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シュテファン・ツヴァイク著「権力とたたかう良心」を読んだ上での質問です。
(1)カルヴァン統治時代のジュネーブには福祉施設が存在したようですが、それはどのようなものだったのでしょうか。
(2)カルヴァン自身は生涯にわたって極めて厳格に禁欲的態度を貫いたようですが、カルヴァンの周囲にいる人間(牧師、市当局関係者等)はそこまで道徳的に立派な生活を送っているわけではなかったようです。同書にカステリオンはそのことを知っていたとあります。その中で性道徳について質問ですが、同じ宗教改革期の人間として、ルターは私生児を設けたりしていたようですが、この時代のジュネーブでも愛人を持つことが許されたりする余地はあったのでしょうか。
(3)蓄財を肯定するカルヴィニズムは主に中小の商人、職人の間に広まったようですが、ジュネーブという都市の中で農民として貨幣経済から離れて自給自足の生活を送ると言う選択肢は市民にあったのでしょうか。事実上、職業選択の自由があったかどうかということとも関連します。

A 回答 (2件)

以前から、同じような質問を何回かみかけますが、全て同じ方なのでしょうか?


とりあえず3番に関してのみ回答します。
>ジュネーブという都市の中で農民として貨幣経済から離れて自給自足の生活を送ると言う選択肢は市民にあったのでしょうか。

当時の都市と農村とは、完全に別の世界であり、都市の中に農地がある事はありませんから、都市の住民として生きるのであれば、農業を行う事はできません。
都市部で自給自足は不可能です。
自給自足の生活を理想とした教派は、主にアナバブテスト系の教派です。
アナバプテストは、チューリッヒで、1525年に生まれています。
その後チューリッヒ市当局の弾圧のため、各地に散って行きます。
当時のチューリッヒでは、改革派教会が優勢でした。
当時の改革派教会の影響により、カルビンの宗教改革が行われます。
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この回答へのお礼

なかなか回答が得られずに困っていました。
3番だけでも答えていただけて嬉しく思います。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/13 08:22

(2)について


いつの時代でも、どこの地域でも、愛人や売春婦は存在しています。
宗教改革の時代に、「内縁の妻」や「愛人」のような女性をかこっていたカトリックの司祭がいたことは史実ですし、結婚したいがためにプロテスタントに転向した司祭がいたことも史実です。当時のジュネーブは交易と快楽の町として知られ、市民階級は品行、思想、政治について自由を熱望し、司祭への反逆を正当化するために宗教改革を支持したそうです。
例えば、文庫クセジュの「プロテスタントの歴史」を読んでみてください。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/21 17:05

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