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回答のほうでは常連です。
宜しくお願いします。
哲学したくなる衝動をそこまで自分を追い込み根源を探るまでけして諦めない姿勢。
大半の人にとってはそうだと思います。
私の場合知性の暴走で自らが追い込まれた感覚が強く哲学することが不本意です。
生命の根源に至るまでとことん迷う自らの姿は仕事もろくに手につかない廃人でした。
哲学以外することがないまで追い込まれた感じです。

上手に自らの考えを整理できる方に励ましてもらいたいです。
無学ですので回答は下手です。
よろしくおねがいします。

A 回答 (6件)

 愉快に過ごすためです。


 
 ここまで 探究したなら あとは 愉快に過ごしてもいいというところまで 進みたいと考えます。

 自分ひとりで 黙々とおこなう側面と これの成果を 人びとのあいだに投げかける側面と 両面があると考えます。両方が大事だと考えます。

 わたしは あやまつならば 存在する。
 その時の気づき 一瞬の気づき これが わたしです。
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この回答へのお礼

brageloneさん。
ありがとうございます。
無意識暴走事故を起こした私もそれなりに楽しめました。
でも私の人生経験に哲学する姿はありませんのでどちらかというと苦手です。
お互いの対話する側面から自己を表すのは楽しかったです。

お礼日時:2008/08/10 23:39

哲学は、暇になったからできたと聞いています。


ギリシア時代、人間が奴隷を使い出してから、働く以外の時間が増えた結果、考えることになったんです。
だから、暇で考えることしかなくなったら哲学です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通りが私の哲学の認識です。
とことん暇つぶしです。
私の場合自らの正気を疑わざる得ない特殊な事情もありますが。

お礼日時:2008/08/10 23:41

>生命の根源に至るまでとことん迷う自らの姿は仕事もろくに手につかない廃人でした。


>哲学以外することがないまで追い込まれた感じです。

すばらしい事で私には自慢話されているようにしか聞こえません。
だいたい生命の根源に至ってなお 迷わない人など存在するのでしょうか?

迷いそれでも諦めずにさまよい続けるのが哲学というものです。
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この回答へのお礼

自慢めいて聞こえたかもしれませんが、私にとっては哲学せざる得ないのは不運です。
私の場合は無意識又は知性の暴走であまりにも翻弄されました。
やがてわたしの心境も調和の中で均衡を保てるようになると思いますが、無意識の暴走状態はあまりにもハードで思考実験ではなく人体実験でした。
いきなり霊媒師にされました。
霊媒師と言うとあまりにも胡散臭いですが、私の感覚ではそもそも霊を信じていないから除霊できるんです。
幽霊ってのは成仏したくないんですよ。
話が少し飛びすぎてぐちっいぽくなりましたね。

お礼日時:2008/08/10 23:50

実は哲学をよく知らないのですが、


師匠の見解では哲学は「唯の人になるため」だそうです。

不幸にも賢く生まれてしまった人とか、
感受性の強さから執着しやすく
安堵感とか納得するとか
程よい距離とか掴むのが難しいんじゃないでしょうか。

釈尊も「中道」で悟りを得ましたね。
普通なことが危険を減らせるし、周りも平和にする。
不必要な執着に拘束もされなくて得がたいものだと。

私にもそうならわかる気がする。気がするだけですが。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
そんな偉い人の話を引き合いに出すほどじゃないですが、お心使い感謝いたします。

お礼日時:2008/08/11 16:17

哲学をしていると思い込んでいるだけで


実は本を読んでいるだけでしょ。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
本は読んでないです。
むしろ心理学カテに多い悩みですが意識上に使い物にならない思考のガラクタが上がってきて困る状態というのも経験しています。

お礼日時:2008/08/11 16:19

哲学も自己の他者の苦しみを解決する方法でなければ「妄想」のほかなりません。

ともすれば悩み苦しみの種になりかねません。

そういう意味でも、根拠に基づき論理的に理性的に実証的に順序良く確かめ納得していく方法がパーリ語の仏法には遍く説かれていると私は感じます。

一度サンガ出版の「仏法」を読んでみてください。正見の項目だけでも読めばいかに理性的かわかると思います。

どのように思考を整理すれば良いか、その案内を与えてくれます。

有学(学ぶことが有る)我々には多く学ぶことが有ると思います。

<<生命の根源に至るまでとことん迷う自らの姿は仕事もろくに手につかない廃人でした。>>

悩み苦しみが解決していないなら生命の根源に至ったとはいえないと私の見解では判断いたします。

よくよく学んでみてください。

上記した「仏法」やスマナサーラ長老の書籍がオススメです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
回答者様のお心が健やかな感じがうかがい知れます。

お礼日時:2008/08/11 16:20

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