プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は20歳代の男です。初めまして。
選挙、特に選挙率の話になると、
いつもタイトルのことが頭に浮かびます。
20歳以上の人で選挙に行かない人って、
世の中どうなってもいいのかなぁ?と。

私の考えとしては、国民が政治に関心を持って
投票をしなければ、戦前のように勝手に物事が進み
軍事政権が復活する可能性もゼロではないと思います。
少し考えが飛躍しすぎかも知れませんが、
所詮同じ日本人のやることなので、何が起こるか分かりません。

私たち一般市民が政治に関わるとしたら、
「納税」「選挙」が大きな柱だと思います。
納税は国民の義務だから当然としても、
選挙に行かない人の気持ちがよく分かりません。
選挙権を持っているのが当たり前すぎて、
その意味やありがたさが分かってないと思います。

支持できる政党・候補者がいないという人もいますが、
それならなぜ白紙投票をしないのかが分かりません。
白紙投票ならば意思を示したことになりますが、
選挙に行かないのは、完全なる権利の放棄ですよね。
「オレ興味ないし、好き勝手に政治やってくれ」という。
せっかく与えられた権利なのに、行使しないのはよくないと思います。

「選挙に行かない人は、税金増やされたりムダ使いされたり、
 公共施設の利用を制限されても、文句を言えないのではないか」
と私は考えています。私がもし政治家ならば、
「なんで選挙に来る気のないヤツのために、
 限られた税金を使う必要があるのか」と考えるでしょう。
政治家とて所詮は人間だからです。

もちろん、政治家に責任がないとはいえません。
ムダ使いや汚職事件など、由々しき問題は後を絶ちません。
ただ、政治が悪いからと言って、選挙権を放棄してしまっている人は、
もっと政治が悪くなることに気がつかないのでしょうか?
自分たちが納めた税金がどう使われてもいいのでしょうか?

私は真の民主主義とは、「市民が責任を持って代表者を選び、
その結果(プラスマイナス両面)を市民が受け止める」と考えています。
それに比べて今の人々は、老若男女問わず、選挙に行かなくても、
政治に関心を持たなくても、政治が何かしてくれると
完全にもたれかかり、甘えてる人が多いように思います。

長くなりましたが、いろいろな視点や価値観からのご意見をお待ちしています。

A 回答 (19件中1~10件)

私は長い間選挙に行っていません。

そのことについて、棄権しているとは思いませんし、関心がないわけでもありません。ただ、「白紙投票」とか「該当者なし」などの投票をしてもムダだということです。結局は政治を操るやつらの手の平でしか、踊らされていないのです。だから投票率が低い場合、投票数が一定に満たない場合は無効・やり直しなどにはならないでしょ?そんなことは計算済みなのです。たとえば「郵政選挙」のときなど、自民圧勝は目に見えていました。でもそれで自民が増えれば消費増税など後の展開が不利になると思って、棄権・他の党を支持したかたも多いはず。ま、かと言って選挙のやり直しなどは、税金のムダ使いです。仮に私が市長などの立場なら役所の人間に、一軒一軒投票用紙持って回らせますけど。(人口が多いから無理などとは言わせません、多ければ役所の人間も多いですから。)

この回答への補足

この場をお借りして、ご回答下さった方々へお礼申し上げます。
今回この質問を立ち上げて、私自身いろいろ考え直す部分もあり
大変勉強になったと感謝しています。ありがとうございました。
そろそろ回答を締め切らさせて頂こうと思います。

補足日時:2008/08/06 17:31
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大変失礼ながら、ご回答を拝読してやっぱりとガッカリしてしまいました。
一人一人の意識が変わらなければ民主政治は向上しないのですが…。
諦観してしまっては、そこで思考停止してしまいます。
それが私にとっては残念なのです。

お礼日時:2008/08/06 17:31

政治的信条、というのはそれこそ自由だと思います。


既存のイデオロギーから必ずどれか選ばなくてはならない、あるいは積極的に政治に参画して自ら政治理念を表現しなければならない、というのは現実的な政治システムとしては蓋然性があるというのは理解できますが、そもそも民主主義というシステム自体が理想を一定の制約の中で実現したものであって究極の理想形そのものでは無く、論理的欠陥や機能不全を多くかかえています。
つまり何を言いたいのかというと、ノンポリだってひとつの政治的信条である、ということです。(ちょっと乱暴かもしれませんが)
私もノンポリとか政治的無関心層を積極的に肯定はしませんが、外側からしか見えないもの、というのが万事につけ確かにあります。
清教徒運動が血なまぐさい宗教戦争を多く生んだ故事にこじつけるのもいささか乱暴かもしれませんが、民主主義もあまり教条的になるとこの制度の長所である柔軟性と多様性を失いかねないという懸念もあります。

