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あるブログでなかなか面白そうな記事を見ました。

お金持ちと不老不死には、共通点があるのではということみたいです。

読んでなるほどと思いました。

両刀論法として面白いなと思いましたが、そこに自意識が存在するのか?とも思いました。

こういう考えは哲学だと思うのですが

ただ存在意義に関しても書き込まれていました

存在意義は、どうなんでしょう?

存在意義はあるとは思うのですが・・・

読んでいて

わけがわからなくなったので

まとめて欲しいなと思い質問しました。

この場合、ブログのURLは紹介しちゃダメですよね?

暇なときにでも回答ください。

A 回答 (7件)

 こんにちは。



 全くの推測ですが、

 ブログ主様がお考えになっている共通点とは、孤独の恐怖ではないでしょうか。

 存在意義とは、「自分は何のために存在しているのか」ということだと思いますが、それは生きる意味を問うこととも関連してきますね。

 この考え方は、他人の存在を意識した考え方だと思います。他人と繋がることに重きを置いて、生きる意味を見いだそうとする、言ってみればごく普通の考え方でもあると思います。


 お金持ちは、一般の人とは違う人生を歩んでいるでしょうから、他人と価値観が合わなかったりしてある意味孤独な存在であり、一方の不老不死も、他人を看取るという孤独感がある。

 そのように考えたのではないかと思います。本当に推測ですが・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

なるほど 「孤独」の恐怖・・・納得です。

あとお金持ちは孤独に耐えれるというか孤独であることさえ気づかない

ああ すごく納得できる回答です。

ありがとうございました。

もう少し意見を聞きたいのでもう少しだけ締め切らずにいます。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2012/10/19 14:00

No.4です。


元記事紹介ありがとうございます。
内容を読み取るに、基本的にNo.6での回答でいいのではないでしょうか?

「孤独の恐怖」の背景には、存在意義としての「人は、何のために存在しているのか、生きているのか?」という問いがあり、それについての答えは、端的に言えばNo.6でも記述しておられる「他人と繋がることに重きを置いて、生きる意味を見いだそうとする、言ってみればごく普通の考え方でもあると思います。」
になります。

元記事では「考えたくないこと」については避けておられますから、逆に「気になる」のかもしれないですね。

以下、蛇足になりますが、少し付け加えておきます。

「他者との繋がりに根源を置くところの存在意義」に、あえて付け加えるとするなら、それは目には見えないし、お金でも買えないということです。そうして、繋がり・関連性が強くなると、逆にそこから抜け出せなくなり、自分自身を縛りつけてしまうということです。
「他者との繋がりに根源を置くところの存在意義」は(たとえ一人でも)不老不死になったとたんに崩壊してしまうでしょう。

小学生のお子様との会話から触発されて「考えたくも無いこと」を考えてしまう。。。ニュースなどに責任を押し付けるように切り上げていますが、「子供と繋がりあっていて、そこからは決して脱却できない」ということがあるからこそ、考えてしまう自分がいるということでしょう。

元記事では、(著者が求める「繋がり」の一つであろう)大自然との繋がりを最後にさりげなく入れることで、責務としての「人(特にわが子)との繋がり」から、一時でいいから逃れたいという願望を現しておられます(無意識かもしれませんが、笑)。

。。。やはり蛇足でしたね。。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

私もAno6さんの回答で 納得 はしたのですが

もうちょっとほかの意見も聞きたかったので^^

これで締めれます。

ちなみに私は、逆に子供とのつながりを大事にされてる方かなと
社会に目を向けさしたいが、現実はつらいとか?
見せたくないのかなと


その人のブログの子供の写真が見ていて

すごく温かみがあるのでちょこちょこ見ていますので^^

そのへんはでも 正直わかりませんけど

写真には、たぶんコスモス畑で走り回る子供がいての写真かなと

なんとなく思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/20 09:24

無限大に対する憧れでしょうか。



尽きることのない財力、尽きることのない若さと健康。

これが他人を動かす力にまで発展したら迷惑ですよ。無限大の権力、無限大の軍事力。

そして無限大ほどつまらないものはないと、死ねなくなってから思うものでしょう。食べたくないのに次々と出てくるご馳走のように。

死ぬかもしれない、怪我をするかもしれない、受験に滑るかもしれないの、ハラハラドキドキはそこにはありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

逆に浮き世離れしていくのかなとも思いました。
(権力もいらないような・・・)

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/19 08:21

>>>


この場合、ブログのURLは紹介しちゃダメですよね?
<<<
質問として必要な部分について引用し、引用元URLを明記するのであれば、何ら問題はないでしょう。でなければ、質問が不完全になってしまいます。


不老不死となるには3通りの手段があり得ます。
1.細胞は一定回数分裂すると自滅するようにプログラムされているので、そのプログラムが作動しないように遺伝子発現を制御する。
2.細胞ないし臓器、あるいは、その個人の時間経過を他者よりも遅くする。
3.自身の脳(ないし魂に相当するもの)を、移植する。

