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惑星など,逆2乗に比例する中心力場での軌道が円錐曲線で表現される
ことは存じておりますが,根本的なところで,なぜ重力や電気力などの
場の力が円錐曲線と関連するのか,と言うことに疑問を持っています.

2乗の項が出て来るので,二次曲線になることは直感的にですが,
なんとなく理解しそうになっていますが,ではそれがなぜ「円錐」なのか?
単に,物理と数学の表現上のアナロジーなのか,
それともこの宇宙の成り立ち,宇宙の幾何学的な構造?,重量理論など,
深遠なところで繋がっているのか,と言うあたりについて,
お教え頂けましたら幸いです.どうぞ宜しくお願い致します.

A 回答 (2件)

先ず補足に対する、回答です。


この問題での微分方程式の解は、初期条件が与えられると一意に決まります。また、この場合全ての初期条件で解は円錐曲線になっています。ですから、自明と言ったのです。

もし、代数的に表された解析解が何故幾何学の円錐の断面図になっているかとの質問だったら、それは数学の問題であり、物理の問題ではありません。従って、コメントもありません。

円錐曲線の焦点には質点があるので、運動方程式の解は焦点について立派な情報を与えてくれています。

もっと難しい物理学の問題を数学で表現する時、しばしばその表現の中に特異点と呼ばれる特別な点が現れます。その場合、その特異点はその物理系の重要な個性の情報を与えてくれています。

数学と物理学の関係は、言語と事象の関係と同じです。例えば、どんなに言語その物を分析した所で、人間の行いの何たるかを分析することは出来ませんが、その反対に人間の行いを分析するために、言語を使うことが出来ます。それと同じように、数学の構造を幾ら分析しても、この宇宙の情報は得られません。しかし、この宇宙のあり方を数学を使って分析することが出来ると言う歴史的な経験を我々人類はして来たのです。今後、この経験に反することが出て来ることがなさそうだと、物理学者達は信じているわけです。

物理学とは何かを理解するとき、「利用できる、できない」と言う言葉は、本質的なキーワードではないと思います。工学では「利用」と言う言葉が、工学を理解するキーワードになりますが、物理学は工学ではありません。

物理学を他の学問大系から区別している独特のキーワードは、「Law=法律、法則」という言葉です。物理学とは、森羅万象が「Law 」あるいは「第一原理」と呼ばれるものから統一的に理解できるという神懸かり的主張を信じる、言わば「物理学教」ともいうべき宗教の一種です。この点が、物理学が工学とは違うところです。この主張が正しいとはまだ確認されてはいませんが、人類は今のところ、この信仰を否定する事象にも出会っていないようです。

物理学と数学との関係や、物理学がどの点で他の学問とは異なっているかの分析が、共立出版、早稲田大学複雑系高等学術研究所編、複雑系叢書7、「複雑さへの関心」の本の中の『複雑性と時間の矢』の章でかなり詳しく論じられています。多分貴方の疑問について参考になると思います。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます.

>この問題での微分方程式の解は、初期条件が与えられると一意に決まります。
>また、この場合全ての初期条件で解は円錐曲線になっています。
>ですから、自明と言ったのです。

「計算上,そうなるので『自明』」と言うことだと解釈致しました.

>もし、代数的に表された解析解が何故幾何学の円錐の断面図になっているか
>との質問だったら、それは数学の問題であり、物理の問題ではありません。
>従って、コメントもありません。

当初私の質問の意図のひとつはこれ↑でありました.
#私が「円錐曲線」と書く場合,これは「数学」として書いています.

円錐の切り口の断面内にある焦点位置と,惑星軌道の中心天体の位置との
アナロジーは(少なくとも私の見た最近の教科書10冊ほどでは),
記載されていません.

即ち,
「表面上なのか?
 それとも数学的にしろ物理的にしろ,何がしかの根本的な関係があるのか?」
と言うのが私の疑問でありましたが,
おかげさまで答えが段々見えて来たように思われます.

今回頂きましたご回答に関しましては,
細かいところをひとつひとつ取り上げますといろいろあるのですが,
大筋において同意し,納得するところです.

ただ一点,確かに私は「工学」の住人で,それで飯を食っている訳ですが,
それをさておいて,

>物理学を他の学問大系から区別している独特のキーワードは、
>「Law=法律、法則」という言葉です。

には大いに同意致しますが,

>物理学とは何かを理解するとき、「利用できる、できない」と言う言葉は、
>本質的なキーワードではないと思います。

の点に関しましては,また機会がありましたらぜひ議論してみたいところです.

それ以前に,まずはご紹介頂きました「複雑さへの関心」,
学内に4冊見付けることが出来ましたので,これから借りに行こうと思います.

