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 夏目漱石の『草枕』という作品の冒頭に「智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」という言葉がありますが、
結局、どのような意味なのですか?
 夏目漱石は、人の世は住みにくいと言っていますが、
では、どうすることなのでしょうか?
 教えて下さい。宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

どっちに転んでも必ず障害がある、という事だと思います.身を粉にして努力しても、それをねたむ人があったり、知らずに誰かを出し抜いていたり。

だからと言って人に共感していれば、知らず知らずに自分が渦中にあって悪の親玉に祭り上げられたり、では自分の主張を貫いて人を気にせず自分らしく生きてゆこうなどと思うと、それ自体に実は束縛されて偏った自分らしさに振り回されるもう一面の自分がいる、という事ではないでしょうか。
 人の世は住みにくいとは、人は千差万別。草枕の冒頭を誰しも納得するけれど、思いは人それぞれ、という所だとおもいます。
 でわどうしたら良いか、ですが、ここからも人それぞれ。
自分は、腐れ縁の友人を持たず、いつも人と一歩距離を置いて、仲間や味方を作らずにひたすら家族の為だけを考えて生きる事、だと思います.
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この回答へのお礼

 返答ありがとうございました。
結局は、人それぞれ違ってくるという事になりますね!!
でも、一つに偏ってしまっても、人の世では、暮らしていけない
という事ですね!! ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/20 12:35

草枕を改めて読み返す時間もありませんので、漱石がこの小説の中で訴えていることよりも、今や格言となっているこの名句をどう理解するか、私の考えを下記します。



我々が日常生活を営むとき、人間関係は避けられません。人間関係を積極的にエンジョイしている人には、この言葉はあまり関係ないかもしれません。色々な人がさまざまに絡み合っているこの世を送るには『智、情、意』のバランスが必要です。

智とは知識、分別などです。情とは人情や感情です。意とは意志や意地を指すと思います。智に偏った人は才気ばしった人(知ったかぶり)として煙たがられます。
人情味あつい人は人間的な人として好かれますが、その人が自分を確立して、自分の人生を送れるかどうか、優しさだけで送れるほど人生は甘くありません。

意地の張り合いだけでもよい人間関係は築かれません。智、情、意のバランスある人生など窮屈でとても自分には送れそうにないと思う人は、昔は山にこもる等して社会から隔絶された人生を選びました。それがままならぬ凡人は結局悩みながら、自分がベストと信じる人生を送ることになります。
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この回答へのお礼

 返答ありがとうございました。
やはり、「智」・「情」・「意」どれか一つに偏ってしまっては
いけないという事ですね!!参考になりました。
 ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/20 12:36

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