海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

自動車運転免許を取得した学校で、
「時速35kmを越えるあたりから、人間の判断能力は周囲の変化についてゆけなくなる」と聞いたように思います。
もしそれが正しければ、時速50kmの幹線道路はかなり危ない場所ですね。

スローライフという言葉も定着してきたので、
試みに制限時速40kmの車社会について考えてみたいのです。
事故数への影響だけでなく、社会の他の面への波及も含めて
なにか思うところがおありでしたら、ぜひご投稿ください。

A 回答 (14件中1~10件)

NO6です。



>この事例(地域名)を教えていただけませんか?

例えば、私が昔住んでいたこともあるのですが、
大阪 堺市の泉北ニュータウンです。
http://www2.sakai.ed.jp/takeshirodaihigashi-e/ne …
自宅から最寄駅までの2-3キロの区間を車と遭遇することなく
歩くことができました。ある一定エリアは完全分離の歩道が続きます。
住宅エリアは入口が一つで、全エリアがそのような作りになっているため、
抜け道代りによそ者が入り込んでくるということがありません。
住宅エリアに入ってくる車は住民だけであって、みな、静かに走っています。
また、ニュータウンから近隣の街までは信号のない二車線道路が
20キロ程度続きます。一般道ですがみな50-80キロ程度で走っています。
こことて完璧とはいえませんが、一つの理想形ではあると思います。

>これは生活道路での自転車の振る舞いについて及んでおられるのでしょうか?

実は自転車に乗っていて車にはねられたことがあります。
時速5キロ程度でよそ見しながらUターンしてきた車でしたが、
ものすごい衝撃で、10年以上たった今でも痛みがぶり返すことはあります。

ときたま耳にするのは歩行者は被害者だから撥ねられたら車側が
すべて弁償してくれる。とまことしやかに信じて疑わない人が意外と
多いことです。確かにある意味では事実ですが、過失相殺というものが
あるということを知らない人が多すぎて怖くなります。
走れない身体、働けない身体になる人もいるというのにです。

私が怖いのは車がよけてくれるものと思いこむ自転車、歩行者です。
狭い道でのすれ違いでも平気で友達同士ふざけたり、立ち話に夢中な人、
平気で飛び出す人が多いということです。これは子供大人関係ありません。
今日も道の真中に飛び出してきて、道の真中で固まったおばさんと
おばあさんに遭遇しました。

現在の住居地が軽同士も対抗できない狭い道が抜け道となっており、
その道を他地域から入り込んだ車が時速40キロ以上の猛スピードで
すっ飛んでくるのですが、(これは対向できるスペースまでダッシュしないと
対向できずに行き詰まるという理由があるからなのですが)
それにもかかわらず上のような状況です。
私は住人なので徐行すべきところは、指示、標識にかからわず徐行します。

といっても法定速度を順守している優良なドライバーというわけではありません。
若いころはバイクで峠道で100キロのスピードで転倒したこともありますし、
今でも長距離移動は140キロくらいで巡航することもあります。

要はメリハリのある運転ができるようにしないと危ない。ということです。
埼玉で40キロくらいで走っていた車が、幼稚園児に突っ込んで死傷させた
という例がありましたが、これも生活道路に都市間移動の車が入り込んで
きたために起こった事故の一例といえるのだと思います。
カセットテープを操作していた運転者が悪いということだけが取り上げられていますが、
状況が違えば車同士の接触事故で済んだはずなのです。極論ですが。

