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30代主婦です。2歳半になる息子がいます。
最近、息子の教育のことで主人と話になります。

来年から幼稚園に行くこともあり、そろそろ
何か習い事を始めさせようか悩んでいます。
回りの友達も英会話や水泳や他にも色々と始めたこともあり
影響はうけたかもしれません。

主人にそのことを相談すると『まだ必要ないんじゃないか?』といいます。
理由は(長いので要約すると)、
小さい子供に決まっている答えを教えるより、
もっと、答えの無いことに自分の思いや価値や
楽しさを見つけたりすることが大切のようなことをいいます。
それを、友達に伝えたり、友達の思いを聞いたりすることが
一番必要みたいなことを言います。



もし、そのようなことを教えてくれる習い事があるのなら
習わせたいと言います。

勿論、理解はするのですが・・・、実際のところは
英語や水泳のほうがいい気がする部分もあります。
主人の考えは理想に近いというか、理想だと思ってしまいます。

(1)皆様は小さいお子さん(2歳~幼稚園、小学校低学年)に
 どのような教育をしたいと思っていますか?させていましたか?

(2)実際にどのような習い事をさせていますか?
 させていましたか?

(3)主人の考えはやはり理想でしょうか?


どうか色々とご意見下さい。
どうぞよろしくお願いいたします。

A 回答 (13件中1~10件)

幼稚園年中の娘の父親です。


コミュニケーション能力がいちばん大事だと信念をもって子育てしています。


(1)皆様は小さいお子さん(2歳~幼稚園、小学校低学年)に
 どのような教育をしたいと思っていますか?させていましたか?
●必要ありません。
子どもの成長を楽しみたいのでしたら、習字とか空手やダンス、水泳、ピアノなんかはいいと思いますが・・・。
「教育」の必要なんてないでしょう。
ぜひ、「家庭」を「教育」の場にしてやってください。

(2)実際にどのような習い事をさせていますか?
 させていましたか?
●水泳だけです。
基礎体力をやしなうのにイイと思ったので。
3歳半からはじめました。半年でクロール泳ぎができるようになってました。肺活量もしっかりあるようです。


(3)主人の考えはやはり理想でしょうか?
現実に近づけたい理想ですよね。
けして現実離れした「理想・絵空事」ではないでしょう。

2歳3歳で、英語が話せた、字が書けた、算数が解った・・・など、教育熱心な親御さんの自己満足なだけでしょうね。

歩く、かける、つかむ、なげる、ぶら下がる、まわる、転ぶ、跳ぶ、潜る・・・そのような運動能力はどのように発育していますか?

「今」はそちらを伸ばしてあげる時期ではないでしょうか。

冒頭にも書きました「コミュニケーション能力」、これによって将来救われたりしませんか?

健全な精神って頭脳に宿るのでしょうか?
学問を幼い記憶に詰め込むよりも思い出を詰め込んであげたいと思っています。
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この回答へのお礼

まず、ご回答頂き本当に感謝いたします。

また、本当に愛情をもってお嬢様を育てられていること
心より尊敬いたします。

参考になるご意見本当にありがとうございます。
参考にさせていただきます。
また、パパからの意見ということも本当に参考になります。

仰る通り『コミュにーション能力』は大切さは感じます。
大人になった今でも多々痛感することがあります。

ご指摘いただいた点も含め、もう一度主人と話をしたいと思います。

本当にご意見頂き、ありがとうございます。

また、お嬢様と素敵な思い出たくさん作って下さい。

お礼日時:2008/08/06 17:13

(1)皆様は小さいお子さんにどのような教育を?



1、先ずは、友達といっぱい遊ぶことです。
2、で、色んな問題を乗り切らせることです。

例えば、小学校1年の時は、娘はお弁当を持って色んな家を回りました。
「独りじゃ寂しいので一緒にたべさせてくださーい」と。
で、OKな家もあれば断られた家もありました。

「な、なーんで、断られるの?ねー、教えて!」
「私、ちゃんと独りでこぼさずに食べられるのにー!」
「それはね、人にはそれぞれにお昼の食べ方があるのよ!」
「だって、みんなおなじ服装をしていないでしょう。それと同じ!」
「フーン!ややこしいね!」
「でも、なんとか、食べさせてくれる家を見つけたいなー!」
「じゃー、○○さんちに行ってごらん!」

ともかく、娘がお昼時にお弁当を持って各家庭を巡回しているなんて知りませんでした。
何回か断られてから、やっと、知った次第です。

さて、こんな幼少時でしたから、「人は人、我は我」は娘にとっては当たり前のこと。

「幼少時には、子供だけでなく色んな大人とも接触させて育てよ!」が私の身上。

(2)実際にどのような習い事をさせましたか?

