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「人間の意識は脳のニューロンに流れる電気の信号で脳が死ねば意識は無くなり人間は無になる」と主張する人がおります。
しかし、もし電気の信号が人間の意識だとすると、人間は自由意思を持つことはできません。
なぜなら電気の信号は物理的なエネルギーなので物理の法則にしたがわなくてはならないからです。

「今日の昼は物理の法則にしたがってラーメンを食べねばならない」なんて人いるでしょうか?
そんな人いませんよね?

人間には物理の法則にしたがわない自由意志があります。
人間の意思が物理の法則にしたがわないということは、なにか物理の法則から自由なものが根本にあると推定します。その物理の法則から自由なものとはいったい何か?

意識にせよ自由意思にせよ体積もなく質量もなくそれを示す計算式もありません。
なので物質であるとはとても思えません。
では情報の一種なのだろうか?情報をうまく組み合わせれば意識や自由意志が発生するだろうか?
しかし、もし情報だとすると「紙と鉛筆」で意識や自由意志が作れることになりますが、それもありえなさそうです。

物質でもない、情報でもない、となるといったいなんなのでしょうか?
この世は物質(エネルギーも含む)と情報でなりたっています。それ以外のものはありません。
となると人間の意識や自由意志はこの世のものではないことになります。
この世のものではなく、意識や自由意志を有するものとはつまり「魂」そのものではないかと思うのです。

みなさんはどのように考えますか?いろいろな意見を聞かせてください。

A 回答 (13件中1~10件)

私は誰でしょうか。

大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
人間の本質は物質ではなく、物質を観測している魂のほうなのだと思いました。

お礼日時:2017/09/10 17:35

魂も二つ同居している、いいのと悪いのと、

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>もし電気の信号が人間の意識だとすると、人間は自由意思を持つことはできません。



短絡的ですね。実際に、ディープラーニングするAIの実態は、コンピュータですが、学習し、反応し、まるで勝つための自由意志を持つかのように動きます。

なにを間違えているかと言えば、語感の情報と、莫大な記憶域と、記憶がディープラーニングする構造をもっていること。語感の情報によって、何を体験し、記憶していくかは千差万別。その記憶の状況に応じて、幾つかの選択肢から、最適な方法を決めるのが、自由意志です。不思議でもなんでもありません。
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人の知っていることなどごく僅かで、世界が何で構成されているかなど到底知り及ぶ事はできない。

そもそも、人間が知覚できるものは有限であり、その有限性が世界を成立させていると言ってもいい。
そのような有限性の中で、魂というものを考察するにあたっては、その行為は何某かの人間の知り得る事柄の一つの限界に漸近しているようには思われる。
考えたり、道具によって知覚を増大する事で拓ける世界もあるが、魂というのは、古来より人間が普遍のテーマの一つとして数えて来たものであり、その意味するところは、汝何者かを知らん、である。人は目、即ち感覚器官によって様々な現象を知り得、また体感するが、この目によっては自分自身を知る事はできない。自分自身を知るには魂を尋ねなければならない。それは内的な旅であり、生き方の探求であり、如何すれば私自身を欺かず、正しい道を行けるのかと言う問いでもある。
自由意志を何に使えば良いのか、それは自分自身に尋ねなければならず、他人にはわからないし、教えることもできない。
自由意志の根拠の内、はじめに見出すものは、自由でない自分、感覚器官の映し出す世界に縛られた自分に対するアンチテーゼ、そこから自由でありたいと言う欲求だと考えられるが、この、見える世界の陰、見えない世界に目をやった事自体が、見えぬ世界を人間が知り得る可能性を担保するものとなっている。
それは情報化されておらず、また感覚器官で捉える事もできないが、こころに知る事はできる性質のものなのです。
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「しかし、もし電気の信号が人間の意識だとすると、人間は自由意思を持つことはできません。

なぜなら電気の信号は物理的なエネルギーなので物理の法則にしたがわなくてはならないからです」
⇒という、ご質問の最初が間違った認識でしょうね。

つまり、人間の脳の仕組みを単なる電気の信号の物理と決めてしまっているからです。
人間の脳の仕組みは、単なる物理と決め付けるほど、まだ解明されていませんからね。
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「魂が“存在”するのか」という問いには、『存在が先にあり、


その後に魂が生じている』という、唯物論的観点が先入している。
最先端の量子論的世界観において、「存在的有限性は、観察される
事で二次的に派生している」とされ、存在=宇宙そのものが、
観察=意識(魂)の中のものであるとされる。
全体を成すものが、中の部分に宿るのはヘンです。
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>「魂」は存在するのか?



科学の答え:未だ「魂」は観測されておりません!
形而上学の答え:どうぞご随意に。フィクションですからね。
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まず、物理法則に本当にしたがっていないかを考察しないと駄目なんじゃないでしょうか?


