哲学素人です。
最近、ニーチェの入門書(初の哲学書)を読んで哲学に興味を持ちました。
ルサンチマン批判、禁欲主義の批判、善と悪の解体、超人思想、だと思っているのですが(違ったらすいません)。
私の母もキリスト教で幼いときから禁欲主義やユートピア思想を教え込まれました。そこで当然のように自己批判によってペシミスティックに陥り、信仰もしていないのでニヒリズムに陥っています・・・。
ニーチェは超人思想に生きようとして発狂していましたが、現代までに彼のいっているニヒリズムや禁欲主義からの自己批判を乗り越えた思想家はいるのでしょうか??
お分かりだと思いますが、自分自身への処方箋を探しています。
哲学に詳しくないので、間違っていたらすいません。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
漱石のご質問に回答した者です。
質問者さんの問題意識の所在が、なんとなくつかめてきたように思います。
つまり、質問者さんはいま、なんというか、生きにくさみたいなものを感じておられる。
それを、たとえば頭痛がする、この頭痛はいったいどんな種類の頭痛なんだろう、原因はなんだろう、と思ったときに、ネットでよく似た症状を検索して、いくつか見る中で、自分に一番近いものを捜して、ああ、疲れ目が原因なんだ、こういうときは目を休めるのがいいんだな、温湿布なんかも良さそうだ……と対策を立てるように、いまの自分の生きにくさを解決しようと考えておられるのかな、と思いました。
そうして、苦しんだ漱石とか、ニーチェとかの「生き方」が(漱石の作品やニーチェの思想ではなく)、自分の参考になるのではないか、と思っておられる。だから「処方箋」という言葉が出てきたのかな、と。
だとしたら、漱石の回答は、ピントがずれてましたね。
で、ニーチェの思想が現代思想にどう影響を与えているかを回答したら、ここでも外してしまうわけね(笑)。
あのね、こういうふうに考えたらどうかしら。
たとえばあることが起こる。その出来事はどういうことで、原因はなんで、どういうふうに対策を立てたらいい、ということがわかるのは、「出来事」が終わってしまってからなんです。
サッカーでフォワードの選手に球が出る。それがシュートに結びついたら「ラストパス」です。もらったフォワードの選手が、そこからさらに別の人に渡したら、単なる「パス」のひとつです。フォワードの選手がもらいそこねて、敵に取られたら「パスミス」になるし、たまたまそれがゴールまでいったら、結局シュートになって、その試合のヒーローになるかもしれない。
つまり、その時点では、ある選手が「ボールを蹴った」ということでしかない。その「蹴った」という行為が、どういう意味を持つかというのは、そのプレーが、あるいは試合が、あるいは「ワールドカップ予選」などという一連の試合が全部終わってみて、初めてあきらかになる。
だから、自分の生きにくさの原因を、いまの自分が過去をふりかえってあれやこれやに求めたりしても、それがほんとうの原因なのかどうかは、その人にはわからないんです。だってその人は、まだ試合を続けている選手と同じだから。
転んで足をケガする。そのケガのようすは目で見ることができます。目で見る、つまり、外側から見る、ということは、客観視するということでもあります。ものごとを、主体である自分から切り離し、客体として、主体の行為の対象(消毒するとか、ヨーチンをつけるとか、病院へ行くとか)とするわけね。頭の痛みは見ることができないけれど、やはり「頭の痛み」を自分から切り離して、その痛み具合とかを客観的にとらえることはできる。
けれど、生きにくいという「感じ」は、生きている自分の意識そのものですから、そういうものを客観的に、ほかの自分の意識からとりだして眺めることができるんだろうか、という問題が出てくるわけです。
ここで一気にニーチェに話を戻すんですが(笑)、ニーチェがなぜ現代思想の源流にあるかというと、あらっぽく言ってしまえば、いままで書いたようなことを初めて考えたのがニーチェだから、と言えるわけです。
ニーチェが言ったのは、客観的世界など存在しない、それは主体がただ解釈しているだけだということです。そうして、その解釈をさせているものは、力への意志である。ここがニーチェ独特のところね。
