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心情的観点を抜きにして書きます。

人間が長生きする事による経済的メリットは皆無で、むしろ国家の負担が増えるだけだと思います。
長生きを「良い事」のようにしている風習があるかと思いますが、ボケるし身体も壊れてくるし本人にとっても良い事ばっかりじゃありません。

今後、医学進歩などで長寿命化が進むと、
終身まで国が面倒を見ていくのが困難になります。
(今でもかなり困難のようです)。

それでも日本は、やはり長生きを推奨していくべきでしょうか?

A 回答 (6件)

あるところに介護の必要な老夫婦と、その子供夫妻と、孫夫妻が住んでいました。


孫夫妻はそろそろ子供がほしい年代です。
しかし、この家庭はあまり豊かといえず、老夫婦の介護か孫夫妻の子育てかどちらかしかできません。
老夫婦は介護が必要とはいえ手厚く介護をすればあと10年以上は生きられる年であり、しかしそのあとに孫夫妻が子供を生むのは遅すぎます。
この場合、老夫婦の介護と孫夫妻の子供、どちらを優先するべきなのでしょうか?
そして孫夫妻が子供を生まなかった場合、子供夫妻の介護は、そして孫夫妻の介護は誰がやるべきなのでしょうか?

今の日本をひとつの家庭に例えると、こんな感じになると思います。
老夫婦の介護を優先しているのが今の現状です。
予算の配分や世の中のニュースの優先度を見れば分かると思います。

「姥捨て山」のような状態は、世界中で発生してます。
又聞きなので国名までは挙げませんが、ヨーロッパで「日本より福祉が手厚い」と言われている国では日本ほど手厚い介護をしなかったり医療を制限したりしています。
日本ではそんなことが許されないので、平均寿命はおのずと他国より高くなります。

老人を見捨てて若者が老人のことを気にせず生きることと、老人を見捨てずに若者が全て負担を強いられること。
どちらが幸福なんでしょうね?

人は必ず死にます。
しかし、お金と時間をかければその命を永らえることができます。
自然に任せて天寿を全うすることと、お金をかけて命を永らえて年少者にかける医療費を削ることと、どちらが幸せなんでしょうか。

上の例えで私は孫世代に当たります。
この問題提起は私が親から与えられたものです。
答えはきっと「どちらが正しいか分からない」になるとは思いますが、それでも現実から目をそむけずに考えることが一番正しいと思います。

「日本政府は・・・」なんて人のせいにしているのが、目をそむけている一番の例です。
結局最後に選ぶのは、自分自身なんですから。
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この回答へのお礼

ドライな言い方をしてしまえば、
「ほどほどな年齢で逝って下さい」ということになってしまいます。
もしくは「80歳までしか面倒見れませんので、その後は自力で頑張ってください」とか。
家族に迷惑をかけてまで生き永らえたくないと語る人々も多くいます。
とはいえ、「何歳で死ぬ」という覚悟など生半可にできるものではないですしね。。。
今となっては自然に死んでいくことは難しいことなのかもしれません。

お礼日時:2009/02/02 14:35

死ぬのはよいことではないのですから長生きはいいことでしょう。


ただし人間らしい生活が困難で本人も苦痛なのに無理やり延命させているような長生きは疑問だと思いますが。

単に長寿化でなく元気なお年寄りが増え、自分の小遣い稼ぎ程度の仕事はしながらの長生きが出来るように推奨していくべきでしょう。
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この回答へのお礼

>ただし人間らしい生活が困難で本人も苦痛なのに無理やり延命させているような長生きは疑問だと思いますが。

確かに。
長生きが国家の経済的負担にならないような形にできるといいですね。

お礼日時:2009/02/02 14:38

医療技術の進歩と社会福祉の充実という、このふたつ要素のバランスが狂っている事が問題だと思います。



つまり質問にありますように、医療技術が進歩すればするほど日本は長寿国家になります。 そのため国が負担すべき医療費や老人福祉対策費は年を追う毎に増加し、老齢年金の問題も含めてついには国家予算が破綻状況になる可能性があるわけです。

