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初めまして。
突然ですが、自分が醜くて醜くて仕様がありません…
鏡を見ても、覚悟を決めて映った時はまだ大丈夫だな、と思うのですが
友人が予期せず撮った写真や、予期せずうつった鏡を見ると
パニックというか、心臓が圧迫されて顔が歪み、無意識にうめいてしまいます。偶に、まったく関係のない場面で自分の顔を思い出し過呼吸になったりします。
最近、本当に仲良くなった友人に悩みぬいた末相談してみると、どうみても不細工じゃないし思い込む意味が分からない。と一刀両断されてしまいました。なんかの病気とかじゃないのかな、と言われたので、質問します。

自分が好きになれません。自分以外の他の誰かになりたいとさえ思います。
顔だけが美醜を決定するものではないと分かっているのですが、
友達の可愛さや彼氏がいるということにどうしようもなく嫉妬してしまう性格も醜いと思います。
私はなにかの精神病なのでしょうか?
そうだとすれば治療法はあるのでしょうか。
教えて下さい…

A 回答 (5件)

貴方の場合は神経症の中の「醜形恐怖(症)(しゅうけいきょうふ(しょう))」と云うものかと思います。

それで神経症がどういうもので、どうしたら治るのかと云う事を書いてみます。

神経症は意識が「何か」に止まってしまう事と云えます。貴方の場合は「自分の顔や形」と云う事です。字を書く事に「意識」が止まった時には「書痙」と云うものになります。話す事なら「吃音」人に会う事なら「対人恐怖」、上がってはいけないと云う風に意識した場合に「上がり症」と云う事になります。人間が意識をする事はいくらでも有ります。

従って症状は数え切れないほどあります。意識する事が神経症の症状名になっています。それで意識すると云う事を分かり易く説明したいと思います。

プロゴルファーが優勝の掛かった一打に渾身の力を込めて臨みます。或いは昔の剣豪等が命を掛けて真剣勝負に臨む時など、そういう時にいかに普通の心持で臨めるのかで成否が決まります。是はいかに意識しないでやれるのかに掛かっています。「意識」した時には体も、心も自由にならないからです。

他の言い方をするなら、畳の上を歩く時を考えて頂けば良いのですが、地面に引いた畳では、大抵の人がうまく渡れます。是は意識をしなくて良いからです。畳を100メートルも高い所にセットしてあった場合にはどうでしょうか?多分誰でも平気で歩く事は出来ません。

この事が何を意味しているかと云いますと、人間は意識をした場合にはうまく体も、心も自由に働かせる事が出来ないという事を意味しています。神経症の場合にも当てはまります。何かに心が止まってしまう事が神経症と云うものを造っています。

もう一つ説明する事が在ります。それは今言った事でも分かると思いますが、自分が無意識になった時に「誰が自分の手足を動かしているのか?」と云う事です。人間が一番良い仕事をしている時には「没我」と云って自我意識が関与していない時と云えます。その事で分かると思いますが、自分には分かり難いのですが、自分の心は二つあると云う事です。

無意識に(一生懸命に)なってやっている時にやっているものが居ます。自我意識では有りません。これには意識が在ります。判り難いですが、確かに意識が在ります。これは自我意識に対してもう一つの意識とでも言っておきます。貴方が悩む時に自我意識に対する事を云っているものです。

この話をしても分かり難いので、神経症の治ると云う事を書いてみます。神経症になって苦しんでいる時はこの苦しみさえなかったらと思います。この症状さえなければ楽になると考えるはずですが、この苦しみは、辛さは、症状は取れる事は有りません。ですが完治は有ります。

症状と云うものは「心の違和感」として嫌って心から追い出そうとしている心が作り出している妄想と云えます。症状さえなかったらと云う心が作り出しています。そうして強く心から排除しようとする事でしっかりと固定されてしまいます。

