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 社会主義共和制と人民民主共和制(人民民主制とも)の違いが理解できません。
ベトナムは社会主義共和制、ラオスは人民民主共和制のようなのですが…。(旧ソ連は前者、北朝鮮は名前の通り後者?)
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

推測ですが。

どちらも実質的に同じようなもの。国名はその国で革命を行なった政党の革命戦略が反映されるようです。社会主義革命ではなく人民民主主義革命という王制を転覆するという目的で一致した政治勢力を結集して、王制を打倒した場合は「人民民主主義」とか「人民」とかの名前を国名に付与します。「中華人民共和国」もそうです。革命そのものは社会主義革命としてなされたわけでないので、民族資本家なども含めた愛国的勢力を巻き込んで戦う、しかし、革命後に共産党が他政党や共産党への批判的勢力をそぎ落とした上で中国は「社会主義」である、と宣言して「社会主義化」政策を進めたのです。でも国名は変えてません。ソ連以外は総て同じ傾向にあります。
ちょっと、分かりずらいかも?要は革命を成し遂げた支配的政党が革命以前まで何を目標に(これを革命戦略といいます)組織をつくり戦って来たのかで国名が決まるといっていいでしょう。
例えばキューバは「キューバ共和国」です。カストロはアメリカの支配からの独立だけを目指して勝利したのです。社会主義国家を目指してはいなかったのですから。あくまで民衆の悲惨な生活を改善する、という素朴な人民主権という理念を実現しようとしたに過ぎません。それが国名に表現されています。しかし、アメリカの経済制裁による危機を条件にソ連に頼らざるを得なくなり、社会主義的経済政策が導入されていったのです。その意味ではロシア共産党の影響を受けた他の「革命」とは異なり「人民民主」とかは掲げていないのです。
日本でも日本共産党はまず、人民民主主義革命を行ないその後で社会主義革命を行なう、と綱領に記していました。もし、日本で共産党主導で革命が起きていたら日本人民民主共和国とか日本民主共和国とかの国名になったのでしょう。そして、なし崩し的に有るとき「社会主義」段階に到達したと「宣言」して社会主義的政策=主に国有化と計画経済を強行するという「路線」を持っていたのです。
ベトナムの場合はまず、ベトナム戦争の最中に解放戦線という仏教徒も非共産党系の知識人も含めた「民族独立」で一致した勢力が「南ベトナム共和国」を樹立してサイゴン政権との二重権力状態を作り、その後北ベトナム正規軍の攻勢でサイゴン政権が崩壊、同時に北ベトナムの労働党(=共産党)が解放戦線を排除して権力を握って「ベトナム社会主義共和国」を樹立したのです。解放戦線に結集して命をかけて戦った者からすれば「こんなはずじゃなかった」「裏切られた」となったわけです。中国で中華人民共和国を1949年に樹立して50年代には「我が国は社会主義」だ!と宣言したのです。この時間的ズレをベトナムでは一気に解放戦線への排除と弾圧を通じて一気にしたので国名に「社会主義」を付けたのでは?と思います。国名にはそれぞれ意味のある事でもあるんですね。
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この回答へのお礼

国名は革命戦略に基づき名付けられ(ベトナムは例外)ているが、実質的な違いはない、ということでしょうか。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/21 23:45

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