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私は中学三年なんですが、私は変な考えを持ってないのでしょうか少し心配です
その考えというのが、
私は媒体で、心が何かを感じたいと思ったから行動を起こすつまり心を中心として心が媒体である脳やら筋肉やらに命令をだして思うんです。でそのことを学校の人達に話すと「なにそれーバッカじゃねぇの」と言われます
みなさんはどう思いますか?

A 回答 (16件中1~10件)

馬鹿なんてとんでもない!


実に、それ、頭がちゃんと思考してます。
寧ろ、「バッカじゃねぇの」・・・ああ、末世でおまっせ。

でも、二度と周りの人には言わないほうがいいです。
例えば、今「女子高生がドラッカーを読んだら」という
本が流行ってます。

経済学なんて訳わっかんねぇ、なんて言ってる高校生の
下げパンのおにいちゃんも、ギャルにもてたいから
無理して読んだりしてますが、この本が売れなければ
ドラッカーとドラッグの見分けがついたか怪しいもんです。

人間は、知らないことは思考できません。
そして、興味のあることしか知りません。

だから、周りの人を自分と同じ思考をしていると思っては
ならないんです。 よーっく観察して、何に関心を持ち
どんな思考をしているのか・・・同じ人間ながら、
同じ言葉なのに、全く異なる意味で話している。
迂闊に通じると思って話をすると、相手は首狩族だった、
なんてことにもなりかねないんですよ。

さて、とりあえずポピュラーなところで士郎正宗の「攻殻機動隊」を
読んでご覧になったらいかがでしょうか。

「義体」という概念は古典的なサイボーグという意味だけではなくて
心の無い人形、という暗喩も含まれていて妖しい世界がチラホラ
見え隠れしますが、「自分なんて実は存在していないのでは?」とか
「広大なネットの中で人格だけが存在し、活動している」なんて
中々深遠で漫画チックにドキドキワクワクできるテーマが満載です。

世間には、こういう腹の膨れないコトを一生懸命考える人が沢山います。

つまり、あなたもその仲間の一人というわけです。 勿論、私もね。

思考は翼を持ちますし、単なるお勉強と違って 凄く面白い。

そういえば

to be ten made to be

なんて言葉もありましたね。
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簡単に言うと心が自分を動かしてる、と言いたいんですよね。



変じゃないです。
私もその通りだと思います。
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理系的に行くと、むしろそれが正解。


間違ってるのは話す相手だけだなぁ、まあそこら辺は気にしなくてもいいです。

脳の成分はどうでもよくて、そこに流れる波である脳波が心である。
厳密に言うと、神経とかホルモンとかも心には入るけど、
そう言った「もの」と「こころ」の関係を媒質と表現するのは適切です。

まあ、まじめに勉強してれば中学生なら分かるはずなのだがねぇ。

私は、そういう考える力のある人は好きです。
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心配御無用。

昔の人もそう考えた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4% …

幸いにして必ずしも「なにそれーバッカじゃねぇの」とは言われなかったらしい。

ただ、夏休みの読書感想文を、彼の著書『脳と心の正体』で書いてくる中三は、
ちょっと引く……。
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簡単に書きましょう。


あなたの細胞群は意識を持っていません。細胞群の神経ネットワークの
上に意識が出現するんです。だから、あなた=意識(自律的)、は、脳や筋肉とそうした
関係性を持っております。中央集権的なシステム。

備考:多細胞生物は細胞単体の「自律性を犠牲」にして成り立っています。
逆に、単細胞生物のアメーバは自律性を持っている=意識がある、ていう。
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変な考えではありません。

まさにその通りです。

本当は、このことがわかるようになるためには大変多くの修行と神秘体験をしないといけません。

何の予備知識もなく、そのように感じるのは大したものです。

パソコンを例にすると、脳や体というのはハードであってソフトではありません。ソフトはあくまで心です。心のことを仏教では「識」と言います。

心は人間が生きている間は、肉体の中に入って合一した形で働きますが、死ぬと肉体は失われて心のみが残ります。本当は、肉体が無くなると、心は肉体があったことが忘れられずに、他の物質で体を作ろうとします、そうやって出来たのが幽霊ですが、ここではその話はよしましょう。

