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一概には言えないと思いますが、この前特攻隊員の方が書いた遺書を
見て
たった、十九、二十歳そこそこの若者がなぜあんなに達筆なのか?と思いました。
多分今同じ年代の人であんなに上手い字を書く人はかなり少ないと思います。

たまたまその遺書を書いた人の字が上手いだけなのか、
それとも昔の人は全般的に字が上手かったのか、どちらなのでしょう?
後者の場合、何か現代には無い特別な練習でもしていたのでしょうか?
それがあるならどういったものなのでしょうか?書道ですか?
私も達筆と言われるくらい字が上手くなりたいので参考にしたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

 私は30代後半女性なんで現代の人ですが、書道を習っていました。

書道自体は好きでも、決まりきったことや指導が性に合わないので教室は嫌いでやめたかったのですが、両親二人が字が下手であることにかなりコンプレックスが強く、子供にだけはそういう思いをさせない・・・という心理で、兄弟共に半強制的に習わされてました。親自身は習わないものの、教室にはとても熱心ですし、家では毎日新聞紙を整理しようとすると必ずどこかに母の「練習」のあとがありました。…つまり、昔ほど「字には人が表れる」とか、そんなような時代だったのでしょう。

 今でも外見がよければ、良いイメージをもたれるのと同じか、それ以上の複雑な意味すらあったと思います。良い性格であること。良い教育を受けていること。育ちがいいこと。真面目であること。センスが良いこと。…事実であるかどうかは別でも「そう感じさせる」という意味です。

 それに、私自身は習いもしましたし正直うまい方だと思いますが、書く機会が多いというだけでも、随分差が出るものだと思います。お教室の雰囲気が嫌いなので、教室はさぼり「宿題の形でしっかり提出」形式にしました。ですからどう書くという直接の指導はあまり受けていません。
 でも家で自由にノルマもなく書くのは好きで、和歌も好きでしたので、百人一首をお手本なしで、自分が絵的に美しく思うように書いてみよう、とやってみました。好きなことですから何時間やっても飽きないのです。そのうち、どうもバランスの取り難いところや、綺麗ではあるけど芸術っぽさに欠ける(?)ところが気になって、どこからか昔の作品を引っ張ってきましたら、一見地味な書体でも、どこに「味」のヒントがあるのか見えてきたり、勉強になりました。工作や絵も好きでしたので、和風のしおりを作って字を入れてみたり、扇子に書いてみたりもしました。

 活字は、昔の一般の人に手の届かないものでしたから、伝票も友達とのやり取りも、契約の書類も、約束事も、みんな本人の手書きでしたよね。もっと昔に遡れば、電話もなかったし移動できる範囲が狭かったから、手紙ひとつで恋もすれば約束が決まったりしたわけです。端正で清潔感ある文字で愛をささやくように書かれたら、気性の荒い評判の男性でも(どこかに繊細さがある人なのでは)と女性に思わせるでしょうし、源氏物語などでは恋の和歌のやりとりの文字から相手の女性を想像したり。私の親は口癖のように「それは一生身についてまわるのよ」と言ってました。(古風な親ですね)

 ですから私は、指導法よりも、生活で必要に迫られていつもやっていたということと、お手本になる良い筆跡にも、生活のあらゆる場面でふんだんに接していたことが一番大きいような気がします。私は音楽もやってましたが、生まれる前に母がクラシックが好きでそればかり聞いていたので、物心ついた時にモーツァルトが流れたら「これ、私ずーっと前、赤ちゃんの頃聞いてたよね」と言ったのを覚えてます。自分にとってはアニメの主題歌や歌謡曲より、カンタンで親しみやすく、自然な感じがしたんです。

 現代っ子がコンピューターやゲームが得意なのと同じで、沢山囲まれて接していると、感覚が磨かれやすいんではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
崇高なご趣味をお持ちですね。日常的にそのようなことをなされるなんて
すごいです。私も小さい頃書道を習ってました。今から教室に通うのは気が引けるのですが、
書道自体は好きなのでまた自分ではじめてみようかなと思います。