いきなりは無理でも、そのようなコンセプトの道路づくり、街づくりが
長年続けば、理想に少しでも近づくのではないかと思う次第です。

さらに極論をいえば、歩道のないところで歩行者が歩いているところは
車は時速10-20キロで走るくらいがちょうどいい。ということです。
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この回答へのお礼

narara2008さん こんにちは。

先進的な交通環境とそこまで至らない地域の両方で生活されたご経験、また運転を楽しむ気持ちと事故のご体験が、奥行きのあるご意見の基だと思います。

泉北ニュータウンについては今回はじめて知りました。現在お住まいの方が、ご自分の美しいHPの中で一部町の様子を紹介されています。許可をいただけたのでURLを掲載させていただきます。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1891/nt.html
町の様子が伺えます。静かそうですね。また地図ですが
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode= …
これが一周約1時間で走るという環状線だろうと思い、あげました。この中に信号なしの20KM長の一般道路があるのだろうと探しているところです。その道路の存在が驚きでした。narara2008さんのお話から察すると、50~80km/hで皆がそこを走っているのは違反だが、実際に人通りがないので事故も起こらない、ということだと思います。「速度を下げれば事故数は減る」に対するとてもよい反例です。高低差のある地形を利用して立体交差を多く取り入れ、人車分離を行ったとか。ですから、おそらくその道路も多くの箇所で人や自転車用の道路に跨がれている(あるいはその逆?)のだろうと思います。歩く人達の長距離移動のためには公共交通機関があり、接続もよさそうです。住んでいる方には安心できる快適な環境なのではないでしょうか。
こうした計画都市は丸ごとどの地域にも応用できるとはいえませんが、人車分離という基本のコンセプトは地域の特性に合わせて実行可能だと思います。いずれにしても車のための道路が十分にある今、本当に必要なのは快適な歩行者専用道路網ではないかと思いました。
(人車混在の環境での歩行者の責任について)
私はやはり「車に乗っている」側に多く責任があると思います。現行の保険上・法律上の考え方は車に有利になってはいないか?との疑問があります。

今回のお礼はあえて質問のテーマからそれたまま終わります。多くの方に読んでいただきたい回答をありがとうございました。まだしばらく公開していますので、またご意見お聞かせください。

お礼日時:2008/10/05 14:59

#8です。




>>現行の免許制度のよくない点はどこですか?

これに関してはこの件とはまた別に場を設けるべきではないかと思いますが。。。。
現実的に出来る出来ないは割愛しますが大きい部分であげると、


・取得時、2週間~1ヶ月程度の教習(それ位が平均だと思いますが)の間に、仮免時と本免時で技能試験を行いますが、必ず教官が同席しますよね?

それって本当に技能試験になるのか?
と思うのです。言ってみればガサ入れの前に「ガサ入れが来るよ」と言ってるような物で、本当に技能をテストできた事になるのか?と思うのです。
教官が同席しても危ないなんて持っての外。卒業試験を受ける段階にすら居ないと私は思うのです。
教官が居ない状況でテストを行い、「免許を交付しても大丈夫だ」と判断されて初めて免許の交付、が本来の姿なのでは無いかと私は思います。

・おっしゃってるように更新時、特に事故も違反も無い人間は技能テスト等無く更新できますよね?
免許交付時に乗ったきりその後一度も運転した事無い人間は当然無事故無違反ですからゴールドです。
じゃあその人が交付時と同じ運転技術を持ってるか?と言えば90%は【NO】だと思います。
それなのに何で簡単に更新できてしまうのか私は疑問です。

また、【必要の無い免許】に関してですが、

・上の問題点と関連しますが、【顔写真付身分証明書が欲しい】とか、【社会人だし持って無いと恥ずかしい気がするから取っておこう】という理由だけで、特に取る必要性も無い人間がたかだか数十万円払って試験に受かれば取れてしまう。
果たしてこの事に問題は無いのだろうか?本当に【交付すべき資格免許なのか?】ということ。
(こういう人間が、交付後何年か振りに何をトチ狂ったか運転して事故を起こす確立が高いのは周知の事実です。)

・なぜ人を殺す凶器に成り得る機械を運転する資格試験に、人格検査が無いのか?ということ。
暴走族であったとか、過去無免許で捕まった経歴があるとかそういう経歴の持ち主でも、失効期間さえ過ぎれば免許が取れてしまいます。
全国民は無理でも、こういった経歴を持った人間だけでも資格試験時、人格検査を行っても良いと思うのです。
社会的な必要性を除けば、散弾銃を持たせるのとそんなに変わらないと私は思っているので。


