No.10ベストアンサー
- 回答日時:
自らの発言を補足します。
NHKをはじめとする放送メディアや新聞などの活字メディアでは、それぞれ表記や表現の基準を設けています。番組や記事に使われる言葉はそれに沿って書かれています。
その基準は何年か経つと見直されます。定期的に調査をして、言葉の変化に注意しています。
新聞は、国が定めた「常用漢字」のほかに、人名字など新聞独自で使おうと判断した漢字などを記事に用いています。
NHKや共同通信がハンドブックを刊行しているので、入手できると思います。
現在、「標準語」という言い方は歓迎されません(「共通語」と言います)。
なぜなら、それ以外の言葉は「標準」以下か、となってしまうからです。
ちなみに、放送や新聞のニュース原稿は、
「義務教育を終えて、社会に出て2、3年を経た人が理解できる」ことを基準に作られています。
送や新聞のニュース原稿は、「義務教育を終えて、
社会に出て2、3年を経た人が理解できる」事を
基準に、作られているとは知りませんでした。
ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
(あつかましいですが、補足という事で…。
)基準の一つに、「文法」や「辞書」があります。
文章を書いている時に、表現等に困ると、参考に「文法」や「辞書」にたよります。
でも「文法」や「辞書」は、基準になるが、それが「正しい」or「正しく無い」の絶対のものでは無いということです。
「文法」は、今我々が使っている言語を、学問的に整理したものにすぎませんし、「辞書」も、今までの我々の語、言葉の用例を参考にし解説しているだけです。
どちらも、今までの言語の歴史をふまえて、今使っている言語の「規範」を体系立てて整理しているだけですから、『絶対』という事はありえません。
ご承知のように、言語は変化しますから…。
ありがとうございました。
辞書が一定期間時間がたったら
更新されますしね。
(更新という言い方が正しいかどうか、わかりませんが、
ここでは改訂の方が、ただしい言い方なのでしょうか?)
とても、参考になりました。
No.8
- 回答日時:
かなり臆測・私見が交じると思いますが、お許しください。
>正しい日本語の基準というのは、一体、何
>なのでしょうか?
「正しい日本語」というのが何を指しているのかわかりませんが、
國として「正しい日本語」を制定しているということは聞いたことがありません。
NHKは放送するに當たって、こういう表現は正しいことにしようとか こういう表現はやめようとか 基準を設けているようです。
國として標凖語を定めていなくても、このようなマスコミの作った基準が標凖語と言えるかも知れません。
ただ、これらは放送のためにあるものですから、これをもとに個々人の表現を規制しようとするのはおかしなことです。
共通語という言葉は、標凖語と區別なく使うこともありますし、區別して使うこともあります。
兩者を區別して使う場合には、
標凖語は「人工的に作られた基準に基づくもの」という意味であり、
共通語は「方言によらずしてみんなが共通に使う言葉」という意味です。(私が今書いているのも「共通語」です。)
ただ、これらは言葉に對する【態度】のようなものが含まれています。實際に「じゃあ『こんにちは』は標凖語なのか共通語なのか」と聞かれたら、答えられません。
ま、【態度】ですから、中間的な態度というのもあります(「ら拔き言葉はかまわないけど、『すごい大きい』という表現はけしからん。」とか。)
最初のご質問は「正しい日本語の基準」というものについてですが、ここらへんのことを論じだすと、これから私は夜寢られなくなる可能性があるのでやめておきます。(笑)
>正しい日本語という基準がある事で
>変化の妨げになってしまっているのではな
>いでしょうか?
ま、NHKやらその他のマスコミが基準を作ったところで個々人の表現にまで規制を及ぼすことはできません。
もっとも、變化というのは結果ですから、妨げが起こったところで別に問題ないですが。
「古文よりも現代語のほうが動詞の活用が少なくなって簡單になった」と言って、「變化」を望ましいものとして捉える人もいます。
しかし逆に變化がなければ、それはそれで、昔の文もすらすら讀めてけっこう樂じゃないか、という考えもありえます。
>例えば、江戸時代に正しい日本語の基準を
>作ってしまったら、現在でも江戸時代の言
>葉を使うようになっているのではないでし
>ょうか?
