ソクラテス→エピクロス
肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えるのは無知のなせる業である。
その点で、肉体的快楽を寧ろ「苦」と考えるようになるためには「無知の知」が必要である。
「快楽」と「知」はリンクするものなのだ。
こんなことをソクラテスはエピクロスに言ったりするでしょうか?
御回答よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

言ったりするかしないか、という質問にピントを絞ります。


とすると、答はどちらかというと否定的になります。
それも、ソクラテスとエピクロスが根本的に時代が違う人だからというような理由でもなく、ソクラテスという人物はプラトンなどが脚色しているからというような理由でもありません。たらればだからくだらないとも言いません。

ソクラテスは誰彼ともなく捕まえて議論するような人であったというのが本当ならば、まずエピクロスにいきなりこうだと突きつけることはないと思います。最初にエピクロスがどのように考えているかを聴取した上で、それに反駁するのが彼の流儀ですから。
では、エピクロスは、肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えているのだということを導き出さなくてはならないのですが、いかにも世間で誤解されそうなエピクロス像による判断であって、エピクロスは実際はそのような主張をしていません。

エピクロスの私生活は確かにねーちゃんに言いよりまくっていたようですし、それは事実だと思いますが、その私生活をことさらにバッシングしたのが対立派閥のストア派の人達です。そして、このストア派の連中があることないこと言ったおかげでエピクロスの教説に実際触れたこともないのにエピクロスはしまりのない快楽主義で堕落している、と人々が近寄らなくなってしまっているのです。
以前もエピクロスが唯物論者だからダメだとか言っている人がこのサイトにいましたが、全くの無知で、彼はデモクリトスの論を継承する原子論者ではあるものの、霊魂についても語っていますから唯物論ではありません。また、無神論だとかいう人もいますが、この人もエピクロスが神について語った箇所を全く読んでいないのです。

さて、エピクロスはどのように考えていたか。
身体の健康と魂の平静さが至福なる生の目的、と主張しています。
身体の健康が肉体的快楽であり、魂の平静さが精神的快楽だとするならば、エピクロスは両方を同様に大事なものとしているのです。
だから、ソクラテスがもし「肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えるのは無知のなせる業である」と言ったら、「そうだね。両方大切だね」などと言いかねない。そうすると、ソクラテスは精神的快楽の方を上に見なしたい論客ですから、これはちょっと困ると思うのです。

ソクラテス「でも、肉体的快楽は苦ではないかね」
エピクロス「苦のこともあるが、苦でないこともあるよ」
ソクラテス「少しでも苦があればそれは苦ということにならないかね」
エピクロス「どうして苦痛にばかりこだわるかね。快楽は確かに第一の善であると私も考えている。しかし、快楽であればなんでも貪るようなことはしないよ。快楽のために多くの不愉快なことが結果として起こるようであれば、あえて快楽を得ようとしない。それに、苦痛だって悪いときまったものでもないんだ。苦痛を長時間耐え忍ぶことが大きな快楽を我々にもたらすなら、多くの苦痛の方が快楽よりすぐれていると私は思うよ」

そうなんです。
エピクロスは欲望の塊の人じゃないんです。
快楽についてつきつめて考えればこそ、むしろ質素な精神で生きた人です。
「快楽とは、一部の人たちが(われわれの説に)無知であったり、またこれに同意しなかったり、あるいは誤解して考えているように、放蕩者たちの快楽や、(性的な)享楽のなかにある快楽のことではなくて、身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないことに他ならないのである。というのも、快適な生活をもたらすのは、酒宴やどんちゃん騒ぎをひっきりなしに催すことでもなければ、少年や女たちとの(性的な)交わりをたのしむことでもなく、また魚その他の贅沢な食事が差し出すかぎりのものを味わうことでもなくて、むしろ、すべての選択と忌避の原因を探し出したり、また、極度の動揺が魂を把えることになる所以のさまざまな思惑を追い払ったりするところの、醒めた分別こそが、快適な生活をもたらすのである。」(ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」第10巻)
わずかなパンと水で充足する人になれと言ってたようですよ。