従って神経症の完治を望むなら症状は「不問」と云う事になります。症状は口にもしない、紙にも書かない。と云う事になります。症状を相手にしていたら一生掛かっても治らないという事になります。症状は只の雑念として相手にしない事です。

神経症を起こしているものは、自我意識の認識の誤りと云えます。世の中の見方が間違っているという事になります。これも分かり難い話になりますので、余り根をつめて読まなくても良いです。漠然として読み進めて頂いたらよいと思います。

自我意識が何を間違えているかと云うと、二つほどあります。一つ目は世の中を「計らい」で見ているという事です。一つしかない目の前の現実を天国、地獄と云う風にして二つにして見ているという事です。それは何もない所に自分で地獄を作って、その地獄から這い出す事が出来なくなっていると言えます。一つしかない現実を一つにして見ると云う事が必要な事です。事実をありのままに見ると云う事が大事な事になります。

二つ目は自分自身の事です。自分の心が自我意識だけで成り立っている訳ではないという事を認める事が大事な事です。自我意識で頑張ってみたけれども「自我意識だけでは生きてゆく事が辛くて大変」と云う事を認めると云う事です。自我だけではなくて無意識の意識と云うものを信じる事です。そのための方法が二つほどあります。

一つ目は森田療法というものです。著者は鈴木知順先生のものを進めたいと思います。貴方と同じ症状の人も載っています(多分)その中で人の心の働き方、或いは心の癖と云うものを学んで下さい。そして「よろよろでも仕方がないから、体を使って、無意識の世界に入る事を学ぶ事です。

二つ目は「禅」と云うものを学ぶ事です。禅の中には「人間はどうして悩み苦しむのか」と云う事がでています。そして宗教とは何か?と云う事が書いてあります。鈴木大拙博士の書いたものが参考になると思います。博士の悩んだ跡が分かると思います。沢山の本を残しています。簡単なものから入ってみて下さい。貴方が人間がどうして悩むのかと云う事が分かる時に、貴方の症状は消えるはずです。貴方の症状は貴方の分別する心が生み出した、ただの妄想と云えるからです。

ただ好きと嫌いで世の中を見ない事です。嫌な事を避けて、良い事ばかりを望んでいる、その分別を捨てて、なんでも肯定して頂く事です。嫌な事を避けたいと云う貴方の分別が貴方に嫌な思いをさせているからです。
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文面からすると、


「醜形恐怖(症)(しゅうけいきょうふ(しょう))」
の可能性が考えられます。
自分で自分の姿かたちが醜いと思い込んでしまって、
他人に何と言われようとそこから抜け出せなくなる精神的な病気のようです。

一度、心療内科や精神科で診てもらうことをおすすめします。
一応参考になりそうなURLを貼っておきます。

参考URL:http://kyofusho.blog101.fc2.com/blog-entry-88.html
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>私はなにかの精神病なのでしょうか?


質問文を読むかぎりでは・・到底尋常ではない事態だと思います。

>そうだとすれば治療法はあるのでしょうか。
いったん入ったトラウマ、そう感嘆には抜けません
とにかくあまり酷いことにならないうちに、精神病院に行き専門医の診断を受けることです。一人で悶々としていてもどうにもならないですよ、、とにかく先ずは病院へ 大事をとって脳の精密検査もすることをお勧めします。
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思うに顔がどうこうというのは問題ではないと思います。

何か別の出来事がきっかけで自己不安になって顔を気にするのはそのはけ口になっているのではないかと。
(何か自己不信になるような出来事があったのではないでしょうか?自分の存在を脅かされるようなことがなかったかさかのぼってみてはどうでしょうか?友人の言うとおり顔が問題ではないのでしょう。あなたの見方が醜くなっているのだと思います。自分を醜く見てしまう理由がわかればそれでほとんど解消できるのではないかと思います。
専門家ではありませんので参考までに。
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参照してみて下さい。


不安障害
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%89% …

心療内科か精神科の受診を考えてみたらどうでしょうか。
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