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よく使用されるレトリックだと思います。

この言葉は、
1.どのようなときに主に使用されるのでしょうか。

2.誰がはじめに言ったのでしょうか。


教えてください。
うまくイメージが湧きません。

回答よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

えーと、「自然が芸術を模倣する」ですね。



2.
オスカー・ワイルド Oscar Wilde による対話形式の評論「虚言の衰退 The Decay of Lying」
に現れる、一節です(私は読んでいませんが)。
ここだけ抜き出されて、警句として重宝されています。

どうやら、ヴィヴィアンって人が、"Life imitates art far more than Art imitates life"
という主張から、究極的には"Nature also imitates Art"とまで言っちゃうようです。
(オンライン・テキストありますんで、挑戦してみたら如何でしょうか)

1.
使われ方ですけど、本来、芸術は自然の模倣である、
換言すれば、自然の存在が、芸術の存在の前提にある、というのが一般的な理解ですね。
例えば、絵を描くにも、小説を書くにもモデルがいる。
つまり、自然の模倣から生まれる。

この警句は、その反語です。
いかにも彼らしい天邪鬼的な発想ですが、これが、ある面では実に当を得たものであるため、
よく問題にされるのです。

例えばですねぇ・・・・・・・・ 私たちが廃墟の寺院を見るとしましょう。
私たちは、そこに趣ある美しさを見出したとします。
さて、では、私たちは、その眼前に存在する廃墟自体が美しいから、
「美しい」と感じるのでしょうか?
実は、必ずしもそうではないのです。

実際には、「廃墟は美しい」という美的価値観の定式が事前に存在するから、
「美しい」と感じるという面があります。夕焼けが美しいと感じるのは、「夕焼けが美しい」
という美的基準がある文化圏で我々が生まれたから、「美しい」。
尿が汚く感じられるのは、「尿は汚い」という文化圏に生まれたから
汚らしく感じられる、という側面があるんですね。
それは、文化人類学や心理学からも、検証されていることです。

廃墟が美しいという感覚は、「廃墟は美しい」と語った芸術作品を通して、
我々の美意識に植え付けられることが多いのです。
中世以前に廃墟が描かれる場合、宝探しの一舞台みたいなもので、
要するに美的なものとして描かれておりません。
ところがルネサンスになって、廃墟が称えられ、芸術のモティーフになると、
一気に廃墟趣味が盛り上がり、そして世間一般の認識として
「廃墟は美しい」ことになるのです。

では、実際の廃墟を、どのような基準で眺め、美のランク付けを行うでしょうか?
往時の西欧では、「いかにも絵画のような」廃墟がこの好まれたのです。
この時、自然と芸術の立場は逆転し、芸術を基準として、自然が眺められる。
これが、「自然が芸術を模倣」している状態です。

もう一つ例を挙げます。風が鳴っている。その音がフルートのようで美しいと思う。
この時、フルートという人工物が、自然を捉える基準になっていますね?
これも、自然が芸術を模倣している状態。

参考URL:http://eserver.org/books/intentions/the-decay-of …
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