まだまだ沢山ありますが、あまりにも簡単に免許が取れすぎだと思うのです。
タクシーやバスの運ちゃんは、運転する事を前提に厳しい試験を合格し、取得後も事故等を起こした場合には、時には自分だけの問題では済まない厳しい罰則が待ってます。
なぜこれが商業用のみで一般用には適用されないのか私は不思議で仕方ないのです。

私は、何に対しても「量の増加は質の低下を招く」と思っているので、
今の現状は運転をしない人間、運転をしなくてもいい人間、運転をすべきではない人間にまで簡単に免許を交付し過ぎた事による【ドライバーの質の低下】だと思っているのです。

実際、近所のスーパーに買い物に行く時にしか車運転しない主婦とかいますよね?
公共機関と自転車だけで出来ないのか?と思うのです。

またこの問題は地球環境問題にも繋がっていると思っていて、そんなに簡単に免許を交付して、誰でも彼でも車を所有すれば環境問題を始め様々な問題が発生する事は容易に想像できたはずです。
まぁ結果的には経済発展という大義名分に負けてしまった訳ですが。。。。



まだまだ書ききれない、私も気付かない問題点が沢山あると思いますが、それを今の制度に当てはめると、今の2種取得の試験を合格しない人間には免許を与えない、という形にすれば少しはマシになるのでは?と思ったのです。

ご理解頂けましたでしょうか??
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この回答へのお礼

こんにちは,御礼が遅くなりました。
ますはセグウエイの記事です。現在日本の公道では走れない・観光地でツアー用に重宝な乗り物とか。国産品も話題です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B0% …
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/kw/segway.html
セニアカーも最近よく見ます。こうした乗り物が公道用に普及すると、買い物専用自動車はこちらへ乗り換えられそうです。取りこぼされるニーズが少なければ、自動車の運転免許が減ってもいいと思います。
 ところで普通自動車運転免許・第二種の試験は大変ですね!
現行は1種保有が前提の2種免許受験ですが、仮に無免許受験生を二種合格者レベルにまで教習所で学習させると年単位でのカリキュラムになるのでは。職業技術での取得を前提、免許の価値も学習費も高く、皆が皆車の運転とは思わなくなる、と想像します。が。望ましいか、いや不自由?二種免許保有者は事故を起こしにくい?二種と一種免許保有者での事故発生率を比較したい処ですが、乗車距離や時間を考慮した統計が見つかりません。事業用の車両による事故の割合はこちらです。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/09/090427_2/ …
平成17年の免許統計から、2種免許保有者数は全体の3.4%程度です。
http://www.npa.go.jp/hakusyo/h18/4shou/4-13.pdf
勿論、単純に結論を導くことはできません!
 カーシェアリングなど、理性で車と付き合う人が増えています。(kaimu1さんのお考えにも近いのでは?)新興国で増加でも、日本では車の数・免許の数は今後自然減のよう。データが古いですが
http://www.npa.go.jp/koutsuu/menkyo10/mekyohoyuu …
どれ程の厳しさで免許すべきか?ぜひ免許についての新しい質問を立てて下さい、紛糾は必至ですが「(^_^)、多くの意見が集まりそうで読みたいです。
 この探し物を通じてSafe speedという考え方を知りましたよ。「スピードを殺しますか」でweb検索してみてください。
時速40kmは生死を分ける衝突速度のようです。

ご投稿ありがとうございます!

お礼日時:2008/10/15 04:33

「時速40km」で事故数を減らせる?



