No.17
- 回答日時:
宗教は、心の不安に回答を与えるためだけのものではありません。
私は宗教に強い関心を持っていますが、私には「心の不安」なるものは(少なくとも今のところ)ありません。
「宗教」とは、私の見るところ、いまのところ現代科学が与えることのできないでいる問題の回答を、(すくなくとも暫定的に)与えているものだと思います。
いわく、「この宇宙を主宰する存在(神)はあるのか」、「人間は死後どうなるのか」、「人生や歴史や宇宙の目的とは何なのか」etc…。
こういう問題は、「心の不安」というよりも、純粋に「知的好奇心」の問題だと思われます。哲学もだいぶ奮闘していますが、いまだ確定的な解答を示すことができていません。人々が宗教に惹かれるのは、こういった事情もあるからではないでしょうか。
>私には「心の不安」なるものは(少なくとも今のところ)ありません
いいですね、私などは悩み多き人間でいつも頭を抱えてます。
>「宗教」とは、私の見るところ、いまのところ現代科学が与えることのできないでいる問題の回答を、(すくなくとも暫定的に)与えているものだと思います。
>いわく、「この宇宙を主宰する存在(神)はあるのか」、「人間は死後どうなるのか」、「人生や歴史や宇宙の目的とは何なのか」
なるほど、不安と言う概念が解りませんが・・・「(神)はあるのか・死後どうなるのか・人生や歴史や宇宙の目的とは何なのか」、これも一つの不安だと思いますが少なくとも心に問題を感じた、理屈はともかく、釈迦にしても世界に名の知れた宗教家はこの問題を突き詰めたようとしたと言っても過言ではないのではないでしょうか、禅の先生で鈴木大拙に付き添われていたお若い人が、先生、死とはなんですか?と尋ねられたれら、おどけた顔で大拙は仰向けになり両手両足を上げ舌を出したそうです死体ですね一見ふざけているようですが禅は心に分別被せるのをを嫌がりますから分別により真実見えなくなるのだと察します。
哲学は分別のそのものですものね。
貴重なご意見有り難うございました。
No.16
- 回答日時:
No,11です。
お礼を見ながらまた考えちゃいました。宗教って「杖」のような物かと。
歩けない人、歩きにくい人には「杖」は必要です。一方、普通に歩いてる人には不要な邪魔臭いモノでしかありません。それを無視して「杖」さえもっていれば(人生を)歩くのに便利だから、あなたも持って行きなさいと強制したらケンカになりますよね。なんせ両方とも自分が正義だと思っているんだから。
まあ現代でも宗教の代理戦争をやってますから、政治的には宗教の意味はあるのでしょうが個人のレベルでは、そろそろバイバイしましょう。
不眠症の人には毒と知りつつも、睡眠薬を飲む必要があります。
普通の人に「良く眠れるから」と睡眠薬をすすめちゃいけません。依存症になっちゃいます。
杖も睡眠薬も宗教も必要な人が使いましょう。普通の人には不要なんです。不安?
はい、マラソンで公園三周して来い!! で、済む話では。精神が疲れている時は身体を疲れさせれば直るって!!(保証なし、自己責任で)
>宗教も必要な人が使いましょう。普通の人には不要なんです。不安?
それでいいじゃないでしょうか。 余談ですが禅で悟を得ると言いますが、悟を得ようが得まいが人間は人間らしく不安・苦を背負って生きていくものだと思いますそう認識しています。 先ほで浄土真宗といいましたが親鸞聖人は煩悩具足の身(悩み不安は人間からは取れない)とおしゃってます良く考えればあたり前の事です。
浄土真宗では修行をしないらしいです髪の毛を生やしていお坊さんです。何故髪の毛を生やし修行をしないのでしょうか、修行しようが悟ろうが所詮生身の人間「杖」のない羅針盤のない人生を生きていくしかないからでしょう、そう私は認識しています、それじゃ救いはないのと問われてば事実だからだと思います、事実は変えれません、腕を抓れば痛い痛く無かったら病気ですもんね。悩みない人間は病気です。
浄土真宗修行しないです(これは真宗のお坊さんからお伺いしたこどです)もちろん基本的な勉強はなさってる思います。
すこし書き込み過ぎましたねすいません、ありがとうございました。
No.15
- 回答日時:
≪不安があるから、そしてその不安をなくし、安心であるために宗教がある≫というお考えのようですね。
違いますか?そういう人生、そういう宗教もあるかもしれませんね。
少なくともご質問者の頭の中の人生と宗教とはそういうことなのでしょうか?
それでしたら、そういうお考えであられてもいいのではないですか?
違うこともありうるかもしれないから、反論的な回答を聞いて見たい、ということなのでしょうか?
宗教や信仰のいろいろを知しりたいということなのでしょうか?
それなら質問の文章や出し方を少し改善して戴いた方がよろしいのではないでしょうか?
