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世では自殺はダメであるという意見が多数であると感じます。
しかし自殺は何故ダメなのでしょうか?
自殺はダメであるという明確な理由が分かりません。
その理由を知りたいです。

A 回答 (58件中41~50件)

あなたの文章から察するに、あなたは「人生に嫌気がさして自ら命を絶って何が悪いんですか?」みたいな考えを持っているのであろうと、僕は解釈しますが、何故自殺はいけないのかを説明します。


それは、他人を殺すことよりもいけないことだからです。あなたは自分を殺すのと他人を殺すのではどちらがいけないと思いますか?前者だというのなら僕は間違いだと思います。
たとえば、あなたが火事の現場に遭遇して100%の確立で自分は助かる。10%の確立で残りの誰かも助けることが出来るとします。そこであなたは他人を助けますか?
僕だったら涙を飲んで逃げます。

要は、人間誰しもとはいいませんが結局自分が可愛いのです。っていう事は他人よりも自分の方が大事だって言うことです。

それを踏まえた上でもういちど質問します。あなたは自分を殺すのと他人を殺すのではどちらがいけないと思いますか?

自分を殺すと言う事はこの世で一番大切なものを殺すということです。


そして、生きたくても生きられない人はこの世にうなるほどいます。その人に自殺をほのめかすような事を言ったらとてもひどい嫌味になります。


どうでしょう?何故自殺がいけないかわかっていただけたでしょうか?

その結論をもしよろしければお礼の欄に書いてみてください。
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個人的にはダメでは無いと思います。


死にたければ、死ねば良いのです。
多分、絶対に自殺がダメだという理由なんてありません。

しかし、一般に自殺はダメだとされています。
理由は次の様なものだと思います。

・社会的な要請から
人間は共同体で生きています。
自殺を認めると、共同体の規律が保てなくなったり、労働力の減退が起きたり、
自殺者以外の共同体の構成員が不利益を被るので、自殺は禁止されます。
(逆に言えば、規律を保つ為の自殺は肯定される事もあります。切腹なんて良い例ですね)

・宗教的な禁忌として
多くの宗教では、自殺を禁じています。
宗教の教義は絶対ですので、ダメなものはダメです。指導者がそう決めたのです。
(自殺を認める宗教もあります。集団自殺したカルト教団なんて良い例ですね)

・取り返しの付かない結果を招くから
自殺をして、死んでしまえば、取り返しが付きません。
にもかかわらず、自殺の理由の多くは、解決可能です。
死ななくて済むのに、死んでしまうなんて愚かですので、自殺はダメだと言うのです。
(どうしても解決不可能な理由なら、自殺をしても良いとも言えます。外国では安楽死として合法な場合もあります)

質問者の意図は解りませんが、参考までに。
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私はこれについては、しごく単純に「動物だから」と考えています。



生物の使命は基本的に、子孫を生み、育て、殖えることであり、自殺はその目的に合致しません。
この目的のため他者(基本的に他種の生物)を殺戮することはあっても、自分で死ぬことは基本的にありません(ただし、自殺する生物は存在します)。

人間もその例に漏れません。自殺してはいけないという考えの根本はそこにあると思います。
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日本の法律では自殺は禁止されていません。


自殺を図っても殺人罪や傷害罪は適用されませんし、自殺そのものを禁じる法律はありません。
ということで、自殺はダメという明確な根拠はありません。

しかし「自殺はダメ」と言う人は、明文化されていない別の理由で自殺を認めません。

例えば宗教家やそれを信じる人が「自殺はダメ」という場合。
人の命は神に与えられたとか、釈迦によってこの世に生かされているという教えがあるので、神や仏の意思に逆らう自殺をダメと考えます。

また、普通の人が「自殺はダメ」という場合。
それは自分の家族が亡くなったら喪失感を感じたり、経済的に打撃を受けたりするからです。
もちろん病死や事故死の場合も喪失感を感じますが、自殺の場合は家族や周囲の人が「なぜ自殺を止めてやれなかったのか」「気持ちを分かってやれなかった」「ここまで追い詰めたのは私のせい」と自分自身を責める傾向があります。家族が自殺したことで鬱になる人も珍しくありません。自殺は病死と違って、周囲の接し方しだいで回避することができるからです。

自殺はその人本人だけでなく、家族や友人など周囲の人間を苦しめるからダメなのです。
生きたくないのなら、病気で死ぬまで待つべきです。自殺するのは自分勝手です。
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仏教的には、あなたの身体はあなたのものでなく仏様のものだからです。


つまり借り物だから大切に扱えということです。
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仏教的なこともあると思いますが、人は生まれる時から誰かに助けられているからではないでしょうか?


出産時は医師・看護師さん達の助けられ、この世に生まれてきます。
これは介護にも言えることで、私の祖父はずっと介護を受けており、ヘルパーさんや医師・看護師、ご近所の方、たくさんの人に支えられて生きていました。
だから、何人もの人達から支えられて生まれた命・生きる命だから、自分から捨てることを良しとしないのではないでしょうか?

でも、思うのです。
どんなに「一つしかない命」だと言われても、本当に苦しく辛いのに、それでも生きろ!と言えるのでしょうか?
「あなたの気持ちも分かる」ような事を仰る方がいますが、本当に分かるのは同じ経験をした人だけです。
きっと良い事があると信じたいけれど、苦しみの中で叫んでいる人に、自殺はいけないと私は言えません。
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>自殺は何故ダメなのでしょうか?