減らせます。
そのため 学校近くの道を30km/hにしたり
細いすれ違いが困難な道は20km/hだったり
人が縦横無尽に歩いているような駐車場内は8km/h制限だったりしますよね。

「判断しやすいよう」に自動車専用にして車線数を確保し一車線の幅もかなり広くし、信号もなくし
そんな道はもっと速度だせますよね(高速道路)
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この回答へのお礼

jhayashiさん こんにちは。
御礼が遅くなりましたが、ご投稿ありがとうございました。

ご回答から察するに、車の運行速度と事故の頻度や事故の程度に関連があるとお考えなのだと思います。そして速度のリスクも環境を整えることで減らせるということをおっしゃっているのだと思います。

全体の速度を下げることは、現在の状況とまったく違う交通環境を作り出すと思います。ドライバーの心理や社会秩序にも影響があると思います。
じつは近未来の交通はどのようだといいと思うか、少々とっぴでも理想を語るご意見も期待していたのですが、
やはり交通事故は現実の問題としてまだまだ大きいテーマなのでしょう、
今現在の状況と向き合って解決策を探るような堅実なご意見が集まりました。

年に数千の人が亡くなっているのに、それを交通システムの誤差のようにみんなが認めてしまっているような気がして、この現状が私には少し気味悪く思えるのです。
今回はスピードを取り上げたのですが、ほかの角度からも
車にまつわる人の死が減る方法を、少なくとも車を楽しむのと同じくらいには考えないといかんよな、と思っています。

ご意見ありがとうございました!またよろしくお願いいたします。

お礼日時:2008/10/14 22:14

面白い問題提起ですが、減るかどうかと言う点では疑問です。


決定打は人車分離の徹底と、
自転車・原付自転車と自動車ののように、
速度差が大きい車輌の混在を無くすことです。

車と歩行者の事故が起こるのは、
むしろ40km/h以下に制限されたところの方が多いです。
当たり前ですが、制限速度が低めに設定されているのは、
人と車の接点が多く、事故が起こりやすいからです。
軽微な接触事故は、自動車が歩道を横断しようとしたときや、
駐車場や路地など、双方が無秩序に通行している場所で起こります。

逆に、自動車専用道では、むしろ事故は少ないです。
人車分離が徹底されており、皆がほぼ同じペースで通行するからです。

自動車専用道の事故は、スピードがのる区間よりも、
合流や渋滞など、速度の違う車が混在する場所でおこり、
人と車に事故は、幹線道よりも生活道路、
速度を出せる区間よりも、速度が落ちる公差点でおこる。

単純にまとめると、
速度は、発生した事故の規模に相関し、
相対速度が、事故の発生に相関する。


人車分離が、事故抑制の決定打です。
町中への車の使用は制限されるべきでしょう。
トラックや自動車に依存した物流を鉄道主体にする。
近所の買い物ぐらいは、徒歩や自転車で。
人車分離が為されてない場合は、少し遠回りでも、横断歩道や陸橋を使う。

ただ動きを遅くするだけでは、事故は減りません。
どのようなときに、どのような環境で事故が起こるか、
それによって、防止策も変わってくるかと思います。
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この回答へのお礼

10ken16さん こんにちは

とても建設的なご意見をありがとうございます。
サポートするような統計を見つけました。
http://www.mlit.go.jp/jidosha/anzen/subcontents/ …
http://www.ms-ins.com/pdf/rm_car/jiko_data.pdf
40km/h以下制限の場所での事故数がむしろ多い、ということは今のところ私には確認できていません。もしよろしければ情報源をご教示ください。
また、自分が二輪車に乗りつけないためか、イメージしにくく、今まであまり問題視していなかったのですが、二輪車も制限速度30km/hで走行するのだから、50km/h制限の道路を一緒に走るのはそもそも無理がある気がします。
全体的にみて、現行の道路交通は運転者や歩行者の能力にかなり依存しているシステムだなあ、と思います。

さて、そうしたことを踏まえてさらに考えていきます。
主な幹線道路が40km/h走行となったときの、ドライバーへの心理的な影響はどうでしょうか?
交差点での事故がもっとも多いようですが、
なぜ交差点に侵入する前に一時停止義務を怠るのか、左右確認をせず、追突にまで至ってしまうのか?その理由を考えた場合には、速度と事故規模のみならず、事故数も相関しないでしょうか?追突事故が形態としては一番多いとのことですが、これを回避するには速度が遅いほうが有利です。

私もまだ勉強中ですが、どのようなときにどのような環境で事故が起こるか。
http://itdb.kotsu-anzen.jp/index.html
このサイトも役に立ちそうです。