ソクラテス「しかし、そのことに気づくためには<無知の知>が必要なのではなかったかね」
エピクロス「<無知の知>というより、私の場合は思慮が必要だと説いて回っているんだよ」
ソクラテス「思慮」
エピクロス「そう。思慮だ。知識を愛する哲学よりも、思慮だ。ここから総ての徳が生まれる」
ソクラテス「なるほど。あなたの中では快楽と知はリンクするものなのだね」
エピクロス「疑うまでもなくだよ」

無理に会話に織り込むとこんな感じになるわけですが、ソクラテスはデマに惑わされる人ではないですから、エピクロスの主張を聞いた上で、ご質問のようなことはあえて言わないのではないでしょうかね。
ソクラテスの考えと(世間に誤解されている姿でなく真の)エピクロスの考えはかなり近いように、(エピクロスを奉じる)私には思われるんですが。
(もし私が強引にソクラテスとエピクロスを意図的に近づけようとしているという批判があるならば、それは甘んじて受けますが)
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[肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えるのは無知のなせる業である。

その点で、肉体的快楽を寧ろ「苦」と考えるようになるためには「無知の知」が必要である。「快楽」と「知」はリンクするものなのだ。]
こんなことをソクラテスはエピクロスに言ったりするでしょうか?
・・ソクラテスならエピクロスに言ったでしょうね。
ソクラテスの世界観に基づく価値観はエピクロスの世界観に基づく価値観を凌駕してましたから当然でしょうね。
またこのソクラテスの問いかけも立派にソクラテスらしいですね。肉体的快楽は老いれば得られなくなるものであるし、肉体の死によって消え去るものであるからですね。精神の不死性を知っていたソクラテスから見れば肉体的快楽など無知の知でしかないですからね。でもソクラテスも結婚していますから肉体的快楽なども否定してたわけではないんですね。エピクロスのように物質世界、それがすべてだという考え方をだめだといってるんですね。
ということで「ありうる問いかけだと思いますよ。」
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QソクラテスVSエピクロスの問答を夢想してみる。

ソクラテス→エピクロス
肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えるのは無知のなせる業である。
その点で、肉体的快楽を寧ろ「苦」と考えるようになるためには「無知の知」が必要である。
「快楽」と「知」はリンクするものなのだ。
こんなことをソクラテスはエピクロスに言ったりするでしょうか?
御回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

言ったりするかしないか、という質問にピントを絞ります。
とすると、答はどちらかというと否定的になります。
それも、ソクラテスとエピクロスが根本的に時代が違う人だからというような理由でもなく、ソクラテスという人物はプラトンなどが脚色しているからというような理由でもありません。たらればだからくだらないとも言いません。

ソクラテスは誰彼ともなく捕まえて議論するような人であったというのが本当ならば、まずエピクロスにいきなりこうだと突きつけることはないと思います。最初にエピクロスがどのように考えているかを聴取した上で、それに反駁するのが彼の流儀ですから。
では、エピクロスは、肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えているのだということを導き出さなくてはならないのですが、いかにも世間で誤解されそうなエピクロス像による判断であって、エピクロスは実際はそのような主張をしていません。

エピクロスの私生活は確かにねーちゃんに言いよりまくっていたようですし、それは事実だと思いますが、その私生活をことさらにバッシングしたのが対立派閥のストア派の人達です。そして、このストア派の連中があることないこと言ったおかげでエピクロスの教説に実際触れたこともないのにエピクロスはしまりのない快楽主義で堕落している、と人々が近寄らなくなってしまっているのです。
以前もエピクロスが唯物論者だからダメだとか言っている人がこのサイトにいましたが、全くの無知で、彼はデモクリトスの論を継承する原子論者ではあるものの、霊魂についても語っていますから唯物論ではありません。また、無神論だとかいう人もいますが、この人もエピクロスが神について語った箇所を全く読んでいないのです。