水泳とエレクトーン。

(3)主人の考えはやはり理想でしょうか?

まだ、2歳半ですと、やはり、チト早すぎると思いますね。
先ずは、遊びですよ。
先ずは、いわゆる社会化訓練ですよ。
ある程度の肉体を遊びを通じて作ることが先決。
ある程度の精神を遊びを通じて作ることが先決。
この6歳までの遊びを通じて得た知能が全てだと思いますね。
この6歳までの遊びを通じて得た技能が全てだと思いますね。
この学ぶための土壌作りを抜きにした早期の幼児教育には色々と無理があるでしょう。
で、結構、遊びを通じて培った肉体と精神とは少年・少女時代を左右するもんです。
で、結構、遊びを通じての社会化訓練の成果は少年・少女時代を左右するもんです。
ですから、ご主人の考えは理想ではなく日々の課題ですね。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、本当にありがとうございます。

お嬢さんのお話、すごいですね。
色々と、親御さんの伝えたいというか、教えたいということを
実践されていて本当に愛情を感じます。

私はどうしても小手先というか、形あるものにしか
できないというか・・・。
うまく表現できませんが、考えてしまいます。

子供の教育以前に、自分の考え方を見直したいと思っています。

本当に、ご回答頂き感謝いたします。

素敵なお嬢様と素敵な思い出をたくさん作って下さい。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/08/06 17:23

 5歳と0歳8か月の息子がいます。


 上の子の話ですが、某ショッピングセンター内にて「知育教室」のようなものに通わせていました。また、プールにも行かせていますが、まるっきり「塾!」というようなものには行かせていません。

 その教室では、大人も困惑するような事から楽しいものまであります。俗に言う「遊びながら知識を付ける」ものです。私も、最初習い事に抵抗がありましたが、本人が体験で楽しそうにしている姿を見て「お友達と遊んだり、おうちで遊んだりする時間はなくなっちゃうけど、毎週○曜日にここきてこういうのやりたい?」って聞いた所「やりたい!!」と言ったので、3歳からやらせています。知能テストもあり、数学(算数)が飛びぬけて上達が早く、今は年長ながらも小学生に交じってやってますよ。簡単な足し算ぐらいは出来ます。漢字は都内・県内の駅名はすべて書けます。これは本人の趣味からも来ますが(笑) 最近「安孫子」をちゃんと読めたのには、正直驚愕しましたが^^;

 プールは、海で何かあった時の為にもやらせています。上達遅いんですが、顔に水がかかるぐらい全然平気ですね。十数メートルぐらいは泳げるようです。

 正直、私は「習い事」というのに相当な抵抗があります。私自身、ピアノ・絵画・公文・塾・図工・家庭教師とさまざまな習い事経験を持ち、嫌な思いしかしてこなかったのもあります(友達と遊ぶ時間がなかった)。何より、次遊んだ時に話題に入れなかったのが悔しかったです。ただ、本人がやりたいというものを無理にやらせる必要もない。というのは、妻も同じ考えでいます。
 子供は無限の可能性を秘めています。しかし、これからの社会に付いて行けないから習わせるというのは、やりたくない子供にとっては迷惑なだけです。大人になって「あの時やってればよかった」と思うのが普通であって、「あの時やってたから今がある」というのは成功者のみ言う事であり、親と同じ考えを持った人です。その成功者も、遊ぶ事を知らないが為にストレスが発散できず「うつ病」を患う例が増えてますよね?千差万別と言えばそれまでですが、私はどんな習い事であれ「本人がやりたいと言った以外の習い事を、子供の為と称して習わせるのは親のエゴであり、将来にしても今にしても親が子供を自慢したいが為の口実ではないかと思っています。
 子供に大切なのは、少しの勉強と大量の遊ぶ時間だと思っています。そのバランスが大切で、知恵と知識を分けて考えなければなりません。友達や先輩と遊んで、勉強以外の遊ぶ知恵や生きてく知恵を身に着け、学校で知識を身に付ける。これが教育の本文ではないでしょうか?

