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表題の通りですが、
「もしもあなたがこの世界に生まれていなかったとして、そのときこの世界は存在していたと思いますか?」
ふと自分に問いかけたのですが、いろんな方のご意見を頂きたくて書き込み致しました。
どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (35件中21~30件)

#14です。


書き忘れたことがあります。#13さんの、
>「思う私が存在しないのに、どうしてこの世界が存在しようか。」

と疑っている私がいることだけは疑えない事実だ。だから私は存在しており、この世は存在している。だからcogito,ergo sumである。

従って、上の言質は「不可」を貰ってしまうと思います。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

考えている私自体が存在していない状態を考えるナンセンスさ、ということになりましょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:16

#12さんに関連したコメントです。



確か、平田篤胤の「霊の真柱(たまのみはしら)」(岩波文庫)だったと思いますが、少なくとも日本人の御霊は死後のわれわれの周りにいてわれわれを見ているそうです。それはちょうど簾から外を見るように、御霊からは見えるのですが、われわれには中を見ることが出来ないのだそうです。篤胤は死後ばかりでなく、前世の記憶を鮮明に覚えている勝五郎についても克明に論じております。ですから、少なくとも日本人にはこの世界があることになりそうですね。

この篤胤の主張の是非をどうやって決着をつけるのでしょうか。

回答のつもりで書いていて、とりとめのない言葉遊びになってしまったことをお許し下さい。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

背後霊、とかそんな感じでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:15

まず、最初に思い浮かんだのが、


”cogito,ergo sum” 
「我思う故に我あり」

古今東西の哲学者に有無の質問をしても、有無の答えだけでなく、いろいろな答えが返ってくるでしょうが、
「思う私が存在しないのに、どうしてこの世界が存在しようか。」と回答したら、デカルト先生からは「可」くらいは貰えそうです。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

デカルトの言葉はシンプルではっきりしていますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:13

面白そうなので投稿させていただきます


カント的に言えば人間という魂が存在していて
はじめこの世が存在すると言う概念です
魂が現世に存在していない時は生前死後の世界に居ますから
その世界しか見えないと思います
しかし生前死後の世界から現世が見えるという法則が存在しているなら
あることになるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

この世もあの世も含めた世界を「この世界」としたら、どういう風になるでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:11

物事の存在を決定するのは人の認識です。

あくまで人間主体的な考えですが、こういった疑問自体が人間主体の疑問ですから問題にはならないと思います。
(机といすの違いを説明するとき最後は認識のみになります。机に座ればいすですから、形状的な違いは根本説明にならないのです。机に座れば机はいすです。)
ということは同じものがあったとしてもそれを認識する人によって世界はその姿を変えます。
あなたが見ている世界と他の人が見ている世界は別ものということが出来ます。この場合あなたが生まれなかったらということは現状のあなたの認識する世界は存在しないことになります。(しかし世界そのものは存在しています)

この意味合いで言えばあなたが生まれなければあなたが認識する世界は存在しないことになりますね。
ものごとはすべて客観性を持っています。観測者があって物事は存在するということが出来ます。(誰も知らない森の中で落ちた葉っぱを落ちたといえるのか?きづかない事は起こっていないともいえるわけです)

ものがあるからそれを認識するって通常の考え方と逆で認識するからものがあるということも出来る考え方です。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

人間主体の疑問、という見方があるのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:09

大自然という世界は存在している。


何処かで何かが産まれ、何処かで何かが死んでも普通に世界はあるでしょ?

産まれてくる子はその育つ環境の中で世界観を形成していくだろうし、
死んでいく人は今までその人が生きてきた環境の中で形成された世界観が消滅していく。
世界中で産まれ、死んでいく繰り返しの中で
私が産まれなかったら
私という個の身体を通し生きてきた環境の中で学び、自ら考え形成されてきた私自身の世界観がないということだけです。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

世界観=世界という考えだとすると、
世界が存在するということはその人に刻まれた世界観が
存在するかというところに行き着くといったことになるでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:07

自分の肉体の中に自分の本質があれば、あるいは、自分がいなけりゃ


宇宙も存在しないのかもしれない。
 でも私は自分の肉体は自分の本質ではないような気が昔からしているんですよね、 自分の肉体は情報のやり取りをする為の端末で、
本体は別のところに存在しているのではないかと・・・・

だから自分がいなくてもこの世界は存在していると思ういうのが
現在の答えかな
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

なるほどそういう意味でそうなるのか、と思いました。
でもひとつ思ったのは、この世界のそとに別の世界があるとしたら、
それら全体を「この世界」と呼んでもよさそうです。
そうした場合に、もう一度この質問に答えるとしたらどうでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:04

「私が生まれない世界は無かった」



おそらく期待している回答とは違うでしょうが、これがわたしの回答です。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

「私が生まれた世界」がある。
そういう基本的なところに立ち返ることができますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 22:00

私が生まれてきた理由は、両親が結婚して子作りをしたから。


という事は、私がこの世に生まれていない時代に、私の両親はこの世界に存在していた事になる。
もちろん、将来お互いが結婚するとは全く考えていないと思う。
したがって、私がこの世に生まれてこなかったとしても、この世界は存在している事になる。
こんな回答で良いのでしょうか?
それとも質問者さんが意図する事に対して、私の理解不足かも・・・。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

なんだかとてもわかりやすいです。
でも、どうしてわかりやすいのか、というところで
また考えてしまっています。
ありがとうございまいました。

お礼日時:2007/10/27 21:58

普通に考えれば、「別に自分が生まれてこようがこまいが、世界は存在しているに決まっている」という答え。



しかし自分は、自分の存在は他者と自分の存在を認識して初めて成り立ち、それと共に世界のことも認識できる、と考えています。

生まれていない→当然、存在自体が確立されていないのだから、世界のことも認識できない→世界は存在しないも同然(と認識する)

あるいは、生まれていない→質問者様は「思いますか?」と問いていますが、生まれていないわけだから、当然、その存在が思考することは不可能。
というナゾナゾの答えみたいになってしまいます。
とすると、考えるだけ無駄(というより、生まれていなかったら、思考できないから)という答えになります。

「そういうことじゃねえんだよ」とお思いになるかもしれませんが、まあ、それが私の答えです。
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この回答へのお礼

お返事が遅くてすみません。

質問している私、というものに意識を向けさせてくださいました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 21:56

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