A 回答 (43件中1~10件)
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No.2
- 回答日時:
shift-2007さん こんばんは。
いろんな角度から いくつかの回答がありうると思います。
ひとつ こういうふうに考えます。
★ 答えから始めてしまう // 答えがまずあって、それから各々がその答えの出し方を思案する。
☆ これに対して 表現の解釈の仕方によっては 微妙に同じことになるかも知れないのですが(でも 違っていると思いますが)
○ 人は 自己のであれ他者のであれ その終えたところから始める。
☆ というのが いちばんよいのだと考えます。
ですから ちがいは
1.終えたところを すでに 受け留め 受け容れていること。
2.終えたところの成果と言いますか その成果の内容を吟味することは すでにやはり終えて そのあと 実際に応用するのであること。
☆ だと考えます。
もっとも
★ 誰々が言った
☆ のその内容を吟味することも ひと仕事なのですが。
ということは 要するに
○ 実際の生活とその課題や問題に臨んで 考えるかどうか
☆ に 本末転倒かどうかの分かれ目があるのではないでしょうか。
ファッションとしての教養 アクセサリとしての知識 またそれらを こねくり回すように考えること――ひけらかすとまでは 言いませんが―― こういった傾向があるのではないですか。
brageloneさん、こんばんは。
>ファッションとしての教養 アクセサリとしての知識
きっとそうなんです、
何のためにバイブルを読んでいるのかと疑問に感じます。
たぶんおっしゃるように、終えたところから始めればいいのであって、わざわざ人生の問題集を集めるようなことをする必要は無いのではないかと思います。それで飯を食っている学者や研究者なら別でしょうけど。
ご回答ありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
>答えがまずあって、それから各々がその答えの出し方を思案する。
>これはそもそも本末転倒ではないでしょうか。
これは、工学の世界では、逆解析とかリバースエンジニアリングといって、
結果を見て、その思想を把握するための手法として、ごくあたりまえに用いられています。
ですから、逆解析が本末転倒とは、とてもじゃないけどいえません。
ただし、「学校の先生がそう言った、だから正しい」というのであれば、
それはオカシイでしょう。(権威に無条件に従っているという意味で。)
>このやり方ではいつまでたっても未熟なまま
皆と同じスタートラインに立つには、結論を元に逆解析するのが最も早道です。
「結論を隠しておいて、その結論に自力でたどり着かせる」というほうが、はるかに迂遠で時間がかかる方法です。
少なくとも、理工系分野においては。
ご回答ありがとうございます。
例えば、
太陽の周りを地球が356日かけて回るという答えは正しいと思います。
それでは、
お釈迦様が動物の肉を食べなかったとします。
菜食主義という答えは正しいですか?
工学の答えが正しいことは観察によって立証されますが、
宗教や哲学の答えはどうやってその正しさを証明するのでしょうか。
正しいかどうかもわからないのにその答えを導くための方程式を考えることは工学的にどうなんでしょう。
No.4
- 回答日時:
目的と手段は互いに入れ違います。
また何事も前提がなければ始まりません。誰かが言ったことの代わりに自分が考えた(と思っている)ことから始めようとしても、その自分の考えがどうやって得られたかを考えればだれかに教わったことに違いありません。その誰かを今となっては特定できないだけの話だと思います。宗教や道徳における本末転倒というのは人を殺してはいけないという戒律に従っている人がほかの人を殺したり、権限を持っている人が汚職をしたりすることではないでしょうか。>何事も前提がなければ始まりません