「江戸時代に正しい日本語の基準を作ってしまった」としても多分變化は起きるでしょう。
明治の文明開化でたくさんの事物が西洋から入ってきて、それらを表す言葉が新たに出來たでしょう。
社會が進歩すれば使われなくなる物が出來て、それらを表す言葉が廢れるでしょう。
戰爭が起きれば「大東亞戰爭」とか「太平洋戰爭」とかいう言葉が出來るでしょう。
子供は産まれてから親など周りの人から言語を取得するんですが、そのときにまったくそのまま引き繼ぐことはしていないだろうと思います。
親は「來られる(こられる)」と言っても、子供はラ行の連續が苦手で「ら拔き」して「來れる(これる)」と言うかもしれません。
あるいは身分關係が少なくなればそれだけ敬語も簡素化するでしょう。
もし、日本語の基準を作って罰則(ら拔き言葉を使ったら罸金3萬圓とか)附きの「法律」などで變化を封じ込めようとすれば、すぐにみんな息苦しくなって、裏では ますます「表向きの日本語」と違った裏の日本語が出來て、なにかのきっかけ(幕府が倒れるとか戰爭で負けるとか)で一氣に表に出てきてその法律も有名無実化するでしょう。
またこのような(幕府が倒れるとか戰爭で負けるとか)ことが起きたときには、
新政府は「心氣一轉新しい日本語でしゃべろう」などと言って、新しい日本語の基準を作る可能性があるでしょう。
このような日本語の基準の「法律」をきちんと實行するには、それこそ「言語警察」のようなものを造って取り締まらなくてはいけません。
プライバシーの領域にも言葉はあります。
個々人のプライバシーの領域まで、それこそベッドの中まで入り込んで人の言葉を規制しなくてはなりません。
(人々はプライバシーの概念のある他國をうらやましがって、一氣に國が潰れるでしょう。)
このような言語警察官は、單純計算で規制對象の國民の3倍の人數が必要です。なぜかというと、そうしないと國民一人一人の獨り言まで規制できないからです。3倍するのは彼らが一日に8時間勤務だからです。
えーっと、彼ら自身にも規制の手は及ぼさなくてはいけないとか、彼らにも休日はあるとか、もっとたくさんの言語警察官が必要です。
このような厖大な警察官を雇うのはたいへんなことです。
人々は文法書のような本を常に攜帶して、間違えそうになったら確かめなくてはなりません。
(その本に誤植があって、その誤植によって誤った日本語が廣まったり、、、なんて可能性も。)
以上書いたことはあまりに非現實的なので、この「法律」の適用は書き言葉に限定して想定してみましょうか。
このような書き言葉の檢査をするたくさんの檢査官を雇うのは(先ほどの言語警察官でないほどにしても)政府の財政を壓迫するんじゃないかな、と私は考えます。
テレビのドラマを見ても人々のセリフは書き言葉で話されるでしょう。というのは、この「法律」のもとでは臺本は話し言葉を使って書いてはいけないからです。
また小説を見ても、「 」(かぎかっこ)で圍んだ人のセリフまで書き言葉で書かれているでしょう。
書き言葉というのは本音と違った表向きの印象をあたえる言葉です。裏社會にセリフが話し言葉で書かれた小説やら、ドラマが出來るでしょう。
いずれにしても裏社会の成立は必定で、それが表社會の幕府や政府を倒す可能性が充分有り得るでしょう。
もっともっとこの「法律」の適用をゆるくした場合どうなるかは、ご質問者自身でおこなってみてもいいんじゃないかな、と思います。
例えば、新聞とか放送とかのマスコミくらいに限定するとか。そうなると、マスコミの言葉が多少文語文に近くなるだけで、割合に現實性を帶びてきます。
しかし、このようにこの「法律」をゆるくすればするほど、人々の言葉の變化を抑えることは、それはそれでまたできなくなるでしょう。
No.7
- 回答日時:
「正しい」というのは、厳密にはないと思います。
時代とともに変化するからです。井上ひさしの作品に『国語元年』という話があります。明治の初期、全国共通の日本語を作ろうとした役人の話です。
それほど、当時は方言の違いが著しく、東北と九州の人は会話が成立しなかったとか。
実際には、東京の山の手で使われていた言葉を中心に「共通語」の基になるものが作られたようです。
仮に「正しい日本語の基準」があったとして、それが言葉の変化を妨げるということは考えにくいと思います。
「食べれる(食べられる)」「だいじしん(おおじしん=大地震)」などは、その代表格ではないでしょうか。
時代とともに変化するのは、主に発音と話し言葉ですね。
あまり口を動かさなくて済む、ラクな方向へ向かいます。
(最近、サ行を英語のthのように舌を噛んで発音する人が増えているように感じます。食生活の変化でアゴの形が変わってしまったのでしょうか)
あと、意味の取り違い。
「情けは人のためならず」など。原因は勉強不足かな。
規範があるとすれば、美しい言葉遣いでしょうか。
相手に不快感を与えない話し方。
今宵はここまでに致しとう存じます。
テレビという大勢の人達に、情報を伝える
ものができるせいか、みんなにもわかるよ
うな言葉で話す。それにはある程度の基準
を、作らなければならない、というところ
が、昔と違うのかなぁーと思いました。
ご回答。ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
「正しい」日本語はないですね。
おっしゃるとおり、時代時代によって変わってきますし、地方にも「方言」がありますから同じものをさす言葉でも、ぜんぜん違う言い方、または同じ言い方でも発音が違ったりしますからね。それを例えば、東京の人たちが一般的に話している言葉を「正しい」としてしまったら、方言が「間違えている」ことになってしまって問題ですね。
ただ、逆にニュース番組などのアナウンサーが、方言で話したり流行語で話してしまっては、意味が通じない人も出てきてしまいますので、「最も標準的な言葉」として「標準語」というのは定められていますね。