社会的、倫理的観点からすれば下に多くの回答者の方々が書かれているとおりです。

ただ、霊的な観点から言えば、自殺はダメ、というよりは、自分にとって損、無駄なことなのです。
自殺について考えるには、まず、死とは何か、が問題になります。
死後の世界を否定する人、死んだら全てが無となると言う人にとっては、善悪の価値判断は別として自殺は役に立ちます。
現実からの逃避という意味において有効な手段となります。
しかし、霊的に見れば、全く無駄な行為なのです。

そもそも、死とは、肉体が消えるだけの事であって、人間の本質である霊魂は死にません。いや、死ねないのです。
霊魂が死ぬことは不可能なのです。永遠に生き続けます。
生まれてくる前から、各自の寿命は決まっています。
霊魂は、どんな環境の下で、どんな家族の元で、どんな人生を歩むのか、生まれる前に全て自分で決めています。
生まれた瞬間、それらを全て忘れてしまいます。

人生の目的は、霊的向上、過去生の清算、罪滅ぼし、学習、などです。
一生を一つの学校とすれば、誕生は入学で、寿命による死は卒業です。
そして自殺は中途退学のようなものです。
人生においては中途退学は許されません。もう一度再生して一からやり直さなければなりません。
つまり、自殺をすると、次の生で、前回生まれてから自殺するまで体験したことを、もう一度体験しなければなりません。
つまり同じ人生を繰り返すことになります。だから無駄なことなのです。
しかも前回よりももっと厳しい条件の下で生きることになります。だから損なのです。

そして、当然、苦しみがあるから自殺するのですが、その苦しみも、肉体によってある程度緩和されているのです。
つまり、肉体が感覚を鈍くさせているのです。
ですから、死によって肉体が消えれば、感覚はより鋭くなり、結局苦しみは生きていた時よりも一層強くなります。
これが自殺したら地獄へ行く、という意味です。自分の苦しみが地獄を作り出してしまうのです。
ですからその苦しみを乗り越えるには、この世で必死になって生ききるしかないのです。死んでも苦しみは消えないのです。むしろ、死んでからの方が苦しみは大きくなります。
生きている時は、睡眠や他の雑事で苦しみを紛らわすことができますが、死んでからは、肉体が無いので睡眠の必要がありません。
四六時中起きっぱなしでその苦しみと向き合わなければなりません。
また、死後の世界では、類は友を呼ぶ方式で、似たもの同士が集まります。つまり似たような苦しみを抱えた者ばかりが寄ってきます。
気晴らしは不可能です。何の変化も発展もありません。恐ろしく単調な世界で生き続けることになります。
ですから、霊魂はもう一度再生してやり直したい、と願うのです。
ただ、その願いがか叶うことはかなり困難です。

霊的世界を知ることは、この世をどう生きるかを考える上で、非常に重要なことだと思います。
死後の世界を知ることは、自殺の抑止にもつながると思います。
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ふと、目に止まったので回答します


五十何通もの回答をもらいながら、まだ理解出来ないようですが。
生と死と言うのは人間の根源の問題であり、厳粛な問題でもあります。
人は望むと望まざるとに関わらず、生まれてきて死ぬのです。
私は別に特定の宗教を肯定しているわけではありませんが、この不可思議な生死のサイクルが誰の力にも依らず、偶然に繰り返されているとは思えないのです。
地面を這い回る蟻が、蟻から見れば神にも等しい人間の一足に命を奪われるのも知らず、営々と己の蟻塚を築くその事に似て、本当は人間は何もこの世の真理を知らないのです。
人間の命も、そういう事から見ると、自分の好きに出来るものではないと私は最近思うのです。
たとえ自分の命は自分のもの、故に好きにして良いと自殺に成功したとしてもそれはその人間の運命と言うだけであって、自分の命を自分が操った事になるのかどうかは疑問です。
やはり、誰かから与えられた命は、有効に使い、短い人生を目一杯悩み苦しみ楽しむ事がこの世に生まれてきた人間の義務だと思います。
健康な身体を捨てたがったり、生きる意味を問う前に、生きたくても生きられず、命の期限を切られてしまった人の、恐れや苦しみを考えた事がありますか?
そのような人に取って、この質問は不遜の一語に尽きます。
私は今、肺がんかあるいはウェゲナーの肉芽腫か、どちらかの宣告を目の前に控えながら、まだ死にたくない気持ちと闘っている一人として、あなたに、このような質問は止めて欲しいと願います。
どの人間にとっても厳粛であるべき死を遊びのような問答に使うべきではありません。
人間社会には理屈無しに駄目な事はたくさんあります。
殺人や泥棒、自殺などに、何故駄目か?などの明確な理由は必要ありません。
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死んだら後がないですから、良くないです。

残された家族は、『自殺者の遺族』です。どうして?もしかしてあのとき…自分のせい。立ち直れません。
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『自殺して楽になる・当面の問題が解決する』という事があり得ないからです。



人間の身体は物質で構成されていますがそれと同時に
心・魂・霊といった言葉で表現されているものが人間の本質であり
亡くなると同時にそれらが身体から抜け出して新しい生活を始めます。

その点から『亡くなり方』というのは重要で自殺の場合であれば
死後長い間苦しみ続ける可能性が高くなります。

「死んでもぜんぜん楽になれない」
「死んだのにまだ自分の意識があって苦しい」
「やはり最後まで生き抜くべきだった」

という後悔の念に苛まれる可能性があります。

さらに、日本の政治家のように「死んでお詫びします」は通用しません。
どこかに逃げがあり死後必ず責任を取らされる事になります。
「死んでお詫び」にならず何も問題は解決しません。

そのほか、死刑制度は国家が殺人を容認する事になりこういった事が
潜在的に自殺を引き起こす要因にもなっています。

また、寿命による亡くなり方と違い本人の魂が思念の壁を生み出し
先祖・守護霊からの亡くなったあとの手助けがうまくいかないことがあります。
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