それまでは、主観の外側には、確固たる世界があった。まるで、足のケガを外から観察しているみたいに、人間は客観的世界を観察しているはずだ、というふうに考えられていたわけです。そのうえで、「世界」とか、「現象」とか、「表象」とか、「主観」とか、「意識」とかいうことをめぐって考えられていたわけです。
それをニーチェは、人間と世界との関係なんてそんなものじゃない、というふうに言ってしまったんです。
ほかに現代思想の源流としてあげられるのが、フロイトとソシュールなんですが、つまり、それまでいろんな人たちが「こういう問題があるがどうだろう」とみんなでああでもないこうでもないと言っていたところに、「問題を言っているおまえはだれなのか」とつきつけたようなものです(ちなみにフロイトは「それをおまえに問題と感じさせているものはなんなのか」と言って、ソシュールは「おまえが問題だといっている問題は「言葉」にすぎない」と言ったわけね)。
そういう意味で、現代思想はニーチェの影響のもとに始まったといえる。
けれども、それは以降の思想が、質問者さんがおっしゃるように、
> ニヒリズムや禁欲主義からの自己批判を乗り越えた思想家はいるのでしょうか??
というかたちでは問題にしてこなかった、といって良いでしょう。
そうではなく、ニーチェはニヒリズムの病因を、プラトン以降連綿と受け継がれた西洋の形而上学に見て取るのですが、この思考様式のもとでは、自然は神や理性による形成の単なる素材でしかない、そうではなくて、自然そのものにもういちど生成力を回復させてやることを考えた。
だからこそ、以降の哲学はハイデガーにしても、メルロ=ポンティにしても、レヴィナスにしても、身体ということが大きな問題になってくるんです。
だけど、こういうことは、たぶん質問者さんの聞きたいことじゃないと思う。
処方箋っていうのは、その病気を外から眺めることができる人に書けるものです。この人と自分は似てる、とたとえ自分が思っても、ほんとうに似てるかどうかは自分にはわからない。自分の意識は決して外側から見ることはできないから。わたしたちにできること、というのは、ただ、考えるだけ。それでも、きちんと考えてきた人の本を読むことによって、少しずつうまく問題を立てることができるようになると思います。だから、あまり自分の問題に引きつけすぎないで、いろんなふうに考えてみるといいかと思います。
いくつか参考文献をあげておきます。
哲学の入門書というよりは、むしろ、日本にいる哲学者たちが「生きる」ということをどういうふうに考えているか、にちかいものです。
お読みになったニーチェの入門書は、講談社現代新書から出ている永井均の『これがニーチェだ』でしょうか。もしそうじゃなかったら、これは読んでみて。
あと、永井さんの本はどれもおもしろいです。
・『翔太と猫のインサイトの夏休み――哲学的諸問題へのいざない』(ちくま学芸文庫)
・『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)
ほかには中島義道さんの本もいくつか。
・『哲学の道場』(ちくま新書)
・『生きにくい……―私は哲学病。』(角川文庫)
・『哲学の教科書――思索のダンディズムを磨く』(講談社学術文庫)
あと、わたしが個人的にものすごく好きなレヴィナスの入門書です。
・岩田靖夫『よく生きる』(ちくま新書)
以上、何らかの参考になれば。
回答ありがとうございます。
>>質問者さんの問題意識の所在が、なんとなくつかめてきたように思います。
なんか心配してもらったみたいで嬉しいです。身体の中から少しシャボン玉がはじけましたwww
>>つまり、質問者さんはいま、なんというか、生きにくさみたいなものを感じておられる。
生きにくさ・・・う~ん、まぁそんなとこです。正確には、この世の中に価値を感じない&それを否定したい自分がいるが否定せざるを得ないことに苛立ちを感じるって感じです。
それで社会を見つめ自己を見つめた漱石の見出した価値を参考にしたかった。
また、西洋に『神は死んだ』と言われて、西洋人はどのように価値をみいだしていったのかが知りたかったのです。