何度もお付き合い頂きましてありがとうございます.
<(__)>

お礼日時:2008/02/14 18:15

貴方の質問は、ガリレオのものとされる不思議な主張「数学は自然を表す言葉である」に関わっております。

そもそも、この自然界にニュートンの法則(Law=法律)があり、力が距離の逆2乗に比例する中心力場であるかぎり、運動は円錐曲線で表現されるのは自明なことです。ですから、貴方の疑問は(1)自然は数学を使って表現できるのか、(2)ニュートンの法則は正しいのか、のどちらかについての疑問でしょう。(2)についてはいろいろ議論があるでしょうが、ここでは、(1)について語りましょう。

現在の若者にとっては、これだけ進歩した数学が自然を記述できるのは当たり前ではないかと思うでしょうが、ガリレオ当時では、微積分の概念はまだ人類には知られておりませんでした。ガリレオが知っていた数学とは、現在では算数とよばれる加減乗除と、ユークリッドの幾何学だけでした。こんな未熟な算数レベルでは、ほとんどの自然現象は記述不可能でした。そんなレベルで「自然を表す言語は算数である」などと言うのは「神懸かり」と言うほか無いでしょう。例えば、今現在ほとんどその証拠もないのに「数学は男女の愛を表す言語である」と言うに等しいでしょう。そのぐらい気違いじみたことをガリレオは主張したのです。

今でも量子力学を習うと「物理量は演算子である」という表現に神秘を感じる方がほとんどです。しかし、一旦ガリレオの主張を受け入れてしまうと、物理量は数であり、関数であり、演算子(すなわち関数の関数)であり、関数の関数の関数であり、云々 、ということに不思議がる方がもっと不思議なことです。

数学は宇宙に関係なく、我々の脳みそが思考し得るあらゆる整合性を探る学問です。従って、数学は必然的に「一般化」を志向します。一方、物理学は、数学的に可能なあらゆる論理の中で、どうしてあれではなくてこれだけが実現しているのかと言う「特殊化」を探る学問です。

そのように、完全に逆方向を向いており、したがって宇宙に無関係な数学が、どうして宇宙の記述に役に立っているのかは自明なことではありません。

私の意見では、この整合性の依って来たる原因は、たぶん脳みそ、すなわち、「我々の精神」もこの宇宙に埋め込まれた存在であり、従って、数学と言えども、自然法則の枠の外に出て論理を展開できる学問ではないのではないか、ということです。すなわち、我々は精神と物質という二元論的原理にしたがう宇宙に存在しているのではなくて、自然法則という一元論的原理にしたがう宇宙に存在しているのではないかと言うことです。

この問いに対する回答は、たぶん物理学を徹底的に押し進めることに依って、得られると思っております。

この回答への補足

ご回答頂きましてありがとうございます.
私の質問の書き方が悪いのかと,削除してしまうところでした.
大変貴重なご意見ありがとうございます.

補足お願いとお礼とを書かせて頂きます.

【補足お願い】

>力が距離の逆2乗に比例する中心力場であるかぎり、運動は円錐曲線で表現されるのは自明なことです。

とのことですが,
2階微分,2次項が出て来るので2次曲線となり,2次曲線は円錐曲線としてまとめられる,
即ち,「結果として円錐曲線としてまとめられるので,証明不要」と言う意味でしょうか?
すみません,私が至極簡単なところを見落としている可能性がありますので,
くどくて大変申し訳ございません,この「自明」の根拠などをお教え頂けますでしょうか?

【お礼】

>宇宙に無関係な数学が、どうして宇宙の記述に役に立っているのかは自明なことではありません。

>私の意見では、この整合性の依って来たる原因は、たぶん脳みそ、すなわち、「我々の精神」も
>この宇宙に埋め込まれた存在であり、従って、数学と言えども、自然法則の枠の外に出て論理を
>展開できる学問ではないのではないか、ということです。

のご回答に大変納得致しました.

結局,
「惑星軌道は,数学上の円錐曲線と一致する.
 従って円錐曲線の性質は利用出来るが,単に利用出来るだけであって,
 それ以上でもそれ以下でもない.」
と言うのが答えとなりましょうか.

以下余談ですが,「それ以上の何かがあるのでは?」との考えから,
下記2点に基いてうんうん唸っておりました.

1.物理学にとって数学は一部の性質を利用する「手段」に過ぎず,
  数学的表現がそのまま物理的解釈や現象として実在するとは考えていない.
  しかし目に見える現象として観測される限り,その現象を表現する「部分」の数学の言わんとする
  ところは,何らかの「幾何学的解釈」などとして紙の上に図示などの表現が出来るのではないか.
  (例えば「NEWTON」は,高次元の宇宙ですら次元を縮退させるなどして紙の上に描いており,
   これは大変敬服する次第です.)

2.ニュートンの運動法則+万有引力の概念から軌道の形状や性質を導出する際,
  円錐曲線(円錐の切り口の輪郭)と軌道形状とのアナロジーは必ず出て来るところだが,
  例えば焦点位置については意味のある解釈を与えないか,全く記載がない.

そう言えば,今,我々が知っている物理法則,物理定数はこの宇宙の中でのみ通用するもの,
他の宇宙では異なっているもの,しかしながら宇宙創世の理論では,宇宙創成に関わる「超法則」と
呼ぶべきものがあり,それは我々が知っている物理法則の一部であり,更に数学的表現が可能,と
言うことから考えると,「数学」が表現する対象とは,もしかすると「超法則」に関連しているのかな,
などと,わくわくするような想像を掻き立てられます.

>現在の若者にとっては、これだけ進歩した数学が自然を記述できるのは
>当たり前ではないかと思うでしょうが

カール・セーガン「COSMOS」などで,
古代,天体の動きを音楽で,この世の根源を詩で表現することが試みられたことを知りました.
従って,物理の数学的表現もまた,そういう表現方法のひとつに過ぎないことは理解しておりますが,
定性的・定量的評価に大きく貢献していると感じております.
その辺を,「当たり前」のこととしてではなく,後進諸氏に伝えていく努力が我々には必要だ,と,
改めまして感じた次第です.

ありがとうございました.<(__)>

補足日時:2008/02/13 18:19
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