
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>これはどういう意味でしょうか?
「化粧料10万石」という単位ですから、疑問を持ったのでしようね。
>だから、領地をプレゼントしたということでしょうか?
残念ですが、全く違います。
幕藩体制化では、たとえ将軍家の姫君でも領地を持つ事は出来ません。
>やややこしくなってしまうのではないかと悩みます。
単純に、父親(秀忠)が娘(千姫)の婚姻に対して「持参金」を持たせた。
と考えて下さい。
この持参金で、姫路城内に千姫櫓及び夫婦の住居を建て、神社を建てています。
10万石は、大藩でなくても小藩以上の規模です。
千姫や(江戸城から付き従ってきた)女中・侍などを養うには十分な金額です。
当時としては、一生暮らせる金額なんですよ。
No.7
- 回答日時:
飛び地
外様ですと、一円支配の場合が多いですが、親藩や譜代大名の場合、飛び地状態が常態でした。なので、隣の県との境がややこしくなるということはありません。最初からバラバラですので。
外様でも、京阪神や江戸のそばに賄い領として飛び地をもらっています。伊達家ですと
http://shigezane.fc2web.com/majime/shokan/2547.h …
とか。
賄い領/化粧料
秀吉未亡人の高台院は一万三千石の化粧料を持っていました。化粧料と通常の領地との違いは、将軍への奉公があるかどうかの違いです。通常の領地の場合、石高によってもし戦争の場合、軍隊を準備して将軍の元に出仕しなければなりません。しかし化粧料はこの件に関しては ノーカウント、軍備を準備する必要がないのです。
No.6
- 回答日時:
江戸時代は幕藩制で幕府と各藩の2重権力です。
長州や薩摩は表立って抵抗しないだけで徳川幕府には武力征服する力はない。長州や薩摩まで出かければ挟み撃ちで全滅しそうです。幕末慶喜が長州征伐試みるが失敗(高松城までいき指示出した) のちに高松城が取り壊されるのは明治政府に抵抗しないという降参ポーズです。天領(幕府直轄地)は神戸や長崎にあったが直に支配出来ない。神戸は幕閣(閣僚)の領地で長崎は佐賀藩に丸投げ委託で間接統治。長州の石見銀山は1600年幕府支配、幕末1866年には長州藩が取り返した。
貨幣制度は金や銀と米本位制の併用、東国は金本位制と米本位制、西国は銀本位制と米本位制、鈴鹿峠の東が東国です。
当時世界の銀の1/3は日本が産出、それ目指して南蛮人(カトリック、ポルトガル/スペイン)と紅毛人(プロテスタント、オランダ/イギリス)がアジアに来た。世界の金銀のレートに幕府は無知だったから銀持ち込み金持ち帰るだけで商人は利益です。南蛮人の奴隷売買は秀吉も家康も禁止令出した(宣教師が貿易仲介し協力する南蛮人カトリック商人、協力して輸出する日本人カトリック信者がいたわけです)
千姫の10万石は米10万石(1石は1人の年間食費(食べる米の量))、いまの7億5000万円/年の持参金です(結婚するとき夫は姫路城に赴任、それまでは15万石の大名)
石高大きいと養える兵士(武士)も多い。徳川家飛騨甲斐など含み400万石(部下である旗本など300万石は別)、加賀藩100万石(1位)、薩摩藩77万石(2位)、長州藩37万石(9位)、佐賀藩36万石(10位)
幕末期「薩長土肥」が組めば強力なわけです。慶喜の父の水戸藩は35万石(11位)

No.5
- 回答日時:
夫の本多忠刻に10万石を与えて、姫路新田藩を創設したということですけど、この忠刻自身が30歳で亡くなり、分割相続されたりして、どの土地かはっきりしないようです。
これは3番さんの資料にも触れていますけど、忠刻の死後に本多政朝が5万石、同じく弟の本多忠義に4万石、残る1万石は播磨龍野藩主であった小笠原長次に受け継がれています。
身分の高い女性が嫁ぐときは、実家から1代限りの化粧領、持参金としての化粧料を付けるのが習わしですけど、千姫の場合はこれとはちょっと事情が違うようです。
No.3
- 回答日時:
http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kok …
上記サイトが分かり易いです。
石高制について書かれています。
「石と言う単位は、人間が1年間に食べる米の量を基準にして設定されたもの」
とあります。
また下記サイトは千姫が輿入れする際に10万石のうち1万石が甥に
分けられたとあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%87%8E% …
妻千姫の化粧料10万石のうち1万石を与えられ計6万石をもって入封した
上記サイトが分かり易いです。
石高制について書かれています。
「石と言う単位は、人間が1年間に食べる米の量を基準にして設定されたもの」
とあります。
また下記サイトは千姫が輿入れする際に10万石のうち1万石が甥に
分けられたとあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%87%8E% …
妻千姫の化粧料10万石のうち1万石を与えられ計6万石をもって入封した
No.2
- 回答日時:
“石”とは体積の単位です。
侍が米で俸禄をもらっていたように、それが貨幣などの基準でもあったわけです。
領土でいうところの“石”とはすなわち、それだけの米を産出できるだけの土地ということです。
No.1
- 回答日時:
徳川直轄地の中から、年に10万石が取れるだけの土地の名義を彼女にあげた、ということかと思います。
最近の事情でいえば、山や土地をもっている方が檜の山x町歩というようなものです。
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