 先日の、太田総理~~~で「3歳以下の子供の教育を禁止します法案」(タイトルあやふや)で、精神科医が言ってましたね。「無理に知識を詰め込み過ぎて、子供が勉強を過剰な義務感で囚われてしまう。結果、子供は【燃え尽き症候群】になる」と。決して間違っていない事だと思います。私も、中学時代になりました。小学校卒業前で、勝手に願書を出されて公立の受験を受けろと言われましたが、私が勝手に辞退しました。高校にも勝手に願書を出されそうでしたが、中学の先生が回避してくれたようです。特殊な例ですが、こういう人もいるという話です(笑)

 小さい内は、脳が柔らかい為にどんどん吸収をしていくのは確かです。しかし、本来は吸収というよりも「箱に物を詰めて行く事」です。当然、箱に詰め過ぎれば溢れるか箱が壊れるかですよね?やらせるかやらせないかで言えば「やらせた方が良い」ですが、限度なく「あれもこれも」とやるなら「やらせない方が良い」です。もちろん、お子さんの意見(やりたい・やりたくない)を最優先にしてください。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、本当にありがとうございます。

本当に、参考になるご意見をいただけ感謝いたします。

・『勉強』と『遊び』のバランス
・『知識』と『知恵』の習得
・習い事は親のエゴ
・燃え尽き症候群
本当に参考になります。

身勝手な親の思いが、子供にとっては苦痛であったり、結果不幸を
招くこともありますね。

ご教授いただいた事を参考に、私なりにもう一度
自分自身を見つめなおしたいと思います。

本当に、ご回答いただき感謝いたします。

お二人の息子さんと是非素敵な夏をお過ごしください。

本当に、ありがとうございます。

お礼日時:2008/08/06 17:32

ご質問者様のご主人様がお話されている内容は


理想ではありません。それこそが幼児教育でもっとも大切であり、
欠かせないもの・だとの認識を是非お持ち下さればと思います。

>小さい子供に決まっている答えを教えるより、
>もっと、答えの無いことに自分の思いや価値や
>楽しさを見つけたりすることが大切のようなことをいいます。
>それを、友達に伝えたり、友達の思いを聞いたりすることが
>一番必要みたいなことを言います。
>もし、そのようなことを教えてくれる習い事があるのなら
>習わせたいと言います。

大変失礼ながらお子さんをお持ちのお母様のお言葉だとは到底思えません。
これらのほとんどはお母様とのやり取りで子供は学ぶものです。
子供は見つけた小さな発見や感動をまず、お母様に話します。
その喜び、驚き、悲しみをお母様に伝え、お母様のその時の反応
(表情、声、身振り手振りetc.)を見て、気持ちを共有することが相手への表現、
つまりコミュニケーションを学ぶことになります。

お母様→お父様→兄弟→友達・・・

この第一歩は唯一、お母様との親密な関係であり、
これ無くしてはスタートせず、これが無かった子供の心が
その後まともに育つことはありません。(勿論、お母様が事情で
いらっしゃらなかった方も大勢いますが、代わりにお優しい
御祖母様であったり、里親さんだったりする場合もございます)

英語、算数、ドッツカードなどを幼少から学ばせて
自分の子供を秀才・天才・二ヶ国語使いの「まがいもの」に仕立てる
ことを喜びにされていらっしゃるお母様を数多く散見しますが
むしろそれらは幼児が本当に学ぶべきものを排除する
害悪にさえなり得ます。

小学校前に算数や英語が出来ることって
そんなに凄いことでしょうか?また良いことでしょうか?
幼少時に育てないといけないのは小手先の知識や
算術ではなく、情緒豊かで偏見や定型に囚われない
自由で豊かな発想力や想像力、コミュニケーション力の筈です。
英語や算数なんてツールはその力の上にのってはじめて
役に立つレベルのものに過ぎません。

そんなものに時間を割くくらいなら、お母様が抱いて、
あるいは手を引いて、山や海や川や野原に連れて行ってあげて下さい。
そこで子供は誰に促されるわけでも強要されるわけでもないのに
新しい虫、新しい花、新しい土、新しい風、新しい水、新しい空に
驚き、感動しお母様に報告される筈です。お母様が
愛情をもってそのお相手をされていれば、いずれ出会うお友達とも
同じ楽しみを共有し、仲良くなり、学校にあがれば、知識の
山や海に対して同様に興味を抱き誰に強制されるわけでもなく、
思考し、知識を得る人間になれるのです。