今のご質問では、不安からではなく、宗教的認識に精進しているわたくしのような者は、参加して回答させて頂くことが出来ないのです。
何から話していいのかわからないのです。
どうかよろしくお願いいたします。
この回答への補足
補足要求が遅くなり申し訳有りません。
え~何を言われてるのは此方も判りにくいのですが・・・まあ~取り合えず思った事を書きますね。基本的に不安・苦しみが有るから宗教が有ると思うのですが、宗教と言う概念が人により違うとは思いますが、不安・苦しめは人間に付随しているもですから(業)取り払う事はないのではと思うのです、もちろん不安・苦しみ・不幸を取り払いたいと思うのも人間の業ではありますが、不安だ苦しい不幸もう駄目だで人は不幸にして日本だけでも3万数千人の方だ自ら命を絶ちますが、そもそも心と言うものは自立性をもって雲の如く自由に動いているように認識します不安は不安で苦しみは苦しみで絶望は絶望になる人なりますそれは自分を救う為に分別を使うから行き詰まりまると認識します、のん気な人は分別を自分を救う為にトコトン使いません、自ら命を絶つことはないと思います、分別は外に使うものであると思います、心に不安安心用事なし幸福不幸用事なしこれが本当の心の自由であり開放だと察します。不安はなくさなくて良いという事です。
なにぶん学問をしていないものですから文章にまとまりがありませんすいません。
No.13
- 回答日時:
ANo.8です。
> 禅で安心を得られますか・・・・。。心は自分でコントロールできますか・・・。。通り魔が突然襲ってきた時平常心で対応できますか・・・。反対に自分の好みの異性が現れた不愉快になれますか・・。。
通り魔から逃げる、異性を得る、等々
希望と恐れが、生死の輪廻の原動力となっています。
目的のために何かするのではなくて、心そのものに興味はありませんか?
感情の起こっていない心を見たことがありますか?
安心を得るわけではなく、心の本性は安らぎそのものです。
> 達磨は安心など無いと自覚(悟った)したのではないのですか・・
私は禅宗でなく、チベット仏教を信仰してます。
達磨や他人は関係ありません。
安心があるかないか、対象として捉えるわけではありません。
>通り魔から逃げる、異性を得る、等々
ごもっともですね。
>目的のために何かするのではなくて
ごもっともですね、こころは捕らえどころがないですから、目的などなくていいですね、心に目的を持つ故に追い詰められ日本だけでも3万数千のお方が自ら命をたつのでしょうから、痛ましい事です。
>感情の起こっていない心を見たことがありますか?
安心を得るわけではなく、心の本性は安らぎそのものです。
静から所で座禅を行い瞑想でも良いのでしょうが行なうと色々な囚われから離れます無分別の状態それが禅定いうのでしょうかその状態の時は貴方様のおしゃるとおり「「感情の起こっていない心」)静寂(法性)でしょうが、これが(法性)(仏性)だと思った考えた、分別を使った瞬間煩悩の泥まみれ成ると思います。そして人間は煩悩のどろまみれの世界で生きていかなくては成らないんじゃないんでしょうか。よく仏法で絶対という言葉をつかいます、絶対とは苦楽を生死を一元で観る事だと察します、相対は苦と楽を別に観ますが、ですから心が苦で有ろうと楽で有ろうといいと思います、人はAからBへと理想をもち苦悶しますが最悪の場合は自ら命を立ちますが心はコントロールできないと自覚すれが苦しくとも絶望でも自殺をしないでいいと察します、感情も理想も心は雲の様に必ず変わるのですから。不安安心用事なし幸福不幸用事なし、こう自覚しますと自分とっての行動をしなくなり争いも無くなるのではないでようか。
何かご指導ご鞭撻がありましたらご指導願います難しい仏教用語は控えて頂ければ幸いです。何事も勉強だと思っております。
取り合えず有り難うございました。
No.12
- 回答日時:
ところで、
あるがまま、ありのままが真理といって
戦時下の国家体制を肯定し、
戦争をした宗教もありますので、
平和を望む人だというのなら
気をつけてくださいね。
心があるがままと認識すると何故争いが起きるのですか・・・逆だと思いますが。肉体も如何こう分別で解決しようと思っても老いて死んでいきますよね・・・
>平和を望む人だというのなら
私は自分の心を平和にしようとしないですね(自分心を平和にしようとする事による行動はしないですね・・・しないようにしていると言った方が正しいでね)苦しみが来たら只それだけの事喜びが来たら只それだけの事、心がAという事柄に囚われて苦しんだとしても、時が経てばA事柄はあるとしても心はA事柄を苦としなくなる事は実生活で経験認識しいます。自分の心は自分ではどうする事もできないと経験認識しているからです ただ他人の心の苦しみを和らげる事はできると思います。 同じ事の繰り返しになりますが自分の心は自分では救えない経験上認識しています。
二回もの回答有り難うございます、一回目の回答も拝見してます、また感じる事がありましたらご指導ください、勉強になりました。
No.11
- 回答日時:
感情的には無神論者です。
神仏の存在を信じた事は一度もありません。ただ温室の中にいて神を信じている人より、外で風雨にさらされている無神論者のほうがツライなと思う事はよくあります。だったら宗教にはいれば? とはなりませんけど。でも金も取らない、新聞も教祖の書いた本も買わなくていい。寄付金も財務と称する金集めにも加わらないでいい、なんて宗教があったら話くらい聞いてもいいです。