1の方法は、避けることのできない自然放射線の影響での遺伝子変化=発ガンリスクが増えます。
2の方法は、一部細胞や一部臓器のみに適応しても無意味なので、個人の体全体の時間進行を遅らせることになり、思考速度も遅くなるでしょうから、他者からみれば、ナマケモノを絵に描いたようにみえるかもしれません。

3の方法については、稚拙ブログを参照願います。一部引用しておきます。

脳を知りたいという欲望と不老不死の欲望と。。。
http://jinen.exblog.jp/6226762
>>>
人はなぜ、「わたし」の根源を知りたがるのだろう。。。

多くの人々は、「脳」を知れば、そうして、「脳構造・脳機能」を人工的に作り出せれば、さらに、記憶を移植できれば、「このわたし」は永遠に生き続けることができると思っているかもしれない。。。

いや、そんなことを思っていないとしても、「何か」を求め続けるということは、その「何か」が得られない限り、永遠にいき続けたいという欲望が背後にあることを意味している。「脳を知りたい」という欲望は、不老不死の欲望と表裏一体のものであろう。。。

一方、「もはや生きていてもどうしようもない」と、「このわたし」に終止符を打てると思っている人もいるだろう。。。

この両者は、実のところ、同じ概念に依拠しているといわざるを得ないのではないだろうか?

。。。

ロボットの体に移植すれば、「このわたし」が永遠に生き続けることができる。
とか
自身の意思によって、「このわたし」に終止符を打つことができる。
とか

一見、何の関係もなさそうな二つの事柄だが、そのどちらもが、「このわたし」というものを、取り出して眺めているかの如く扱っている。。。

果たして、「このわたし」を、本当に「取り出すこと」ができるのだろうか?

(中略)

もし、仮に、「このわたし」を移植し続けることで、永遠に存続させることができるとする。「このわたし」の体は、脳を含めてすべて失われ、まったく別の体・脳に移植されたとする。そのときに、「このわたし」は、それまでの「このわたし」と同じなのだろうか?

もし、仮に、「このわたし」に終止符を打つことができたとする。「このわたし」は、体・脳を残して、永遠によみがえることができなくなったとする。そのときに、「このわたし」を存続させてきた体・脳は、「このわたし」には、もはや何のかかわりもなくなったものなのだろうか?

両者ともに、同じことを述べ立てている。

脳や体は、「このわたし」を成り立たせるための手段にしか過ぎず、使い捨てが可能であり、取替え可能な物質に過ぎない。「このわたし」が最終的に絶対優位なのであって、脳や体は、「このわたし」の欲望のためには、どのように扱われても、文句は言わないし、言えないのだ。
と。。。

それが、如何に「非道徳的」で「非倫理的」かという議論以前に、考えるべきことがある。

本当に、「このわたし」は、他から切り離すことが可能なのだろうか? と。。。
<<<

ようするに、「わたし」というものは移植不可能(交換不可能)な存在だということを述べています。

関連するショート・ショートを3編ばかり作りましたので、よろしければ参考にしてください。

不老不死。。。ショート・ショート。。。
http://jinen.exblog.jp/18698461/
不老不死。。。ショート・ショート。。。2。。。
http://jinen.exblog.jp/18821213/
不老不死。。。ショート・ショート。。。アバター編。。。
http://jinen.exblog.jp/18835499/

上記ショート・ショートは、別のカテゴリー(物理)での下記Q&Aにて回答時に作ったものです。

人間はロボットですか?
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7596815.html

この回答への補足

コメントで聞いたところ

メインは写真であって

雑記なのでごめんなさいとのことでした。

URLはNGなのでそっくりコピペします。

コピペならいいそうです。


‐---ここから‐---

なんとなく思ったことの雑記です。

子供にお金のことを聞かれると

私は、「なくては困るもの でもありすぎるのも困るもの」って言います。

なくては困るのは説明しやすいです。

なければご飯が食べれないって言えます。

ありすぎて困るってなると

私は、「楽しいことが減る気がするよ」って言います。

でもそれ以上のことは、個人の考え方ですので何とも言えません。

私の考えを押し付けるのも嫌なので

多分、世の中ではお金がある方が幸せでいいことだと思うと思います。

でも私はあまりそう思いません

生活に支障がなければちょっと贅沢(たまに外食に行くとか毎日晩酌でビールが飲めるぐらい)が

ほどよくが、幸福なのかなと思います。

お金があればなんでもできるおしいいものも食べられる・・・

しかし、お金持ちになるには何かを犠牲にしていると思います。

漫画家さんが年収30億・・・

おお お金持ちだ 幸せだって思うかも

でも

個人で使いきれるかというと・・・?ですよね
(まぁ 普通に生活してでの話ですが^^;)

私なら仕事なんかしないで・・・って思ったのですが

そうなると存在意義、疎外感に耐えられるのかなと・・・

転職時、仕事をしない空白の2週間程度があったのですが

その時に旅に出たのですが、昼間に働く人を見ると

取り残された感じになりました。

人は、なにかやらなくてはならないという観念があるのかなと

個人的ですが思いました。

定年退職後でも何か趣味を持つとか生きがいを見出すのは

そういうことなのかもしれません

したがって暮らすには十分すぎるお金があっても

やっぱり働くのかなと

起業家、投資家が「お金を儲けるのは悪いことですか?」

その人たちも何かしなくてはという概念があるので

十分すぎるお金があっても働くしかないのかなと・・・

そうなるとそれは幸福なのか?