お子さんの人生にとって二度と戻らない幼稚園までの大切な時期を
どうかお二人で大切に過ごして頂ければと思います。

ただ、健全なる精神は・・のことわざ通り、体を
健康に保つことはとても大切なことです。
田舎で子供同士遊ぶところに事欠かない立地でしたら
遊ばせておくだけで十分かと思いますが、都会にお住まい
のようでしたら水泳や武道等はやっていた方が良いかも
しれません。お友達も出来ることでしょう。

今時なら合気道等は暴力をふるわれそうになったり、
刃物で殺されそうになったりした時にとても役に立つそう
なのでお奨め致します。
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我が家の場合です。

年長(6歳2ヶ月)の男の子です。
少し…いや、かなり「特殊」な事情がありますから、あくまでも「参考程度」にしてくださいね(笑)。

1と2。
我が家は、スイミングのみ。
というのも、息子は軽度の先天性心疾患があります。
主治医の勧めがあって、10ヶ月からベビースイミングから始めました。
また、息子は自閉症児です。自閉症が判明したのは1歳半でしたが、その後、自閉症児の「感覚統合」(体のバランスや体の使い方)に良いと聞いて、続けることを決めました。
それよりなにより、息子が「プール大好きーッ♪」だから続けているというのが、一番大きな理由です(笑)


理想かもしれません。
「子どもの好きなこと」を中心にして広げれば、どんどん力がつくと思います。
そういう意味では、ご主人の言うことには一理あると思いますよ?
子どもの「好きなこと」へのエネルギーってすさまじいです。
私の息子は…2歳から鉄道に興味を持ちました。
息子と一緒に、鉄道の博物館に行ったり、電車に乗ったり、少し離れた駅まで「そこにしか停車しない特急」を見に行ったり、新幹線の駅まで行って「新幹線」を実際に間近で見たり…
鉄道の本も山のように図書館から借りてきました。
鉄道の本を読みたいという一心で、平仮名・カタカナ・漢字・数字をマスターし、
「目的の電車」を見るためには「時刻表が便利」だと知って、時刻表の読み方を覚え…それを活用するために時計の読み方を覚えました。
電車に乗るための「マナー」もルールとしてガッツリ覚えました。
電車の連結数を数えたり、途中の駅での「切り離し」や「連結」で、数の概念を知りました。
息子の頭の中には「全国の路線図」がバッチリ入ってます。
路線図のおかげで「都道府県」の位置も名前も覚えてしまいました。
ちなみにこれらは、親が教え込んだのではありません。本人が「知りたい!」と、自分で色々と調べたり聞いたりして覚えたことです。
質問されたことに答えり、一緒に調べた程度です(だって私たちは鉄道に興味なんてないし・笑)。
「大好きな電車」だけで、日常生活の知識として使えるバリエーションのなんと多いこと!(書いてみると、改めて色々あるもんだと思います)

お子さんの「興味」が、どこへ向いているのか、
それをどう広げていくか……
そういったことを、しっかりと「見つめる」のが親の役目だと思っています。

先日、息子は就学を控えて発達検査を受けましたが、IQは親ですら信じられないような、すさまじく高い数値をたたき出しました(知能教育関係の塾で写真と名前入りで宣伝に使われるような数字です)
でも、小学校は特別支援学級(旧称:障害児学級)に進学します。
我が家の息子のように、IQがトンでもなく高くても、実際の日常生活では支援がないと生きていけないような子もいます。
「この世で、いかにして食っていくか」……つまり、「社会性」がないと、意味がありません。
社会性……幼児期なら、「周囲のお友達といかにうまくコミュニケーションを図ることができるか」ですよね。遊びの中でのぶつかり合いで、主張したり妥協したり。

お子さんに「何を身に着けて欲しいか」を考えてみたら、習い事の内容も絞られてきませんか?
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はじめまして。

保育士をしています。

2歳半。まだまだ習い事は早すぎると思います。
いま、真っすぐでサラサラな時期に、大人の考えを植え込んでしまうのは、何とももったいないです。

こどもにとって、お友だちと遊ぶこと以上に、体と心が育つ、学びあえる場所はないので、自由にどんどん遊ばせてあげてほしいな、と思います。

いま、「勉強」「教育」「大人が上から教えること」が多すぎて、心の育っていないまま、成人してしまうひとが増えています。
人とどう関わればいいのか、分からない。
友だちと素直にぶつかり合える時期に、それを「教育」で止められたり、「勉強」に邪魔されると、友だちが作れない子になります。