恐らく初期の段階、例えば子供に善悪を教える場合はそのやり方は有効だと思います。
しかし、悟りを求める様な場合はこのやり方はまずいと思います。
お釈迦様と修行者達のそれに対するアプローチが根本的に違うのではないかと思うのです。
ご回答ありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
本末転倒ではありません。
戦後教育の最大の失敗は、子ども達に理屈抜きに学問の成果や学校や社会の規則を叩き込むことを忘れ、自分んで考えさせるようにさせてしまったことだと思います。子ども達のみならず我々は皆、大変に未熟者です。そんな未熟な者が一生懸命自分で考えたところで、下手な考え休むに似たりで、ろくな考えも出て来ません。小人暇にして悪事を成すは、真実を突いています。大人が子ども達にやってあげることの出来る最低の義務は、自分達や先人達の苦い経験から築き上げて来た世界観を自信を持って、子ども達に教えてあげて、その世界観に習うより慣れさせてあげることです。その間、子ども達に理屈を言わせては行けません。ただただ叩き込むことです。
そのようにして育て上げられた子ども達は放っておいても、自分で物を考えるようになり、大人達の価値観に疑問を持つようになるものです。この子ども達は、大人によって提示された価値観がすでに頭に叩き込まれているので、その価値観に疑問をもったり、あるいは同意するに対して、それをどういう立場から考えたら良いかの視点を持っています。ところが、そのように叩き込まれたことがない連中には、自分で考えろと言われても何も手本がないので、どう考えて良いかすら分かりません。今の若者を見ていると、そのような連中ばかりて、結局自分で考えた結果、安易で感情的な動物的な解法ばかり見つけ出すようになってしまいました。一方、有無を言わせず叩き込まれた連中は、大人に成って自己批判が出来るようになっていますので、もし今まで自分が教わって来た価値観に疑問が出て来た場合にも、それを批判的に考え生産的に改良することも出来ます。
お釈迦様も、キリスト様も、学校の先生も同じことで、先ず、長年の経験を積んだ結果得られた智慧を、未熟な人達に有無を言わせず叩き込み、その結果成長した人々がその権威に有意義に挑戦できるように、人々を導いているのです。
また、物理学で研究生活を続けて来た私の個人的経験でも、#3さんの回答は正しいです。先ずは、経験と洞察から導かれた直感に基づいて、ちちんぷいぷいと、時系列的な論理無しで、神懸かりによってその問題の解答を見当をつけてしまい、その答えらしき物が見つかってから、いよいよそれの論理的正当性を分析する以外に、新しくてかつ重要な発見は出来ないというのが私の経験でした。その逆に、先ず論理から出発して回答など見つけられる物ではありません。
ご回答ありがとうございます。
申し訳ないですが、承服しかねます。
戦争を起こしておきながら、教育が悪いと今の若者を批判しても誰も聞く耳を持たないと思います。
親の顔が見たいと言う言葉があります。馬鹿な若者を生んだ親の親は誰ですか。
#3さんのお礼にも書きましたが、答えが正しいかがわからないのです。科学的な考え方は宗教や哲学では通用しないのではないでしょうか。
No.7
- 回答日時:
ほんまつ-てんとう【本末転倒】
根本的な事柄と、些細な事柄とを取り違えること。
>宗教的な悟りや道徳が身につかない根本的な原因は
>答えから始めてしまうことに起因するのではないでしょうか
↑
これこそ、「本末転倒」です。
むしろ、「答え」を示してくれているのに、
「なぜ、出来ないのだ?」
と、偉い先人様から、「突っ込み」を入れられますよ。
(笑)
>答えがまずあって、それから各々がその答えの出し方を思案する
↑
質問者さんが、自分で書いてる。
「答え」が有るのだから、思案を続けよう。
「努力しよう」と言う姿勢が大切なのでは?
