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先ほど、身分と上座について座布団のことを質問した者です。
あれから再び疑問に思ったことがあったので質問させていただきます。

例えば、身分の低い者(重臣程度)が身分の高い者を招き入れる場合、身分の低い者が待ち受ける場所は、
・部屋の真ん中の下座で予め控える
・部屋の隅である下座予め控える
・上座で待ちうけ、部屋の真ん中である下座に控える
・上座で待ちうけ、部屋の隅である下座に控える
どれになるのでしょうか?

身分の低い者が、身分の高い者を招き入れることは稀だとは思いますが、「あえて」ということでご回答いただけたらと思います。

A 回答 (2件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>上座と下座

これには幾つかのケースがあります。

(1)将軍が家臣の屋敷に、あるいは、大名が家臣の屋敷に遊行の場合:
玄関先で頭(こうべ)を垂れて、お出迎えします。そして、客間などへ先払いをして案内。当然、殿様は床の間を背にした上座。そして、家臣は、畳3枚分位離れて下座。
なお、将軍が遊行された場合、(これは、お城でもそうですが)、
「近こう」
と、呼ばれても、匍匐蠢動(ほふくしゅんどう)と言って、袴の脇に両手を入れて、その場で身体を左右に2~3度動かすだけで、決して、本当に前に出てはいけません。
これには、
「進みたいが、進むことあたわず」
「これ以上、近寄ることが恐れ多いことです」
と、言う意味があり、あくまでも、元の座で受け答えします。

まあ、現代のTVなどで、柳沢吉保邸に将軍綱吉が訪れたような時の「ご乱行ぶり」が放映されますが、いくら「側用人(後、大老)」と言えども、畳2枚分くらいがせいぜいでした。

ただし、酒席になると、お膳とお膳の間が畳2枚分くらいまでは近寄っての酒宴となり、お酌は、将軍が、
「杯をとらす」
と、言っても、決して、自ら注ぐことはせず、接待役の侍女が杯を受け渡しをし、酒を注ぎました。

まあ、大名クラスが家老の邸宅などに遊行した時は、将軍などに「ならえ」でしたが、実際に、相互に酒を注ぎあったりはしたかもしれません。

諸国の大名は、とにかく、将軍家の「まね」をすることが権威の象徴でした。

少し、話はズレますが、
千代田城(江戸時代、「江戸城」とは呼ばず「千代田城」または「舞鶴城(ぶかくじょう)」と呼び、庶民はただ単に「お城」と呼んでいました。)には「表」「中奥」「大奥」の区別がありますが、各大名家でも、禄高に応じて大小の違いはありますが、「中奥」「大奥」などの区別はありませんが「表」と「奥」が仕切られており、奥女中での「位」なども、人数は少なくても「大奥」を真似た「順位」でした。


重臣がどの程度を指すかは解りませんが、
(2)家老などが筆頭家老、または、自分より上席家老を迎えた時は、客間の下座の一番遠いところで待機して、筆頭家老などが上座に座ると、膝を進めて、畳1枚位を空けて対面します。

ただし、親戚関係にある、とか、の場合は、それでも、相手が若年であっても、自分が格下の場合は、上記が優先しましたが、場合によっては、かなりの老齢、または、ほぼ同格に等しい場合は、迎える方が上座で待つ場合もありました。

また、場合によっては、床の間に向かって並行して座しての対面も行われました。

(3)奉行クラス位で、家老を迎えた時は、
客間の出入りする障子の下(しも)に座り、腰を中腰に折り迎え、家老が上座に着くと、畳2枚くらい離れて対面しました。

(4)「沙汰」の申し渡しの場合:
客間の中央より、やや下座に座り、例えば、大目付や目付けが客間に入り、上座で立ったまま「沙汰状」を読み上げ、「沙汰状」を向けた時、初めて、やや顔を上げて「確かにお受けしました」という「しるし」としました。

とにかく、自分より「位」や「格式」が高い場合は、どんなに近くても、畳2枚分位下がって対面しました。
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身分の高い人のために


「御殿を構えて」
その御殿の外で、身分の低い人は待つ。

具体例
江戸時代で、将軍が各大名家に訪問するときはそういう感じ。
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