さて、エピクロスはどのように考えていたか。
身体の健康と魂の平静さが至福なる生の目的、と主張しています。
身体の健康が肉体的快楽であり、魂の平静さが精神的快楽だとするならば、エピクロスは両方を同様に大事なものとしているのです。
だから、ソクラテスがもし「肉体的快楽を精神的快楽より勝ると考えるのは無知のなせる業である」と言ったら、「そうだね。両方大切だね」などと言いかねない。そうすると、ソクラテスは精神的快楽の方を上に見なしたい論客ですから、これはちょっと困ると思うのです。

ソクラテス「でも、肉体的快楽は苦ではないかね」
エピクロス「苦のこともあるが、苦でないこともあるよ」
ソクラテス「少しでも苦があればそれは苦ということにならないかね」
エピクロス「どうして苦痛にばかりこだわるかね。快楽は確かに第一の善であると私も考えている。しかし、快楽であればなんでも貪るようなことはしないよ。快楽のために多くの不愉快なことが結果として起こるようであれば、あえて快楽を得ようとしない。それに、苦痛だって悪いときまったものでもないんだ。苦痛を長時間耐え忍ぶことが大きな快楽を我々にもたらすなら、多くの苦痛の方が快楽よりすぐれていると私は思うよ」

そうなんです。
エピクロスは欲望の塊の人じゃないんです。
快楽についてつきつめて考えればこそ、むしろ質素な精神で生きた人です。
「快楽とは、一部の人たちが(われわれの説に)無知であったり、またこれに同意しなかったり、あるいは誤解して考えているように、放蕩者たちの快楽や、(性的な)享楽のなかにある快楽のことではなくて、身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないことに他ならないのである。というのも、快適な生活をもたらすのは、酒宴やどんちゃん騒ぎをひっきりなしに催すことでもなければ、少年や女たちとの(性的な)交わりをたのしむことでもなく、また魚その他の贅沢な食事が差し出すかぎりのものを味わうことでもなくて、むしろ、すべての選択と忌避の原因を探し出したり、また、極度の動揺が魂を把えることになる所以のさまざまな思惑を追い払ったりするところの、醒めた分別こそが、快適な生活をもたらすのである。」(ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」第10巻)
わずかなパンと水で充足する人になれと言ってたようですよ。

ソクラテス「しかし、そのことに気づくためには<無知の知>が必要なのではなかったかね」
エピクロス「<無知の知>というより、私の場合は思慮が必要だと説いて回っているんだよ」
ソクラテス「思慮」
エピクロス「そう。思慮だ。知識を愛する哲学よりも、思慮だ。ここから総ての徳が生まれる」
ソクラテス「なるほど。あなたの中では快楽と知はリンクするものなのだね」
エピクロス「疑うまでもなくだよ」

無理に会話に織り込むとこんな感じになるわけですが、ソクラテスはデマに惑わされる人ではないですから、エピクロスの主張を聞いた上で、ご質問のようなことはあえて言わないのではないでしょうかね。
ソクラテスの考えと(世間に誤解されている姿でなく真の)エピクロスの考えはかなり近いように、(エピクロスを奉じる)私には思われるんですが。
(もし私が強引にソクラテスとエピクロスを意図的に近づけようとしているという批判があるならば、それは甘んじて受けますが)

言ったりするかしないか、という質問にピントを絞ります。
とすると、答はどちらかというと否定的になります。
それも、ソクラテスとエピクロスが根本的に時代が違う人だからというような理由でもなく、ソクラテスという人物はプラトンなどが脚色しているからというような理由でもありません。たらればだからくだらないとも言いません。

ソクラテスは誰彼ともなく捕まえて議論するような人であったというのが本当ならば、まずエピクロスにいきなりこうだと突きつけることはないと思います。最初にエピクロス...続きを読む

Q精神的病気と肉体的病気

精神的病気は自らの意思で避けることができるが、

肉体的病気は避けることができない。

そう思いますか?

