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一般に宗教を必要とするのは
恐怖がその源泉だといわれてると思うのですが

1、それが神となる理由はなぜか?(神がいない宗教もあるのに)
2、恐怖以外に何か原因として考えられるものはあるか?
3、世界中の信仰者は病人か?

回答いただけると嬉しいです。

A 回答 (28件中1~10件)

1、それが神となる理由はなぜか?(神がいない宗教もあるのに)



いろいろな人を見ていると、「たまたま」という場合が一番多いような気がします。信仰を必要としているときに、たまたま出会った宗教にすがるのではないでしょうか。

2、恐怖以外に何か原因として考えられるものはあるか?

(1)やすらぎ。(2)たまたま、その宗教を信じる人生しか知らないから。

3、世界中の信仰者は病人か?

いいえ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
偶然の出来事に何らかの因果関係的な
意味付けをしてしまう人間ならではですね。

お礼日時:2008/02/05 08:11

1理由が在るから


2理論的にいる事になるから
3病人あつかいは人権侵害です。あえて答えをいうならばあなたが信者に対してなにかしら気になっているところがあり自分は違うんだと抵抗しようという心理が働いているだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
理由とか理論って大事な要素なんですね。
3番の質問はもっと別な形式で質問した方がよかったかな、と反省。
人権がありますからね。

お礼日時:2008/02/05 08:18

神様が実際にいるかいないかについては、


この世では、まだ正確に解かれていません。
そのために科学的な実験などが行われたり、
病理学や神道と言う事に基づいて、
神という名を表立てにしてるのだと思いますが、
宗教などにのめり込む類の人たちは、
自分の心の居場所がないのだと私は思ってます。

要するに恐怖心以外の何ものでも無いわけですが、
この恐怖心は日々の正しい行いと、
失敗をした事の経験により、
自信をつけていくこと以外では拭われません。

そう考えると、この世に折角生を受けて生まれてきたのに、
半数以上の人が無意味な時間を過ごし、
自分という貴重な存在を、
粗末に扱ってると言うわけですね。

ですので、神を信じる前に自分の置かれた環境と、
自分の心を正しく知ることの方が先ではないでしょうか?

こう考えると、世の中平等だって事に気がつくはずですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
哲学者に疎外といって自分の心の内容を外部に投影する
働きがあるなんてことを言った人がいたのですが
それだったら、別に神ではなくて、別の人間とか、空想上の生き物
とか動物とかでいいようなものが
なんだって、神なのかなぁ…と。そしてこういったことはむしろ
心理学かなぁと。

よかったら、誰が宗教心の源泉を恐怖と言ったのかご存知でしたら
教えてください。

お礼日時:2008/02/05 08:33

#1です。



>偶然の出来事に何らかの因果関係的な意味付けをしてしまう人間ならではですね。

いや、そうじゃなくて、例えば、フォアグラもアン肝も食べたことがない人が、たまたま生まれて初めてフォアグラを口にしたら「なんて、おいしいんだ! この世に、こんな美味しいものはない!」と思ってしまいがちですよね。本当は、まだ食べていないアン肝のほうが美味しいかもしれないし、別の店のフォアグラのほうが、もっと美味しいかもしれないのに。それと同じです。
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この回答へのお礼

再び回答ありがとうございます。
とてもわかりやすかったです。
ちなみに、こういうのって修正できるものなんですか?
別なものを食べてもなんかいまいちだなぁ…ってその後
なって批判とか始めると厄介ですから。

お礼日時:2008/02/05 12:59

(1)「神」は、実体の無い「言い伝え」だから。


   「個人崇拝」は、「洗脳上手・商売上手」だから。

(2)「楽したい」という「怠け心」・・・神に祈れば「努力しなくてもいい」という考え方。「神頼み」
   「人間が、基本的欲望に負けている」だけ。

   あとは、「人間が、信じられなくなった」こと。
   「会話をし、笑い、泣き、他人の痛みをわかり、他人を助け、他人と協力し、創造してゆく。」という、「人間らしい人材」を育てる「教育」が「家庭でも、学校でもなされていないから」、心の無い「変な人間」が増え、「犯罪が多種多様になり、誰を信じていいのかわからない世の中になってしまった。」