よろしかったらまたご投稿ください。

お礼日時:2008/10/05 17:22

#6様と同意見です。


人や物をいかに高速で短時間で移動(運搬)するか、を背負う限りは時速40の世界はちょと無理です。交通事故は一部の不心得者が起こすものとは限らず誰しも加害者にも被害者にもなります。

#6様が言われるように日本は、歩行者、自転車、車、の住み分けが無茶苦茶です。でも改善は段階的にしかできないと思います。

自己防衛ですが。(家族にも言い聞かせてます)
*自転車では傘をさすな。夜は必ずライトを付けろ。
*歩行者用の信号が赤になったら横断するな。
*横断するときは車が止まるまで動くな。
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この回答へのお礼

chunjinhoさん こんにちは

高速道路を話の外に置いて、都市・街中での移動を考えたときにはどうでしょうか?それほど急がねばならないでしょうか?緊急車両は別として......

少し具体性にかける話かもしれませんが、少し先の社会で、どのような交通環境が出来上がっていたらいいな、と思われますか?
また、国内に限らず、歩行者・自転車・車の棲み分けがすでにうまく行っている事例をご存知でしょうか。
もしよかったら またお聞かせください。

(歩行者の自己防衛について)
私自身は車の運転をするようになってから、歩いているときも後方確認をする癖がついてしまいました。最近の車は静かになり、接近を音で判断できないときがありますね。
狭い道を人車共通で利用しているばあいにはこちらも有効だと思います。ただ、運転経験のない方にはわかってもらいにくい話かもしれませんが......。

ご投稿ありがとうございます。またどうぞ。

お礼日時:2008/10/05 15:51

一つの感触?方向?としては、とは思います。



ただ、なにぶんにも人の集まりですから、そうひょっこりとは現れないんじゃないかと。

ぼくは、条件付きというより、もっと当たり前の?もっと普通の?、ものが現れる可能性を待ちたい気持ちが強いです。
具体的ではないけれど、そのくらいしか、今、イメージできていません。

自分も含め、ひとりひとり次第のような気がしていますので、そこが気になっているところではあります。
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この回答へのお礼

reebaububeさんこんにちは。

御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
失礼ですがこの回答は誤送信でしょうか?
そうでなければ、もう少し具体的なご意見を聞かせていただけるとうれしいです。

ご投稿ありがとうございます。(といっていいのかどうか悩んでいます)

お礼日時:2008/10/05 15:24

#4です。



>>そこからおりてからの交通上でのタイムロスはそれほど大きく響かないのでは?

いやいや。
そんな事は無いでしょう。
都市部だけで考えればおっしゃる通りだと思いますが、過疎地の環境を考えると40キロという規制は影響は少なくないと思います。
そのような考え方では地方軽視の今の政治と何も変わりません。


先にも述べましたが、事故を減らすには免許交付条件の厳格化、必要の無い免許を無駄に交付しない、という方法を取らない限りあまり効果は無いと私は思います。
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この回答へのお礼

kaimu1さん 再びこんにちは。

おっしゃること、わかってきました。
地域の状況を無視していっせいに同じ規制をするのは非現実的な押し付けになりかねませんね。
たとえばこの話題でいえば、公共交通期間の利便の薄い過疎地のほうが自家用車への依存度は高く、かつ事故にあうリスクも少ないのだから、速度制限をしても望んだ結果は得られないし、住民の移動にかかる時間が増すだけ、ということですね。
ご指摘ありがとうございました!