これが、一応ニュースとか公式な場、外国人に「日本語です」といって紹介する場合には使われていますね。ただ、これもあくまでも「標準的に使われる」言葉であって、正しいわけではありませんね。
ご参考程度に。
No.4
- 回答日時:
日本語の基準は憲法や法律では規制されていません。
従って自由です。内閣は漢字の数や外来語の表記の仕方など最低限のガイド・ラインを内閣告示として示しているにすぎません。これを受けて公共機関は別途『手引書』などを作成しています。NHKの『言葉のハンドブック』はその代表的なものです。
日本列島に人が住み着いて以来、言葉は変化し続け、現在のような標準語というものが設けられたのは僅かに130年ぐらい前です。しかし、その後も変化をつづけ明治時代の言葉すら我々には理解困難となっています。変化のスピードは外的要因もあり年々早くなり今後も続くでしょう。
『正しい日本語を話せ』とはある意味で世代間の戦いかもしれません。20-30年、或いはそれ以上の年令差があれば正しい日本語の基準が変わります。あなたの子供たちは、今そう言っているあなたの日本語を古臭いという時が来るでしょう。
言葉は生き物だからこそ、現代の統一国家としては放置できずある規準を設けざるをえないでしょう。基準があるからこそ9年間の義務教育を同じ言葉で行う事も可能になります。又外国人はその認知された日本語を学ぶ事も出来ます。
世界的にみれば日本の規制は決して厳しい方ではなく、外来語等はマスコミで使い放題になっています。厳しい辞書類でも新しい単語を取り入れまた誤用などを認めています。辞書が先に基準を作ることはなく、社会の変化、言葉の変化を後から認めているに過ぎません。また国家が使用を認めず、辞書が掲載に踏み切らなくても
その言葉は、国民の多数が使えば口語として長く生き残る事になります。
出来るだけ正しい日本語を使いましょう。誤解は紛争の元にもなります。
言語の変化は、法の変化のように思えました。
というのは、時代、時代によって変化するの
が当然という意味で、似ていると思ったのです。
おもに「正しい日本語」にきおつけているのは、
確かに、世代的なものかもしれません、50代
、60代、それ以上の年齢の人達が今まで、使
っていた言葉が、使われなくなってきたら、自
分たちが使っていた言葉を何とか、維持させよ
うとするのもわかるような気がします。
いろいろと参考になるご意見、ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
言語学に於ては、巷間にゐる「その日本語の用法は厳密には正しくない」と物申す輩のやうな事は無いのであります。
文法と云ふものが抑其の言語が用ゐられてゐる在り方に伴つて拵へられる物でありますから、さうした「規範」に固執する必然性は無いと謂つて良いでせう。言語を研究するに当つて、時間軸的な言語の推移や変遷は勿論考慮に入れるのではありますが、現時点での日本語と謂ふ側面で研究が為される以上、今日本語話者の間で通ずるか何うかに主眼が置かれる筈であります。
「正しい日本語」なるものは、おそるらくは、政府が其れを以て標準と認定せしめたる標準語のことでありませう。もともとは江戸言葉や薩摩言葉などが混合してできた人工的な産物であります。しかし是を制定した事に由り、方言に因る相互の疎通の不能性を乗り踰える事が出来ました。其れは評価しても宜しいのでは無いかとわたくしは思うのであります。
また、つねに変化すると一口に申しましても、発音・文法・語彙と様々な分野に於て生々流転の変化が営まれる訳なのでございますから、変化したその実情に併せて「正しい日本語」なるものを其都度改めて行かねばならないということなのであります。
正しい、と云ふ詞にわたくしたちはともすれば惑わされ勝ちですが、決してそれが絶対な訳ではありません。現にわたくしのような物の書き方を試みても、日本語として通用する筈であります。正しいというより寧ろ「標準」である事に気を付けねばならない、とわたくしは想ふのであります。
仮令江戸時代に標準語が制定されたに致しましても、語彙や発音は流動していくでせうし、欧米諸国との交易に由り、文法構造も影響を受けざるを得ないと考へられます。其の場合2000年頃の日本語は、今ある形とは違うかも知れませんが、慣れて居るが為に不便を感ずる事は無いと考へられます。
日本に於いて大部分が共通に理解し得る場合、標準語と云へるのでありますが、其れ以外にも方言、俗語や集団語なるものも存在する訳であります。其れが標準になるか何うかは判りませんが、時として標準語への移入と云ふ現象があります。
正しい日本語というあいまいな定義の中で、
基準になっているのが、標準語ではないか
と私には思えました。
くわしいご回答。ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
通じなければしょうがないですから。
基準というのは、厳格な固定的なものではありませんが、「誰もが判る・通常の人なら理解可能な範囲」ということでしょうね。
変化していくことはあるけれど、一夜にしてということはなく。
徐々に使われることが増えていき、不自然さを感じる度合いが減り、そして基準の範囲内にとりこまれていく という過程を経て進化していくものです。
「情けは人の為ならず」のように、数十年前なら完全な誤用で笑いモノだったけど今や「相手の為にならない」の意味も許されるようになってきているという例もあります。
「情けは人の為ならず」は、数十年前なら
完全な誤用で笑いモノだった。という事は
まったく知りませんでした。
ご回答。ありがとうございました。
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