないか、と私は考えたわけです。

そして、ここで本題。
この夢を見るときに使われている脳の部分、実は覚醒時にも使われているとしたらどうでしょう。
しかし、感覚的情報の優先順位により、他の情報の伝達が優先されるため、その情報は途中段階で抹消される、つまり覚醒している間は、脳で作られた情報は作っても、他に伝達されていく情報(五感で感じた情報)に邪魔されるため、意識的に不可能なのだと考えたわけです。もし意識的にやろうとしたら、外界から得た情報(特に五感から得た情報)を遮断せねばなりません。あるいは感覚的情報の優先順位を変えねばなりません。覚醒時にこれが意識的に可能でしょうか、そんな集中力と器用さがある人は今のところ知りません。

しかし、睡眠時は、この夢を見せている脳の部分で作った情報の伝達が、他の情報(外界で得た情報)に邪魔されにくいのです。なぜなら、その夢を見せる脳の部分以外が、睡眠時は活発に動いていないからです。つまり消去法みたく、夢を見るときに使っている脳の部分の、情報の伝達の優先順位が上がるわけです。
誰かに起こされれば夢から覚めますよね。これは外界から情報を得たため、感覚的情報の優先順位によって、夢を見るときに伝達していた情報が遮断されるからです。

だから覚醒時は、脳の機能が睡眠時よりも遥かに活発だからこそ、夢を見るときに使っている情報の伝達がうまくいかないのです。

この回答への補足

>「かゆい」・・・脳の中でまず情報が作られていると考えられないでしょうか?
なぜ脳の中でまず情報が作られていると考えられるのですか?私は能動的、創作的、恣意的な生命活動の特徴的な事は全て魂に由来すると認識し、脳はただ「虫がいる」という情報を処理して魂に送達するに過ぎないコンピュータだ、と思っています。それが、物である事の限界であると。生命は魂無くしては成り立ちません。パソコン、ロボットが心を持たないのはその理由である、と考える者です。
 なぜ脳が主体的なものなのか、そこを問題としているのに、解決したような雰囲気で次々進まれても、全く消化出来ない、と言う事です。

補足日時:2007/09/23 18:41
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この回答へのお礼

失礼、ちょっと待って下さい。感覚>脳>意識の、途中の脳の誤作動で間違った情報が送達される場合の事ですね?
そういう事はあるでしょうね。ですが、それが何故意識が脳由来であると説明されるのでしょうか?

お礼日時:2007/09/23 19:19

一つ聞きたいのですが質問者さんは主体性(魂)が脳という牢獄に縛られている時とそうでない時との記憶は継承されるとお思いでしょうか?

この回答への補足

 魂は自分の経験した全ての記憶を備え、脳を離れた時の方が、より鮮明で細かく、引き出しも万能であるらしいです。
 脳の記憶機能はせいぜい幽界までと言われており、現世をはるかに超えてしまうような高波長の世界は記憶出来ません。というのも、現世物質世界の波長があらゆる界の中で最も鈍重であり、鈍重な脳が高波長の周波数を捉えられないからだ、と言われております。
魂は睡眠中、幽界で遊ぶレム睡眠状態と、高波長の霊界で高尚な計画を話し合うノンレム状態をおよそ1時間半ごとに繰り返していると思われます(この辺は独自の推測)。そのうち、脳は幽界の息抜きしか記憶出来ません。それが夢です。
 魂は元々霊界の高尚な類魂の一部です。魂は自分の状態から下の粗い波長の全てを感識出来ますが、自分の霊格を超える高い波長を感識出来ません。つまり、その可能範囲内で、全ての出来事を恣意一つで引き出す事が出来る、というスーパーマンな世界の様です。
 私の認識では魂の記憶に関した事は、こんな所です。
あくまでも、申し上げたいのは、この事は論証出来ません。

補足日時:2007/09/23 17:50
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私は脳に関する科学に全くもって詳しくないので断言できませんが、人間が何かを見るという感覚は、基本は目ではなく、脳です。

目で見た情報を神経を通じて脳まで送り、到達したところで初めて脳はその情報を見たと感じる。他の感覚も然りです。まあ、ここまでは当然なのです(?)