懐疑的に考えたら、本当に自分がラーメンを食べたいと言う自由意志では無く、ラーメンを食べなくてはいけないと言う状態で無かったと言い切れるでしょうか?
結論を急ぐより、まずは、本当にその結論に至る、実験なりを行ってみないといけません。
また、物理法則に基づく自由意志の存在の可能性も考えなければいけません。
そこら辺を考えて見たら良いんじゃないですかね?
「情報」って言葉も、ちょっとあいまいだと思います。
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どのように思うか は


どのような情報を得ているかです
先ず生命が分からなくては 魂などわかりません

物理化学の面から
深層心理学の側から
生命科学者の意見から
量子論から
哲学 宗教から 文学 芸術から

様々な角度から 論じる事は
万般の学問を学ばなければなりません

今回 
魂を科学の面から少し論じます

先ず生命が分からなくては 魂などわかりません

地球の誕生は あり得ない程の事なのです
地球が誕生して8億年で生命が誕生しましたが
ありえない事なのです
生命科学でも今だに そのメカニズムは解明されていません

今に最新の科学でも 一つの有機物すら作れないのです
60兆個の細胞からなる人間は 地球的 宇宙的規模なのです

科学での生命の解明は
何らかの手が加わった
ありのままを受け入れるしかない
と 科学者が 科学者らしからぬ 事を言うのです
科学の「原因と結果」の法則では 説明不能なのです
量子力学では科学の法則が当てはまらない
 偶然を用いなければ 理解不能に陥るのです

生命は 宇宙からやってきた
 これ今 最も有力な説です
すなわち 地球も 宇宙も生命体である
と言うのが 最も納得のいく説です
しかし 想定 仮定の域をでないのです

宇宙も 生命も 神が作った  と言っても
誰も 否定できないのです

生命を深層心理学等からの解明
フロイトやユングがゆうめいですが
ほんの入り口までしか分からないのです

少々長い引用ですが
加來道雄(理論物理学者日系3世)科学者は偏見をもつべきでなない
信じられない現象も受け入れなくてななりません
唯物論で人間を理解し、唯脳論で解決策を探すだけの科学では、
たとえ国家を挙げた研究でも限界にぶつかってしまうだろう。科学の未来は、
宗教と融合を目指す中に開かれるはずだ
と言っています
あり得ない事を信ずる・・・認めざるをえないのです

長くなるので 簡単に
地球意識プロジェクトで 論理的に説明不可の結果が出ました
いや 地球に意識がある  と言ってしまえば簡単なのです
宇宙の構造で 人間の脳と極めて近い いやそっくりな配列に
驚く天文学者達 いや 宇宙は生命そのもの と言ってしまえが 簡単なのです

宇宙 地球 生命
ミクロの世界 マクロの世界   これら究極の一つの法則から成り立つ???????

科学者は 天文学者 物理学者は
その あまりの不思議さに ありえない現象に 地平線を感じています

この宇宙が 神が作ったならば その数式があるはずなのです
量子力学等では 神の数式(法則) を探しています

アインシュタインにしても その限界(地平線)をかんじたのです
だから 宗教を否定しないのです
「科学には宗教が必要だ」とか言っています

この化学を使いこなす 哲学 宗教の必要性は 
等しく科学者の 望んでいるところなのです


どんなに生命科学 物理学 天文学が進歩しても
想定 仮定の段階から いまだ 脱する事はできません

私のいとこが 天文学者で よく話をします

余談ですが 今(宇宙 地球 生命  ミクロの世界 マクロの世界
空間が分かれば すべて分かる と言われています

宗教も同じで 空が分かれば すべてを悟る事になっています
皆さんおなじみの 孫悟空の話  
これ 空を 僅かに(孫)悟った と言う事なのです


現在 何処まで宇宙が解明されたか 簡単に説明します

最新の研究で
別の宇宙を想定した 多元宇宙論 が やっと日が当たりました
永遠のインフレーション理論の数式から多元宇宙を
ビックバンの理論を解明しようとした理論です

検証不可能なのは 科学ではない と言われましたが
二つの異なる科学分野からの後押しがありました
宇宙のしくもをミクロのスケールで説明するために考案した 弦理論
マクロのスケールで探求する 天文学者 です

弦理論とは 
画期的理論を物理学者が 
最小単位は素粒子(クオーク)ではなく
物質を構成する さらに小さい振動する弦としたのです
様々な原始を生み出す
この方程式は 空間は 9次元でなくてはならない
すなわち 見えない次元 なのです
人間が数億分の1になれば 見えない次元が見えるのです

天文学者は
宇宙は星や銀河の影響で減速するとしたが 
実際は 加速していた 
そこから地球から離れていく 見えない力があると考え
銀河同士がなんらかのエネルギーで引き離している
このエネルギーを「ダークエネルギー」と名付けました
科学史上衝撃的発見です
何故 大量のダークエネルギーが存在するか不明のまま10年 経ちました
其の謎の解明に多元宇宙論が浮上したのです

