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最後らへんで主人公が堀木と共に考える悲劇名詞と喜劇名詞について質問します。
なぜ悲劇名詞が汽車と汽船で喜劇名詞が市電とバスなのか何度考えても意味が分かりません。
医者と薬はコメといっている意味も分からん。
またアントニウムの黒のあんとは白 白のアントは赤 赤のアントは黒の意味が分かりません。

A 回答 (1件)

僕は「人間失格」のこの部分が好きなので書きます。



小説中にも書いてありますが、これは、ある単語の持つ印象が、悲劇的か、喜劇的かということをやっています。

汽車と汽船は悲劇名詞で合っていると思います。
それは単純に、汽車を舞台に悲劇を書くと具合がいいからです。汽車の、黒々と煙を吐き猛進するイメージや音などは悲劇的だと思います。
それに反して、市電やバスを題材に、本気で悲劇を書くのは難しいと思います。軽妙で滑稽なイメージをぬぐい切れません。
注射も出てきますね。注射は、病気や麻薬などの消極的で悲しい印象もあれば、お笑いコントの小道具のような可笑しさもあり、分類が難しいようです。
そういう意味で、医者と薬はコメ(喜劇的)にされてしまっています。

しかし結局は、人によって、その単語から感じ取る印象には違いがあるので、こうはっきり分けるのは難しい、分からん、ということになるのかもしれませんね。
太宰治は悲劇を悲劇として大げさに、涙を誘うようなわざとらしさで装うのを嫌うようです。そういうことが良く現れている部分だと思います。

黒の対象は白、と多くの人がすぐに思うと思います。
そして状況によっては白の対象に赤を置くと面白い。赤は女や血の印象も含んでいますから。
赤と黒となると、なにやらただごとでない関係が想像できます。と言う感じにふざけているのだと思います。

ちなみに「人間失格」は、作者はあたかも喜劇を装って書いている節がありますが、読む側にとっては全くの悲劇の印象ですね。
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