No.1ベストアンサー
- 回答日時:
戦国から江戸にかけ、「の方」は大名の正室の呼び方で
当時は単に「奥方様」「お方様」といい、場合によって名前に「の方」をつけ「お市の方」という呼び方でよばれたが、この呼び名は後世の歴史書などで大名の正室を呼ぶときの呼び方として使われたものが、一般化して「お市の方」が一般てきな呼び名と成った、お市の方の姉は
お犬の方と呼ばれた
尚将軍等権力者の正室は「みだいどころ」とよばれ
側室は「おきよの方」「お須磨の方」などと呼ばれた
秀吉の正室は「北政所」側室は「淀殿」とよばれた
いずれも規則で決まっていたわけではなく、状況によりさまざま
に呼ばれていたようです、
いずれも
No.8
- 回答日時:
司馬遼太郎氏が1973年に淀に移ってからの話ですが「茶々は世間から淀殿と呼ばれ、秀吉から淀の者などとよばれたりした。
」と書いており、ここらが現在の定説でしょう。江戸期の「明良洪範」にも淀殿と書かれているそうです。
二の丸女房(正室の次位の側室の意味か)とか淀の女房とか書かれた本もあります。
手紙や確かな書類などが残っていないと、有名な女性でも通称どころか、本名もわからないのは珍しくはありません。
太夫(=大夫、1958年の古語辞典より)は確かに花魁とは違いました。
吉原遊郭の質的変化として、寛永には75人いた太夫(吉原遊女の位)が享保末に4人、宝暦には1人となり消滅したとあり、花魁の語はその後生まれたようです。
No.7
- 回答日時:
すみません。
大変申し訳ないのですが、ちょっと待ってください。
Pinhole-09へ・・・。
>>江戸時代上位の花魁(おいらん)は大夫と呼びましたが、
吉原の遊女の格では、吉原ができた当初は、確かに、
「太夫」「格子」「散茶(さんちゃ)」「うめ茶」「五寸局(ごすんつぼね)」「三寸局」「なみ局」「次(つぎ)」の序列でした。
そして、「太夫」と「格子」にお客が付いた時には、揚屋(あげや・待合茶屋)へ「太夫」や「格子」がお出迎え・・・三度通って、気に入れば、今度は、お客を連れて、やっと「置屋」へ帰り夜を共にしました。
これを「花魁道中」と呼びましたが、
「太夫」は、容姿だけではなく、「八代集」とか「源氏物語」「竹取物語」などを「レ(かえり点)」なしでスラスラと読めたり、和歌や囲碁、将棋なども相手ができるほどの教養を身につけていました。
そこで、一夜の相手をするためだけであると、あまりにも「高級過ぎる」ため、
宝暦年間(1751~)頃からは、「太夫」はなくなり、そこそこの容姿で、気品のある遊女を「花魁」と呼ぶようになりました。
従って、確かに「花魁道中」とは呼びましたが、「太夫」=「花魁」ではありません。
余計なところで口出しをしてごめんなさい。
No.6
- 回答日時:
後世の便宜です。
当時、女性に関する記載は、ほとんどなかったので、名前もはっきりしない有名な女性は、けっこういます。
れっきとした、大大名の正室クラスでもです。
「淀君」は、悪意のある通称なので、「淀殿」を使いましょうと、杉本苑子さんが、提唱してました。
No.5
- 回答日時:
江戸時代上位の花魁(おいらん)は大夫と呼びましたが、その昔遊女の呼び名に、何々君(きみ)というのがありました。
淀君との呼称は多少蔑みの感じがあります。 当時そう陰口されていたのを徳川時代になり一般化されたのでしょう。
一方淀殿は淀城の主でしたから、この呼称は正しく当時使われていたと思います。 何々の方は奥向きの呼称です。
No.4
- 回答日時:
NO1です、多少お役にたちましたでしょうか?
淀君の呼び名はいろいろな解釈がありますが
淀君 淀殿と呼ぶようになったのは江戸以降でそれまでは
在所を中心にいろいろと呼ばれていたといわれています、
詳しくは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%AE%BF
を参考にしてください
No.3
- 回答日時:
NO2.です。
>>淀君とか淀殿とかいろいろ気になることがありますが
しいて言えば、
「君」は朝廷を真似た「謙譲語」呼び方。「君子(くんし)」などと呼びますよね。
「殿」は、武家社会での「謙譲語」です。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
NO1.の方の解釈と、
もう一つの解釈があります。
主に戦国時代からですが、
自分を表す時には、「わしは・・・」とか「拙者は・・・」
と、いいましたが、
相手を呼ぶ時は、「その方(ほう)は・・・」などと呼び、
これが転じて、「○○の方」と呼ぶようになりました。
なお、余談ですが、江戸時代の将軍でも、大奥に入って、御台所などと話をする時は、「わしは嫌いだ・・・」とか、御台所も「私は好きです・・・」などと、いたって、庶民の言葉遣いでした。
また、「遊ばせ言葉」と言って将軍や御台所の世話をする女中たちに、将軍を「お上(おかみ)」とか、御台所を略して「御台(みだい)」などと「~さま」を付けずに呼ばせたりしていました。
江戸時代では、表でも「将軍」のことは「将軍さま」とは呼ばず、
「公方(くぼう)さま」または「大樹(たいじゅ)さま」「御公儀(ごこうぎ)さま」と呼びました。
良くTVなどの時代劇で、「将軍様のお成り~」などと叫びますが、視聴率を上げるための所業。
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