もっとも、投票にも行かないくせにいっぱしの政治評論家気取りで批判ばかりしてるような人は、「理性に一貫性の無い、気の毒な人だなあ」くらいは感じますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
私が言いたかったのは、選挙に行かないなら行かないでいいけれども
それだったらせめて政策や政治家の顔ぶれに文句を言うなということなんです。
その辺の自己責任が、いまいち世の中に浸透していないような気がしました。

お礼日時:2008/08/06 17:26

誤記がありました。



誤)
駅にエレベータが設置されていないと大変だと言うことに気づいた事はないですが、

正)
駅にエレベータが設置されていないと大変だと言うことに気づいた事はないですか?
    • good
    • 0

> 私は、政治というのは世の中に蔓延する「負の部分」を


> 請け負っているものだと考えています。
> だから問題が山積みになるのはむしろ当然で、
> 殊更に取り沙汰する事でもないと思います。

 只、問題を認識していない、認識しない人もいるわけです。
だから、そういう人間は、問題が世の中にはないわけです。

 小児医療・産科医療等で医師が足りない事を、マスメディア、与党は最初なんていっていました。多分、医師がいる場所が偏っているからといっていましたね。

 その言葉に騙されたら問題の本質、対策を見誤るわけです。

 最近は、医師数が足りない事を認識して、対策をしようとしていますが、問題というのは、自分達で声を出さないと、改善されないのです。誰かが自分達の事を考えて何とかしてくれると考えるのは大間違いです。

 少なくとも、労働問題、医療崩壊は、一連に政治がそういう政策を採ってきたために起きている事です。労働法改正、医療報酬の削減、人口1000人当たりのOECDの平均を下回る医師数(日本:2.1人、OECD平均:3.1人)。

 全て、国民が選択した国会議員が通した法律で決定されているのです。

 人間色々とか昔、言っていた人がいましたが、世の中に問題があるのは当然だと開き直ったら、政治なんて必要ないのですよ。

 これを前提したらどんな資質を欠く人間でも政治家になれてしまいます。

 何故ならば、問題があるのが当然だったらを問題を対処する必要がなくなってしまうからです。

 簡単な例を出しますが、自分の足が悪くなって初めて、駅にエレベータが設置されていないと大変だと言うことに気づいた事はないですが、いつもは気づかなかったけれど、よく周りを見てみると、高齢の方が大変そうに上っている事に気づいたりする筈です。

 問題があるのを当然だと問題を認識しなかったら、決して世の中は良くなりませんよ。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の書き方が不味かったようで、申し訳ありません。
問題が山積みなのは当然としても、
政治家の人々にはこれを解決してもらわなければならないと思います。
彼らはそのために存在する人間なのですから。

ただ、世の中の諸問題を全て政治に原因を求め、
二言目には「政治が悪いから」と嘆く風潮はいかがなものかとも思います。
そしてひどい人になると、それを理由に選挙に行かない人までいます。
そういう状況だからこそ選挙に行くんだよ!と思うのですが…。

お礼日時:2008/08/05 10:39

古今東西、人間は馬鹿ばかり。


これは時代・国家・人種を問わず当てはまります。その場のノリで意味不明な公共事業に無駄金費やしたり自然災害や流行病を放置してゴーストタウンが続出したり賄賂が横行して本業で昼間は警察官で夜のバイトで強盗してる人がゾロゾロしていたりクーデター・内戦=選挙と勘違いするのは特に珍しくありません。

効率・公平・秩序等の実現については実は善意ある独裁体制が向いてます。何も議会で延々と演説したり質疑応答する手間も無いし武断的に政治を進める事も可能です。貞観の治や五賢帝の時代がそれにあたります。
とは言えそれらが後世にまで記録され褒められるのは数少ない例外だからと言える証拠です。犬が人を噛んでもニュースにならないが人が犬に噛み付けばニュースになる・・・つまりはそういうことです。


選挙とは自ら名乗りでた馬鹿共から筋金入りの馬鹿を排除する儀式でしかありません。それ以上でもそれ以下でもそれ以外では無い。
馬鹿ばかりだから比較的マシな馬鹿を選ぶには比較して検討する必要があります。それ以前の経歴・業績・言動とか政党の主張等数えきればキリが無いし政治家は嘘を付くのが商売ですからそれも見ぬかないといけない。どんな馬鹿を選ぶのか?ということは選んだ国民の程度を知るリトマス試験紙とも言えます。ある意味国民が試されると言い換えるべきでしょうか?