さてもしももう少し お付き合いいただけるならば.....。
ご回答くださっている方のうち、免許制度にフォーカスしておられるのがkaimu1さんだけなので、ご見解を伺いたいのです。
現行の免許制度のよくない点はどこですか?そういわれてみれば、免許を更新するときにはもう少し実質的なチェックがあったほうがいいと思います。
必要のない免許というのは今のところぴんと来ないので、こちらも補足していただければうれしいです。

ご投稿ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/29 20:18

人間が頑張って走る速度くらいが周囲状況を判断可能な速度というようなことでしょう。

(40キロでは走れないかもですが)
チーターなら100キロくらいとか。

でも状況に合わせて進化してきたのも人間です。
宇宙や深海に行くのは普通は不可能ですがそれ相応の技術装備規則によって可能としているのです。

40キロならば確かに安全性は増しますが物流流通移動時間にデメリットがあり、
現在の車や道路の能力を大幅に下回っています。

つまり現在の車や道路の能力を考慮したうえでソフトハードの整備をすすめたほうがより効果的な事故対策でしょう。
80キロで走っても人間の能力で認識可能で安全な車社会を作ったほうが安全快適で良いということです。

ちなみに現在の制限速度は車が走り始めた大昔のままの速度が多く、
それはいろんなしがらみによって実情に即していない状況となっているようです。
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この回答へのお礼

katugenumaさん こんにちは。

オリンピックのマラソンランナーのレース中の平均時速が20km/h,,陸上男子100m決勝が40km/.h位です。私が心から安心して自動車を運転できる最速は20km/hです。走るべきか?しかし高速道路でなら80km以上でも心理的に抵抗もなく、過剰なストレスも感じません。幹線道路で50km/hで走ると、せかされている感じがして、見落としが多いなと思います。安全に自動車を運転するためには確かにソフト(規制・制度)とハード(道路自体とその周辺環境)、そのよい組み合わせがとても重要だと思います。

しかし人の移動手段としての自動車に限れば、これ以上の速度が必要か、疑問です。所によってはもっと遅くてもいいのではないかとすら思っているわけです。実際、幹線道路40km/h制限を考えた場合の問題点は「物流システムへの弊害」との回答が主でした。
では、少し先の未来になるかもしれませんが、物流システムが交通網から独立したらどうでしょうか。ニューマー(空気圧による移送)網の整備は技術力を使って行うことが可能ではないでしょうか。

少し前に日本のメーカーがPOYOというコンセプトカーを発表しました。車の性能の意味合いも変化してきたなと感じました。車社会を共有する乗る人・乗らない人が、どちらも命がけにならなくていい便利を実現するのが快適な車社会だと思います。路上に倒れている事故被害者が後続車にはねられるという悲惨を回避するには、ドライバーには視認し判断しブレーキーを踏む時間が必要で、その余裕を保証する速度規制を提示できることは、制度の成熟といえると思います。
遅くなることですが、ここでは進化とないでしょうか。

>ちなみに現在の制限速度は車が走り始めた大昔のままの速度が多く、
それはいろんなしがらみによって実情に即していない状況となっているようです。
この部分は私にはわかりにくかったです。実情にかなった制限速度はどのようだとお考えですか?よかったらまたお聞かせください。ご投稿ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/28 14:28

単純な速度制限論議は意味がないように思います。



事故はなぜ起こるか。速度が高いからうんぬんより、
速度差が大きい場合に起きやすいと考えるべきでしょう。
そういう意味では速度制限は有効な手段ですが、
絶対ではあり得ません。

まずは人車分離。を実現すること。です。
これが実現すれば重篤な人身事故は激減します。
新興の大規模ニュータウンなどではある程度実現されています。

次に、生活道路と幹線道路、都市間道路の分離です。
生活道路では人間優先、制限速度は10キロ程度、クランクや
道路上の凸凹などを設けて、徹底的に歩行者に安全なスペースを作る。

幹線道路では逆に歩行者を極力排除します。

都市間道路では、極力信号を失くし、歩行者は立体交差のみで道路を渡り、
車の流れを重視して制限速度は60-80キロ程度とします。

今の日本の都市計画は各種法整備やグランドデザインが無茶苦茶なので、
幹線道路が大渋滞で、生活道路を抜け道代りに暴走する車があるなど、
かなりお粗末です。また主要幹線道路でもせっかく2車線道路を
作っても、無用な信号をたくさん作ったり、大型店舗の出入りで
交通の流れが阻害されたりなど、事故の遠因を作り続けています。

