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戦前の旧制高校・帝国大学について、質問です。

1.仙台が二高で京都が三高となったのには、どういう経緯があるんでしょうか。

2.四高~七高が 金沢・岡山・熊本・鹿児島と、現在の主要都市とは対応しない分布をしているのは何故ですか。
 特に、大阪と福岡には無いのに、熊本・鹿児島と九州南部に2校もあるのは何故でしょうか。

3.鹿児島高校がスクールに入れたなら、山口高校は入れなかったのでしょうか。

4.それに対し、帝国大学は現在の主要都市に応じて散らばっているのは何故ですか。

5.何故「東北大学」「九州大学」だけが都市名ではなく地方名がつけられたのでしょうか。

A 回答 (3件)


第二師団も仙台
東北から北海道は東京政府にとって、”開拓し、防御すべき地区”というので第二にナンバリングされたんじゃないかな。


現在の主要都市でなくても、当時の主要都市である。
江戸時代末期の段階で三都(江戸・京都・大坂)に次ぐ人口は名古屋で、名古屋は宗春時代に急激に人口増加した、その前までは基本的には城下町の人口=その大名家の経済力、武士の数=大名家の石高となります。最初の、1~5までは妥当な全国配分となります。
鹿児島が結構イレギュラーな政争があったようですね。


地元産業界の出資があったからです。
しかも、帝大は基本的には理系偏重で設備投資が大きかった。三番目の東北帝大が1907年であるように、産業革命が進行し重工業の時代にシフトしだした時代です。


現在の北海道大学も東北帝国大学内の農学部として位置づけられていたので、一都市ではなく方面として”東北”。九州大学は、本部は福岡だけど九州中にいろいろおきましょね・・・なんていう設立運動推進の背景があった。
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1)&3)&4)に関してはパスしますが



2)(Wikiでの旧制高等学校の項の)"歴史(誘致合戦)"の部(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6% … )では
6高は広島vs岡山の2都市の争いの末、広島が敗退し、岡山に決定
7高は予定都市の松本が退けられ、鹿児島へ変更云々と説明されています。
そして、Wikiでの説明に沿う限り
東京(医学系は千葉大医学部の前身)、仙台、京都、金沢、熊本(医学系は長崎大医学部の前身)、(その後、岡山へ移動した、当初の予定地の)広島(その後、鹿児島へ移動した)鹿児島、名古屋
との配置であって、予定地ベースで眺める限り、物凄く偏っているとは私個人としては感じません。

5)北海道北海道市がないのに札幌市に北海道(帝国)大が設置されたのですから、東北、九州両(旧帝国)大であっても特に不思議はないと解しても粗差支えない筈です

他には
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5% …
●(薩摩の路の)旧制高校の項→http://www.mpi-net.org/2004/01/post_20.html
●2002(H14)年10/1号掲より)第三中学校医学部の項→http://www.ibaraisikai.or.jp/information/rekisi/ …
辺りをご参考に
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ウィキペディアで「ナンバースクール」を引いてみました。


そこから関連リンクの「旧制高等学校」や「帝国大学」などの項目も見てみるとかなり詳しい歴史的背景が書かれています。
5件すべての答えが見つかるかどうかはわかりませんが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3% …
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