Aベストアンサー

精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
それを避けるためには、回避策や対策を施行できる信頼できる社会を作り出すことが必要だが
それに至るには、やはり人間の多くが精神的に成熟した社会が必要となる。


人間が個々に自分の未熟さに気がついて、それを協力して改善しようとする社会を作り出さないと
病気は避けることができない。

そのことを人類として気がつくには、まだまだ機が熟していないかもしれない。
ここ数十年ではっきりしてくる現象だと思えるので、その激動を眼にすると思います。

人間としての存在が大きく変わる時期でしょうから、かなりの痛みが伴ったとしても
その変化を見届けるのは、今生きている私たちの責任だと思います。

社会的変化が終われば、人類はもっと発展するでしょうね。
それが楽しみでもあります。

そこまで見届けるほど、長生きしたいですね。

精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
それを避けるためには、回避策や対策を施行できる信頼できる社...続きを読む

Qエピクロスについて

エピクロスについて詳しい本やホームページはないでしょうか?

Aベストアンサー

http://www.logico-philosophicus.net/notes/Epicurisme.htm
http://www.chikumashobo.co.jp/special/marx/
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~asuda/res/mm1.htm
田中実「原子論の誕生・追放・復活」
ギリシャ哲学を研究しているのですか?

Qソクラテス的発問とカテキズム的発問

教育工学の勉強でソクラテス的発問と教理問答(カテキズム)的発問の違いについて問題が出ました。
両者の問答の内容を調べ、大体の考え方は分かりました。
・カテキズム的問答‥最初に完全な文章を与え、語句の説明がなされ、証明事項が付け加えられる。教師は教え、伝える。
・ソクラテス的問答‥証明事項→推論→真理の追究。教師は指導せず、共に探求する。
以上のような感じで合っているでしょうか?(知識が浅いため自信がありません。)

また、両者を調べていると宗教・哲学的な話が多く、教育としての違いがいまいち説明できません。
(真理を教え導くという点では同じなのかもしれませんが、教育現場での発問の仕方における違いが分かりません。)
具体的に、どのような発問がソクラテス的発問で、どのような発問がカテキズム的発問なのでしょうか?
現代の理科などで行われている課題解決学習はソクラテス的な授業展開と考えてよいでしょうか?

また、ソクラテス的発問とカテキズム的発問の勉強をしていたら、帰納法と演繹法の関係に似ているのかな?と思うようになりました。
これは的外れな意見なのでしょうか?

質問が多くなってしまいすいません。
1つでも分かる方、また参考になる文献・HP等を知っている方がいらっしゃったら教えてください。

教育工学の勉強でソクラテス的発問と教理問答(カテキズム)的発問の違いについて問題が出ました。
両者の問答の内容を調べ、大体の考え方は分かりました。
・カテキズム的問答‥最初に完全な文章を与え、語句の説明がなされ、証明事項が付け加えられる。教師は教え、伝える。
・ソクラテス的問答‥証明事項→推論→真理の追究。教師は指導せず、共に探求する。
以上のような感じで合っているでしょうか?(知識が浅いため自信がありません。)

また、両者を調べていると宗教・哲学的な話が多く、教育としての違い...続きを読む

Aベストアンサー

カント「人倫の形而上学」の第2部 徳論 の第49節・50節に詳細が書いてあります。

テーマは、「倫理的弁証法」
人間学(今風に言えば、ソーシャルエンジニアリング)を元に開発されるべき「質疑の学」の代表としてこのふたつが上げられています。

自由を重視するという立場をとりながら、人が経験を学によって啓発し開発うるとすると、学ぶものが自己実現をするには、師弟の交流形態として、まず、二つあるそうです。しかしながら、徳論自体は、教義的側面を持つとされます(ご注意ください)。

ストア派の言葉をかりながら、義務・徳目のハンドブック化によって個人の啓発が行われないものであり(主意)、(徳論の場合はとくに)実体験を含む実践で養われていくべきであると語られます。

(ちょっと長くなりました。あとはお読みください)