そこで選挙に行かないというのは救いようの無い馬鹿です。
現在生きている我々にとっての害悪のみならず将来に対しても深刻な結果を招くでしょう。

思いっきり単純化して仮に得票数の過半数で当選で国民の数を100とします。投票率100なら最低限51無いと当選しません。それが投票率が80%ならば41で当選。と順調に当選のハードルが下がります。そのペースで行って50%なら26で当選しますよね?そうなるととても多数派の意見とは言えないでしょう。それでもその当選者が比較的マシな馬鹿なら良いのです。問題はそれが筋金入りの馬鹿だった場合がどうしようもありません。しかもそういう連中は組織票とか票田で無理矢理に当選を狙ってくると考えた方が良さそうです。
しかし一人でも選挙に行けば当然ハードルは高くなります。その組織票アテにするとしても26用意するのと51用意するのは単純に倍の手間・暇・金が必要なのは自明です。国民のレベルが高ければイカレた馬鹿を信じる人間も少なくなる・・・


等と偉そうな事言ってますが私自身がそれに気がついたのは選挙権取得して4~5年経った頃です。

実際私は若年者のワーキングプアについてはそれも原因の一つだと思いますよ。政治家も人間ですからおまんま食べないと死にます。食べる為には当選しないといけませんが若者が投票しなければ若者に媚びった公約を打ち出しても落選するじゃないですか?年寄りは割りと律儀に投票に来るから当選したけりゃ年寄りに媚る方がまだマシと思うでしょう。だからそっち向きの公約出してるんですよ。
まぁ若者の数が減ってる事情もありますけどね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
馬鹿という言葉が連呼されており、驚きましたが
おっしゃっていることは分かります。

特に独裁政治が必ずしも悪でないということは、私も感じていました。
ただしそれには書いておられる通り、善意が必要ですけどね。
方向性を誤らなければ、独裁政治は民主主義よりも善政となります。
(ほとんどの場合で誤っていることが一番の問題ですが…)

こう言っては何ですが、日本社会を支えてきた高齢者の方々が
政治に関心を持ち、これからに日本を支えていく世代に
関心が薄いのは、つくづく皮肉だなぁと感じてしまいます。

お礼日時:2008/08/05 10:30

政治に関心の無い人は、権利があっても投票しないでくれと思います。



そういう人に罰則を科したり、首根っこひっつかまえて投票させても、結局、おもしろそうな人、有名人やパフォーマンスの派手な人、タレントあがりの候補者やポピュリストに票が集まり、愚民政治になる恐れがあるからです。
もちろん、投票しない人はどんな結果になっても、文句を言う資格はないとは思います。


逆に私は「白紙投票」する人のほうに不快感を持ちます。
それだけの政治意識をもっているならば「いい人がいない」と嘆く前に、「自らが出馬しろ!」と思ってしまいます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

確かに、周囲の雰囲気やノリだけで投票する人もいますね。
最近はタレント出身の政治家が少しづつ台頭してきて、
それがいいかは別にして、その時だけ投票する人もどうかと思います。

実際に出馬をするには経費や背景などの点で無理があるため
白紙投票という手段を取っている、という見方もあると思います。

お礼日時:2008/08/05 10:21

不満が本当にあるなら、だまって投票してますね どこに投票するのかよくわからないが、個別に文句をいうことはあるはずです


これだけネットで本音を言い合っても、投票しなけりゃ効果なしなんですけどね 無知派か現状満足派が投票しないのでしょう
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
不満があっても投票しない人が、周囲に結構いるのでいつも疑問でした。
そこまで今の政治がイヤなら、なんで投票しないんだろう?と。

ちなみに私は現状にとても満足していますが、投票には行っています。
民主主義国家に生きる一市民として、当然の行動だと思いますので。

お礼日時:2008/08/03 22:19

> 選挙に行かない人は政治に文句を言えるのか?