時速20キロでも人を撥ねたら死ぬことがあります。
かなりの衝撃です。私的にはこんな状況が街中にころがりまくっている
状況のほうがよほど怖いですね。
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この回答へのお礼

narara2008さん こんにちは

整理されたご意見をありがとうございました。
お願いがひとつ。
もしよろしければ

>まずは人車分離。を実現すること。です。
>これが実現すれば重篤な人身事故は激減します。
>新興の大規模ニュータウンなどではある程度実現されています。

この事例(地域名)を教えていただけませんか?とても興味があります。
関連する情報を調べて、ここにリンクを掲示させていただきます。

こちらは鉄の枠の中で護られていながら生身の人にぶつかってしまいたくはありません。立場が歩行者側であっても同じです。人車分離によってその危険が減ることはよくわかります。高速道路で運転スピードにもかかわらずそれほどストレスがかからないのは、前方に進行するすることに気を使っていればいいからです。
幹線道路ではそうはいかない現状ですが、どのように改善されつつあるのか、知りたいと思います。

また、最後の一連がとても印象的なのですが、これは生活道路での自転車の振る舞いについて及んでおられるのでしょうか?とても実感がこもっているので、失礼ながら交通被害にあわれたのだろうかという印象を受けました。

私自身は無事故ではありませんが、重大な事故や人身事故を起こすことはなくここまできています。身近に事故にあった人もいません。でも、自分が運転者として交通の流れに入っていくときにはリスクをひしひしと感じます。一番怖いのはやはり他人を巻き込む事故の加害者になることです。そうした事態を避けるためにも、安全な運転速度という視点は持ち続けたいと思っています。

お礼日時:2008/09/27 22:39

 それってすべての運転者が制限速度を順守することが大前提ですよね。


 制限速度でそういったことを考える場合に、「制限速度を守らせる」システムが必要ですよ。車自体に仕掛けを設け一定速度以上にはならない方法とか、そういったものが必要です。

 また幹線道路を指摘されていますが、住宅街などの道路と、いわゆる「優先道路」を速度面から並べて議論するのは非現実的ですね。
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この回答へのお礼

おしえてQさん^^?こんにちは

おっしゃるとおり、速度を変えて制限しても、実行しなければ事故は起きると思います。しかし事故の内容は変わってくると思います。

ところで、ルールがまもられないせいで年間100万からの人が交通事故で死傷するのでしょうか?(この数字はおおきくてぎょっとしますが、うちわけな多くは軽傷者であり、死者は6000人弱だそうです。平成19年数字。減少の傾向ということでまずはよかった。)
わたしはドライバーの多くは良識があると思います。報道で大きく取り上げられるような悪質なドライバーは一握りだと。ただし悪意はないが一瞬うっかりしたためにルールをたがえてしまい、事故につながるということはよくありそうです。
それならば、問題はルールを守る意識以前ではないか?標準的なドライバーを想定しても現在の一般的な車の使い方が適切ではないのでは?と疑っているのです。

制限速度を強制的に護らせる機械は具体的な処方ですね。実際類似の機能を備えた車種があると聞きますし、路面に施設する自走誘導システムも開発されているということなので、両者補完する形で高速道路から導入されてゆくのではないでしょうか。
しかしそうなるといずれは「運転する楽しみ」はなくなりそうです。
運転する楽しみは自由の楽しみで、セットになる義務は公道を走る場合は「交通ルールを守る」です。
人間の理性や思いやりもルールを守るシステムだと私は数えたいのですが、そうするのならば無理のない速度規制を提示し、人を護ることも大切になってきます。

>また幹線道路を指摘されていますが、住宅街などの道路と、いわゆる「優先道路」を速度面から並べて議論するのは非現実的ですね。
幹線道路には優先道路とそうでない道路がある、というご指摘ですね。
優先道路では利便性・速度を重視し、それ以外では安全性を重視視するなど、制限する速度も調節すべきとの御意見と解釈しています。

そうですね、まずはどうしたところで事故が起きているのかを知るべきです。
参考になりました、ありがとうございます。またどうぞ。

お礼日時:2008/09/27 21:36

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