今、日本はそれに近い状況にあるように思われます。

ただ長生きの是非については経済面以外にも、様々な観点から考察する必要があります。 人間とは何ぞや、あるいは命とは何ぞや、これらを議論しだすと、それこそ哲学的論争にまで発展するでしょうね。

この質問に対しての正解は無いのかも知れませんが、私の持論は、「医学の進歩は人間に不幸をもたらす可能性もある」 という事です。

本来は神に与えられた命の期限がとっくの昔に過ぎているのに、近代医学による延命治療のお陰で余計な人生を送らなければいけない、そして周辺の人は勿論、本人もつらい思いをさせられるわけです。

医師も家族も、そして本人も 「もうこの辺で終わりにしましょう」 とは、誰も言えないわけです。

今の日本の家族制度の崩壊を挙げる人もいます。 私も一理はあると思うのですが、例えば家族制度がしっかりと確立されていた戦前を考えてみた場合、当然、今のような医療水準では無く、多くの人は60~70歳前後で寿命を終えていたはずです。

従って、今のように90歳近くの痴呆を持った老人を抱えて、その家族だけでは何も出来なく、途方にくれよような状態になる事は少なかったと考えられます。

もし仮に戦前に今のような超高齢で痴呆を持った老人を抱えた一家があるとすれば、どうしていたでしょうね? 

今のように老人福祉制度も無いし、医療保険も充実していないし、そうなれば老人一人に家族の1~2人がかかり切りになるしか方法は無いですし、それこそ家庭崩壊になったかも知れませんし、あるいは姥捨て山が出現したかも知れませんよ。
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この回答へのお礼

「とにかく長く生きること」だけが大事なコトではないことは、みんなが薄々わかっていることだと思います。
確かに「この辺で終わりにしましょう」とは言えませんが。
しかし国内税収・労働力で高齢者を支えきれなくなれば悲惨な結果が待つのも事実ですね。
今の状況・制度のままで進めば、自分たちが高齢者になる頃には
70歳ぐらいまで働かなくては年金すらもらえないような世の中になってしまうのではないかと不安です。

お礼日時:2009/02/02 14:29

問題は死が近づくとお金がかかるということですよね。



であれば寿命80歳というのがそのまま50歳にスライドしたとしても同じことです。

大事なことは死ぬ直前まで元気でいられることです。長生きというよりも、「いつまでも元気でいてね」と推奨するのはいいんじゃないですか。
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この回答へのお礼

そうですね。
元気でいてくれて、介護や費用の必要が薄ければ然程問題は無いでしょうね。

お礼日時:2009/02/02 14:26

長生きをすることが悪いことなんじゃないかと思えるのは、少子化問題も含め「家族」が崩壊しているからだと思います。



実際、生活保護を受ける老人や、介護に苦しむ人など、彼らの家庭がちゃんとしていれば、支えられるものが大多数です。

本来なら家族が担うものを、彼らが放棄したために、国家が負担するわけですから。

まあ、長生きを推奨しない国に日本がなるなら、私はこの国から出て行きますね。

日本は姥捨山になるのでしょ。
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この回答へのお礼

家族制度というものが明確化されているわけではないので難しい所ですね。
ただ税収的に高齢者保護が不可能になってしまえば姥捨山状態になるのは目に見えてます・・・。

お礼日時:2009/02/02 14:24

高齢者は豊富な知識と経験を持っています。

何もわからない若者に対して古き良き伝統を伝える義務があります。こういうほ都に対してこそ国は手を差し伸べていくべきです。ないがしろにするのは国家の損失です。あ孫dばかりいる若者に援助してもメリットはありません。
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この回答へのお礼

概念的責任・義務においては答えは出せませんが、遊んでいる人に援助はすべきではないですね。

お礼日時:2009/02/02 14:22

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