なんて考えたりします。

また、稼ぐ人には、その下の人達がいます。

社長なら社員や関連会社 漫画家なら編集者とか出版社に読者・・・

大きければ売れればそれだけの責任が見えない糸で縛られる気がします。
(私は、家族さえ守れればいいので その責任感はありますけど^^;)

ふと 不老不死と通じるような・・・

不老不死も人類の究極の希望などという人がいますが、

仮に自分がなったとしましょう

家族がいなくなっても友人がいなくなっても看取りそして生きる・・・

特に我が子が年老いその最期を看取るようになるならば

私には耐え切れません

でも不老不死なので死ぬこともできない

ジレンマというか気が狂う気がします。

いやきっと狂うでしょう

また死も同様に

自分で考え行動できなくなっても

人工的(延命処置)でただ生きてるだけでは、死んだも同様

いや 死より辛いことだと思います。

まぁ 小学生の息子にいろいろ聞かれ

なんと答えれば良いかなど考えていると

こんな考えが浮かぶ私は 変な人なのかなと 自虐的に苦笑してしまうことしかできなかったりします。

ほんと世の中は難しい

自殺や親殺し子殺しのニュースを見ては

そんなことは聞かないでよと

内心ビクビクしています

でも

アニメばかり見るのも

どうかなと・・・

テレビもゆっくり見れない今日この頃です。

ああ 魚眼レンズが欲しいけど 写真撮っていないナ・・・

広大なコスモス畑で夕日にうろこ雲・・・

撮りたいなと

徒然日記みたいになってしまいました(笑)

‐---まで‐---

補足日時:2012/10/19 09:45
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

URLは、個人ブログみたいなので

コメントで確認とってみます。

文脈からみると

そこまで医学的見地からでなく抽象的なイメージでの

引用なきがしました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/19 08:19

単純に考えて双方とも人間の夢というか理想なのだけれど、実際にそういうことが実現すれば当人には何も良いことがないだろうということなのでしょうか。



一面では真でしょうが、多少偏った意地悪な見方といえないこともないでしょう。

金持ちというのはそこそこ、今の世には考え方によってはほぼ大衆レベルに近くまで実現しているという見方もあるでしょうが、不老不死はまだ実現不可能です。でも昔に比べれば平均年齢は驚異的に伸びて、ある意味不老不死に近づいているといえないこともありません。

資本主義的自由主義世界では皆金持ちを目指してがんばります。その結果というか最近まではそこそこ成功したような印象です。今後は険しくなりますが、それは地球というものが有限だったからで、主義思想そのものが間違っていたということでもないと思います。
不老不死という希望も元気なままの”結果長寿”を目指してきたからこそ医学はここまで伸びてきたといえないこともありません。この方向が間違っていたということでもないでしょう。

それぞれ目標としての存在意義はいまもあるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>それぞれ目標としての存在意義はいまもあるのではないでしょうか。

確かにあるかもしれませんね

ありがとうございます。

お礼日時:2012/10/19 08:16

しかし金を使えば他人の時間を奪える(他人の命を自分のものにできる)が、自分の時間を増すことはできないと思います…

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

逆に言えば自分の時間を費やし

他人の為に鐘を稼ぐ・・・

漫画家(年収30億)の人の話が

わかりやすかったです。

お礼日時:2012/10/18 19:28

お金持ちも不老不死も、「自分さえ良ければ他人はどうなってもいい」


という自己チューな考えである(短絡的な快楽主義)という点で共通。
実際、一人だけ不老不死なら人生を通算した充足量の増大に寄与
するけど、皆んなが不老不死になったら、人口爆発で食料難、領土
争奪戦争で、長くても悲惨な人生になる。
一人だけ金持ちならリッチな生活ができるが、皆んなが金持ちになっ
たのでは生産量は限られており、物価が上がって生活レベルは変わ
らないし、それどころか過剰に流通する貨幣はマネーゲームに流れ、
バブル>バブル崩壊で不況と貧富の格差を拡大する。

この回答への補足

お金持ちも不老不死も、「自分さえ良ければ他人はどうなってもいい」
という自己チューな考えである(短絡的な快楽主義)という点で共通

すごくと納得しました。

慈善家でお金持ちもいるかもしれませんが、初代はそうはいかなかったでしょうね

ロックフェラーもロスチャイルドも・・・

回答ありがとうございます。

補足日時:2012/10/19 16:05
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この回答へのお礼

そのブログの主は、
永遠に生きるのは、家族、友人の死を看取る辛さ
お金持ちは、使えきれないお金を持ちながらも存在を見出すため
仕事を続ける
そんな趣旨で書いていました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/18 19:26

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