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幕末の「寺田屋事件」で有名な京都の船宿「寺田屋」。
僕も司馬さんの「竜馬がゆく」を読んで、10年くらい前に行きました。
刀やピストルの跡が残っていたり、おりょうが入っていた風呂なども見ることができて感激しました。

ただ、最近Wikipediaなどにも書いてあるのですが、今ある寺田屋は偽物であるという話。実際は鳥羽・伏見の戦いで全焼しているはず、とか。また登記年月日が明治後期になっている等、本物ではないと記載されています。
これは本当なのでしょうか??
たしかに、先週の大河ドラマ「篤姫」のエンディングで寺田屋について説明していたのですが、「現存する」とは一言もふれず、隣の敷地にある薩摩九烈士の碑や志士の墓がある大黒寺の方を取り上げておりました。
やはり、あの寺田屋は偽物なのでしょうか?

A 回答 (4件)

>やはり、あの寺田屋は偽物なのでしょうか?



現在の寺田屋は、別物です。
当時存在した寺田屋(旧寺田屋)の場所とも異なります。
が、旧寺田屋の解体資材を再利用(移築含む)して、現寺田屋が存在するようですね。
京都府・京都市としても、寺田屋騒動(事件)の現場とする事を、止めたようです。
また、在阪報道機関も同様の見解で報道しました。

が、偽物か本物か?となると判断が分かれるでしよう。
織田信長が光秀の謀反で最後を迎えた本能寺(旧本能寺)。
現在の本能寺とは全く別の場所にあり、焼失しています。
じゃ現本能寺は偽物か?
旧本能寺から継承し、法灯をともして現在に至っています。
この観点からは、本物ですよね。

寺田屋も同様に、屋号を正式に受け継いでいれば本物です。
ただ、騒動(事件)の現場では無いだけです。
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この回答へのお礼

そうですか。やはりそうだったんですね。
行ったときは現場なんだと思ってました。

お礼日時:2008/09/12 19:41

これを「平成の寺田屋騒動」と云う。



近所の人の話では、その人のお爺さんのお爺さん?の話によると、
「寺田屋は、鳥羽・伏見の戦い(=戊辰戦争)で焼け落ち、
再建されたもの」と語っていたらしい、です。

>隣の敷地にある薩摩九烈士の碑や志士の墓がある『大黒寺』

大黒寺へは、住宅地図によると、
寺田屋から二筋東の通りを北へ700Mの地点
(二つ目の信号を南入る西側)

or 近鉄・京阪丹波橋駅より西南西へ約・数百米の地点です。

食品偽装が取り沙汰されている最中、
現存?の史実の偽装も取り上げられたのでしょうか。
寺田屋の柱の刀傷とか弾痕の跡が不適切だったようだ。
TVによると、弾痕の跡は単なる木の「ふし」と言うことです。
これで夢が壊れたねー。(壊すなよ)
寺田屋に展示してあるレプリカのピストルと同様に
寺田屋も再建(レプリカ)されたものとしておけば良かったのに。
それでは価値も夢もないか。

「遺址」とは、かつて(昔)建物などの有ったあと、という意味です。
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この回答へのお礼

刀とピストルの跡はどうなんでしょうか?
夢が壊れますね。
でもそうかもしれない(ウソ)という気もしています。

お礼日時:2008/09/12 19:43

京都市歴史資料館に調査を依頼し、真偽のほどはいまだ分からない状態のようです。

下記リンクに記載されているように、「1905年の「寺田屋7代目当主伊助」の申立書に、「戊申の兵火(1868年)にかかり家屋もろとも消失し」という。また、風呂場は登記をみると、 1908年に新築されていた。まだある。東隣にある寺田屋騒動(1862年)を記念する碑(1894年建立)に、「寺田屋遺し(土へんに止)」とある。鳥羽伏見の戦いでは付近一帯が焼けたことは、住民にも伝わっていた。」とあります。

http://www.j-cast.com/tv/2008/09/05026307.html

そのため、京都市は、HPの観光案内から寺田屋を削除しているのが現状です。
【読売新聞】
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080903- …
【京都新聞】
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20080 …

http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kan …
には、現在の建物の東隣に建っている石碑「薩藩九烈士遺蹟志」の碑文(拓本)。本文後ろから5行目に「寺田屋遺址」とあります。

・京都市がHPから観光案内を削除するにはそれなりの理由があり、反論できない状況であると思われること
・少なくとも、風呂場は1908年に新築されていたこと
・東隣の石碑に「寺田屋遺址」と記されていること
・寺田屋の経営に携わっていた七代目寺田伊助の妻が大正7年に土地と建物を手放して、現在の経営者は当時の経営者とは、まったくつながりがない

歴史ファンには残念なことですが、私自身はかなりグレーだと思っています。http://blog.goo.ne.jp/kori-kanrinin/c/b2b45988ef …
こちらのブログには、寺田屋が戊辰戦争時に消失し、30年間ほど廃業していたということも書かれています。このブログの方は、寺田屋のすぐ近くにお住まいのようで、お詳しいです。

何が本当かはわかりませんが、かなり怪しいものは確かにあります。残念ですね。
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この回答へのお礼

とても参考になりますね。
でも寺田屋に行ったときは本物だと思ってましたよ。。
残念ですね。

お礼日時:2008/09/12 19:45

完全に偽物と断定したわけではないのですが、とりあえず、京都市産業観光局観光部 観光企画課が運営しているサイト、「京都市観光文化情報システム」上では閲覧止めの措置を取っています。


URL: http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/sight.php

また、各誌メディアからの指摘の通り、過去の「寺田屋さん」の映像資料と現存の建物の形状が違うなど疑問点が多いため、「現存する」といえないのが現状です。ただし、改築が行われ、資料等を移設した可能性も否定できないわけですので、とりあえず、建物そのものは「現存している」と断定できないのです。

登記などに関しては、日本国内で現在の登記制度が確立したのが、明治憲法制定以降なので、あまり大きな問題とはいえないのです。
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この回答へのお礼

実際のところわかりませんよね。。
信じたいけど、かなりグレーだなという思いです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/12 19:45

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