友だちのいない、作れない子どもの人生は、暗闇の中です。

「勉強」「習い事」はいわば、競争の世界。
小さい頃から競争の世界にいると、他人と自分を上か下かでしか見られなくなります。
損得勘定でしか、お付き合いできません。
そんな人生、哀しすぎますよね。

わたしたち親や保育者は、いつかこどもより先に逝きます。
その限られた時間に、唯一こどもにしてあげられることは、「自立出来る心育て」だと思っています。

ひとから愛される子に。ひとを愛せる子に。
「楽しい」「綺麗」「おもしろい」「大好き」という気持ちは、習わせて教えることが出来ません。
こどもが自分で、それを感じられる『感性』を持っていないとだめなんですね。

親が焦って、あれこれ考えて、先走る必要はありません。

こどもは、こども同士でいろんなものを吸収してゆきます。
わたしたち保育士が手をかすよりも、お友だちがしている事を見て、自分で考えて、「自分で!」とがんばってみたり。
「できないー!いやーー!」と、自分と葛藤。癇癪を起こしてみると、どこからか年長のお友だちが助けに来てくれたり。

思いやりって、そんなふうにして育つんだなぁ、と、私がこどもたちに教えてもらうことが多々あります。

大人は知りすぎている分、こどもになんでも与えてしまいがち。
でも、ほんとうは今こどもの手の届くところにあるもので、充分だったりします。

こどもって、こんなに優しいんだ。
小さな目で見て、手でさわって、足で歩いて、こんなふうに考えてるんだ。こんなふうに見えるんだ。

そんなふうに、大人の忘れているこどもの世界を、こどもちゃんと一緒に外に出て、手をつないで、いっぱい遊んで楽しんでください。
今しか味わえない、子育ての醍醐味ですよ!

保育士が言うのもなんですが、こんなにも可愛い時期を誰かにあげちゃうなんて、もったいないです!
あと、2.3年後には、こどもからさっさと歩いていってしまうのですから・・・。
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5歳の息子、5ヶ月の娘の母です。


うちの息子は、幼稚園入園前2歳~3歳の時に近くのショッピングセンターの中の幼児教室に通わせました。
理由としては、ある日突然、幼稚園だからママはいないのよ~一人で幼稚園に行こうね!では、納得できないと思ったこと、そして先生と教室の時間は一緒に過ごすということを体験してほしかったからです。
教室は母子分離なので、幼稚園の練習という気持ちで通わせました。
毎回、「お菓子を買ってくるから、先生と遊んでいてね。」と言いショッピングしたりしてました。
それでも幼稚園に入ってから1週間は、何で母ちゃんはいないの?とかぶつぶつ言ってました。
教室に通って目覚しく何かができるようになった!ってことはないです、正直言って。(苦笑)
ただ、幼稚園に入園と同時に何か習い事をさせるのは、すごく精神的に負担になると思います。
なので、うちの息子は年中になってからスイミングを始めました。
今も続けてます。
よその子は2つも習い事をしていると言う子もいますが、親も連れて行かねばならず結構大変そうです。
旦那様のおっしゃる、人に物を伝える、友達の気持ちを知るというようなことは、年少児にもむずかしい内容ですよ。
お友達の気持ちを考えたりできるようになるのは、早くても年中後半ぐらいからです。
しかも、習い事よりも幼稚園や保育園の方がそういう働きかけがしやすいんですよ。
何せ集団生活ですから、トラブル・ケンカは年長になっても絶えませんから。
そういう衝突があるから、自分の気持ちだけじゃなく相手の気持ちを考えることができるようになるんです。
習い事はあせらずでいいと思います。
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もし、そのようなことを教えてくれる習い事があるのなら


習わせたいと言います。

↑この一文でトピ主さんがどういう人か解る気がします。
そして、真摯に回答くださってる方々にお返事されるおつもりもないように見受けられます。
残念ですが、きっとコミュニケーション能力を習ってこられなかったのでしょう。(習うものではありませんが)

(3)主人の考えはやはり理想でしょうか?
当然のことです。健全な常識人だと思います。

他の回答者さんでお子さんのIQについて書かれてますが、あまりそこを中心に生活なさってはダメですよ。
私も異常値でしたので。
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私の弟は物理学者で大学勤務です。