でも信者から金を取らないで、どうやって生きてきたんだろ、その宗教。
>ただ温室の中にいて神を信じている人より、外で風雨にさらされている無神論者のほうがツライなと思う事はよくあります。
神を信じ宗教に触れる事が温室の中にいて外で風雨にさらされない、とお考えなら少し違うような感じがしますが・・・。若い時の私はあなた様と同じように考えましたがそして宗教は弱い人のすがる物と、今は少し違いますね。
>だったら宗教にはいれば? とはなりませんけど。でも金も取らない、新聞も教祖の書いた本も買わなくていい。寄付金も財務と称する金集めにも加わらないでいい、なんて宗教があったら話くらい聞いてもいいです。
でも信者から金を取らないで、どうやって生きてきたんだろ、その宗教。
お金の多額の布施・寄付を求め教祖・幹部良い生活している所はあたり前ですが良くないですよね、理想は一般信者より低い生活をしている、今の世ではそこまではしなくて良いでしょうが信者と同等の衣食住をしていれば良いのでしょうが。信者からのある程度の寄付布施は必要でしょうが。
仏教が宗教で有るとするなら、仏教の場合は神仏の存在を信じるのとはちょっと違うと思います。 失礼ですがあなた様は少し悩んでおられるようなので、浄土真宗などにふれたら良いかもしれませんね解り易いですから、鈴木大拙の浄土真宗の本・妙好人など良いかもしれません。別に押し付ける訳ではありませんから。
何故宗教は必要ですか?と言いなが宗教を言ってるみたいで・・・すいません。
貴重なご意見有り難うございました。
No.10
- 回答日時:
お邪魔します。
自分の不安や辛さを支えきれなくなったとき、神様が必要になるのはしょうがないことだと思います。
私は無信心ですが、宗教は否定していません。
日頃から考えている自論もちゃんとありますが、ご質問への回答だけすることにします。
なぜ必要か? というご質問ですが、その答えが心のよりどころであるから、ということは言うまでもありませんが、小分けにすると様々な理由があります。
というわけで、以下、各論。
・辛い気持ちの人を救うため(私の祖母がそうでした)
・誕生、結婚、死、等々、人生の中のビッグイベントの意味づけを重くし、確固たる曰くをつけるため
・善を勧め、悪を戒める理由付けをするため
(自然科学をいくら極めても、善悪という概念は出てこないこともあり)
・人、社会とのお付き合いをしやすくするため
(私の場合、祭りや棟上のときだけ「神道」)
・世の中の心理、すなわち、自分の存在、人間の存在、万物の存在、宇宙の存在の意味や理由を「わかりやすく」知りたい
たぶん、まだまだ理由はあると思いますが、今、思いつく範囲ですと、上のいずれかに入りそうです。
逆に、なぜ私が無信心で大丈夫なのか、ということも背理法的に述べましょうか。
・殺す、盗む、搾取・独占、等々が悪であるというのは、公理があると認識している
・物理学によって、宇宙の始まりに神という「思考を持った存在」の手を借りる必要はなかったようである、ということを知っている。
・同じく、幽霊や罰当たりやたたりなどの概念も、物理学を学ぶこと等によって、実は、物理学的現象でなく、人の心がもたらしたものであることを理解できる。
・自分の悩みを自分で解決することができる。自力で解決できなくても、自分から解決を求めていく手段を持っている。
こちらの過去質問もご参考に。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa894830.html
お礼が遅れすいません、何度となく読ませて頂きました、感想を書き込みたいのですが、何を書いていいの、かわからなくなって、しまいました^^。sanori様のご意見の要点は理解しています。
>自分の悩みを自分で解決することができる。自力で解決できなくても、自分から解決を求めていく手段を持っている。
いいですね、私など悩みぱなしです、不安でいっぱいです、^^、解決出きる悩は不安は解決しますが、出来ないものは考えないで無視しておきます、そうすると悩みの元はそこに有るのですが時が経つと気に成らなくなります、そういう意味で不安でも良いのではないか、安心を求め過ぎると、言いい方を変えれば幸福を、余計に苦しくなるのではないかと思ったりします。URL拝見しました、他の方のお礼文を書き終わりましたらまた改めて拝見したいと思います。
貴重なご意見有り難うございました。
No.9
- 回答日時:
価値観や分業が合理的で生産性が上がると認識された社会では、連帯感が薄れて敵と味方の区別さえなくなって家族や科学も世代や分野が違えば見解の一致に至れなく不安になります。
そこで「神」とか「民族」とか「正義」「愛国心」「思想」「主義」「愛」とかの普遍的な(とされる)大義でもって、個人主義の冷めた社会で得られない共認回路を設計し、個人の価値観を超えて社会の儀式的な行為、義務と権利の執行、それが人間の存在の保証証明ですよ、と連帯感の補充に当てたのだろうと思います。
連帯感、親和充足が満たされれば敵の見分け方もつきやすくなり、異質であるものと競うこと、奪うことも正当化できるという逆説になってはいますけど。
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