言えないですね。

> 私の考えとしては、国民が政治に関心を持って
> 投票をしなければ、戦前のように勝手に物事が進み
> 軍事政権が復活する可能性もゼロではないと思います。
> 少し考えが飛躍しすぎかも知れませんが、
> 所詮同じ日本人のやることなので、何が起こるか分かりません。

 そういう考え方は、重要です。現在も気づかないところで、米国と一緒に戦争に行けるように改憲しようとしているかもしれませんし、憲法12条、13条の「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に変えられてしまって、一元的内在制約説から一元的外在制約説になっていたという事が起きるかもしれません。

> 支持できる政党・候補者がいないという人もいますが、
> それならなぜ白紙投票をしないのかが分かりません。
> 白紙投票ならば意思を示したことになりますが、

 白紙投票しても、政党の考えは変わらないですよ。それだったら、メール、電話で直接国会議員に言った方が効果があります。なぜならば、開票管理者が無効票をカウントするのであって、政治家が無効票をカウントするわけではありません。

 また、選挙結果には、得票総数しか出ませんし、無効票がどれだけでしたとニュースの選挙結果で報道しているところを見たことがありませんし、万一してもそれが、イタズラで投票したのか区別も付きません。

 開票管理者が政治家の家々を一軒一軒回り、選挙後に「無効票がこれだけありました」、「国民が怒ってますよ」と言って回っているならば、少しは、意味があるのかも知れませんが、そんな事は、考えられませんし、開票管理者の手間を増やしているだけのような気がします。

 結果として支持母体が強いところが勝つことになりますよ。これは、投票しないのと結果は同じです。

 野党に投票して意思を示さなければ政治は変わりません。

> 私は真の民主主義とは、「市民が責任を持って代表者を選び、
> その結果(プラスマイナス両面)を市民が受け止める」と考えています。
> それに比べて今の人々は、老若男女問わず、選挙に行かなくても、
> 政治に関心を持たなくても、政治が何かしてくれると
> 完全にもたれかかり、甘えてる人が多いように思います。

 日本の国政の投票率は約50%ぐらいですが、欧州では、大統領(Presidential)、国民議会(National parliamentary)は、非常に高い国が多いですね。大体、70%~90%が普通です。欧州で日本が投票率で勝っているのは、スイスぐらいだと思います。99年の投票率は43.2%なので。又、傾向として、欧州は、総じてEU議会(European parliamentary)の投票率は、かなり低いですね。

 確かに、投票率も大切ですが、自分達で法律、政治を学んでいくということが、とても重要です。そして、自分達が、一人ひとりが主権者であるという自覚が必要です。

 貴方が言っているように、明治の人達は、かなり、学習運動が強く、講談会に二、三里の遠方より山野を越えてきた聴衆が、二百余人もいたそうです。この事は、日本近代史の色川大吉氏の著書「自由民権」に書かれています。

> 日本でも明治前期に立志社が興って自由民権運動が盛んになるなど、
> 現在当然のように与えられている選挙権は、
> 我々の先祖の血の滲む様な犠牲や努力によって得られたものだと思います

 医療崩壊、労働問題、環境問題、外交問題、高い自殺率、行政問題等、沢山の問題が日本にはあります。少しずつですが、変えていくしかありません。

今回、参議院選挙の結果でタクシーの規制緩和の問題、医療問題、労働問題が少しは、改善されそうです。

これは、前回、野党に投票した国民が変えたんですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
日本人は平和ボケしていると言われますが、
この表現は本当に言いえて妙だと実感します。
自分たちの国はあくまで自分たちで守り、
発展させていくという気持ちが大切だと思います。

私は、政治というのは世の中に蔓延する「負の部分」を
請け負っているものだと考えています。
だから問題が山積みになるのはむしろ当然で、
殊更に取り沙汰する事でもないと思います。
それを任せられる政治家を、国民一人一人の意識でもって
変えられるような国になっていけば、と思います。

お礼日時:2008/08/03 22:16

#5です。



仰ることは、「ごもっとも」と言うしかないような内容なんです。

ただ、その「ごもっとも」という正論を、大檀上から振りかざす正義感みたいなのが、どうも中高校生の優等生的作文みたいな印象なんですよね。

>権利なのに、行使しないのはよくないと思います。

権利を行使するかしないかは、任意ですよ。
誤解しないで下さい。だから自由だろう、投票に行かなくても、と言う意味ではないんです。

民主主義の選挙制度なんてものは、有権者全員がボイコットして投票率0%でも成り立ちませんし、逆に100%にも成りえない制度なんです。

同じく国家の成り立ちに欠かせない防衛に照らして考えてみたらどうですか?