ええっと
端的に言うと・・・

質疑哲学的には、
カテキスム的発問は(機械的に之まで教義的に習ってきた)知識を問うこと、ソクラテス的発問は、良心を揺り動かすように定式化せず問うということです。

たとえば、友人を殺そうと殺意を持つものが、その当該友人と雪山登山し、偶然事故(支えるべき手を誤って離してしまう)でその友人を失ったと仮定する場合。

法学の学生に
法的解釈の可能性を設問もしくは、定義を含め論理学的に殺人といえるのかどうかを発問するのが、カテキズム的発問(単に知識を問う)。

カテゴリー不問で
事故になって生き残ったものの気持ちを想像させ、同じような気持ちになったことがあるか質問する、また、自分にひきつけて、そのときどう行動したか、またはするかを体系的に議論するのが、ソクラテス的発問です。

カント「人倫の形而上学」の第2部 徳論 の第49節・50節に詳細が書いてあります。

テーマは、「倫理的弁証法」
人間学(今風に言えば、ソーシャルエンジニアリング)を元に開発されるべき「質疑の学」の代表としてこのふたつが上げられています。

自由を重視するという立場をとりながら、人が経験を学によって啓発し開発うるとすると、学ぶものが自己実現をするには、師弟の交流形態として、まず、二つあるそうです。しかしながら、徳論自体は、教義的側面を持つとされます(ご注意ください)。

ストア派の...続きを読む

Qエピクロスについて。

とある本を読み、エピクロスについて興味を覚えました。
快楽主義と言えば響きが悪いですが、私の理想です。
詳しく知っている方や、書籍・HPがあれば、教えてください。

Aベストアンサー

エピクロスに興味をお持ちになった方がいらっしゃって、嬉しい限りです。
エピクロスは実に誤解を受けやすい哲学者です。
もし「快楽主義」という言葉から、セックスなど官能的な快楽にふければいいんだ、というイメージからエピクロスに興味を持たれたのなら、それはまず差し置いて考えた方がよいです。どうもフロイト同様に猥談じみたものと見なされがちなところがありますので。

私はエピクロスを大いに評価しています。
プラトン(ソクラテス)から始まってニーチェで崩れた「善悪」という尺度が、まだ今の世の中にも根強いですが、世界を変えるとしたら、エピクロスの主張に耳を傾けることからはじめなければいけないと思います。
まず自分を正義とおき、他を悪とする……といった前提自体、おかしいんですから。
No.2さんの中傷もなかなかのもので、いかにも善悪二元論的です。

さてさて、エピクロスの文献ですが、エピクロス本人の書いた多くの作品はほとんどが散逸しています。ただ、その中で、一部が後代の哲学者の研究者ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシア哲学者列伝」の掉尾に多く掲載されています。

エピクロスはデモクリトスの原子論に影響を受けました。ざっとこんなことです。
無からは何も生まれない、何も無にはならない。過去も未来も宇宙は現にあるがままであって、宇宙は物体と空間(空虚)のみからなる。宇宙は無限であって、その中で物体も空間も無限である。物体は原子に分割できる。原子はすべてが同一形状というわけではない。原子の運動はその形状や大小を問わず等速で、思考の働きなみに素早い。その原子の動きで衝突や反発が起こることによって物体が形成し、原子間の密度が物体の硬軟になったりする。

そこから話は心理学(霊魂論)に発展します。
霊魂も物体であるとエピクロスは言います。物体には2種類あって、みずから結合するものと、みずからでは結合できないもの……霊魂は後者になります。霊魂は肉体によって保護されていて、その保護されている間は感覚が作用します。霊魂が肉体を離れると当然感覚もなくなりますね。
さて、感覚です。あらゆる物体の表面からはたえずエイドーロンというものが放射されていると言います(エイドーロンとは、姿・像・映像といった意味です)。このエイドーロンが肉体の器官を通って霊魂に到達すると、感覚を呼び起こすというのです。現代科学とはいまいち食い違っていますが、昔のギリシアでここまで考えられていたとはと思うと、すごいことだと思います。
さて、感覚は知識の唯一の源泉で、感覚による知覚はすべて真である、ということを言います。それならば人間は誤ることがないはずなのですが、それは、精神(知性)が感覚のとらえる範囲を逸脱して臆説を立てるからだ、というのです。
上のディオゲネスによると、真理の標識は「感覚」(アイステーシス)、「表象(先取観念)」(プロレープシス)、「感情」(パトス)であるとエピクロスが語ったとされています。