「一生をかけて」思案してもいいでしょう。
「到達できなかった」としても、「何もやらない」よりは意義があると、私は考えます。
答えが正しいかも分からないのになぜできないのだと突っ込まれても困ります。
答えが正しいという前提の努力はむなしいと感じます。
ご回答ありがとうございます。
No.8
- 回答日時:
[このやり方ではいつまでたっても未熟なままのような気がしますがどうでしょうか。
]正しくもあり正しくもない考えですね。 正しいという立場に立てば、個人個人が努力し何らかの悟りを得て師となれば良い。いいことですねこれを百家争鳴といいます。にぎやかだしいろんな思想や芸術、文化が花咲きますね。問題が発生するとすれば百家争鳴故に纏まりがなくなるという点ですね。これを天空の星になぞらえばよくわかりますね。北極星の周りをぐるぐる回り続ける無数の星ですね。半球の裾野から上に向かってぐるぐると回っているでしょう。
これではいつまでたっても北極星に行き届かないよ、目標も定まらないよ、というのが正しくもないという立場ですね。
そこで大宗教家や大思想家はまず北極星を指し示すのですね。これにより向かう方向ははっきりしますからね。
答えを示すから努力しなさいということですね。これは賢くない生徒を見て先生が答えを提示し、何故そうなるか考えなさいという教育のやりかたですね。そのほうが効果があるからそのようなやり方をしてるんですね。一を教えて十を悟るような生徒は60億の人間の中に数えるぐらいしかいないからですね。本末転倒は悟りがピラミッド構造であるが故の必然なんですね。できる人は自身で悟ればいいんです、でもほとんどはぐるぐる回る星にしかならんということでしょう。
>大思想家はまず北極星を指し示すのですね
そもそもこの方向すら正しいかどうか怪しくないでしょうか。
大思想家の言っていることから自由でなければ恐らく悟ることはムリでしょう。
うがった見方をすれば大思想家はあえて間違った道(安易な道)を示しているとしか思えません。
ご回答ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
まさにその通りだと思う。
答えを言うということは無知から知への移行のみなのでそれ以外は
無視される考え方だと思う。
言えば上手くいくという考え方は言った段階での人のモチベーションに掛かっているわけだから言って分かる人とそうでない人の2パターンがでてくるのが必死だと考える、元々のモチベーションが答えを聞いてまっとうな方へかたむく人とそれ以外の人がでてくるというのは物理的に考えても合点が行く筈です、それを「ハイ教えたから身についたな」という安易な感受性のみだと身についていない人を「ハイOK」としているようなもので、それだから差別やいじめが減らないという事につながっていると思う、もちろん教えて分かる人もいるんだから教えない事にこした事はないかもしれないけど、教えて「身につく人」「身につかない人」「よけい道徳心や倫理心が悪くなっていく人」という具合に考えて統計的に予測しても1:1:1で結果平行線をたどる可能性が無くないということは安易に予想できます、ただ教えたということで多少偏りがでるのでその偏りが「身につく」側に傾けばまあプラスだけど逆に「身につかない」もしくは「余計悪くなっていく人」の方へ傾けば総合的にマイナスとう感じになるわけで、その辺も予想して教育というのは本来はやってもらいたんだけど、迎合的な外張りに流される傾向が強いので教育というのが「教えればよい」という一番安全なルートを選んでいるという事だと思う、まあ教えるだけなら塾でいいわけでなんのための義務教育かということをもう少し学校側は認識してもらいたいと感じます。
参考URL:http://qanda.rakuten.ne.jp/qa4313504.html
確かにどっちに傾いているかで、両者とも同じ方向から力を加えてもその変化は正反対になりますね。
社会にとって都合の悪い方向に傾いた場合、周囲からの非難によって自虐的になるのは必然かもしれません。
ご回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
昔の中国の人の話で、似た様な話を聞いたことがあります。
その時そう聞かれた人は、こんな風に答えたとおもいます。
「悟りを開いた者がそう言うのであるならば、それは、正しかろう。あなたは、悟りを開いたのか?」見たいな感じ?
まあ、個人的には、そういったエライ人の言った事は、答えとしてではなく、参考意見ぐらいに思った方がいいと思いまんがなー。だって人によって解釈の仕方違うでしょ。
続きがあるとしたら、
「私はあなたが悟りを開いているかどうか分からない」
「それが分かるのは私が悟りを開いたときだろう」
てな具合でしょうか。
結局、独りで歩いてゆくものなのだろうと思います。
ご回答ありがとうございました。
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