出来事は終わってからしかわからないのは理解しました。また確かにニーチェがいったように、生物それぞれの力の意思によって解釈は異なるので根本的なところまでは到達できないでしょう。
しかし、自己の肥大化の葛藤、自己肥大と禁欲主義のジレンマ(善と悪の喪失)など共通項があったので・・・。
あまり、僕は神とかは興味ないんです。あまり信じてませんし、どうでもいいっていうか・・・完全にニヒルですね。
教えられた(神によって作られた)善悪の判断が今の世の中との矛盾を感じ、自分の人格&この世の全てを全否定しちゃいそうになるんですよ・・・。
今は何も救う手立てがないので、哲学や社会学、心理学の本を読んでいるのですが。結局、何も得られないのではないかと怖いです・・・。
たくさんの本を紹介していただきありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
ニーチェ哲学の凄さは、「キリスト教的伝統が後退したことにより人は自由を手に入れた。
しかし、人はその自由を上手く使いこなせない」という事を鋭く指摘し、それをルサンチマンやニヒリズムとして体系化し説明した事ですね。ニーチェ哲学の根幹は、ルサンチマンやニヒリズム以前に、「神の死」であろうと思います。
「神の死」というのは、結構有名な言葉なのですが意外と理解されてない言葉でもあります。
ココで言う「神」とは、当然伝統的なキリスト教の神なのですが広く一般に宗教と置き換えても差し支えがない気がします。
彼の後継ともいえるハイデガーは、ニーチェの言う神を「神とは、さまざまな理念と理想との領域を示す名前」であると指摘しています。
つまり、宗教的なモノが担っていた分野(自然法則、倫理・道徳など)を「人間の理性」が担うようになった。(これは主に近代啓蒙思想に依るところが大きい)
結果として、「神の国、ユートピア、イデア界etc,,,」など人が逃げ込めた「彼方の世界」が崩壊し、(彼方の世界に逃げ込むことは)「現実から目をそむけた退廃した生であった」と喝破された状態へと置かれることになりました。
また、これは同時に「絶対的な価値基準の喪失」をも意味します。
中世を通してキリスト教社会の価値基準は神にあった。(或いは神の名を借りた教会)
しかし、その「絶対的な価値基準」は人間理性によって崩壊し(神の死)、人の理性に委ねられることになる。
「絶対的価値基準」が喪失したという事は、善悪の判断も道徳心も「蠣の好き嫌いのようなモノ」になってしまったとラッセルは言ってます。
結果として、人の欲望は抑制されることはなく増大する一方である。
そして人は「目標もなく”何故?”に対する答えも欠けた」状態に陥り、「至高の価値が無価値」になってしまう。(これがニヒリズム)
ニーチェはニヒリズムに晒された人間は二つの道しか残されていないとしました。
一つは「おしまいの人間」。
これは、簡単に言えば群衆に埋もれ個を滅却した群衆の一部、畜群である。
自由を自ら放棄して他者に委ね、他者に埋没し安全のみを図るのである。
もう一つは「超人」である。
こちらは、ニヒリズムを素直に受け入れ、自ら価値を創造していく生き方である。
しかし、その末路はエゴスティックな個人主義へと走り、無慈悲、無信仰、無感情という間への転落である。
ティーリケは、「ニヒリズムは自我の崩壊へと導く」と指摘している。
しかし、人は第三の道を生み出した。
神に変る新しい信仰対象(支え)を生み出したのである。
その典型的なのが「資本主義=お金」である。
現代の我々は、ニヒリズムから逃げるために「資本主義」を打ち立て、社会にとっては「経済成長」が、個人にとっては「豊かで便利な暮らし」が神に変る「添え木」となった。
しかし、今はその「虚構」さえも暴露されようとしている。
今は、正にニヒリズムから逃げる為の道具、「資本主義」に変る道具が必要であろう。
・・・と、以上は稚拙な私のニーチェ理解です。(って、前置き長すぎましたね、すみません)
>ニーチェは超人思想に生きようとして発狂していましたが、現代までに彼のいっているニヒリズムや禁欲主義からの自己批判を乗り越えた思想家はいるのでしょうか??