さて、それなら、善悪の問題はどうなるのか。当然感覚によります。
ここからが倫理の分野になります。
快(ヘードネー)こそが幸福な生活の出発点、原理(アルケー)にして到達点、目的(テロス)であると断言します。なんというか、人は本能的に快を求めるからですね。
ただし、エピクロスは、目先の快にとらわれて、その数倍のわずらいを呼んでしまうことには注意しなければ、と言います。何か、快適な生活のために環境破壊のしっぺ返しを食らいそうになっている現代の私達に、ぐさっとくる言葉ですね。
快について正しい見解を導くのは、正しい生活であって、快く生きるためには賢くすこやかに正しく生きることだ、という風に言います。
エピクロスの説く快とは、積極的な享楽(例えば利己的なものであったり)ではなく、むしろ苦痛がない状態のことです。
となると、理想の幸福の状態は、外界から煩わされない、情熱とか欲望から自由になった心の平静不動なありさまです。この「アタラクシア」という理想状態は、いわば悟りの境地ですね。
そのためには公共の生活から引きこもることを勧めました。引きこもりを社会悪とする現代からするとおやっと思うところですが、まあ仙人の修行だと思うことですね。そこで死や神々に対する恐怖を克服することだ、と説きます。

何か宗教じみていますが、マルクス主義と大いに違うのは、エピクロスは無神論ではなかったということです。ただし、普通に人間が考える神とは違います。神は中間界(メタコスミア、インテルムンディア)に住んでいて、人間を煩わせたり人間に煩わされたりすることはない、と言います。この神々の発するエイドーラ(映像)を心静かに受け入れることによって、人間は神々の静謐さを得ることができるとしています。賢者が神の姿に似るのはこのためだ、とか言っていますね。

ニーチェが神は死んだなどと言いましたが、こういうエピクロス的な神は死ぬとは思えませんね。実際、私自身エピクロスから離れていろいろ悩んでいたのですが、心の平静が訪れて、後になって「ああ、これがアタラクシアか」と思うようになりました。まあ信じてもらえないでしょうからどうでもいいんですが。

エピクロスに興味をお持ちになった方がいらっしゃって、嬉しい限りです。
エピクロスは実に誤解を受けやすい哲学者です。
もし「快楽主義」という言葉から、セックスなど官能的な快楽にふければいいんだ、というイメージからエピクロスに興味を持たれたのなら、それはまず差し置いて考えた方がよいです。どうもフロイト同様に猥談じみたものと見なされがちなところがありますので。

私はエピクロスを大いに評価しています。
プラトン(ソクラテス)から始まってニーチェで崩れた「善悪」という尺度が、まだ...続きを読む

Q満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい

「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい」とはどういう意味なのでしょうか?
哲学よく分らないので、噛み砕いて教えて頂けるとありがたいです。

Aベストアンサー

「感受能力の低いものは、それを十分満足させる機会にもっとも恵まれているが、豊かな天分をもつ者は、いつも、自分の求めうる幸福が、この世では不完全なものでしかないと感じるであろうことはいうまでもない。しかしこうゆう人も、不完全さが忍べるものであるかぎり、忍ぶことを習得できる。そして不完全だからといって、不完全さをまるで意識しない人間を羨んだりしないだろう。」
『功利主義論』(世界の名著38) J.S.ミル 伊原吉之助訳 中央公論社