(3)「洗脳者」です。・・・「どんなに悪いことが起きようとも、すべてを良いほうに解釈し、自分は幸せと思えるようです。」
ある意味、「心の病人」とは言えますが、「妙な強さ」を持っているので、彼らから見れば「一般人」のほうが、「心の弱い、病人」なのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ふと思ったんですが、
殉教者の場合、楽したいんでしょうか…。
って質問が違う風になってしまいますね

洗脳は宗教に限らずいろいろありますから
今後、様々に考察されていかないといけませんね。

お礼日時:2008/02/05 13:04

こんにちは。



>3、世界中の信仰者は病人か?

神様を信じているひとは別に病気ではありません。神様が見えるというひとが病気です。

宗教といいますのは「心を導くもの」です。ですから、ひとの心を動かそうとするならばやっぱり「脅し」が一番ですね。
神様が必要なのは、そのひとやその社会が「未知の問題」を解決するためだと思います。ですから、まだ科学や情報が乏しかった時代には神様の必要性はずっと高かったはずです。
では、科学が発達した現代では神様はいらないということになります。ですが、例えば「死後の世界」なんてのは未だに未解決問題であり、現代の科学を以ってしても立証することができません。別に信じているわけではないのですが、「自分が死んだらいったいどうなるのか」、やはりこの辺りはきちんと説明してもらわないと落ち着いて構えているわけにもゆきません。「死」というのは誰にとっても怖いものです。そして、科学ではまだ人類を死の恐怖から救うことはできません。
このように、社会がそれを引き継ぐ理由は他にもありますが、少なくとも未解決問題が残されている限りこの世に宗教を必要とするひとはいるわけです。では、ご質問の主旨でありますこの「恐怖」といいますのはいったいどのようにして作られるのでしょうか。

>1、それが神となる理由はなぜか?

神様というのは生後学習によって脳内に作られます。これが信仰ですね。未知の問題に対する「恐怖」や「不安」を解決する手段が見出されれば、それが「安心」や「幸福」に繋がります。この「恐怖」や「幸福」といいますのはみな「情動反応」として脳内に発生するものであり、その反応規準は生後の個人体験や社会習慣から学習されます。

>2、恐怖以外に何か原因として考えられるものはあるか?

情動反応の反応規準として脳内に獲得されるのはそれが恐怖であるか幸福であるかの判定を下すための「価値観」です。ですから、恐怖や幸福を生み出しているのは「価値観という判定規準」であり、我々の脳は生後環境における体験結果からこれを学習します。
これに対しまして、神様なんてものはいない、そんなもの物理現象なのだから別に怖くはない、といった判断を下すのは「理性」です。では、それがただの紙切れでしかないことは十分に承知しているにも拘らず、神社やお寺からもらって来たお札を破いてゴミ箱の中に捨てることができないのはどうしてでしょうか。それは、我々の脳内では「理性行動」と「情動行動」が別々の機能によって司られているからです。
これがどういうことかと申しますと、つまり神様などいないと考える機能と罰が当たったら怖いと思う機能は脳内で独立しているということです。我々が理性によって自分の感情をコントロールすることができないのはこのためです。
このように、脳内に信仰を成立させているのは我々が生後環境から学習する「価値観」です。では、社会は何故そのようなものを何時までも伝承するのでしょうか。

>(神がいない宗教もあるのに)