子供の頃は父がガンで闘病中でしたので、ほったらかしでした。
小学1年生の私がオムツを替え、ミルクを飲ませ、弟が大きくなると一緒に公園に行きました。私が考え出したのですが、
迷子にならぬよう、大きな鈴を首にぶら下げていました。

弟は沢山の子供と毎日のように公園で遊び、姉たちの友人から色々な事を教わりながらも理不尽な思いも沢山したと言います。病床の父がクラシックが好きで、よくコンサートへ行った事が、脳を活性化させたんだ!と言いますね。

妹は医師になりました。父親の闘病生活が影響したのかもしれません。お金がなかったので、塾へ行った事がありません。

私は妹や弟の面倒を見てきたせいか、児童心理学の道へ進みました。
今は福祉関係のNPOを設立、地域社会と子供を取り巻く環境について海外での活動も行っています。

私達兄弟はお金がないこと。これが大きかったです。塾へ行けない、誰にも習う事ができない。自分達の努力だけが頼りでした。

それと資格をもつ母親のお蔭で、なんとか暮らしてきたので資格(勉学)の大切さも理解していました。母親は努力の人でありボランティア精神にあふれた人で、苦しい時にも更に苦しんでいる人に手を差し伸べてきました。仕事と家事の合間に、更に資格を取る為に勉強をしていた母を尊敬しています。
父親はお坊ちゃまでしたが裕福な家の息子で上品で厳格、クラシックを愛し、芸術を愛していました。世界旅行が夢でした。世界遺産を所有する第三世界ほど戦争が多く、歴史的財産や民族がが戦争により失われて行く事を悲しんで私達に話してくれました。

私達兄弟は、スイミングも、ピアノもバレエもカラテも野球も英語もできません。
ボーイスカウトに入りたくても、そのお金がなかったのです。

しかし今、私はある学校へ通って、いわゆる「習い事」というものを楽しんでいます。

子供を育てる時、何をさせようと考える親の気持ちはあり難い事ですし、させてあげられる環境は素晴らしく良い事です。しかし、それがすべてではありませんし、ご主人のおっしゃる事は当たり前の事です。

私も偉そうな事はいえません。仕事で英語が離せない事がネックで毎回通訳さんのお世話になりっぱなし。子供には英語くらい話せるようになって欲しい、と思った事がありました。
しかし、思いとどまりました。まずは自分が努力しようと。自分が出来ない事を子供に要求すべきか?それは違う、と思います。
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#5です。


再度のレス、失礼いたします。

今日、特別支援学級の先生を囲んで、子どもの育ちについて勉強する機会がありました。
そこで、目からウロコなお話を聞かせていただきましたよ。

小学校1年生になると、「概念化」という力が身につくそうです。
概念化とはナンぞや。
「りんご」「いちご」「みかん」…と聞いて、「食べ物」とか「果物」という「おおまかなくくり」ができるようになります。
逆に「犬」と言われると、犬種にはさまざまなものがありますが、そういうのをひっくるめて、「犬ってこんなの」というイメージができるようになります。
それは、いかに「具体物」「具体的な体験」をするかが鍵だそうです。
つまり、遊びなどを通じて、いかにたくさんの「経験」をするかが重要なんだそうですよ。
たとえば。
「重いものは沈む」「軽いものは浮く」…ということは、小さい頃の水遊びでたくさん経験しますよね。
そういうことから、「重いものは沈む」「軽いものは浮く」という、「概念」が発達します。
小さい子は、「経験」しないと分かりません。
ところがある日、軽い小石と、重い木の板を見つけて、水に浮かべようとします。
小さい子は単純に「重いものは沈む」「軽いものは浮く」と思っていますから、ココで軽い小石が沈み、重い木の板が浮く……という経験したことがないことが起こります。
「石は沈む」ということを経験から「知っている」のに、「石(軽石)なのに水に浮いた」という驚きの体験をします。
子どもにとっては、「衝撃」ですね。
そこで「なぜ?」「どうして?」と考え始める……
オトナが、「理屈」を教えることは簡単です。
でも、これをやってしまうと、「頭の使い方を知らない子」になります。
お勉強ができても、生活していく上で、その知識の「使い方」を知らない子になるわけです(つまり、うちの息子のような子です…息子の場合は先天的な脳機能障害ですから、頭の使い方に先天的な問題を抱えているわけですが)。

オトナになったら、頭というのは「使えてナンボ」です。
知識というのも「使えてナンボ」です。

ご主人様の言いたいのは、そういうことだと思いますよ。
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