豚は雨風がしのげ満腹であれば満足し幸せであると考えられます。しかし人間は、そのひとが愛、理想、正義、平等、自己の品格等々一定の状態にあるべきであるという思いが叶えられないという現実によって不満足であり、容易に幸せになることは出来ないのではないでしょうか。

人間においても、食事、セックス、睡眠で容易に満足できる人もあり、自分が何者であるのか判るまで満足できない人もあると思われます。

ミルは、不満足な状態が続いたとしても、後者の幸福追求のほうがすばらしいと考えそれを表明したものと思われます。

Qみんながエピクロス派になれば

みんながエピクロス派になれば、世界は平和になると思いませんか?
快楽主義ばんざーい!!
アタラクシアを目指しましょうっ!!

Aベストアンサー

No4です。

>小さいグループ作って、隠遁生活を送りたいですなー。

お疲れでしょうか(^^;


人間の、自然の欲求は開放系ですので欲求を叶えるための行動が続きます。
いわゆる社会貢献ですね。

幸福とは誰かに必要とされること。

相手が個人でも社会でもいいですが、何らかの貢献が人間には必要となります。

押し付ける訳ではないですが、隠遁生活は自身の本来の欲求と逆行してしまうと思います。
閉鎖は、反エントロピーがおきて衰退します。
人生の終末、集団の終末に向かう方向性です。

疲弊して隠遁したい人もでるでしょうが、基本は欲求を叶えるために
イキイキと生きることが目的ではないかと思います。

自己の欲求を知ると、結果はそうなると思いますが。
それがアタラクシアを目指すと言うことになると思います。

閉塞感のない社会ができるといいですよね。

Qソクラテスと豚、または生産的議論と消費的理論

ソクラテス側にも、豚の快楽なんてろくでもないよね、と対抗している時点で、少し嫉妬交じりの感情が混ざっているわけですし
豚からしたら、ソクラテスが何を言おうと「それでも別に良いや俺幸せだし」と開き直られたら、ソクラテス側は負けてしまう気がするんです
「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」と言われたら、なんかとてっても悔しいですし、それでも続ける気になれないのではないかとおもうのです、よっぽどの人で無いと

屁理屈に負けてしまいそうなんです・・・

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8641327.html
(回答番号15への質問者のコメント)

*** *** *** *** ***

教えて!gooで数数の名言を読んできましたが、これはベスト5に入る内容だと私は判断します。ちなみに私は回答番号17,23で参加してゐます。また私なら回答番号21をベストアンサーにします。

「不満足なソクラテス」による生産的議論、「満足した豚」の消費的理論、どちらを支持するか見解が大きくわかれるのはなぜですか。

ソクラテス側にも、豚の快楽なんてろくでもないよね、と対抗している時点で、少し嫉妬交じりの感情が混ざっているわけですし
豚からしたら、ソクラテスが何を言おうと「それでも別に良いや俺幸せだし」と開き直られたら、ソクラテス側は負けてしまう気がするんです
「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」と言われたら、なんかとてっても悔しいですし、それでも続ける気になれないのではないかとおもうのです、よっぽどの人で無いと

屁理屈に負けてしまいそう...続きを読む

Aベストアンサー

plapotiさんが何故このような問題提起をされたかが
わかりました。

「他者排除」は人間の持つ、「慢心」「保身」「差別」
「攻撃性」などの悪い心が起こすもので、「ソクラテス」
「豚」の区別はないと思います。

日本中どこに行っても、「序列」「いじめ」があるのは
実感しています(私はけっこういろんなところへ行きまし
た)。
つまり、「ソクラテス」の責任ではないということです。

それに、あなたの説では、生粋の豚(つまり怠け者)を弁護
し、健気なソクラテス(働き者)のやる気を削いでしまう危
険性があると思います。

Qストア派とエピクロス派の入門書を教えてください

ストア派とエピクロス派哲学の入門書を教えてください。

自分で探した中では下記がよさそうだと思ったのですが、何しろ高いので、もっと安くて入門向きの本があれば、と思い質問させていただいています。

ヘレニズム哲学―ストア派、エピクロス派、懐疑派
A.A.ロング
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4876986134/