が、覚醒していない、つまり睡眠時で夢を見ているとき、人間は目を瞑っている(例外で、目を開けたまま寝る人がたまにいるようなのですが、まあそれは置いといて)にも関わらず、人はなぜか映像や感覚を体験できる。
まず、なぜ目を瞑って(睡眠時)映像体験(夢)ができるのか、自分なりに考えてみました。

麻薬の投与者は、末期にもなると幻覚を見たり、幻聴が聞こえるといわれています。
なぜこのような状態になるか推測してみました。
さっき説明したとおり、五感然り、情報は脳まで送り込んで、人はやっとそれを認識したり、感じたりします。例えば目で見た場合。
目→情報→脳
この順序は変えることも出来るのではないでしょうか?

つまり、幻覚を見た人の感覚は、多分こんな感じ。
脳→情報→目→情報→脳
つまり目で見るまえに、脳が目になにかしら情報を送る→その情報をもったまま目は情報を得る→脳で得た(作った)情報と、目で得た情報を混合させたまま脳に情報が送られる。幻覚の誕生(?)です。
この幻覚、夢とは少し違うかもしれませんが、脳によって映像などが作られているという証明、少なくとも手がかりにはならないでしょうか?

つまり何が言いたいかというと、この幻覚、夢を見ている時と似てはいませんか?
麻薬投与者、覚醒しているにも関わらず、一部の映像等の感覚が脳によって作られています。
これを夢を見ているときにも利用して考えられないでしょうか?
つまり夢を見ている人は、目から脳ではなく、脳から目の、情報の逆伝達によって感じているのです。(他の五感も然り)それは先ほど言った麻薬投与の常習犯の話で、半分は証明できるはずです。

しかし、ここで問題になってくるのが、情報の逆伝達がなぜか覚醒時にできないということ。
私も覚醒時である程度は映像をイメージできますが、夢のときと比べるとやはり、遥かに劣っています。
覚醒時のほうが遥かに脳の機能が高いにもかかわらず、なぜか夢を見たときのような情報の逆伝達がうまくできない。

ここでまたまた考察、人によるかもしれませんが、夢を見ているときよりは劣るにしろ、人は覚醒時でも映像を一瞬程度はイメージ(情報の逆伝達)をすることが可能です。

ここでポイントなのは、情報の逆伝達は覚醒時に全くできないわけではない、ということです。
ここからまた推測の域を超えない話なのですが、結局、夢の映像も映画のフィルムのように、情報の逆伝達が何度も繰り返される(情報の逆伝達の持続、つまり夢を見ているときの映像)ことによって生じているのでないでしょうか。(そのフィルムの一部分は、覚醒時にイメージしたものだと思ってください)

情報の逆伝達は、まず脳から情報を作り出しています。
しかし、その情報を作りだし、送り出すという行程を連続させる前に、五感が情報を脳に送っていくため、その行程が途中で途切れてしまう。
感覚的情報の優先順位です。

感覚的情報の優先順位とは、例えば、私は乗り物酔いするほうなのですが、乗り物に乗っているときは、「痛い」と感じる程度に指を噛んでいるんです。すると、なんと酔いにくくなるのです。
これは、「酔う」という感覚よりも、「痛い」という感覚が先に脳に伝達されるかららしいです。

情報の逆伝達もこれと同じで、五感や、それ以外で送られた情報よりも、情報の逆伝達で送った情報のほうが遅いから、それを持続させようとする前に、他の情報が割り込んできてしまって、覚醒時では夢を見るときのように、映像体験(情報の逆伝達の持続)ができないのではないでしょうか。

あるいは
(通常の五感などで感じ取った情報の行程)五感→神経→脳
(情報の逆伝達の行程)脳→神経→五感→神経→脳
(情報の逆伝達の持続の行程)脳→神経→五感→神経→脳……
情報が脳にたどり着くまで、何か邪魔な情報に割り込まれると、最初の情報は抹消されてしまいます。上のように、情報の逆伝達は行程が普通の伝達よりも長いので、当然のことながら途中で他の情報に邪魔される
可能性が高いわけです。感覚的情報の優先順位と一緒に考えると、さらに情報の逆伝達の持続が難しい理由が分かってこないでしょうか。