やはり今のパソコンやゲームに囲まれた環境と昔の環境は違いすぎますよね。
美しい文字を書くことと比べると、指を動かすだけというのはなんとも空虚な感じがします^^;

お礼日時:2007/09/23 14:05

今の人たちとは文字や学問に対する意識が全く違うからでは無いでしょうか。



私の母は戦争当時まだ幼児でした。
母は私が子供時代文字をぞんざいに扱うと非常に怒られました。
例えば汚い文字を書くとか本を踏んだりした時です。
曰く「文字は人類の英知の結集なのだから先人への敬意や文明や文化にどれほど重要な意味を持っているかを考えなさい。」

今では最高学府の大学に行くことすら当たり前になっていますが、昔の人は学べること、文字をきちんと書けることは非常に重要で誇らしいことだったのだと思います。
その大切な文字を綺麗に書くことは至極当然のことのだったのでは無いでしょうか。
そのための練習も現代の人とは比べ物にならないほどの量だったでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お母様からそのような指導を受けられたのですね。
今はそんなことを言ってくれる大人はきっと少ないですよね。
やはり、昔の意識を見直すべきときですね。
意識と練習量。参考になりました。

お礼日時:2007/09/23 14:01

たまたま上手な人だったのか、全般的に時が上手かったのか。


両方の側面があると思います。当時の人が書いた字を見ても、下手・雑な字もよく見かけます。
ただ、現代に比べて書道を行う時間は長かったでしょうし、上手に書けた人は多かったでしょうね。当時は何かを書くには基本的に手書きしかないわけですし、周囲の大人達にも上手な人は今より遙かに多かったでしょう。良い字を見て育つ、ということはかなり重要な点だと思います。
昔は、美しい字が書けること自体が教養の一つだったでしょうし、必要性も高かったのでしょう。下手な字しか書けないということが恥ずかしいことだという風潮も、今よりずっと強かったでしょう。だから必然的に、上手な人は多くなったはずです。特別な練習方法というよりは環境でしょうね。
これまでの環境はいたしかたないとしても、これから環境を少しでも変えていくことは可能だと思います。毎日少しずつでも練習すること、良い字に触れる機会を増やすこと、熟練者に助言をもらうこと、根気強く続けること、だと思います。1年や2年で変わるとは思わず、5年10年やって少し変化がある、というぐらいに思った方がいいですね。そうして身についた技能は一生の財産となります。
私も書道を続けてきて、やってきて良かった、と思う反面、自分の理想とするような字にはまだほど遠く、これからも鍛錬が必要だと深く感じています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
最近の大人はまるで子供のような字を書く人も多いですよね。
そして仰るとおり、字が下手なのが恥ずかしいという風潮が弱まってきていると思います。
良い字を見て、それを真似て根気よく練習してみようと思います。

お礼日時:2007/09/23 13:59

昔は習字の時間が十分にもたれていました。


文字を書くことが勉強の証になるほど、文字を美しく書くことを重要視していました。
文字はとにかく多く書くことです。あくまでも正しい筆順で正確に。
仏教で写経というのがあります。ただひたすら見本のお経をまねて書き写す。何回も何回もただひたすら書き写す。
書道は決して簡単に上手くなる物では有りません。パソコンで文字を打つ時間もゲームをする時間も少なくして、その時間にとにかく文字を正しい筆順で正確に書く。ただそれだけで必ず上手くなります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
母がよく、昔は字の上手い人が重宝されたと言っていました。
やはり昔は字を美しく書くことが非常に大事だったのですね。
小学校では書道の授業がありましたが、全然十分とはいえなかったと思います。
昔書道を習っており、高校でも選択していたので、また時間を見つけてはじめて見たイと思います。

お礼日時:2007/09/23 13:57

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