謎ミクロの世界の量子力学では
真空でも目に見えないエネルギーが ある
粒子が活発に動いていて 空間にエネルギーを供給 数式だとレナルギーは膨大です
しかし天文学者の観測によるデータだと 限りなく0に近いのです(122桁
理論上の予測と違うため  説明できず 偶然ですましているが 
ダークエネルギーの値が何故こんなに小さいのか 説明不明  誤算 なのです
生命の存続にかかわるのです
僅かに4個0を取った(ダークエネルギーが増えた)だけせも 宇宙は加速的に遠ざかるため
光星も銀河も作られない 私達もいない
ダークエネルギーは何故 理論的と観測では違うのか 謎なのです
多元宇宙論なら 解決です 無数宇宙があるなら
ダークエネルギーが小さいと宇宙はつぶれる
大きいと 物質は融合できず 星や銀河はできないのです

この生命の問題を 深層心理 哲学 文学 宗教 の側からの
説明をしたいのですが

長くなるので後日

参考
法則 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
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科学で解明出来ないことを誤魔化す言葉なんて、幾らでもあるよね。

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この回答へのお礼

いくらでもある?
では「魂」の他に何がありますか?

お礼日時:2017/08/26 10:26

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ソクラテス・・・・(汝自身を知れ)
デカルト・・・(我思うゆえに我あり)
釈迦・・・・・・(汝自身を省みたずねるが良い)
カント・・・・・(・・・我が上なる星と 我が内なる道徳法則とである)
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分断は 国と国 民族と民族 人間と自然 等でも同じで、悪です
戦争は この不信から分断へと進み始まるのです 
企業 団体 家庭 すべてに通じます
 当然 その逆であ結合の本質は善です。団結です 
当然そこには信頼があり平和がありそして希望があります
もちろん 何の元に団結するかの 高低浅深はありますが

 信のある人は希望があります
希望は人生の宝です
 希望に生き抜く人は堕落はない惰性もありません
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そして信のある人は「寛容」が生まれます


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信は結合 不信は分断
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信は善 不信は悪と
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信は行動に移り その結果を見て学び 
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疑いは 簡単な事でも分からないのです

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信 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage13.htm

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1:寛容とは、個人が進んで他者の尊厳を擁護しようとする心である。
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蛇足ではございますが、岩崎先生の解説本を読んでいると、カントの目指した認識論的主観主義は破綻しているのではないかと思えてきたところです。
これに関して、ご意見、ご主張のある方は、上記の質問の回答に加えて、お考えをご教授ください。

どうぞよろしくお願いします。

合掌

カントの本は難しすぎて読んでも理解できないので、岩崎武雄先生が日本語で書いた「カント」という解説本を読んでいます。

カントの純粋理性批判は、先天的総合判断が可能かどうかを吟味しているが、これがその中心テーマだそうです。

その記述の中に、総合的判断の事例として「7+5が12である」というものが載っていましたが、これに関して疑問に思うので質問します。

質問1:私たちが、四則演算、とくに加法の法則が成立する公理系を選択している以上、7+5が12になることは、一般(すなわち加...続きを読む

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質問文に書かれている「総合的判断」は、「先天的総合判断」の事なんでしょうか?
まずは、「総合的判断」かどうかを吟味しましょう。
カントの定義では、「総合的判断」とは、主語に述語の概念を含んでいない場合です。
質問1.主語は、7+5であり、述語は12です。
述語である12が7+5に含まれているかが問題になります。
ここで、この判断が、分析的判断だとすると、7+5に12が含まれていなければいけません。
一見したところ、7+5に12は含まれていません。 したがって、総合的判断と言えます。
質問2.主語は、三角形の内角の和、述語は180°です。
三角形の内角の和に180°は含まれていません。 したがって、総合的判断と言えます。
質問3.分析判断の例はいくらでも考えられます。
例.死者は生者では無い。
例.独身者は、未婚である。
主語の概念が、主語とは別の言葉で表現できる場合は、それを結合すれば、分析判断となります。
ここで、質問1と質問2は、総合的判断と言えますが、それが先天的かどうかは、さらに吟味しなければいけません。
カントの時代は別としては、現代の数学においては、公理の真・偽は判断されません。
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したがって、現代においては、質問1.質問2の例は、総合的判断ではあるが、先天的総合判断ではありません。

質問文に書かれている「総合的判断」は、「先天的総合判断」の事なんでしょうか?
まずは、「総合的判断」かどうかを吟味しましょう。
カントの定義では、「総合的判断」とは、主語に述語の概念を含んでいない場合です。
質問1.主語は、7+5であり、述語は12です。
述語である12が7+5に含まれているかが問題になります。
ここで、この判断が、分析的判断だとすると、7+5に12が含まれていなければいけません。
一見したところ、7+5に12は含まれていません。 したがって、総合的判断と言えま...続きを読む


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