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九曜紋は伊達とか、細川とか、相馬とかよく見かけますが、丸が付いたのはあまり見ません。
教えてください。  

A 回答 (2件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。
お尋ねの件ですが、
まず、丸を付けるか付けないかは、例えば、大大名の「分家」や「庶子家」「一門」などになると、一族を表す「紋」を引き継いで、そして、一歩下がって丸を付ける場合があります。
根本的には、丸があっても、なくても、「紋」が一族を知る上での手がかりとなります。

九曜紋は、

<源氏系>
三木(松平系)、桜井(松平系)、大給(おぎゅう、または、おおきゅう、松平系)、宮石(松平系)、松平、桜井、吉野、青野、田沼、村田、陰山、土屋、榊原、細川、島田、山本、岡田、諏訪部、山田、牧野、原、比留間(ひるま)、久保田、諸星(もろぼし)、白須、青木、伴野、木曾、押田、村上、飯島、保科、平岡、伊丹(いたみ)、太田、浅野、土方、渡辺、大野、佐野、吉益、中島、西川、飯田、柿沼、柴田、郷渡(ごうど)、宮岡、森川、栃木、浅井、野村、小倉、久世、芝、木村
<平氏系>
山梨、高樋、犬塚、尾崎、笹本、河合、平野、小栗、相馬、佐久間、佐野、牛袋(うしぶくろ)、上坂、遠藤、東、原、堀、飯河、岩下、風祭、深沢、杉浦、由比、豊島(としま、または、てしま)、奥平、土屋、戸沢、梶、町野、奥山、飯塚、河内
<藤原氏系>
佐久間、青山、大久保、喜多川、富沢、藤井、佐野、佐山、糟屋、加加爪(かがづめ)、伊達、林、加藤、斉藤、西山、伊丹、橋本、上野、内藤、桑島、山上、藤沼、村越、榊原、稲生(いなふ、または、いなお、いのう)、松倉、熊沢、興津、伊東、六郷、曾根、石谷、戸田、加茂宮、井上、権太(ごんだ)、桜井、西川、山角、三橋、高城、中村、落合、正木、石場、粕谷、岩瀬、植村、細井、平岡、久津見、室田、市橋、富岡、清水、石黒、大河原、浅岡、樋口、関、反町(そりまち)、前沢、勝屋、和田、松倉、尾崎、猪狩(いかり)
<越智氏系>河野
<紀氏系>茂野
<小野氏系>岡部
<服部氏系>服部
<飯高氏系>飯高
<三善氏系>町野
<宮道氏系>蜷川(にながわ)
<坂上氏系>田村
<安倍氏系>阿部
<未勘系>米津、伊達、諸星、大津

以上が、
「見聞諸家紋(けんもんしょけもん)」
「雲上明鑑(うんじょうめいかん)」
「寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)」
「日本紋章学」
「大武鑑」
によるものです。

ここに書き出した「姓」は、公家または武家の苗字で、日本の「姓」の全てと言っても過言ではありません。

この中に、あなたの「姓」があれば、家系図をたどって行くと、先祖がどのような人物だったかが分かる、かも、知れません。

ただし、明治になって苗字を名乗るようになってからの「農」「工」「商」は、「あやかって」付けた場合もあります。

また、家紋も同じく明治になってから「あやかって」、家紋としたものもあります。

さて、あなたの家系は、公家や武士につながっているのでしょうか・・・。
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この回答へのお礼

さっそくご丁寧な回答をありがとうございます。特にカナを譜って下さって助かります。伊達の家臣の濱田を調べていて、伊達が九曜、そして
現在の濱田は、一部の家? は、丸に九曜を用いています。
大変参考になりました。
そちらのほうも何かありましたらご指導ください。

お礼日時:2008/10/04 09:31

こんにちは。



>>現在の濱田は、一部の家? は、丸に九曜を用いています。

前回もお話いたしましたが、丸を付ける、付けない、は、その家系によるもので、分家、庶子家、一族、などの範疇に入るかも知れませんが、場合によっては、たまたま、「濱田」姓だったので、「あやかって」九曜紋にして、丸を付けたり、付けなかったりしたものかも知れません。
その家の家系図等を調べられれば、どこかで「つながっている」または「全くの別の家系」かも知れません。

私は、佐渡を統治していた「本間一族」を調べたことがあります。本間一族は、盛時には佐渡を24にも分割して分家、庶子家などが治めていました。家紋は「丸に十六目菱」が正当なのですが、上杉景勝により滅ぼされてから、一族はバラバラになってしまいました。また、佐渡の各城が焼かれた時、家系図等もすべて灰燼にきしてしまいました。わずかに、古文書が残っていて調査には役立ちました。
しかし、明治になってから庶民も苗字を名乗るようになると、本間氏一族に「あやかって」、本間を名乗る家がたくさん出てきました。
「丸に十六目菱」や「十六目菱だけ」、はたまた、「丸に本の文字」などなどで、佐渡を統治していた本間氏一族とは無関係の人々も、かなり多かったようです。
ある古老の話、
「佐渡で何かの集会があって、本間さ~ん、と、呼ぶと、必ず、4~5人は手を上げる」
とさえ言われるほどでした。
濱田氏も伊達氏に関係あるかないかは、最終的には「家系図」をたどって行くしかないかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。仙台博物館に、家系図はありますが、最近それに、不信感をもっています。中世の城間跡を今調べていますが、殆どが伊達以前にあった館をそのまま(一部補修?)使用しているようで、
家系図のように、譜代の家臣ではないような気がします。
また、幕末の先祖が末裔を名乗りますが、それもどうかと?
(ちなみに200年前の生まれの先祖、1808年)
学翁の碑というブログを書いてますが、のんびりやっていきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 10:32

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