しかし、この情報の逆伝達をスムーズに行うことが出来る上に、持続させやすくすることができる状態があります。
そうです、睡眠状態です。
この夢(映像体験、情報の逆伝達の持続)は、それ以外の行程で得た情報に割り込まれやすい、というのは説明しました。
なら割り込まれにくくするにはどうすればよいか。
情報の逆伝達以外の行程で得た情報を出来る限り得ないようにすればよいのです。その状態になるのに最も条件が整っているのが睡眠状態、というわけです。

ここで大事なのが、この夢を見るときに行っている情報の逆伝達の持続は、五感と、脳の一部分しか使っていないということです。だから、覚醒時には、その一部分以外も強く使っているから、情報の逆伝達がスムーズに、かつ持続させることが難しかったのです。

つまり、覚醒時は脳の機能がアップしているからこそ、映像体験、夢を見たときのような、情報の逆伝達以外のことも行っているため、感覚を実践するのが難しいのです。

ですが、あくまで覚醒時には難しい、ということです。つまり、覚醒時にも不可能ではないということです。
ただ、もし覚醒時に情報の逆伝達の持続を行うなら、あくまでそれだけに集中せねばなりません。
尋常じゃない集中力が必要、というわけです。
とどのつまり九分九厘不可能、というわけです。
長文、失礼しました。

この回答への補足

>脳によって映像が作られている証明、手がかり・・・
眼の機能は脳から送られてくる映像を映す仕組みではありませんよ。それはありえません。眼は外部情報を水晶体を通じて網膜に映す構造であり、網膜の感覚神経が脳に外部情報を伝達するメカニズムです。脳の鈍い感覚質が逆流して網膜に感を及ぼす事はありえません。
例えば、あなた皮膚の一部をどこか決めて、かゆいかゆい、と感覚質を起こして下さい。かゆくなりましたか?なってませんね。感覚質が逆流して感を及ぼさない、とはそこです。
超常的に、病は気からという様な、念が感覚に何かを及ぼすという事はよく聞きますね。それはあるのかも知れませんが、脳の作用の範囲内で説明しようとするあなたのお立場とは、異質のものかな、と思われます。
>私は麻薬投与者でなく、覚醒時幻覚を見た事もありません。覚醒時に幻覚を見るという状態が、そもそも分かりません。残像現象とも違いますし。
ただ、覚醒時にも関わらず意識の一部が脳を離れて、夢の中の状態(幽現界、幽界)を見通す、事はありえると思いますが(霊能)。幽界なら自分の無意識が望んだ環境、夢の状態になります。が、この話は論証出来る範囲ではありません。推測になります。

それで、私の意見をご参考になさった後、もうちょっと内容を絞って頂けますか。ちょっとキツイです。

補足日時:2007/09/23 08:18
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この回答へのお礼

一生懸命考えて下さり、嬉しく思っております。
本当は、このページにコメントを下さる全ての方に感謝しております。皆様の真理探究の心に、光明が差さんことを。

お礼日時:2007/09/23 09:12

no.3の補足を読まさせていただきました。


>>夢の能力以外の能力を・・・
> 私は覚醒時、心は脳というコンピュータを使用する事により物質世界に現れる事が出来ている、と考えている者です。夢とは心が脳という鈍い五感の牢獄から開放される状態と考えています。夢の記憶とは、五感の牢獄から解放された時の経験の一部を、脳に刷り込ませたものではないか、と考えています。
> そういう意味で、夢の能力と覚醒時の能力が、全く次元の違うものではないか、と考えています。

いやまったくその通りだと思います。
ある程度夢の時の脳の働きと関与しているが、それ以外の領域に関与し覚醒時は主体性が脳に帰還し夢の時に感じた主体意識が夢を見ている時の神経の働きに変換(コンパクト化)され覚醒時の意識に現れるのではないかとそう感じました。
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