要望として、ストア派やエピクロス派の歴史的展開などよりも、その論理と内容が知りたいです。
「ストア派はこういう公理から始まり、こういう論理によってこのような結論を導いた」というものです。

例えば、下記ページのような感じです。
http://science.jrank.org/pages/9169/Epicureanism-Epicureans-Stoics-Compared.html

1.自然に対する見方
ス:第一の自然な本能は自己保存である。自己保存から理性の価値が導かれ、そこから徳に特別な価値が置かれる。
エ:第一の自然な本能は快楽である。快楽と徳は不可分である。

2.感情について
エ:パトスを消滅することは必要ではない。喜びに満ちた生活に必要な欲望はほんの数種類であり、それらは容易に満たされる。アタラクシアの状態においては、欲望を避けない。しかし同時に、欲望を満たせないことで悩まされもしない。
ス:パトスは消滅させるべきもの。

エピクロス派の人間の心は「かき乱されていない」
ストア派の人間の心は「かき乱すことができない」

3.徳の役割について
ス:幸福になるためには徳だけで十分であり、徳は理性から直接に導かれる。
エ:快楽を徳に結びつける。しかしそこから幸福は導かれない。 むしろ、合理的な人間は、快楽の最大の形はアタラクシアであると考える。 そしてアタラクシアの状態で行われる行動とは、幸福な者の行動である。この者は平静であり、平静を感じるだけの理由をもっている。


なお、私が持っている知識はせいぜいこの程度で、大学等で講義をとっているわけでもなく、単に好奇心から知りたいだけです。
よろしくお願いします。

ストア派とエピクロス派哲学の入門書を教えてください。

自分で探した中では下記がよさそうだと思ったのですが、何しろ高いので、もっと安くて入門向きの本があれば、と思い質問させていただいています。

ヘレニズム哲学―ストア派、エピクロス派、懐疑派
A.A.ロング
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4876986134/

要望として、ストア派やエピクロス派の歴史的展開などよりも、その論理と内容が知りたいです。
「ストア派はこういう公理から始まり、こういう論理によってこのような結論を導いた」というもの...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

ネットでしたら、
http://plato.stanford.edu/entries/stoicism/
http://plato.stanford.edu/entries/epicurus/
http://www.iep.utm.edu/epicur/
あたりを閲覧すれば、よろしいのではと思います。
とくにスタンフォード大の哲学百科事典は充実しています。
これを有効に活用できるのならば、わざわざ、本を買う必要はないと思います。
英語で構いませんよね。

書籍の方は、
出隆, 岩崎允胤訳 『エピクロス : 教説と手紙』(岩波文庫, 1959)ISBN 4003360613
ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝(下)』(岩波文庫, 1994) ISBN 4003366336
あたりが参考になるのではと思います。

Qソクラテスの死の意味について教えてください。ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

ソクラテスの死の意味について
教えてください。
ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

Aベストアンサー

無知を自覚していない人は無知だ等という自説を説いたソクラテスは、政治家達の反感をかい、異分子として排除するため裁判にかけられ、死刑判決を受けます。が、もし、ソクラテスが自分の考えを説かずに、今後一切黙れば、死刑を見逃し生かしてあげよう、という条件を言い渡されます。が、ソクラテスは、自説を曲げ、お上に従って生きても、それは生きているとは言えない、植物人間と同じだ、それならば、死刑を受け入れる事を自ら望んだのです。つまり、ソクラテスは魂を売り渡し、飼い慣らされた豚になるよりも、自分の信念を貫き通す事を選んだのです、死を持って。そこにソクラテスの意思の強さ、ソクラテスの死の尊さがあるのです。支配に屈しない、元祖パンクロッカーと言えます。かっこいいですね。私も踏襲しています。自分が正しいと信じた事を貫き通します。それにより多少石が飛んで来る事があっても。でも、本当の強さと自信があれば、そんな小石はものともしません。ソクラテスのように、命を落とす事に比べたら。。


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