お釈迦様は煩悩を断ち切らない限り苦悩から解放されることは永遠にないと解きました。結果的にはこれが人々に恐怖を与えたわけですね。ですが、実際には煩悩といいますのは正しい心のあり方を示すものです。
このように、世界中で多くの経典や戒律にはその社会の秩序を保つための指針が纏められています。その川の水を飲めば病気が治るといった類のものはちょっと厄介ですが、結果的には我々の社会が受け継いできたのはそれに背いてはならないという「道徳観」です。
では、社会の秩序を保つならば法律というものがあります。ですが、法律では人間の感情を規制することはできません。何故ならば、それは我々の脳内に情動反応の判定結果として発生するものだからです。このように、法律とは理性を規制するものであり、宗教とは心を導くものです。
法律があるからといって自分が強盗に出くわさないという保障はありません。ここに恐怖という感情が発生するのは問題が未解決だからです。ですから、ポケットの中にお守りを入れて未解決の問題に対処します。信じるか信じないかはそのひとの自由です。
科学や法律は万能ではありません。万能なのは神様だけです。ならば、考えようによってはこんな有難いものはないです。神様を信じているひとは別に病気ではないですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教育の重要性と、脳の問題は非常に重要なのですね。
特に理性と情動が別々の機能であるということは大変参考になりました。
3番目の質問は心理学に心得のある人がどのような
考えをもたれているのかな、という興味がありました。

お礼日時:2008/02/05 20:56

比較的オーソドックスな考え方を述べたいと思います。



1.ですが、人間とは自分たちの存在のランクというものを常に意識します。その場合、自然な帰結として自分たちを上位に持ってくるのは当然です(わざわざ下位におく必要はありませんから)しかし、頂点に持ってくるには、あまりにも世界は不条理で満ちています。そのため、一般的には、自分たちの上にひとつ、存在を想像するのです。こうして神様はつくられます。自然環境が厳しいほど、不条理を感じやすいので必然的に神は発生します。なので、ユダヤ民族は絶対神、豊かで穏かな土地では神が必要なかったりします。

2.ですが、恐怖の種類が幾つかあります。分かりやすいのは「死の恐怖」ですが、「分からないことへの恐怖」が実は大きな比重を占めているのです。古代の人々は特に科学的知識がありませんから、「世界はどう成り立っているのだろう?」「わたしたちはなぜ存在するのだろう?」といったことがわからないのが恐怖なのです。現代でも、あの人はどんな人か分からない→中国人だからきっとこうだろう、というベクトルが働きます。いわゆる偏見です。人は常に、自分の理解の範疇の外にあるものを、内側の材料を無理矢理使って、補完しようとするのです。

3.ですが、上記のような心理から自由な人は存在しませんから、信仰心は、当たり前と思ってください。無神論の人が増えたのは、単に宇宙の仕組みがわかって補完をする必要が無くなっただけのことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
環境と言うものはとても重要な要素なんですね。
知らないことが恐怖。そうですね、死の恐怖も死ぬことがどういうことか
わからないと言うのも、知らないことによるといえますね。
信仰とは補完作用。わかりました。

お礼日時:2008/02/05 20:59

#1&4です。



>こういうのって修正できるものなんですか?

「こういうの」? 「修正」? 改宗なら多くの宗教間でできますが。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。
そういえばそうでした。改宗というのがありましたね。

お礼日時:2008/02/05 21:01

1、それが神となる理由はなぜか?(神がいない宗教もあるのに)



人間の考えの及ばない無限の愛の存在を信じるからです。

2、恐怖以外に何か原因として考えられるものはあるか?

自分以外の人の幸せです。

3、世界中の信仰者は病人か?

「目に見えない、科学で解明できない神仏を信じる人は病気である」という考えを持つ人からみれば、病人にみえるかもしれません。この意味がおわかりですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やっと恐怖以外の回答がいただけました。
一体、宗教の源泉=恐怖の初の出典が何か気になるところです。
特に心理学に心得のある人たちの共通理解のようで。
3番目の質問に関しては、私自身の見解ではなく、
むしろ、私がそんな扱いだったので、質問させていただきました。
気分を損なわれましたら申し訳ありません。

お礼日時:2008/02/05 21:11

宗教は2つあります。


一つは信じるという宗教
もう一つは信じないという宗教です。

神がいない宗教もあるのに・・・
ありましたか?本人達は宗教と呼んでいないはず
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。信じるか信じないか。
もしかしたら見苦しい点を多々お見せしたかもしれません。

確かに。彼らは宗教とは呼んでいませんでしたね。

お礼日時:2008/02/05 22:08

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