心が命令すると言っていますが、これもまさにその通り命令なのです。心は「識」と言いますと言いましたが、ヨーガの中にはチャクラというものがあり、そのチャクラはそれぞれの宇宙を構成している要素に対応して「地・水・火・風・空・識」となりますが、この「識」に対応するチャクラがまさに「命令のチャクラ」と言われています。

あなたの言っていることは、中学生のレベルではもちろんのこと、大人のレベルでも恐らく理解不可能でしょう。

仏教の修行を積んだ高僧とか、クンダリーニ・ヨーガの指導者でないと理解できないことなのです。

たとえ思いつきでもそのように考えるのは凄いことですし、本気ならもっと凄いことです。
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 こんにちは。



 1. 私は媒体である。すなわち脳やら筋肉やら これらも媒体である。

 2. 何と何の媒体か? 何を媒介するのか?

 3. 心は中心である。

 4. 心が何かを感じたいと思うことがある。

 5. 心がそう思ったあと 何が行動を起こすのか?
 
 6. 心は 何かを感じたいと思ったときには 媒体に命令を出す。

 7. その媒体である脳やら筋肉やらが行動を起こすということか?

 8. 《感じたいと思った》そのことを 脳や筋肉が受け取ってどこへ媒介するのか?

 9. それとも 媒体である脳や筋肉じたいが その《感じたいと思った》ことをそのまま感じる行動を起こすという意味か?

 10. 命令を出したあと 何を心は思うのか?


 ☆ 要するに 《感じたいと思ったことがあるとき それをあまり間をおかずにそのとおりに感じることができる》ということでしょうか?
 想像するというのではなく あるいは夢の中でのように場面を再現するというのでもなく ふつうに《感じる》ということ自体を再現することができる。という意味でしょうか?

 或る程度は 記憶を引き出して来て それを再現することは出来るし あると思いますよ。楽しい思い出も いやな思い出も 或る程度は出来ると思いますよ。だいたい誰でもが です。
 あなたは 何でも出来るし いつでも・どこででも出来るという意味でしょうか?
 
 そのくらいのことでないと 《そのことを学校の人達に話すと「なにそれーバッカじゃねぇの」と言われ》ることもないでしょうし。
 どうですか?
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「媒体」というのは、間に入って作用するものを意味しますが、


本質的には、「私」によって「その外」が派生しているのです。
あなたが感じている「脳やら筋肉」は、そもそもあなたの心の
中に実体を持つものであって。

量子論的な世界像において、有限な性質(=存在性)は、認識
されることで派生しています。
実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対
によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に
つめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認識
体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を
想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向う
に、自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するのです。
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分析的に何かを考えること、何らかの結論をご自分で得ることはすごく立派なことと思います。

考えたことを人に開陳したところ非難されたのですが、話す相手を間違えただけと思います。

確かに体は媒体で心が体を動かしていることはほとんどの場合間違いないと思います。時には脳に情報が達する前に反応するような機能もあるようですが、
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人は皆変な考えを持つのです。



自分が変な考えを持つからと言って特別視する必要はありません。
変な行動をしたり、変な発言をすると、社会的に迷惑なので、発言・行動に関しては慎重にしなければなりません。

質問者さんは相手を選ばずに発言しているから「なにそれーバッカじゃねぇの」と言われているのです。
幸せな人生を送るために必要なことの一つが、「良い友達」を選ぶことです。
何が「良い」のかは人それぞれですから、質問者さん自身が「良い友達とは何か?」に関して熟考し、選択しなくてはなりません。

私は質問者さんの言っている「私は媒体で、心が何かを感じたいと思ったから行動を起こすつまり心を中心として心が媒体である脳やら筋肉やらに命令をだして、、、」の意味が分かりませんし、自分を媒体だとは思っていないですが、特別に変な考えとも思わないし、たとえ変な考えだとしても、それは質問者さんの自由であり、権利であると思います。
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