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べつに何も困ってませんが、なんとなく疑問なんです。

最近、「私は心の病気で、こういうふうに苦しんだり悩んだりしています」と
いうことを告白するのを目にすることが急に多くなりました。
(もちろん昔からあるのでしょうが・・・7年前からコンスタントにWebを利用
してきて、ここ数ヶ月で非常に遭遇する機会が増えているという印象があります)
その中でも、心の病気のひとが、福祉の仕事をしたいと言うのを何回も見かけました。
わたし個人としては、彼らのそういう発想について、すばらしい治療を受けて
感銘したひとが自分も医者/看護婦になりたいと考えるのとはなんとなく違う
ようなかんじがするのですが、あなたはどう思われますか?
また、福祉を目指す彼らの心理というか、その説明は何かできるのでしょうか?

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なお、質問自体に悪意はありませんので、メンタルの問題で現在もお悩みのかたの
回答(議論)はご遠慮願います。

A 回答 (9件)

私も 最近ちょっと考えていたコトです・・・。


私は高校生の頃から老人ホームでバイトしており、高校卒業後福祉の短大へ進学。その後は福祉の仕事しかしたことがありません。
どんな仕事でも、ストレスは溜まると思うのですが、
福祉の仕事でのストレスっていったら・・。スゴイです。特殊です。
だって、何があっても 笑顔笑顔ですから。

殴られて流血しても笑顔。おしっこを引っ掛けられても笑顔。
ウンチの付いた手で顔を撫でられても・・・笑顔・・・。
胸を揉まれても、オシリを触られても・・・笑顔・・・。
首筋を舐められても・・・笑顔ぉぉぉぉ~!
・・・自分の感情を押し殺さなければなりません。

心に病を抱えている方が、このストレスを乗り越えられるのか心配です。
出来れば、福祉の仕事を始める前に、ボランティアなどで
現場の大変さを少し見て頂く事をオススメしたいんですが・・・。

友人に鬱病の子がいます。福祉を目指す!と張り切っています。
精神科の担当医師に相談したら、良い仕事を見つけましたね!と
言われたそうで・・。もう、止めても聞いてくれません・・・。
目指そうと思った理由は
『辛い経験をしてきた私だから、相手の気持ちを分かってあげられる。』
だそうです。気持ちは分かるんだけど・・・。う~ん・・・。
私が福祉を目指した理由は『お年寄りが好き。』という単純明快な理由だったので、自分とダブらせて福祉を目指すのは、その人本人がいづれ負担になり、潰れてしまうのではないか、と心配してしまいます。どうなんでしょ?
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この回答へのお礼

実際に携わっているかたからの意見をいただけて嬉しいです。
やはり簡単に考えられることではないですよね。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 13:06

再度書き込みします。

昨日の自分の発言が、あまりにも感情的だったのが、
少し恥ずかしくて、この質問に対して、さらに考えてみました。

自分なりに見つけた答えは以下の通りです。

(kumasakaさんの発言をふまえて)
「メンタルな問題を抱えていた」ということと、
「福祉に関わる中で真価を発揮できるかどうか」ということには、
何の関係もない。

福祉を目指す心理は、医療を目指す元病人と変わらないだろう。
接する機会があった事で、そこに近い人間になったという事が
選択肢を増やすきっかけになった。


多くは語るまいと思います。
非経験の人が、憶測や興味本位で論ずる問題ではないでしょう。
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usakumaさんの回答にもありましたが。



「メンタルな問題を抱えた」という部分で、
今現在抱えている人がそんなことを言ってるのを聞いたのなら、
「今はもっと自分に向き合おうよ」とアドバイスしてあげて欲しいと思います。

福祉の仕事は、心が弱っている人に勤まるほど、
甘いものではないはずです。

そのような人は、自分の事で本来いっぱいいっぱいのはずですから、
そういう状況下でもし誰かの面倒をみたいなどと考えるのなら、
それはほかのみなさんがいうように、自分より弱い者に接触する事で
自分の強さを再確認したいというような心理に基いている可能性もあるからです。

確かにそりゃ自分のアイデンティティは保てるでしょうが、
その踏み台にされる弱者には堪ったもんじゃないですからね。
こういう負の連鎖が始まりそうな時に、きちっと止めてあげられるのは、
あなたがたのような健常者にしか出来ない事でしょうから。


心を病んだ人には、共通した思いがあると思います。
それは、自分の苦しさが、人にきちっと分かってもらえない苦しさです。
その点において、経験者が経験を生かすチャンスというのはあるはずです。
これは質問にある、治療に感銘を受けて、という感じ…
医療を志す人に芽生えている気持ちとは、少し異なるんでしょうね。

福祉を志す彼らの心理に近いところではないかと思うのですけど。



ただ、一口に「心を病んだ」といいますけど、
「心が病んでいない」という状況を、きちんと定義しない限り、
この質問はきちんと成立しないと思います。


病んでいないと思ってる人に限って、
病んでいたりするのが心の問題ですよ。


「健全に」社会生活を送っている…などという基準が、
どれほど客観性がある事なのか、検証してみたらいいと思います。
「社会に合致している」=「健全である」という多数決ですか?
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この回答へのお礼

えーと、いろいろ書かれているので、わたしもどう言っていいのかわかりませんが・・・

「福祉の仕事は、心が弱っている人に勤まるほど、甘いものではないはず」
これはわたしも同じ気持ちです。
ただし、そういうひとが身近にいるわけではありません。

「経験者が経験を生かすチャンス」。
そこに絞って考えると、自助グループを作るのと同じことなのかな・・・と思いました。つまり、間接的にセルフヘルプをする気持ちが原動力になっているのかな、と。