これだって、徴兵制で100%成人男子が召集されるのも、国民の合意が得られるとは思いません。

しかし志願制だからと言って、志願する人がゼロでも国家は成り立たないんです。

もちろん、質問者様が「あまりにも政治に対して無関心だ!」と憂慮されるのもご自由です。
私とは違う政治的立場のようですが、もちろん憂慮の念はあります。

ただ、日本は自由な国です。
権利を行使するしないも自由です。

これも誤解しないで下さい。
日本人が権利の行使を怠り、仮に亡国の道をたどろうと(決して望みませんが)他の手立ては無いんです。

私の例も合わせて言うと、誰も選挙で投票せす、誰も軍に志願せずとなったとしても強制できないんです。

日本は、どこかの国のように、投票率100%、徴兵制で成人男子は100%召集という国家じゃないんです。

民主主義という政治体制は、100点満点はありませんし、逆に0点ということもありません。

そういう意味で、現在の投票率50~60%というのは、そんな荒唐無稽な数字ではないと言ってるんです。

そもそも、もっと自分の権利を行使しろと、他人の権利の行使の仕方に注文付けること自体、私には滑稽です。

いくら質問者様が歯がゆく思われても、権利を行使するか否かはどこまでもその人個人の問題です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

たびたびのご回答、ありがとうございました。

>権利を行使するかしないかは、任意ですよ。

申し訳ありません。これは少し行き過ぎたと反省しています。
しかし行使しないという選択をした人は、
それなりの代償が返ってきても大丈夫だ、という
判断の上なのかな?と疑問を持ちました。

私は、単に選挙率が高まることを期待しているわけではありません。
ただあまりに低いと民意を反映できないとも思いますし、
民意を表明しなかった人たちの本音を知りたいとも思いました。
そのため、この質問を掲載した次第です。

お礼日時:2008/08/03 22:06

 選挙へ行って、投票する事を以って政治に口出しを・・・というのは違う気がしますね。

無投票でも意思ではあるでしょう。しかし、それが「めんどくさい」などの理由では意味がありませんが^^;
 あいまいな考えで「この人に入れとくか・・・」では、それこそ選挙の意味がないと思いませんか?どの立候補者も、結局言ってる事おかしいと思えば誰にも投票しないでしょう?それと一緒です。

 今の政治家は、「投票数が少ない!若者の政治離れだ!」と言いますが、決してそうとも言い切れません。政治に関心がなくなったのではなく、投票するべき人がいないという事実があります。また、今の国民の意志として「誰がやっても一緒」と思う人がいるのも確かです。これは、長年続いた。いえ、続きすぎた自民党の政権にも問題があります。もちろん、コロコロ変わりすぎてはやってる事が正反対でごちゃごちゃになりますが。ただ、この1つの政権によって国が作られ、物言いを付ける立場が弱い事で反対意見の意味がなくなるというのも1つの悪い事例でしょう。そもそもが、国民の代表者が代表者通しで更なる代表者を決める。つまり、今の党代表や首相の決め方に問題があると思います。国民の意思がすべてと言うならば、党代表及び首相は国民投票において決めるべきであり、そうなれば投票率とて上がるでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
私もただ投票すればそれでいい、とは思いませんが、
だからと言って、明確な政治意識もなく
投票しないのもどうかと思います。

>どの立候補者も、結局言ってる事おかしいと思えば
>誰にも投票しないでしょう?それと一緒です。

私ならば、他の回答者様にも書いた通り、白紙票という手段を取ります。
これは結果には反映されず、自己満足に過ぎないとも言えますが、
自身の中に政治意識を保たせるためには有効な方法だと思います。

自民党が長く与党でありすぎたために、
民主主義の意味が薄れているのは事実だと思います。
首相を国民投票によって決めるというのは私も反対はしませんですが、
そうなると本当に人気だけで決まってしまいそうで、危ういかなとも思います。

お礼日時:2008/08/03 22:00

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!