dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

人間の精神はなぜこれほど脆弱なのでしょう。

A 回答 (16件中1~10件)

こんばんは†



難しいことは、解らないなの。

人間は,他人<ヒト>との中で,常にいるでしょなの。

家族だって,個の人間であって,自分の内なるモノ違うでしょなの。


世間・家庭というのは,摩擦や,刺激の中で生きている思うなの。

言うならば,剣道の<鍔迫り合い>なのなの。

それで,それに耐えるか・耐えられないかなの。

これによって,精神的に強靭か・脆弱かになる思うなのなの。


こういう発想は,単純過ぎなのかななの。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなの。

お礼日時:2009/11/24 00:07

こんばんはー。



>しかし、未だ脳内に精神は見つかっていないようですよ。
まだ解明されてないので、ただ僕の持論ですが、脳の「中」に、精神はないと思ってます。
いくら分析しても、化学反応や電気信号が見つかるしかないと思います。
いわゆる主観的な「意味」は、物質ではないので。
でも将来は、対応表のような物ーーはできるんじゃないかと想像します。
今は単純な、丸い図形を見たら脳のここが活性化する、というくらいが分かってるだけですが。
ただ主観の構造は、外部にたいする認知と関係しており、つまり、物質的な脳の中にはとどまらないので、できても対応表までじゃないでしょうか?想像ですが。





>しかし、それによって人は傷つき極端には自殺までします。
左右されることと脆弱であるとはイコールにはならないと思われるのですが

確かに違いますねー。そういう意味でしたか・・

イコールでないところの一つとして、自覚があると思います。
脳がそうであるそういうメカニズムであるということは、自分の嫌なやつも好きな人もみんなそういう仕組みだ、ということです。
それは、具体的な悩みに対して、そういう自覚?認知はある程度食い込むと思います。
脳を引き合いに出してますが、宗教的な概念も、そういう、個性の違いと、その裏側である共通性を引き出すという意味で同じかと思うんですが。

深い部分の概念は、抽象的で汎用的です。言換えるとそれを認めるなら例外がありませんし。
物理は、宇宙どこでも通用すると思うし、そういう直感も働きます。
人間においても、抽象と具体を知るというか、違いと同じを知るのは、単純に事実の理解につながると思ってるので。
全体がそうだと知ることは、またあたらしい認識をうむじゃないかと。  仏教的な、個に則った発想ではないのですが。
誤解を解けるならいいかと・・



これはだから多分、いいかえると、精神を自分だけの物と思うか、全体として共通項のある側面もあるんだと自覚するか?そのあたりで、脆弱かどうかにも関わるかも知れないですし。
すごく具体的だと、脆弱なのは自分だけか?特定の人だけか?みんななのか? そんな形で意識に現れる気もします。
自分の脆弱性の自覚には、そういう意味で他人が関係してる、と思います。そうでないとおっかなくてなかなか自覚=認められないですし。


これはそういう考え方もある、という風な話ですが。
自分のことは棚に上げて言わしてもらいました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

痛みとして自覚していることに何か意味があるのかもしれませんね。

お礼日時:2009/11/24 00:06

 その観受体験そのものは過去のことですが、その時 過去の記憶を思い出したのか、その瞬間のことだったかは、分かりません。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/19 22:35

s:他者がいないのに自分が存在し得るでしょうか。



 自らの観受体験 によれば、存在していました と言えます
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

過去形でしたか。

お礼日時:2009/11/18 18:02

#9に対するコメント。



>各個人の経験には同じものはないと同時に本質的には共通の核を含んでいると思いますが、共通の核を自分の人生に活用するにはどういう思考が必要でしょうか?