お礼日時:2002/10/04 11:06

再登場です。


本当に「鬱」って言葉が、よく使われるようになりましたよね。私の友人にも
神経症(鬱病ではない)の子がいますけど、「またプチ鬱が来ちゃった。でも
彼に話したら気持ちが楽になった」なんて言ってきます。
そんなの鬱じゃな~いっ!(笑)まぁ、その子は福祉を目指しているわけじゃありませんが。
やはり福祉をする人が、治療を受けている人じゃあ、ダメですよね。これは。
せめて病気を治してから、目指して欲しいです
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この回答へのお礼

またまたありがとうございます。
「プチ鬱」・・・おもしろいことばですね。

お礼日時:2002/10/01 14:25

お礼文中の件について補足します。


>仮に治療が成功した元患者がカウンセラーになった
>場合、他人をカウンセリング しながら、自己の体験が
>フラッシュバックするとか、それによって逆戻りして
>しまうということはないのでしょうか?

臨床の現場を知りませんので、個人的な意見です。
カウンセラー自身が元患者、あるいは現在も問題を抱えているということはよくあるようです。
うつ症状のある患者に影響されて、カウンセラーに元々あったうつ傾向がぶり返すというのは聞く話ですね。
その他、患者の問題を自分に引き付けて考えてしまうことで、患者に対する観察・分析が偏り、自分の経験からの勝手な解釈をしてしまうことがあるかもしれません。
また心の病気を持った人は、人間関係を築くのが不得手なことがあり、カウンセラーにその傾向があると、カウンセラーと患者に必要な信頼関係をうまく築くことができないということもあり得ます。
患者が親などに対して持っている抑圧された感情が、カウンセラーに向けられ、その感情にカウンセラー自身も巻き込まれてしまい、治療ができなくなるということもあります。

カウンセリングは非常に難しいものだと思うので、自分の経験が生かせると安易に考えるのはちょっと違うのではないかと思ってしまいますね。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。わたしも現実のことは知らないんですが、そのような
可能性はないのかしら? とふと思ってしまったもので。

お礼日時:2002/10/01 13:51

私は福祉の単科大学に通っていましたが、福祉の道に進むのをやめました。


理由は、tafhiさんが一段目に書いたようなことを私自身に対して感じてしまったからです。

そんなふうに、「福祉の対象となる人たちを助ける立場になることによって、自分の価値を高めようとする人」が福祉の道に進むのは、その人の弱さをわかってあげられるという長所もあるかと思いますが、反対に、危うさもあるように思います。
その動機が、究極的には、自分の存在を守るためであるかもしれないので。
個人的な意見です。すいません。
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この回答へのお礼

「その動機が、究極的には、自分の存在を守るためであるかもしれないので。」
とおっしゃるのはどういう意味ですか? よくわからなかったので、できれば
詳しく教えていただけませんか?

お礼日時:2002/09/27 16:27

心の病気を持った人は、自分を過小評価してしまう傾向がありますが、より弱い立場の人を助けることで、相対的に自分の価値を高めることができる、存在意義を見出すことができるという無意識の気持ちがあるのではないかなと思います。



また、自分の病気と向き合い格闘する過程で、同じような悩みを持つ他の人へ関心を持つようになったり、病気のことを勉強することで、病気・福祉といったことについてある程度知識を得ることができ、自分の経験・知識が役立つのではないかと思うのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

不謹慎かもしれませんが・・・とても興味深いお考えです。特に1段目が。
どうもありがとうございました。

余談ですが、また、新たな疑問が湧いてきました。
仮に治療が成功した元患者がカウンセラーになった場合、他人をカウンセリング
しながら、自己の体験がフラッシュバックするとか、それによって逆戻りして
しまうということはないのでしょうか?

お礼日時:2002/09/27 11:56

>最近、「私は心の病気で、こういうふうに苦しんだり悩んだりしています」



というのは、よく病院とはで見かける病気・怪我自慢と同じですね。
知人に心の病気の人がいた(今は治ってるといっているし大丈夫そうに
見える)のですが、そんな自慢する気力とかなかったみたいですよ。
本当に深刻な人は自慢しないみたいですね。

心の病気の人が治ってから福祉活動したいって言うのは、
自分の経験を活かして同じような病気の人を治したいって言うのも
あると思いますね。
でも、余裕ができたので自己の満足を満たすということも
あると思います。

でも、病気のままそう思うのは自己満足だと思いますよ。
自分のメンタルな部分にハンデがあるのに似たような人を
治せるかどうかは疑問ですね。
似た境遇の人たちが協力し合って病気を治しておこうと
言うことともちょっと違う気もしますし・・・。
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この回答へのお礼

「深刻なひとは自慢しない」。たしかに! と思ってしまいました。昔、身内にいたのですが、本当にやばくなってくると自分から話題にすることはまずなかったですから。

3段目のご見識については、わたしも同意見です。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/09/27 11:43

心の病気であるとか、鬱病であるとか、それは全て自慢です。


自分に酔いしれている人が殆どです。あげく、「福祉の仕事がしたい」だのと
言い出すのは、ナルシスト丸出しです。
私は心の病気をもっていますから、他の精神疾患者の考える事は解ります。

健常者にとっては疑問かも知れませんが、まぁ気にしないであげて下さい。
そういうもんなんです。
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この回答へのお礼

自慢・・・ナルシスト・・・わかる気がします。まあ、患者じゃなくてもそういう
ひとはいますけど。

それにしても「鬱」ってことばが軽々しく使われるようになったものだなーと思います。ただ「落ち込んでいる」だけじゃないの? って。病的なものとは区別したいものです。難しいのでしょうが。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/09/27 11:37

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