どうでしょうか、、、。
「神の死」を乗り越えた人は居ないんではないかな~と推測します。
個人的には、捨て去ったモノ=宗教を今一度再構築し直すことしかない気がしますけど。
以下は、上記のニーチェ理解に至った書です。
参考になれば幸いです。
「神の死」理解に、、、
ヴィルヘルム・ヴィンデルバント著『歴史と自然科学・道徳の原理に就て・聖―「プレルーディエン」より』 (岩波文庫)
ハイデッガー『ニーチェの言葉・「神は死せり」,ヘーゲルの「経験」概念 』(多分、全集に入ってたと思います)
※因みに、「神の死の始まり=神に変って理性が取って代わる」はヘーゲルの影響大なようです。
ニヒリズム理解として、、、
ホルスト・E. リヒター著『神コンプレックス』(白水社)
エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』(東京創元社)
H.ティーリケ『ニヒリズムの時代』(創林社)
でも、手っ取り早く理解できるのは、、、
松木 真一 編『神の探求―現代のニヒリズム・科学文明・宗教紛争の世界の中で (現代キリスト教思想講座 1) 』
の中にある、「第一章・死んだ神の追悼会」ですね。
大学の授業の教科書として買わされたんですが、参考書が今まで読んだ本と結構重なってたり、自分の考えに近かったりしてビックリです。
で、この本で知ったんですが
「超人」理解のお薦めとして
ドフトエフスキー著『悪霊』『罪と罰』など
だそうです。
これらの著作の主人公が、超人の典型としてあげられていました。
では、長文で失礼しました。
No.2
- 回答日時:
私も素人です。
文学部哲学科は出ていますが (^^ゞニーチェって、近代的な自我の発見者というように私は位置づけています。ただ、あまりに問題提起が激しすぎて、徒花のような存在でしょう。
近代的自我の発見によって、様々な哲学や思想が開花しましたが、ニーチェの思想そのものを受け継いだものは、何もないでしょう。
ならぬ徒花 ましろに見えて 憂き中庭の夕顔や
そんな感じです。
回答ありがとうございます。
全ての事柄は解釈だけが存在するだけだ。人間の解釈が世の中を決めている。その解釈は人間の力の意思(喜怒哀楽を表す根本的な源)だ。と書かれていたような気がするのですが、その力の意思の解明も進んでないのでしょうか??
何か処方箋になりそうな本などありましたら、教えてほしいです。
No.1
- 回答日時:
僕の個人的見解では、ニーチェの思想はものすごく辛いです。
伝統の秩序や価値観に疑問を投げかけ、結局破壊してしまう。
かと言って救いを残してはくれない。
粉々になった伝統のかけらの中で、精神的支柱を失ってしまう。
人間そんなに強くありません。
強くないからこそ何かにすがる。
それを否定してしまえば、社会からの孤立と精神崩壊も
予想できる結果です。
ハイデガーやデリダがニーチェの後継にあたるかと思いますが、
どちらも精神的にはきついです。
ニヒリズムを結局は乗りこえていないのでは、と思います。
特に自分への処方箋を探している時期にはこのような思想は
劇薬にすぎるかと思います。
回答ありがとうございます。
>>ニヒリズムを結局は乗りこえていないのでは、と思います。
>>特に自分への処方箋を探している時期にはこのような思想は劇薬にすぎるかと思います。
そうなんですか。
何か処方箋としてお勧めな本などがあれば教えてほしいです・・・。
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