この問いに対する答えになっている自信はないのですが、思い浮かぶことを述べてみます。他の人の行為に対して、自分の行為が共通な核を共有しているかどうか判断できるためには、自分の中にその人の行為に共鳴出来るような何かを持っていなくてはならないと思います。その何かは、自分の経験や思索などで手に入れて来た、まだ形になっていないような胚芽見たいな物のことです。それが、他の人の思索や行為に接したと時に、突然、目から鱗が落ちるように、これだ!との衝撃を感じるのではないでしょうか。繰り返しますが、この衝撃は、共鳴ですから、前もって自分の中で胚芽を作り上げて来なかった人には、起こりえないと思います。ここで私の言っていることは、新しくもなんでもなく、要するに、ソクラテスの産婆だと言っているだけです。ですから、先人達と対峙するためには無垢の白紙状態では駄目で、今までの自分の生き様の中から、自分の中にある善しとする何かを、たとえそれが胚芽でも良いから作り上げておく準備が必要なのだと思います。その善しとする物が突然目の前で形になって来たのを見た時に、 それを喜べない人はいないと思います。その喜びの積み重を味わうことができれば、それが、自分の人生の糧になるのではないでしょうか。

取り留めがありませんでしたが、何も深く考えたわけではなく、心に浮かぶよしなしごとを、そこはかとなくを書きつづろってみました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/18 18:01

固くもならず、柔らかすぎず、しなやかなこころで。


どうだろうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それは案外難しと・・・・

お礼日時:2009/11/18 18:00

こんにちは。

お久しぶりです。

「人間の精神はなぜこれほど脆弱なのでしょう」

それは、身も蓋もないですが、そうできてるからだと想像します。
精神、って心ですよね?
脳の作り上げる物として、心、人格、リアリティー、という3つを作ってると思うんですが、どう思われますか?(正確には作ってる、ではなく、因果関係はないと思うんですが)

もしそうなら、精神とはおおざっぱに脳のことかと思います。

脳としてあつかうと、脳は外界との反応で変化するようにできてるので、脆弱=外部環境に左右される性質、という意味なら、それは基本的性質じゃないかと思います。
お豆腐はどうして柔らかいんでしょう? みたいなことじゃないでしょうか?
読み違えてたらすみません・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>精神とはおおざっぱに脳のことかと思います。

しかし、未だ脳内に精神は見つかっていないようですよ。

外部環境に左右されるだけなら良いのです。
しかし、それによって人は傷つき極端には自殺までします。
左右されることと脆弱であるとはイコールにはならないと思われるのですが。

お礼日時:2009/11/18 17:58

cyototu様、横レスさせてもらいます。



>ここでのキーワードは、自分の真摯な生き様を先人達のそれと比べてみる、と言うことです。私の言う対峙とはそう言うことです。

各個人の経験には同じものはないと同時に本質的には共通の核を含んでいると思いますが、共通の核を自分の人生に活用するにはどういう思考が必要でしょうか?
そこら辺のヒントをもらえればshift-2007様も私も有難いです。

ちなみに個人的な印象ですが、非狩猟民族は上記のような目的の思考の作業は苦手なのかと思っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/18 17:53

#5に関して、



御愁傷様です。

#7に関して、
そうとは思いません。永遠を原理とする科学に対して、変化を原理とする科学が市民権を得ております。「散逸構造」をキーワードにして、現代科学の進歩を認識して下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/17 14:21

>何故、精神が変わり続けていくのか、という事は、この世界の全てが変わり行くものだからとしか言いようが無いのですが・・・



ここに西洋と東洋の、のっぴきならない、もしかしたら決して超えられない葛藤があると見ました。多分「永遠」を信じる西洋では、この世界の全てが変わり行くものだと言う、我々に取って自明な「変化」の概念、即ち「ゆく河の流れは、、、」の概念は、それに対して、全ては与えられたものであるとする唯一絶対の信仰の下で育まれた西洋人に取っては、決して受け入れることが出来ない概念なのかもしれませんね。

自分とは全く異なった環境で育った人々にとって、何が当たり前で、何が当たり前でないか、哲学を論じる方には言わずもがなの問題ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

すべては方便なのでしょう。

お礼日時:2009/11/17 13:53

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!